#1 龍の頭
夢というものの機能は、記憶の整理を目的としたその反芻だという説がある。少女はそれが、この瞬間をもって堂に入った。
虚栄・後悔・希望。
希望・焦燥・猜疑。
全てが目の上の辺りで渦を巻いて、浮上する意識を中心に収束していく。それを客観的に感知できたのは初めてだった。
「――ちょっと、颯季」
やがて実際に視界を覆ったそこが現実でなく、虚構だということには一目で気付くことができる。
しかし少女にとってのそれは、むしろ夢からは最も遠い場所だ。
「……惺」
颯季の覚醒は、自身が着席したまま意識を失っていたことに対する違和感で加速する。
そのあまり、ひとまずは声をかけてくる同僚よりも周囲へ注意を向けざるを得なかったが、それでも腑に落ちるものはこれと言ってなかった。
かろうじて理解できるのは2つ、まずはこの場所がデジタルで描画されたもの――VR空間の『イカロス』であるということ。そして、白で埋め尽くされた部屋と円形に並べられた椅子。合計7人の男女が各々の席へ着き待機しているという視覚情報だけだ。
「あれ。まさか、仕事中じゃないよね……?」
「寝惚けてる?こんな不穏な状況、どう見ても仕事じゃあない」
「で、でも。埜未もいるし……」
颯季は目に留まったもう1人の同僚を指さすが、惺の反応は芳しくない。
「それはそう。でも、彼女を含めてここにいる全員が事情を聞かされていない。只事とは思わない方がいいよ」
「……そうだよね。そう言われたら、直前のことを思い出してきた。確か、移動中のところを無理矢理取り押さえられて……」
「お、これで全員起きた?」
ひそひそと話し合う2人を見つけて、その場にいるうちの1人の男が声を掛けてくる。
「だ、誰ですか」
「知らないことは見りゃ分かんだろ?『渥美駆真』って、名前でも教えりゃ気は済むのかよ?」
渥美駆真と名乗った彼の姿は、確かに初めて見たはずだ。しかし、何か違和感がある。
眠気だけではない。どうにも頭が重いことを自覚させたのは、その男に対する予感のようなものだった。
「というか、作曲家にアスリート……集まってるのは無作為としかいえない面子だけど、仮想世界『イカロス』内で活動するアイドル、『キラ研』だけは3人が集まってここにいる。見る限りここが『イカロス』の中だってことを踏まえても、何か知ってるとしたらおたくらって気がするんだけど」
「そんな、私達は何も知りません!」
颯季は反論する。
「仮想空間で人を無理やり集めるなんて、普通のやり方では無理。私達に力ずくで貴方達を誘拐できると思う?」
「――話はそこまでだ」
加工された音声とともに人影が中央に出現する。
「ご機嫌よう。今回は手荒な真似をして申し訳ない。貴方たち7人を召集したのは、この私だ」
それは見覚えのない仮面で素顔を隠しているようだが、実際の音声は部屋全体に響いている。そもそもが何ら意味のない張りぼてだ。「イカロス」で実際に姿を現すならば、体格は本物に変わりない。この人物はそこから推察できる情報についても秘匿を維持しているのだろう。
「デスゲームをやらせたいなら、安易なことこの上ない登場だな。実は仮想空間だった、なんてオチにしたいなら仕込み損ねてるよ」
どうやら颯季が起きる前からこの場を取り仕切っていたのは駆真だったらしく、彼が率先して口を開く。
「それは挑発か?……残念だな。確かに今回は重大なリスクを抱えて参加して頂くゲームであるという点で、限りなくデスゲームに近い。しかし、“ゲーム”とは単に参加者が楽しむものだ。こちらはこちらで目的があり、その協力者とも言える諸君らのことを思ってレクリエーション要素を加えたはずだったが」
「冗談だろ?ありがた迷惑もいいところだね」
「“情報屋”にとって――この『サク』にとって、人の生殺与奪を握ることがどれだけありふれているか。こちらの善意を疑うのであれば、それを想像してみればいい」
「『サク』!?」
「『サク』って、『ABY』の……!?」
その場が騒然とする。特にまだ隣で立っている惺について、颯季は「サク」の投稿をよく気にしていた彼女のことを見て知っている。表情の乏しい彼女が目を大きく見開いたことに限っては、歓喜の意味も強いだろう。
そして、その名を聞いてようやく颯季は確信した――自らの記憶へ挿入された別の過去について。
「あれ、本物だと思う?……って、どうしたの颯季」
こちらへ囁いた惺は、すぐに颯季の硬直に気が付いたらしい。
――「本物」?そんなはずない。
「証拠はあるんですか?」
颯季はその「サク」へと問いかけた。
類似している現象の存在を、颯季へ渡ったこの記憶は知っていたからだ。
「嘘の過去を現実にする能力」――これは使用者の記憶を引き連れて別の人間へと移譲されることがある。
今回、颯季は未来から移譲された訳ではない。ほぼ時間の移動はなさそうで、そのせいか前回よりも参照できる記憶は多かった。「サク」を名乗っている人物が自らの記憶の通りの人物であるならば、疑うのは当然のことだ。具体的な内容は聞かされていないが、「限りなくデスゲームに近い」というものを、本物の「サク」は開催しないだろう。
「証拠、か。そんなものは、これから自ずと知れていくだろう。
今日から3日間、諸君らにはあるゲームに参加してもらう。なに、そう複雑なものではない。姿を偽っている不届者を特定する、それだけだ」
「姿を……?」
「知っての通り、この『イカロス』とは仮想空間だが、詳細に個人情報を登録しないことには決して体験することが出来ない。だから現実世界のメイクと同様に視覚効果を足すことはできても、根本から容貌や体格が変更されることはない。
ただ、巷にはそのルールを覆すチート行為も存在している。仮想空間に登録される個人情報と接続元との紐付けを他人のものへと入れ替えるそれは『アラクネスキン』と呼ばれ、競売などを通して入手した者が“他人”として仮想世界を生きていることもある」
「つまり1日で1人を特定するとして、この7人のうち3人がその『アラクネスキン』を使用していると?」
集められたうちの1人、オールバックの中年男性が口にした推理に対し、「サク」の返答はあくまで淡々としていた。
「そうだ」
その場にいる全員が「サク」から視線を外し、同士の顔を見渡し始める。現実と「イカロス」のどちらが才能の本質かはともかく――それぞれが一定の地位を獲得しているこの面々の中に、3人も偽物が紛れていると言うのだから、当事者が「サク」のように平静を装えるはずもなかった。
「『アラクネスキン』によるなりすましは、今のところ『イカロス』の利用規約違反とそのペナルティ以上の意味はない。『イカロス』の厳格さは、制定されて日の浅い仮想空間における法律と直結したものだが、だからこそ現法では違法行為として明記されていない。ただこの仮想空間内外において、諸君らは各々のフィールドで非凡な影響力を抱えている。なりすましの事実が知れた者は、少なからず傷を負うことになるだろう」
「逆に言うとその3人をすでに特定している、それ自体が『サク』の証明ってことでもあるって言いたいの?」
「ただその点で言えば、私は正直『サク』はこういう身勝手なエンタメをやるタイプじゃないと思っていました。
こんなことをする目的を聞かない限り、信用し難いことに変わりはないかと」
「どうでもいいけどさー、賞品とかないの?エンタメって言うけど、ネガティブな暴き合いするだけのゲームなんて楽しくないよ?」
欠伸をしながら話を遮ったのは埜未だった。大方、「サク」の説明すら聞き流していたのだろう。
そんな彼女の言葉を受けて、「サク」は不敵に笑う。
「賞品か?当然用意しているとも。……いやむしろ、今回の目的はその“賞品”にこそあるんだからな」
「え、マジで?」
「ああ。今回のゲームで見事勝者となった者に、私はこの『サク』の称号を譲る。それが賞品だ」
「……は?」
「『ABY』におけるアカウントは勿論、この“権能”もだ。皆が気にしている私の情報収集能力ついて、その秘密と方法を伝授することを約束しよう」
一同は驚きと疑問の混じった反応だった。颯季ですらそうだ。“彼”の記憶が手元にあるのは確かだが、今日に至るまでの直近の記憶は殆ど残っていない。
ただ、正体の真偽を問わず「サク」を名乗る以上、その言動ひとつに体面という強力な束縛があることは間違いない。特に先日より話題を呼んでいる「メフィスト」の台頭を認めつつ影響力を維持したいとなれば、この場でも易々と虚言を吐ける状況ではない。
「勝者が新たな『サク』にね……。まるでそうなることが全員の望みだと決めつけるような言い方だけど。ま、拒否はできないんだろ?」
「その通り。勝者以外には、こちらで予め掴んでいる“売れる”情報を『ABY』で公開する。そこに『アラクネスキン』を使用しているか否かは関係ない。ここにいる面々は一様にそのリスクを背負っていると思って行動することだ。
……口で言うよりも、自分の目で確認した方がいいだろう。連携している各々の『ABY』アカウントへ、予定している投稿の“下書き”を送信した。モチベーションの足しにしてくれ」
皆空中へ「ABY」の画面を展開し、その内容を確認する。目に飛び込んだ“それ”は、確かに颯季にとっても公開されれば手痛いものに違いなかった。
「それと事前に確認した者もいると思うが、通常の『イカロス』同様、ログアウト機能は健在している。今回の件に『イカロス』運営が関与していないからだ。だが当然、それをこちらの許可なしで行った場合も棄権として敗者と同然のペナルティを与える。皆用心深くて結構。こちらも主催として“ありきたり”を模倣した甲斐があったというものだ。
…… では、詳細のルール説明に移るとしよう」
「初めから選択肢など存在していない」。全員がそれを痛感したのを見て、「サク」は語り始めた。
「今回のゲームは持ち点制だ。全員が初めから120のポイントを有しており、最終的な得点がもっとも高い1人を勝者とする」
「諸君にはこちらがアナウンスする特定のタイミングで『アラクネスキン』の容疑者を指名してもらうが、今回はあくまで個人戦だ。実際に容疑者を指名できるのは1人だけ。そのほかの人間はその指名の正誤を予想する形で参加してもらう」
「まずは、“指名人”。指名はハイリスクハイリターンな手段で、事前に持ち点の半分をベットする。不正解ならそれが返ってくることはないが、正解すればそれは返還されると同時に、その結果として失格となる『アラクネスキン』利用者の持ち点から半分を獲得できる」
「次に、指名に対する“予想人”について。予想人は“被指名人”が実際になりすましであろうとなかろうと、予想が当たってさえいればポイントを獲得できる。“正解”を的中させた場合は、その全員へ失格となる被指名人の持ち点の半分が分配される……つまり、正解した指名人と予想人が、失格者の全持ち点を山分けする仕組みだ。
ただ予想人は“不正解”を的中させるのでも得点を得られる。この場合、初めに指名人がベットしたポイントが的中させた全員へ分配される」
――指名人からすれば、自分が正解することによって周りと差をつけたい。根拠を説明して皆を納得させられるようでないと、賛同する予想人が少なくなる。正解できても享受できる恩恵が相対的に減る……ってことか。
「そして、被指名人について。今回のゲームでは全体で1回までのミスが許されており、なりすましでも計4回の指名を掻い潜ることができれば回避成功で、その時点で持ち点の集計に入る。
ちなみに、指名人に誤って指名された潔白な被指名人は、指名人のベットしたポイントの分配に参加することができる。わざと怪しげな行動を取って、騙すことにもメリットが存在するということだ」
「さて、早速この30分後には1度目の指名人に立候補してもらう。その間各々で参加者に探りを入れ、考察を進めるといい」
そう言うと、「サク」はこちらに質問する機会すら与えず中央に立っていたモデルを消した。その場にいるほとんどが動揺しその勢いについていけないと感じていただろうが、駆真だけは依然として冷静に椅子へ腰掛けており、ここでも明らかに違った反応を見せる。
「さて、“アイツ”は一旦関わってこないらしいから――とりあえず、自己紹介でもしますか。お互いを知りつつ、本物じゃない奴が自分のことを話すことになるから、判断材料になるでしょ」
心なしか楽しそうに笑みを浮かべて、手を組み前屈みで他6人の先導を始めた。
「それじゃ、まず俺から。俺は探偵の渥美駆真。“情報屋”はその傍らだけど、収入はこっちの方が多いかもな。どうぞよろしく」
先ほどの予感は間違いなかった。
「渥美駆真」。今の颯季は、確かにその名を思い出すことができる。少なくとも彼の風貌は現実世界におけるそれと相違なく、本物についての再現データだと断言できるだろう。
「久保田王惺。『キラキラ研究会』のメンバー」
「赤月颯季といいます。惺と同じく、『キラ研』で活動してます……ほら、埜未も!」
「んー?あ、『キラ研』の夜宵埜未でーす。よろー」
「岩見絢吾っす。えと、普段は実業団で体操やってます。だからこういうVRとかあまり縁がないんですけど……」
「『アラクネスキン』は元々『イカロス』に登録していることが前提になる。今のアンタが本物だろうが偽物だろうが、本物が登録を済ませていることは事実。あまり意味のない主張だよ」
「え?ああ、そっか……」
「作曲家の鯨井佳蘭と言います。この通りの若輩者なので、この場に名を連ねるほどとは自分でも思っていませんが……」
――格好良い女の人。
口数は多くないが、颯季はその迫力に圧倒された。
「作曲家?というと、『キラ研』の曲に携わることは?」
駆真の言及に、佳蘭は鬱陶しそうに応じる。
「ありませんよ。私が作っているのは基本的に劇伴ですから。ポップスは書けません」
「吹田惟都と申します。多彩な皆さんと違い、私はただのサラリーマンでして……。上手な弁解は出来そうにありませんが、今後ともよろしくお願いします」
「具体的に、どの会社に勤めているんです?役職は?」
「所謂『ディルクグループ』の傘下で、金融業を。一応、役員として雇用されております」
「へえ、まだお若いのにそれは凄い。『サク』から目を付けられるに相応しいエリートですね」
ひと通り話を聞いたころには、何故か駆真の声の調子が落ちていた。
「まず、何人かが自分の容疑を否認するに当たって使った文句のことだけど――ネームバリューについてはこの際無視しましょ?何せ今は『メディア・ハザード』だ。“情報屋”をやってる俺でさえ、認知度は限りなく限定されてる。世間全体の認知度が低くったって、各々の界隈に与える影響が大きけりゃ『サク』的には十分儲かるってものですからね」
「気になるのは、『キラ研』が3人揃ってここにいることでは?」
吹田が言う。
「確かに。クロが同じく3人。そんでもって、『イカロス』を主戦場にしている。アイドルだから顔を偽ることに意味がある。この“セット売り”が『サク』の二代目へ贈るご祝儀って線か。3人、何か弁明はある?」
「そんな、弁明なんて……!」
颯季が狼狽えていると、惺が目配せでこちらを静止して口を開いた。
「強いて言うなら、私達は現実世界のオーディションを突破してここにいる。『イカロス』内での展開はビジネスとして鉱脈があるって大人が考えたってだけ。ちょっと可愛い女の子を集めるってだけで、そんなリスクを負うと思う?」
「まあ、確かにね……。そっちの、埜未ちゃんは?」
「え?惺が言ったので良いじゃん、私違うもん。
大体さ、こういうのって多少ヒントがあって予想するもんでしょ?人狼ゲームだって1ターン目は貧乏くじの押し付け合いじゃん!こんな丸投げされたってクリアとか無理だし、つまんない」
「いや、埜未。そんなこと言ったって仕方な――」
「その通り!」
駆真が突如顔を上げる。
「まさしくその通りだよ、夜宵埜未ちゃん?俺は誰かがそう言うのを待ってたんだ。皆もそう思うんだよな?
じゃあ、自己紹介をもう少し緊張感のある方法でやってみましょ。2グループに分かれて真剣に監視し合うんですよ」
「なるほど、巷で言うアイスブレイクというやつ。心理的距離を縮められたら、油断する人が炙り出せるかもしれない」
「そう。例えばリアルで実績を持ってる岩見さんなんかがクロだとすりゃ、この場にいるそいつは別人ということになるけど……」
「ちょっと待った!俺、正真正銘本物ですよ!?」
「話の腰を折らないでくれますか?彼が言いたいのは例えばの話。そういう場合だと岩見さんの本当の生き様と今の立ち振る舞いに矛盾点や違和感が出てくるかもしれない、と言いたいんですよ」
駆真の提案は採用され、特に協議もなく分かれた2グループで立ち話をすることになる。颯季が話すことになるのは鯨井佳蘭、吹田惟斗の3人グループ。
あの渥美駆真の真意は理解できないが、彼と離れられたことは幸運だ。あの発言力を回避して彼の知り得ない情報をここで得られることは大きい。
そして、同じ『キラ研』の2人と離れたのは、解散した際にそれとなく距離をとったことによる意図的な行動だった。出来れば彼女達の目がない場所で検証したいこともある。
「それでは、あのお喋りな探偵くんに従って……お互いの過去について、ひと通り話してみることにしましょうか」
吹田が言うのに、佳蘭は無言で頷いて見せる。
「うーん、私のあまりに平凡な人生に抑揚をつけて語るのは難しいんですけど……。強いて言うなら就職して後、私は弊社を所有しているあの方、『ディルク・デ・ヘンゲル』に強い影響を受けたというところにあるでしょうか。あの方を客観的に評価するならば、そこにあるのは良くも悪くも圧倒的なカリスマ性でしかない。収益性のあるあらゆる事業が引き寄せられるかのように彼の元に集まり、彼はその中で“取捨選択”をしている。今が『ABY』を情報産業の中心とする『メディア・ハザード時代』でなかったなら、今の世界は『ディルク時代』とでも言ったのかも知れません。ディルクグループ唯一にして最大の弱点は、『ABY』にもその対立勢力にも味方していないことですから」
「ディルクのことや彼への尊敬は聞けましたが、もう少し貴方の話が聞きたいですね」
「ああ、すみません。まあそんな風だから、私は弊社や関連会社へひっきりなしに訪れる大きな商談に対する判断を数多く目の当たりにしました。支払う対価は見込める収益に見合っているか――そんなことを考える力を学んできたんです。そうでなければ、投資もギャンブルと変わらなくなってしまいます。逆に言えば、十分な対価と根拠さえあるならば“いかなる代償”でも先払いする価値はある。そうやって割り切れたことが、今のポジションに繋がっているはずです」
「……なるほど」
――何も分からない。
率直な颯季の感想だった。吹田は全体の中でも駆真の次に発言が目立ったが、それも器用に立ち回ることのできる自信故のものだろう。
実際のところ、“吹田惟斗”についてはどこか聞き覚えがある。しかし飛び抜けて存在感のある名前でもなく、付随した記憶が引き出されるような感覚もない。何らかの嫌疑にかけるのは難しい程度のものだった。
「じゃあ次は私が。
母がピアニストで、私も幼少期から英才教育を受けていました。環境面に恵まれていたと思います。仕事については、これといった紆余曲折はありません」
「それはまた……。素晴らしい才能ですね」
「そうですね、幸いにも評価は早々に頂きました。
でもこれは才能の話ではありません。そもそも音楽という元来自由なものと向き合うに当たって、個人からの提示は純粋な一直線を辿っているべきだとも思っていますから。努力を重ね表現するという過程の中で、無駄なものは何ひとつないし、何事も決して無駄では終わらせないという決意があるんです。私が日々を生きて、その瞬間に相応しい曲が綴られていく――良くも悪くも、私の創作活動はその繰り返しでしかありません」
話を聞いているだけで、佳蘭の“紆余曲折”の話があくまで彼女の主観であることには察しが付いた。人並みに遭遇する人生における障害も、挫折を経た転換ではなく、愚直な反抗という形で乗り越えて来たのではないか――こちらも颯季の主観に過ぎないが、佳蘭の立ち振る舞いからはそんな自信が感じられた。
「えーと。私がアイドルを志したきっかけは、単純な憧れです。牙隈岼果さんと言って、今はもう活動されていないそうなんですけど」
それ以降を言い淀んでいると、2人の表情が厳しくなっていることに気付く。しかし、このまま真実の通りに自分のことを語っても得られる信用が増える内容でないことは、颯季自身とて気付いている。
「私はおふたりと比べてもまだまだ人生経験が足りないので、偉そうに仕事の流儀を語っても薄っぺらいもので終わってしまいます。でも、要するにこの場を通して信用して貰えたらそれで良いんですよね?なので、他2人の情報を質問してもらって、それにお答えしようと思います。またグルみたいに言われたら言い返せませんけど、これなら口裏を合わせられないでしょ?」
「確かに。じゃあ、あのちょっとダウナーな方……久保田さんの、得意教科は?」
「数学です」
間髪なく吹田へ返答するが、これは“嘘”だ。
この場で颯季に知り得る情報はこの埜未か惺のみ。そしてもし同席していたらこの嘘がばれていただけではなく、実際に過去改変が起こった際、その対象外となる。身分さえ割れていなければ無理矢理が通用する嘘能力の都合で考えれば、この『イカロス』という環境は比較的分が悪いのだろう。
すると直後、部屋の中央に再び「サク」の影が姿を見せた。どうやら最初の指名が始まるようだ。
「……じゃあ、すぐに確認しましょうか」
席へと戻る吹田を背にしたところで、颯季は息を呑んだ。実際に嘘は吐いたものの、これといって変化が起きたという実感がない。
――嘘が全く信用されていない?
一抹の不安が過った。
「さて諸君、そろそろ1度目の指名を聞こうか。分かれて相談していたようだが、お互いに何か言い残していることはないか」
「ああ、それなんですが。こちらの赤月颯季さんが潔白を示す為にある提案をしていまして――」
「いや、その話をする必要はありませんよ」
そう一言告げて吹田の言葉を遮ったのは、鯨井佳蘭だ。
「く、鯨井さん?」
「少なくともこの1回目に関しては、もはや議論の余地などありませんよ」
そう言うと、彼女は人差し指をある一方へ突き立てた。
「渥美駆真さん。貴方を追放すれば、今回は確実に乗り切れる」




