#1 伏するもの
「え……!?」
渥美探偵事務所。
未良はそこへ姿を現すと同時に声を漏らしたが、その焦点はノアよりも僅かに奥へ合っていた。
「それが、どうしてここに?」
今回はそもそもがノアからの呼び出しであって、未良の方がノアの能力の復活をこの状況から判断できる訳でもない。
彼女が驚いたのは、かつて“般若街”のアジトに設置していた「サク」のデスクトップPCが、この場に移されていたからに違いないだろう。
「私が『イカロス』の為にあれこれ動いてる間に、まさかこんなことになってるなんて……」
「仕方ないだろ?元の場所は既に劉達へ知られているんだから、置きざりにしておく理由はない」
その最大の目的である“活動誌”の内容にはすでに目を通しており、ノアは岩見絢吾に記憶を預けていた際の「サク」としての空白期間を埋めている。
渥美探偵事務所へ「サク」の拠点を変更するにあたって、能力を使用することはなかった。つまり決行されたのは至極一般的な輸送になるが、劉の能力「フレイム」の餌食は街にいくらでも潜伏し得る。ノアが直々に“般若街”に向かい動きを見せる訳にもいかず、実際は今もこの場にいる駆真の部下――宮尾麗音の貢献があったとのことだった。
「とは言いますけど、元はといえばバタフライ効果を起こさない為にそうしてたんですよね。移してきちゃっても良かったんですか?」
「制約自体はパソコン自体の指定に残っていて、据え置きであることで余計に転移する可能性を抑制していたというだけだ。問題はない」
「で、『サク』の活動拠点がここになるってことは……」
未良は怪訝そうにノアと、その横で微笑んでいる駆真へ交互に目を向ける。
「その通り。『サク』はウチの配下になった。それが協力の代価ってこと」
未良の表情は不安げな胸中を隠さなかったが、そこに驚きの色は見られない。全てを計画し、彼女にそれを説明できた訳ではなかったのだが、「イカロス」の件で彼らと協調した代償が高く付くことは未良にも予想できていたのだろう。
ノアの能力が移譲された先が駆真の調査範囲内であったことについては、いわば“運命的”なものだ。そもそも、ノアは自らの正体について駆真へ貸しを作っているというのもあり、協力を唯一要請できる対象であったことも現状の“屈服”に至った要因と言える。
「駆真さんは……どうして『サク』が欲しかったんですか?」
「そんなの、金と力に決まってるだろ」
駆真の返答は、彼女が驚くほどに素直なものだった。
「この取引が成立したのだって、ノア君が要らないって言ってるものを俺が引き取っただけだからね。誰もが欲しがっているものなのに、当の本人にその欲求が薄いなんて。宝の持ち腐れは勿体ないっしょ?」
呆気に取られている未良を見かねて、麗音がため息混じりの声を掛ける。
「ごめん未良ちゃん、ちょっと引いたよね。この人、こういうことを恥ずかしげもなく言うんだよ」
「恥ずかしい?どこが?」
駆真はわざとらしく首を傾げた。
「金への崇拝は、俺が何より気高い平等主義者であることの証明だよ。自分の中に通貨価値以外の物差しがなけりゃ、偏見も不当な評価も起こり得ない。むしろ誇っていいことだと思うんだけどな」
彼自身が自覚していないはずもないだろうが、駆真のこの価値観が彼の全てを表現した物でないことは、その場にいる全員が分かっている。
人ひとりが全てを平坦に評価できるはずはなく、駆真にも“個”がある。普段からの軽薄さは、ただひとつの突出した執着に対する反動なのだろう。
「何にせよ、『サク』で得られる利益を気にしていないってはそいつの言う通りだ」
ノアが口を開く。
「そんなことより……その成果についてはどうだったんだ?
岩見絢吾の視点なら記憶している。作戦通り、お前は過去改変で偽物とすり替わり、『イカロス』から抜け出すことに成功したはずだ。その間調査してみた結果……俺達の“予測”は当たっていたのか?」
「まあな。それはもう、最悪なことに」
「そうか……」
ノアは視線を落とした。
駆真は実際に、「黒幕」と対峙し、仮説を証明している――やはり、全ての発端はノアと劉に能力の覚醒をもたらした8年前。自らの記憶と徐羅一判の記憶、体験したそれらの裏側にあったということだ。
「けど、突き止められたからどうなるって話でもないだろ?問題は敵をどう詰めていくか。“そいつら”だって、その為に呼んだんだから」
駆真は入口に目をやり、未良もノアへと目配せする。
ノアは黙って頷いて、3人の入室を許可した。
「まったく、ようやく面と向かって打ち明ける気になった訳?」
入るや否や不満げな声を上げたのは高千穂真琴だ。
次はこの「メフィスト」3人に、状況を説明する段階だ。
「――ここまでが今まで『サク』の周囲で起きていた話。今後は『メフィスト』も秘密裏でこれを支援し、まもなく始まる最後の戦いに勝利する為貢献してもらう」
その反応は三者三様だった。とはいえ、これまでに「サク」のことを伝えている真琴・陸朗に関しては冷静に受け止めているようだったが、龍生については全てを明かすのが初めてのことだ。表情の変化に乏しい彼だが、時折目を見開いて、それを平然と受け入れている周囲の様子を窺って自身を納得させているらしかった。
「それで、戦いっていうのは何のこと?」
来客用ソファに腰掛けた真琴が尋ねる。
「黒幕はほとんど突き止めてる状態なんだし。アンタが自分の能力を使って上手いこと排除すれば終わりなんじゃないの?」
「そう簡単にはいかない。恐らく涼霜劉はこちらに対抗してくるし、向こうからの仕掛けにも警戒を強めないといけない。こちらが優位である以上、以前みたく俺を仲間に引き込もうなんて楽観的な考えでもいられないだろうからな」
「実際、この前までの『イカロス』で起きた騒動もそうでしたもんね」
「劉がまた俺達の中から能力の標的を選ぶ可能性はある。対策として、これ以降は定期的に情報を口頭で共有する。能力の影響を検証するためだ」
「なるほど、特に能力もない私らを急に巻き込もうとする理由も、そうやって足を引っ張られたくないからってことね」
「あの、高千穂先輩……あの能力を食らってる僕に言わせれば、間違いなく素直に従った方が良いっスよ。記憶を失くして自覚もなく人格が変わるなんて、最悪の体験ですから」
陸朗に咎められると、真琴は目を逸らした。
「劉の能力、『フレイム』のロジックは、立体時間内を進む個人の軌道を殺害するタイミングで捻じ曲げることだ」
能力の基礎を担っている「浅子理論」の存在を明らかにした今、これまでに判明している時間改変の正体を推し量ることができる。
「光の屈折をイメージするといい。改変を機に屈折した後の軌道を行く人間は、まっすぐ続いてきたものと信じて過去を振り返ろうとするが、錯覚によって、そこに本来辿ってきたはずの時間はない――これが記憶障害の真相だ。自分が経験した過去のみを認識できる以上、能力を受ける以前の記憶を認識することはできなくなる。ただ、屈折後の自らの軌道を遡ってみて、過去の虚像を推し量ることはできる。その感覚から実質的な洗脳状態を再現できるというわけだ」
「あとは、編綴コード……」
「あれは“予定調和”から独立した独自の時間……能力者を中心とした認識の飛躍を実体化させる性質だな。原則として、立体時間におけるz座標――観測者本人は消えることがない。『ABY』はそれを利用し、不動の牙隈岼果を会社の所在に結び付けることで時間改変に対する耐性を得た。これは間違いなく、俺のような他の能力者の存在を見越した施策だ。涼霜劉が復活していない頃から成立していることから、これも『黒幕』の仕業だろうな」
「『エンバーム』」
駆真が一言を発する。
「え?」
「“奴”は涼霜劉の能力を『フレイム』と呼ぶのと並列して、その能力をそう呼んでた。因みに、ノアの嘘の能力は『ディファイル』なんだと」
「なんと、ハッタリパワーじゃなかったんですね!」
「まだ言ってたのか、それ……」
未良やノアの反応をよそに、駆真の表情は深刻なままだ。そこから得られた情報が能力の名前だけではないということには、すぐに想像が付いた。
「詳細を明かしちゃくれなかったが、“奴”は他の単語を挙げていた――『ダークネス』、そして『コンテージョン』だ」
「……何だって?」
その場にいる全員の疑問が駆真の言葉に向けられた。
「時間改変の能力は4つじゃなかったんですか?判明していない能力が2つもあるのなら、能力は全部で5つってことになりますけど」
「舟は4つ」。それを口にしたのは徐羅寧だったはずだが、これはこちらの警戒を逸らす彼女の嘘だったのだろうか?
――いや、そのはずはない。
そもそも、あの時点では「エンバーム」が存在していることすらもノアは把握していなかった。当時の会話の目的がノアを味方として引き込むことなのだとしたら、その代案を匂わせる情報の開示は彼らに利する要素がない。
思考の沼に沈んでいくノアを掬い上げたのは、真琴による忌憚のない言葉だった。
「とりあえずその2つは気にするだけ無駄でしょ。判明してないってことは、ここまでで大勢には影響を与えてないってことでしょ」
ノアはそれを聞き、一度息をついた。
「確かに、真琴の言う通りだな。こちらの知覚をすり抜けて来た可能性こそあるが、そうでないのなら驚異になる能力でないか、あるいは能力者自身が脅威になる存在ではないかだ。
そういう意味では逆に、これまで厄介な編綴コード――『エンバーム』に関しては能力者がいなくなったはずだが、警戒を緩めるべきじゃない。能力の付与にどんな過程が必要なのかは推測の域を出ないが、理論上はいつ新しいのが生み出されるかも分からないからな。その前にできることは……全ての源を断ち切ることだ」
「それって、『イカロス』を終わらせるってこと?」
「まあ、結果としてそうなるなら解決はするんだろうが……」
「まあ、『イカロス』が未来を計算しているメタバースなのだとしたら、こちらの攻撃を予想できないはずがないだろうね」
ノアの決まりの悪い返答を汲み取って、宮尾麗音が問題点を挙げる。
「それにあれが能力の元凶でもあると言うのなら、対処法は私達の想像を超えてくるものと考えるべきだ。6つ目、7つ目の能力の台頭だってあり得るよ」
「最善なのはあれからも認識できない領域……つまり、懐から干渉する方法だろう」
「潜入して『イカロス』を止めちゃえば、編綴コードがまた出現する恐れもなくなるって話ですね?」
「だとしても、問題はどうやって潜入するかでしょ。『イカロス』といえば、厳正すぎる身分登録です。関係者として信用を得るには僕たちより、元いる運営内から誰かしら内通者をでっち上げて、過去改変で味方に引き込むしかないでしょうね」
「危ない橋を渡ってくれるような信念の強い協力者を作るなら、身分を隠すより『サク』か『メフィスト』でフェイクニュースを流すべきなんだろうが、それでは反響も大きい。『イカロス』内からの警戒は避けられないだろう。外部で撹乱になるような騒動を起こしてみるか……」
「ちょっと待ってくれないか」
そこで口を開いたのは、ここまで一度も発言をしてこなかった男だ。
「龍生さん?どうかしました?」
「まあ、無理もないっスよ。そもそも『サク』イコールノアさんってところからなのに、能力やら何やらで。この中で全部を初めから聞かされてるのは龍生さんだけなんだから」
「いや、それじゃない」
龍生は首を振る。
「ずっと前から……そのことについては予感していたさ」
「予感してた?その上で、『メフィスト』に協力してたって言うの?」
「うん。僕は自分が信じるもののために行動するだけだ。この『メフィスト』というサークル……始めから僕には別の目的があって、それを皆に隠して過ごしていた。すまないと思っている」
龍生はノアの方を真っ直ぐに見つめて言った。
確かに、龍生が何らかの意思を抱えてサークルに参加していることは知っていた。ノアが劉へ協力した世界において、ノアとその周辺人物を狙った殺人犯の正体こそ、この龍生だった。ここから分かるのは、「メフィスト」の理念に関わらず龍生はノアに接近し、その理念に応じて彼が行動を極端に変化させるということだ。
「ただ、その言い方……。今は違うってことなのか?」
「変わらないよ。ただ皆のやることに僕も協力したいと思えたから、そうするだけだ」
「あまり意味は分からないが……珍しく発言したってことは、何かしらのアイデアがあるってことなんだな?」
「その通り。僕のこと、僕の言うことを全て信じてくれたなら、きっと上手くいく最強の手段を提示できるはずだ」
ノアは少し考えてから、頷いてみせた。
恐らく、彼は落ち着いている一方でそれほど器用な人間ではない。真琴ほどに和を乱してきたわけではないが、彼は言葉少なで正直な物言いをする印象がある。ここに連れてきた時点で、まだ起きてもいない裏切りを恐れている場合ではない。
「じゃあまずは――僕がディルク・デ・ヘンゲルに忠誠を誓っている、という話からだな」
場が静まった。
あまりに淡々と告げられた事実に、内容を受け入れることができなかったのだ。
「ディルク・デ・ヘンゲル……?あのディルクグループの?」
「でも、龍生さんだってまだ大学生でしょ?そんな大物相手、普通は忠誠どころか接点自体ないはずじゃ……」
「“大物”?ああ、それは違うな。僕の行動原理になっているのは、そんな形のないものじゃない」
「お前、それは……」
それは、あの男の真相を知っている人間だけが口に出来る言葉遣いであることに気付くと、ノアにはその全てを推理することができた。
「なるほど、ようやくお前のことが理解できた。つまり、“情報屋”サークルである『メフィスト』に入った目的とは――」
「ああ。『サク』への復讐さ」
――やはり。
ノアは口を噤んだ。
「身構えなくていい。別に、そこまで強い意志があった訳ではないんだ。ただこの大学に通っている上で、偶然『メフィスト』というチャンスが巡って来たから自分の目標になった……それだけの軽い動機だ。ディルクに対してだって、肉親でもなければ雇われているのでもない。僕は僕自身の人生を生きているというのが前提だ」
「だから、奴を没落させた俺のことを許すと?」
「許す?違うな。それは行動に起こすかどうか、天秤にかけた結果。最終的には僕でなくて、本人が決めることだろう?」
「それって、もう一度ディルクに会えってことですか……?」
「少なくとも、彼に裁きの機会を与えることは先程も言った『最強の手段』に通じている」
「今更、あの男に何ができると?」
「実際に会ったことがあるのに、本当に気付かなかったのか」
龍生は初めて表情を緩めて、苦笑ながらに嘆息する。こちらの怪訝そうな表情を読み取ったのか、意図せずも龍生からの信用を得られたらしい。
「たった一代であらゆる財を手にした彼こそ、徐羅寧という女性が口にし、欲していた存在……争いの中心にある君との“同類”に他ならない」
「……何!?」
やはり淡々とした物言いに聞き流しそうになったが、意味を理解したと同時に驚嘆の声が漏れ出た。
「そう。最後の“舟”、時間改変能力者だ」




