#4 試すもの
【前回までのあらすじ】
乙丸の提案で、声優が主に所属する芸能事務所であるクライス・プロダクション(クラプロ)に目を付けるノアと未良。ノアの嘘投稿によって研修生の追加オーディションを開催させるよう過去改変を起こし、未良がそこに参加して潜入する運びとなった。その裏でノアは仲間である二人にも明かさずに、「ABY」を通じてもう一つの過去改変を起こす。それは、以前からノアが動向を気にしていたシーカーズが「サク」との接触を図ったというものだった。
過去改変を起こす投稿は定時投稿に紛れさせているとはいえ、事前には噂にもなっていない内容が殆どなので、必然的に反響が普段より大きくなる。つまり「ABY」との対立が明確になった以上、追加オーディションに対するマークが大きくなる恐れがある。未良もいるその場へ疑いの目を向けさせない為に、シーカーズとの接触は敢えて同じ日に設定した。
当日はそれらの予定の前に、京浜大学の学生・架殻木ノアとして講義を受け、今はちょうどそれを終えて大学を出るところだった。
「あ、かがっちだ!」
その顔は嫌でも覚えていた。
松波夏海。大学では碌に友人も作っていないノアだったが、この夏海だけは一年の頃知り合って以来、キャンパス内で発見されてはしつこく話しかけてくる。そういう習性は未良と少し似ているが、根底に繊細さも併せ持つ未良の人柄をすぐに察知できたのは、もしかしたら彼女という比較対象があったからかもしれない。彼女はとにかく軽薄で掴みどころがない。良くも悪くも短絡的な考え方が諸々の紆余曲折を招いたらしく、彼女は同じ学年だがノアよりも3つほど年上だった。
「久しぶりじゃん?実はあけおめだったりする?」
「前の学期末に会ってるよ。レポート借りた相手のこと忘れるか、普通」
「あーそっか。今年も何か被ってる科目あれば良いんだけどねー」
「『ねー』、じゃない……。お前がまたレポートパクる都合の話だろ、それ」
「あ、そうだ!物理学は?去年か今年取った?」
「総合科目の?いや」
「えー、あれ5ジゲンとか6ジゲンとか言ってて意味分かんなくて、どうしようと思ってさー?まだ4月だし、かがっち履修変えてくれない?」
「変えないし、絶対に5や6は言ってないと思うがな……。他の奴に頼め」
「いいじゃん。私こう見えて何でも話せる友達って少なくてさ?かがっちくらいなんだよー、壁を作らないで話せる子」
口に出せない思いのままに、ノアは頭を掻きむしった。心を開いた覚えはないが、普段嘘をつけないのがこんな厄介な友人を引き寄せることになるとは。
早く別れて英気を養いたいノアは、夏海に構わず早歩きでキャンパスの出口を目指す。夏海はまだ授業があると言いつつその目の前まで付いてきた。
「あ、ノアくん!」
何故かそこには未良が待ち構えていた。これもまた、状況を考えればより厄介な相手だ。
「この子は?」
「……また今度説明する!ほら、行くぞ!」
未良の手を引いて、ノアは大学から走り去る。念を入れて大学の最寄駅への道を逸れ、徒歩で次の駅を目指すことにした。
「どうして来た!」
人気がなくなったところで、ノアは未良から手を離し、苛立ちを露わにした。
「サクとして共に活動してる俺とお前に関係があることなんて、他人に知られても良いことなんてないだろうが!というか、どうやって知った!?」
「私前にノアくんのノアくんとしてのアカウント見てますから、それであの大学の商学部だって知っただけです!今日がオーディションなのにいつものとこにいなかったし電話も繋がらなかったし、話しとかないと不安だったんですよ!」
真剣な眼差しで我に帰ったノアは、一呼吸置いてから時間を確認する。確かに、2つの予定があるまでは残り2時間を切っている。
「二度と許可なく俺の近くに来るな。不用意に近づけば、ある程度親密な奴と必然的に出会うことになる。はぐらかすことが許されない相手だと、軽口で嘘を吐くのは難しいんだ」
「ご、ごめんなさい……」
小さくなっている未良を見兼ねて、ノアは頭を掻いた。
「まあ、今回は相手が相手だ。アイツに対しては雑な問答をすればそれが普段通りだから、大目に見る。こっちもお前か乙丸に聞いておくことがあったしな」
「聞いておくこと?」
「ああ。シーカーズのことだ。俺がお前達に何と言っているか確認しておきたい」
未良は質問の意図が分からず首を傾げる。
「はあ。シーカーズっていうのは正式には『アビー・シーカーズ』と言って、『ABY』中心の情報社会に革命を起こすことを目的としている団体ですよね。だから協力が得られたり、配下に付けられるならメリットはあるって。でもどこかきな臭い感じがして、全幅の信頼も置けないから一旦話を聞いてみるって言ってました。……あの、もしかして私のこと試してます?」
「いや、どちらかというと試した後だな。特段変化はないようで安心した」
それを聞いた未良には少し考える間があったが、気付いた途端血相を変えて、横から肩を押し付けて来た。
「あ、まさか!私にハッタリパワー使ったんですか!?」
「……もしかしなくても、それって俺の嘘のことだよな」
「はい!ノアくんのって、所謂“異能”ってヤツですよね?なら名前あった方がいいなと思って!私、最近声優の勉強でアニメいっぱい見てるんで!」
「……この際好きに呼べ、俺は絶対に採用しないから」
「というか、そんな話じゃなくて!何で味方の私に嘘つく必要があるんですか!?」
「今の質問をする為だよ。お前が説明した通りの実情こそあるが、一応『アビー・シーカーズ』そのものは非営利組織で、行動と思想が営利企業よりも密接に繋がっている。俺の投稿した嘘では奴らの行動を指定したから、それによって奴らの特性が変わってしまう可能性があった。そんなこといちいち日誌には書かないし、説明してくれる誰かが必要だったんだ」
「ちゃんと理由があるのは分かりましたけど、なんか納得いかないです。じゃあ、私が知ってる記憶は何なんですか?それも全部嘘?」
「お前、やっぱり助手には向いてなかったな」
「え?」
「そうやって他人の過去を好き勝手弄ることに対して俺は何の抵抗も感じていないし、それはこれからも続く。サクのやり方が受け入れられないなら、早いうちに関わるのはやめた方がいい」
「そんなこと言われたって、私聞きませんよ!」
ノアが未良の過去を変えようとして以来、彼女との関係がまだ完全に戻っていないことは肌で感じている。だからこそ、ノアには彼女がわざわざ大学にまで会いに来たというのは意外にも感じられていた。
「で、今日はどうすれば良いんですか!まだ具体的には聞いてないので!」
「お前の持つ隠しカメラから確認はしておくが、そこまで意識は割けないだろう。基本的に問題がなければ記録したものを後から確認するつもりだった。だから本番自体は好きにやって貰って構わない。不合格になられると困るがな」
「そ、それは普通に大変な要求ですけど……。分かりました。困ったらこちらから合図を出すので、覚えていてくださいね」
やがて、二人は駅に到着する。行く先が反対なので、ひとまずホームで解散する運びとなった。
「それと、ノアくんってなんだかんだ普段は隠し事できなくて正直な人だと思ってましたけど。やっぱり嘘つきなんですね!」
未良は、ノアの“過去”を知らない。それは、ノアにとって最も堪える言葉だった。
アジトに戻ったノアは、パソコンを起動する。
シーカーズとの通話は互いの身分確認も含め、「ABY」アカウントと紐付けされた形で行われる。もちろん声は変えて、サーバーの防衛についても常に乙丸を準備させていた。
シーカーズについて、ノアの目が向いたきっかけはディルクに対してグループとの関連を聞き出した時。「関係はない」という回答が得られたことに端を発している。
ディルクグループの中心事業は法人向けのブロックチェーン技術。そのシェアを利用して自社製のNFTも普及させたい思惑があるのだろうが、「ABY」中心である社会の現状は完全に逆風だ。「ABY」は文章や画像、動画といったあらゆる投稿が自動で「ABY」社製のNFT「wallaby」になる。「ABY」は無料の基本利用に関して、ユーザーからの拡散手段がない。例えばクラプロのニュース動画も「ABY」から投稿されているが、このような同SNS内の引用でさえもアプリを介してNFTを購入する必要がある。この仕様によって普及した「wallaby」に、他社製の銘柄は大きく差をつけられている現状があった。
「アビー・シーカーズ」は注目こそされるが、日本が中心の活動で規模も小さく、ディルクグループからしたら格下の存在だ。「ABY」への対抗策として政治的アプローチを利用できるという特性を鑑みたとき、自らの影響力を利用して「シーカーズ」の権威を上げることはディルクグループにとって得でしかない。「全く関係がない」という答えは、それ自体が奇妙であると共に、嘘である必要もないのだ。
ノアが思うに、ディルクはシーカーズの内情を知っていた。実際にどれだけ関与しているかはともかく、頑なに口を閉したのは、関係を公にすることへ危うさを感じているからではないのか。それがノアの感じていた「きな臭い」部分だった。
「――もしもし」
未良の方にも気を配りつつ、シーカーズとの通信が始まる。
「私が『サク』。素性を隠すあまり証明する方法が無いのは申し訳ないが、間違いなく本人です」
「問題はない。こちらも今回は首脳部が複数人で参加している。我々の方もその身分を明かす気はない」
首脳部、と言うが、シーカーズのリーダーや広告塔になっている人物なら別にいた。彼らの情報はしばしば野党を通じて発信されているが、特に矢面に立っているのは徐羅寧、という名の女傑だ。活動家で構成された組織のはずなのに、少なくとも身分を明らかにしていない人間が中枢にいるという話は聞いていないし、違和感がある。
「なるほど。それでは単刀直入になりますが、今回私を直接呼び出した理由を聞かせてもらいましょうか」
「何を言っている?何かを聞きたいのは君の方だろう」
「……そちらから連絡があった、と記憶していますが」
「賛同する可能性のある者ならば、末端が余す所なく声をかける方針だ」
複数人が参加しているとは言っていたが、応対が入れ替わりで全て同じ口調なので、どうにも気持ちが悪い。それに、論理が理解できないわけではないが、「サク」の影響力を客観視したとき、そんな勧誘に中枢が何も関与していないとは考えづらい。
これは、まるで自分達がシーカーズではないと言わんばかりの物言いだった。
「わかりました、ではこちらから聞きます。まず、我々の利害はどう一致するのか確認したい。私はあくまで『ABY』と報道の覇権を争っているだけ。『ABY』打破を通じて権威主義を覆したいのなら、それを達成したところで私が取って代わるだけ、という危惧はあるはずですが」
「それは、本気で言っているのか?」
パソコンによる通話だが、向こうの様子がカメラで見えるわけではない。実際に対峙しているのは画面だけだ。しかし、その声はひとつひとつが圧倒的で、飲まれて、溺れるような気さえした。
「対話など、元より必要とはしていない。君と我々の利害は、一致するのが必定だ。権威や序列とは、個の存続に対する最適解だ。勝敗や優劣が定義されるのは、差異を認めつつ生産性のない衝突や戦争を減らす為だ。もちろん、それは争いの起こる単位を組織や国家へと大きくするだけだが」
「仰っている意味が分かりません。私が『ABY』のような企業でなく、個人であることが重要、ということでしょうか」
「そう自分を卑下しなくていい。預言者とは個人か?違う、今の君は世界の為の装置だ。人の行き着くべき先は平和。個による個の為の世界ではなく、連帯による相互補完の世界こそ、矛盾のない正しき体系だ。君はそんな理想郷の柱となる存在だろう」
ノアが「サク」を始めたのは「メディア・ハザード」を終わらせる為。「メディア・ハザード」を終わらせたい理由なら動機も含めていくつかあるが、世界平和なんて言葉を思い浮かべたことはなかった。
嘘を本当にする力を持っていて、自分にしか出来ないことだと思ったから。社会のシステムとして最適だと思えなかったから。「サク」という偶像が何を語ろうと、架殻木ノアの本質は個人でしかない。
しかし、その目的へ近づく為に「サク」としての大義を持つことも重要だ。彼らの論説全てを受け入れるつもりもないが、確かに「メディア・ハザード」以前のマスメディアには利益に固執した歪みが目立ち、矜持に忠実とは思えなかった。「サク」が預言者としてその代わりを担うのであれば、ABYよりは平等に見えるだろう。支持を得たいのなら、これ以上はないスタンスだ。
「『サク』の掲げる理想をよく理解していただいているようで、ありがとうございます。もうひとつお聞きしたいのは、ディルク・グループのこと。先日ディルク・デ・ヘンゲル氏の話を聞く機会があり、彼は私に対してシーカーズとの関与はないと発言していました。事実関係も確認したいところですが、組めば一大勢力になり得るこの両者が、少なくとも公な関係を持っていないことに理由はありますか?」
「それはあのディルクに聞くべきことだ。君は我々の呼びかけに応じたが、一方であの男はそれを拒んだだけ。奴の本質はその小器ぶりにある。光を失ったあれは、鋭敏と化した感覚に頼るあまり、己が身で察知するままにしか手を伸ばすことをしない。未来という異時点において大局を動かすことが目的の我々に彼の理解が及ばないのは、あらゆる意味で当然の流れだろう」
一理ある、と感じた。経営者らしからぬ合理性に欠けた理念を持っていた彼が不自然な選択をした事も、未良と彼との会話を聞いていたノアには理解できる。しかしそれを語るシーカーズの、依然として不遜な態度にはやはり疑問が残っていた。
「……先ほどから私に対してもディルクグループに対しても、協力の可否は組織に影響が無いという口ぶりに聞こえますね。シーカーズだけで、『ABY』を倒す具体的算段が既にあるのですか?」
「繰り返しになるが、我々の目指すところは連帯の世界だ。対抗勢力として争いで捩じ伏せることがしたい訳ではない。そして、目的に対しては順序も想定していない。『ABY』の消滅が目的の達成を決定付ける要素だとして、それも社会全体の意思が同じことを望めば、自ずと達成されるものだ」
実際に組織内がどう機能しているかはともかく、ノアに言わせれば彼らの発言からは具体的な筋道が見えず、社会への働きかけを放棄しているだけだ。彼らの評するディルク・デ・ヘンゲルと同様、大局を見据えているようには思えない。理念も無意味で、商売目的のカルト宗教に近い。
何より不審なのは、中枢がこのように発言している一方、末端による“布教”はまた違った一面を見せていることだ。現に、彼らを支持している企業や団体は看過できないほどに多い。それは、「シーカーズ」を中心に金の流れが生まれているからでしかない。争いたくないとは言っているが、「ABY」への対抗勢力としての位置は、そういったコミュニティの規模が既に証明している。
「他に何か聞くことはあるか?」
――こちらを警戒しているのか?
そんな可能性も脳裏を過った。「サク」と「ABY」の対立は顕在化して間もないが、それ自体が自分達を誘き寄せる罠だという危惧が彼らにあって、様子を探っているのかもしれない。しかしそうなれば、この対話から多くの収穫は期待できない。
通話を打ち切ろうとしたところで、未良からのカメラの方に動きがあった。
これは、未良の手による人力の明滅だ。先ほどまで同じ場所で固定されていたのが動き出したから、本番を終えて会場を発っているようだ。全てを終えたはずが、異常を訴えるサインを送ってきている。ピンボケの向こう側では、見覚えのない男性が未良に正対しているらしかった。
「どうした?」
ノアの思案による間隙は二秒にも満たなかったはずだが、すぐさまシーカーズに見透かされた。
ひとまずこの場は締めて、未良の方に集中した方がいい。
「お声がけ頂いたところ申し訳ありませんが、ひとまず私は自分の目的と戦いに従事しようと思います。また別の機会があれば」
「――そうか。もし気持ちに変化があれば、いつでも声をかけるといい」
世間をそれなりに騒がせている通話だったはずだが、その終わりは余りに呆気なかった。結局、徐羅寧らしき声も聞こえては来なかった。
すぐに未良の様子を確認したが、恐らくその原因であった男の姿は既になく、カメラの明滅も終わっている。ひとまず難は逃れたようだ。
そして回線が切れた事を知ってか、直後に乙丸から連絡があったので、ノアは応答する。
「お疲れ様」
「そんなことはいい。今後、奴らからのハッキングには特に注意してくれ」
「え、そんな派手に喧嘩別れしたの?」
「そんな事はないが、頼んだ」
乙丸との会話はそれだけ告げて終わりにして、未良へと電話を繋げる。
シーカーズには、具体的に危惧されることもある。しかし印象としてはそれ以上に、湧き上がる不安感が多くを占めていた。“心を見透かされるような”という使い倒された言い回しよりもずっと実感のある距離感の“近さ”が、彼らにはあらゆる意味で感じられた。
1つは、身体的な距離。全く別の場にいるようでも、同じ漫画の隣のコマには存在していて、細い線の1本か2本がそれを隔てているだけのよう、と喩えればいいだろうか。
そしてそうやって奥行きの無いやり取りを続けたにも関わらず、心理的な距離もまた近かった。
これに関して表現するならば、まるで未来の自分を見ているかのような感覚だった。
「やっと掛けてきた……!」
考えている内に、未良が通話に応じる。その安堵は、一言目を乗せていた大きな溜息から否応無しに伝わってきた。
「悪い、立て込んでてな。それで、さっきのは何だったんだ?オーディションは終わってたのに、何かあったのか?」
「あ、はい。“情報屋”って人が事務所に押しかけて、オーディションの参加者にも質問して回ってるみたいで。何とか疑われないように対応できたかなとは思うんですけど」
「“情報屋”……。なるほど。俺の投稿のバタフライ効果だろう。この前の嘘の内容は、『某“情報屋”』が研修生に対する劣悪な待遇をクラプロの入学希望者にリークした、というもの。『サク』が取り上げた反響を受けてか、続報を掴む為に粘着しているってところか」
「はい、本人もそんな風に言ってたと思います。渥美駆真って人らしいんですけど……。大丈夫なんですか?」
ノアは通話先で見えない未良には隠して、頭を捻る。
「――まあ、それ自体は想定内のノイズだ」
当然、嘘ではなかった。しかし、実際未良とどんなやり取りを交わしたか確認しなければ判断しかねる。記録されたものを確認する必要があるが、ひとまずは適当に返事をした。
「そんなことより、結果はどうだったんだ?研修枠だし生徒不足だし、余裕だったか」
「何とか受かったけど、ギリギリでしたよ!ノアくんサポートするって言ってたのに全然出てくれないし!」
「お前、一応役者志望でやってるんじゃなかったのか」
「声だけの演技って要領が全く違んですから!役者の世界舐めないで下さいよ!」
「はあ……。それで、技術で怪しいならどうして取って貰えたんだ?」
「それが、お姉ちゃんのファンだったって人が審査員の声優さんの中にいて!その人が気付いてくれて、是非って言ってくれたんですよ!」
「……情けないことこの上ないが、姉には感謝しなきゃな」
「いえいえ、お姉ちゃんの名前も背負って世に出られるなら、私としては最高ですよ!その人ともすぐに意気投合しちゃったし、知らない世界過ぎて不安だったんですけど、本当に声優になっちゃうかも」
「その事務所がクロなら、必然的に潰すことになるけどな。まあとりあえず、今日は帰っていいぞ。後日色々と聞かせてくれ」
「あ、それでなんですけど!私今日もお姉ちゃんのところ行きたいんで、車出して欲しいなーって。ここから電車だと乗り換え多くて、時間もお金もかかるんですよね」
「何で俺がそんなこと……」
「いいじゃないですか、ちょっとくらい!私の頑張りがなかったらノアくんの策は頓挫してるんですよね?」
「あー、分かった分かった。それじゃ、少し待てるか?」
「はい!ありがとうございます!」
既に夕方で、人も少ない事務所に行くだけ。未良を拾うだけなら大したリスクにはならないだろう。ノアはすぐに車でクライス・プロダクションへと向かった。
教えられた住所に着くと、窓からはビジネス街に構えたオフィスビルが確認できる。一棟全てがプロダクションのものなのは、彼らの好景気を分かりやすく物語っていた。
「おい、来たぞ!」
「ノアくん!」
玄関にいた二人の女性へ車内から呼び掛けると、二人ともこちらまで歩み寄ってくる。
しかし彼女達が声に反応して振り向いた瞬間、ノアは迎えに来たことを後悔した。そのうち一人は未良だったが、もう一人が“彼女”である事は、考えられる限り最悪のケースを引き当ててしまったことを意味していた。
「あ、この人がさっき言ってた仲良くなった声優の、囀きりかさん!」
「あ、どうも。私――」
きりかは、こちらの顔を見た途端言葉を失う。向こうも瞬時に気付いたようだ。最後に会ったのはもう8年も前になるのに。
「もしかして、ノアくん?架殻木ノアくんなの?」
「ああ」
囀きりか――いや、本名は笠井希理花。言うならば、ノアが葬り去った“過去の残骸”だ。
そして、そんな再会は最早どうでもいい。問題なのは、彼女が「ある程度親密で、はぐらかすことが許されない相手」だということ。この後ほぼ間違いなくノアを襲う危機を如何にして乗り越えるか、だった。
「未良ちゃんが、どうしてノアくんと?二人はどういう関係なの?」