#4 愛憎
【前回までのあらすじ】
ディルク・デ・ヘンゲルによる協力を取り付け、ノアは乙丸とともに「イカロス」の開発室に侵入する。
開発室の装置を利用することで、ノアは自身の能力に備わっている“移譲”を応用し、任意の時間と人物に能力と自信の記憶を付与することができるようになった。
8年前、能力が開花した瞬間の自分自身へと“移譲”したノアは、そこで時間改変による空間の上塗りを体験する。その先に立っていたのは、当時の担任であり“移譲”の対象として記憶を追体験していた徐羅一判だった。
※ギャラリー機能:「ABY」の機能のひとつ。アカウントのプロフィール画面を画像や文章・動画などで自由に装飾できる。(1章6話・3章4話登場)
「ああ、流石に“家業”を放棄した貴様とは頭の出来が違うらしい――なあ、感想を聞かせてみろよ?徐羅寧さんよ」
ノアが「イカロス」を利用した過去への遡行を始めるよりも前、嘘の能力は岩見絢吾へと渡っていた時期。
渥美駆真は「イカロス」を舞台に行われていたゲームを脱出し、彼らが夫婦で共にいる瞬間を突き止めた。
駆真が2人を発見するのがその時でなければならなかった理由、そして、2人がその瞬間を秘匿したがった理由は、駆真との両者の間に転がっている1人の死体が物語っている。
「感想ね……。ごめんね、特に思い付かない。君の頭がいいことなんて、私はとっくの昔に認めてるもの」
「いや、俺は驚かされたよ」
一判はそこで初めて口を開く。
「俺の姿を確認しておきながら妻の方へ話しかけるってことは、俺のことは意外じゃなかったってことだろう?どうやって辿り着いたんだ?」
「冗談も大概にしろよ。俺とノアのいるところに突如現れたお前が、俺に吹っ掛けたあの依頼――アレの調査対象が赤月颯季だった時点で、察しない馬鹿はいない」
「でも、それは彼女の重要性に気づいた後、つまりノアの“預言”が突き止めただけの話で、君なりの考察じゃないだろう?聞いているのはもっと根本的な感覚だよ。
実際、君がしたことを寧の方はあまり理解していないみたいだし―― 現職の探偵が披露する本物の推理ショーというのを見せてくれよ。苦労した分の情報は吐き出したい欲があるはずだよ」
駆真は素直に頷いた。
――彼のその発言にどういった真意があるかは分からない。しかしそれを見抜くための材料は、彼の動きを観察する時間が与えてくれる。
「牙隈未良ちゃんが“編綴コード”や立体時間について調べているのと同じ頃に、俺はノアから協力の要請を受けた。一連の流れを詳しく聞いて、俺たちが共通して抱いた初歩的な疑問は“あだ名”だった」
「あだ名?」
「サークルの3人を集めたタイミングで、部外者である松波夏海によるノアに対する呼び方が変わった。要するに、あれは気まぐれでも偶然でもない。れっきとした過去改変のひとつってことだ。
最初、ノアはこれを否定してた。松波夏海があだ名を変えたタイミングは、ノアが吐いた嘘と対応してないからだ。ただ、確かに以前使われていた『かがっち』はあるタイミングから、ノアではなく柏葉陸朗の名前、足“利”陸朗を指すものだと改変されている。つまり、柏葉陸朗と松波夏海と関係が変化した――恐らく、そもそもは無かったはずの縁が生まれたことを意味してる」
「どんなに言っても、あだ名だけではこじ付けに感じちゃうけど」
「へえ、なら『柏葉陸朗』の名の真相についてはどう思うんだよ?」
駆真は鼻を鳴らす。
「柏葉家の里子だった陸朗は高校生まで、確かにそれまでこの名を使ってた。
でも18歳を越えたらその“配慮”はなくなり、奴は正真正銘『足利陸朗』として大学へ入学している。つまり奴は柏葉家の人間を自称していただけで嘘を吐いてたってことになるが、これは俺が突き止めるまでノアも知らない事実だった。
――そうなると、これまでの話に妙な動きがあるんだよ。本来起こっているはずのない過去改変が起きたことになる。“アンタ”が聞かされた嘘のことだよ、知らないはずがないよな?」
『他のメンバーとは接点もないようですが、柏葉陸朗という男だけが彼女のことを知っているという情報が入って来ているんです。宇宙飛行士をやっている兄の関係とかなんとかで』
『――ちなみに、さっきのサークルの話、嘘なんですけど。信じました?』
「『科学的に不可能な嘘は実現されない』からな。そうだろ?お義兄さん」
「……なるほど。よく突き止めたね」
それまで黙っていた一判は、尚も態度を翻さず応じる。
「行こう、寧」
「ええ。流石ね、駆真」
一判は満足したように寧の肩を軽く叩いてから駆真のいる方へ歩き出し、彼女の方もそれに続く。
「待て、お前達状況を――」
「ああ、理解しているとも。
この状況、既に君の勝ちで決まったんだ、駆真君」
「何だと……!?」
「何も難しい話じゃない。
そこにあるのは、『サク』を騙っていた男の遺体。この件で警察にでも通報すれば、俺の手元には対抗できる手段が残されていないんだよ。後は、君の好きにするといい」
それは、駆真の力で出来ることの限度としては何ひとつ間違っていない助言だった。しかし、この言葉が一判の降伏でないことは明らかだ。
そのまま堂々と自らの横を通過しようとする2人だったが、駆真はそれを言葉で静止した。
「おい、まだ話は終わってねーぞ」
2人は足を止める。
「アンタはノアが起こせなかった過去改変を実際に起こすことでそれを隠す必要があった。とはいえ、そもそもあの件の狙いは涼霜劉との内通者を特定すること。劉に伝えて実際に『フレイム』を使えばその結果を偽装することはできた。
それで全部説明は付く。付くんだけどな……あだ名の話といい、どうも釈然としないんだよ。
徐羅一判。アンタが第4の能力者、なのか?」
「その勘、本当に凄いよ。
でも違うな。確かにそういった能力を扱ったことはあるけど、今の俺は何ら特別な人間じゃない」
そうして一判はその報酬と言わんばかりに、駆真へとそれらの“コードネーム”を聞かされることになった――。
「『妄語』、『殺生』、『邪淫』、『偸盗』、『飲酒』。
これら5つの能力……『Great Old One』について、俺は少し君達よりも多くの知識を得ているだけだ。来たるべき瞬間に備えて、力のある時にいくつかの手を打った抜け殻だよ――」
「能力を扱えた俺が、当時やったことは数えるほどしかない」
8年前。
ノアと一判が邂逅した“忘却された時間”で、一判は語り始めた。
「過去の俺宛てに、『メディア・ハザード』へ導くように『ディファイル』で手紙を送ったこと。
事故の被害に遭った岼果の生存する時間を、『エンバーム』で固定したこと。
君を最終的に俺の元へ導くように、『エンバーム』の影響下である牙隈未良さんが『サク』を『コンテージョン』で発見できるようにしたこと。
あとは……『フレイム』でとある“情報屋”を操作し管理下においたことだろうか。
勿論、厳密に言えば『俺』がこれから行うこと、も含まれているけどね」
それらの事実は少なからずノアを動揺させたが、そのような開示があることは覚悟していた。ノアはひたすら目の前の男に対する疑問点から注意を逸らさないことに努め、次の言葉を紡ぐ。
「この“今”を含め……一時的に、全ての能力を扱えた時期があるのか」
「そんな口振りで言われるほど、簡単な道のりじゃなかったさ。寧という情報源が近くにいただけで、俺はやっとの思いでそこに辿り着いたんだ」
「簡単でないことを認めるなら、その説明でも不十分だ。話を聞く限り、それは現実世界に時間改変能力が現れた発端だ。その“奇跡”を起こさせたのは何だ」
「奇跡というなら、むしろそういうものだろ?それに、説明なら間に合ってるはずだ。『イカロス』の演算する未来には、俺とは関係なしに時間改変という可能性が存在しているからね。付け加えることがあるとするなら、これは俺ごときが1人で行き着いたものじゃなく、“シーカーズ”総員の悲願だったってことぐらいだよ」
「『アビー・シーカーズ』か……?『ABY』よりも先にその起源があると言いたいのか」
「まあ、そこは大して重要じゃない。
とにかく当時の俺の頭にあったのは、ただ岼果を死の呪いから解放させることだけだった」
一判は僅かに目を逸らした。ノアは彼がここに自分を誘った動機を察している――それを考慮すれば、彼が不都合を理由に事実を隠蔽するとは思わない。その信用を元に、あえて詳しく言及するのは控えることにした。
「そうだとして、何故それをわざわざこれ以降の未来で手放す?俺や劉に能力を渡した理由は何だ?」
「俺は俺の願いが多くの人を巻き込むエゴだということを知ってる。その一方で、それは諦めるほど価値のないものじゃないとも信じてる。
だから、皆にとってフェアな未来を築けるようにしたかった。まあそれすらも俺の勝手な考え……だけど、この能力の存在は俺たちの目線からでは見えない多くの希望が託されていることを暗示してる」
「見えない希望?」
「考えなかった訳じゃないはずだよ。この力が未来の仮想世界から飛来したのは、変えて欲しい“今”があるからだ。その審判をこの時代に託したのだとすれば、俺の偏った気持ちだけを解答としてぶつける訳にはいかないと思った。
そこで審判のため、俺の見た最も身近な『反目する未来』――架殻木ノアと、涼霜壮を選んだ。
『ダークネス』は……危険があると思ったから選定自体行なってない。ディルクは俺とは別で、不意にこの能力に辿り着いたんだろう。ただ、そんな偶然もまたひとつの解答だと思う」
「『エンバーム』が牙隈岼果だとして……『コンテージョン』は?」
「『飲酒』、つまり『コンテージョン』というのは、何も俺だけのものじゃない。言うなればそれは、時間を“予定調和”へ押し進めている存在の全てが等しく持つ性質だ」
「それは、立体時間の座標に存在している観測者全員が『コンテージョン』の能力者だということか」
「だって、考えてもみてくれ。浅子理論の言う“予定調和”が真実だとして、本当に何もかもが大衆の予想した通りになっていると感じるかな?例えば、スポーツなんかを『筋書きのないドラマ』と評することがあるけれど……そういった確率論を超えた番狂わせが世の中に数多く存在することを踏まえれば、当然そんなことはないと分かるはずだ。
『コンテージョン』とは、言わば“世界の狂酔”。それが本当の意味で現実世界に存在するかは意見の分かれるところだけど――仮想世界がシミュレートする“予定調和”と現実の行く末との間で違いが生じることの根本的な理由は、そういった各個人が思い描いた絵空事の実現だと解釈するのが最適だ。俺はそのメカニズムに触れ、必要な操作をしただけだよ」
そう言うと、一判はノアの方へ手を差し伸べる。
「そうだ――適切な過去を得た君に、全てを説明するこの機会が欲しかったんだ。涼霜壮くんはああいう性格だから時機を選ぶ必要はないけど、君には繊細に揺れ動く感性がある。“預言者”となって色々と経験した君が俺の解答をどう捉えるのか、それを仕向けた俺が聞いておかない訳にはいかないんだ」
ノアは一判の表情に真剣さが宿ったことに気が付いた。
「……その前に、ひとつ聞かせてくれ。
俺の過去改変と同じで、今の先生自身の原点がどこかは分からない。でも、俺が持つ記憶の中の先生のことは知っている――情報において弱肉強食の世界がどれだけ残酷なのか、アンタは誰よりも痛感したはずだ。何よりその後、牙隈岼果を事故に遭わせたのだって結局は『メディア・ハザード』を背景にしたディルクの増長だ。先生のあの授業が嘘で、『メディア・ハザード』がその過去改変の結果なら、どうしてそれを肯定する立場でいるんだ?」
「なにも、それを肯定している訳じゃない」
一判は悔しそうに答える。
「ただ俺は、“ポスト・メディア”の先にある絶対的な状態が欲しかっただけなんだ。その為に、『サク』は必要だった」
「俺が『サク』を立ち上げることは……先生の筋書きだったのか」
「そんな悲観的な話じゃない。君の進んだ道は俺の願ったものでもあったけど、手段もその結果も君自身が選んで掴み取ったものに他ならないよ。
とにかく――君にとっての“現在”、『サク』や『メフィスト』といった小規模な1アカウントの情報が正義となり、人々にとってSNSは情報の絶対的な基盤になった。人々の世界に対する認知は、『ABY』のような企業では母体を大きくするしか発展の道がなく、『アビー・シーカーズ』との対立構図を作り出すのが精一杯だった。それが徐々に、皆“予定調和”へ近いものへと統合されている」
「それが先生の言う“解答”へ向かうためのひとつの段階、そしてシーカーズの真の存在意義か。
それで、アンタ自身にとっても不本意な過程を経てまで果たそうとしている目的とは、一体何なんだ」
「不本意な過程」、という言葉に応じるように一判の顔が強張る。それはノアが表現する言葉以上の、語られなかった彼なりの苦痛を察するに余りある反応だった。
そうして次に続いた一判の言葉からは、ノアが記憶して知っている彼の延長線上に違いない熱意が込められていた。
「俺の目指す世界。それは、“予定調和”の収束を解くことだよ」
「“予定調和”を、解く……?」
「我々が“予定調和”を観測するということは、なにも時の進行に不可欠な性質という訳じゃない。その正体は、外界から情報を得なければ存在を維持できないという本能だよ。絶対の“預言者”からいつでもSNSで情報を得られたなら、自分が見ている認知に対して何の疑いもなくなる。そうなれば、敢えてそれ以外の認知を見識に取り込む必要もない」
「劉のような事を言うんだな。でも、そんなことは出来ないから“本能”になるんだろ?」
「ああ、でも人類は既にその方法を手に入れた。その存在を暴いたことにより、全員が認識の飛躍を正当化できるようになったんだ」
「全員」。その言葉で察しがついた。
「まさか、『コンテージョン』か……!?」
「そうだ」
一判は頷く。
「我々観測者は、“予定調和”に影響を与えている一方で、同時に影響を受けてもいる。どんなに飛躍した認識を抱いていたとしても、現実を観測することでそれを正すんだ。だから人は、“現実を見る”ということを消極的な行為として捉えている。それを通して理想は悪循環で小さくなり、最後には幸福という願いが不幸を、平和という願いが戦争を生む土壌になる。
この力を得た俺のやるべきことは、“予定調和”の収束を破壊し、この循環を断つことだ。人々皆が、『思い描く未来』を実現できると信じることができれば、世界は各々にとってより良く、より大きいものへと羽ばたける」
一判の拳に力が入る。
「それで、君はどう思う?この計画に賛同する?」
嘘は吐いていない。そして、それを実現させる為の決意や覚悟にも、偽りは感じ取れなかった。
その正体は善意だった。“予定調和”で成立している我々の世界において、良性の可能性とは有限なもの。一判の思い描く解放された時間を実現させたならば、それを奪い合うことで不幸が生じることは無くなるのかもしれない。
ノアは逡巡して、ひとまず率直な感想のままを述べることにした。
「……それは、それぞれが実体のない夢の中に逃避することと何が違うんだ」
一判の表情は動かなかった。
「立体時間と立体空間とがある中で、“予定調和”はその間、つまり俺たちが観測する“ひとつの世界”の存在を繋ぎ止めていたもののはずだ。それぞれが勝手な歴史を刻んでいくなんて、一度始めたら取り返しはつかなくなるし、行く末も保証はできない」
「それは理由にならないな。より良い世界の在り方を前にして現状に由来する価値観を持ち出す君の論調は、それこそが俺の言っている“現実を見る”という抑圧ありきの考え方なんだから。
あるいは、未知に対する恐怖という本能とも言えるね。それに関しては理解できる。だから、踏み出す勇気は俺が背負うべきなんだ」
「そもそも、それが世界のより良い在り方というのがアンタの決めつけに過ぎない!俺の『ディファイル』と同じで、『コンテージョン』でも立体空間の物理法則を覆すことはできないんだ。皆が思うがままの世界を想像した後に、1人の想像力では解決できない皺寄せに襲われる可能性だってある」
「皺寄せ?それはむしろ従来の“予定調和”にこそあるものだよ。環境問題に社会問題、それらの大概は大多数の個人が各々の責任から逃れた結果だ」
「しかし――」
ノアが反論を止めたのは、一判の少し残念そうな顔が目に入ったからだった。
「もう、大丈夫。君はこの時代に来て、必要な情報は得たはずだ。
相容れないと分かったなら、その力を存分に使って止めるしかないんだよ、君が未来へと帰ったら間も無く始まる、俺の“エゴ”をね」
そして、ノアの意識は『イカロス』のヘッドセットへと帰還する。
全てを知り、確信した――自分達にいくら有利な状況が積み重なっていても、それらは最終的な勝敗に何の意味ももたらさない。
徐羅一判が本当の意味で動き出すのは、この瞬間からだ。
「そうだとして、どうしてお前はシーカーズに靡いた!?」
駆真は手応えのなさから覚えた苛立ちを、宿敵への叫びとして表現した。
「私と貴方は違う。お父さんから継いだ謎を解き明かす探偵という仕事は、さぞ貴方にとって充実した生き方なのかも知れないけど、私はそうじゃなかった。謎を増やすということが、私にとっては苦痛でしかないから。例えば私がどうしてこの人に惹かれたのか、知ってる?」
徐羅寧は横にいる一判へと目を遣って言った。
「『無知の知』。有名な言葉なのに、多くの人がこれを無視してる。その最大の対象こそが“自分自身について”だと思うの。『ABY』なんて、まさにそうでしょう?推敲された文章やギャラリー機能で“自分”を表現し切ったものとして、一筋に正当化された完全な物語の先に今の自分が成立していると思い込む。忘却された物語の幕間には、拮抗していたはずの多くの複雑な感情、そして矛盾があったはずなのに……最後に画面に出力されただけのデフォルメの“絵”を、自分の鏡写しだと信じて止まないんだから。
別にそれ自体は人間として仕方ないのかも知れない。でも、少なくとも私はそういった事実に見て見ぬ振りをする多くの人を信用出来ない……」
寧の凍るような視線――この場にいる身内の人間以外は、恐らく一度も目にすることがないであろう。今回のそれは、実の弟へと向けられた。
――「どうして、私には才能がないの?」
――「どうして、私は2人に愛されることができないの?」
駆真にとっては、そんな言葉を聞かされた記憶を思い出させるものだった。
「だからこの人が凄く魅力的に見えたの。
彼は、そういった自分自身の複雑さと本気で戦っていた。『“手”が届く限りの人を守りたい』と宣言していた昔の彼は、それを世界全体へ拡張させるだけの能力を意図せず得ることになった。かつての言葉は、本当の夢に対する自分の無力であったり、大きな責任を背負う立場に対する恐れという裏返しの意味を含んでいたはずだった。
でも、能力を持った彼はそんな本音に屈さず、正しいと信じるかつての言葉に殉じた。その“手”にこの世の全てを救う力があるのなら、力の限りを使ってそれを叶える――そんな形だけの道徳を最後まで裏切らない彼だから、私は信用できるし、ここまで付いてきてるんだよ」
「奴の理想が……お前の『知』や、お前が今まで自覚できていた『無知』を奪うとしてもか」
「その言い方、まだ理解できていないみたいね。私は知らないものを減らしたいだけ――だとしたら全てを知り、知らせてくれる『ポスト・メディア』が君臨すれば、それは実現される。皆が全く同じ情報を得て生きる完璧な集合意識があったなら、人間は初めて全知へ向かうための足枷を外すことができるはずだから」
姉弟を気遣って黙っていたのであろう一判へ、寧は目配せをしてから再び歩き出す。
駆真はその背後へと怒りをぶつけた。
「お前だけは認めない!自分の安心のために全てから目を背けるお前だけは、この俺が否定してやる!」
「……駆真、私は姉として、貴方のことをとても気に入ってるの。表も裏も、凄く分かりやすいから。
貴方が自分を着飾るのに興味がないことは知ってる。自分の手で解かれていく謎が、その代わりをしてくれるからでしょうね。だから、その価値基準は人としての平均値を外れることがない」
寧の、暖かさを含んだ笑い声――それもまた、この場にいる身内の人間以外は一度も耳にすることがないのだろう。
「その頂点にあるのが、愛情だというところを含めてね」




