#3 飛び立つもの
【前回までのあらすじ】
報道の覇権を狙っている「ABY」は、実働部隊である取材部から「サク」へ協力を打診したが、ノアはこれを拒否。敵対する声明と共に、ネット経由の特定対策に関して存在しない協力者の存在を明言し、牽制した。これにより嘘の能力が発動し、新しい世界で出現した協力者とは、高校時代ノアの友人だった越智乙丸だった。乙丸の家で彼と顔を合わせるのに付いてきた未良が席をはずしているうちに、ノアは未良の境遇について乙丸に嘘をつく。能力で過去を変えることで、彼女の身に起きた不幸や「サク」との遭遇を無かったことにしようとした。しかし、どういう訳かその効果はなかった。
「適当にジュースとかお菓子とか買って来たんですけど、大丈夫そうですか?」
「ああ。ありがとう」
レジ袋を机に乗せる未良へは、乙丸が応じる。事情を知る乙丸も動揺しているかもしれないが、ノアはそれ以上で、顔を合わせることもできなかった。
なぜ、あの日まで『サク』と一切関係のなかったこの少女に対して、嘘による過去改変が通じないのか。
「ABY」と同様に考えれば、未良の持つ過去には歴史の収束に値するような事件がある、という予想は立てられる。あるいは、未来が運命で確定されているとして、やがて訪れる何かに必要な過程が未良の中に含まれているとも考えられる。
そう考えると原因になるのは、やはり姉である岼果を襲った事故なのだろうか。あれは未良の動機が生まれるきっかけであるから、あの事故が無効にならないのであれば、確かに過去の道筋は変化しないだろう。
関係者で言うと、事故を起こした吹田惟都という男については、先日ディルクを騙す際に嘘の中で名前が登場し、改変が出来たはずだ。だとすれば、その原因は姉の岼果という可能性もある。
しかし、それが分かったところで、改変が拒絶されるメカニズムを理解できるわけではない。いずれにしろ、この少女の周囲には「サク」としても看過できない意味がある、と受け止めることが精一杯だ。
「ノアくん?」
呼びかけられたのに気付いて、未良の方を見上げる。
「お前、俺が何者か知ってるか」
未良はノアの表情と言葉から何かを察したのか、眉を顰めていた。
「『サク』、なんですよね」
「そうか、やっぱりか……」
「あの、ノアくん」
すぐに平静を装って、ノアはスマートフォンを取り出しながら一方的に話し始める。
「いくらだった?電子マネーで返すよ」
「ノアくんってば!」
怒鳴られたのに驚いて、ノアは思わず手を止める。彼女が怒るのを見るのは初めてだ。盗聴していたディルクとのやりとりの中でさえ、こんな様子だったことはなかった。
「乙丸さんに私のことで嘘ついて、私の過去を変えようとしたんですか」
「……察しがいいな」
「全く予想しなかったわけじゃなかったし。無意識ですけど、ここ最近はそれをさせないように付き纏ってたのかも。よくわからないけど、失敗したなら良かったです」
「何言ってんだ、お前。俺はお前や姉に訪れた不幸を無くしてやろうとしたんだ。意味もなく俺に関わってるよりずっと――」
「私、そんなこと頼んでませんよね!」
ノアが口を閉ざしたところで、場にどうも居心地の悪い空気が流れていることに思い至ったのか、未良はそこから語気を弱めて続けた。
「確かに、お姉ちゃんの体が良くなるならそれ以上はありません。私自身、最近までは焦ってディルクに縋っていました。でも今は、全部私がやらなきゃいけないことだと思ってます。私はあれから悩んだり考えたりしたことも、ノアくんに会ったことも、無かったことになんかしたくありません。これは私の推測だけど、ノアくんこそこの気持ちを誰より理解できると思うんですけど」
ノアは返答を拒んで目を逸らす。
やはり、やりづらい。彼女の過剰なまでに他人への共感を見出そうとする精神性は、ノアなりの“嘘のつき方”を容易に看破してしまっていた。「サク」としての戦略上の根拠を名目に真意を隠すのは、自分自身に対してでもある。以前ノアの隠し事を下手と評した彼女だが、実のところ、関係の浅いうちからそれを全て見抜いてしまう彼女の勘の方が優れていると言っていい。
「はいはい。君たち、人の家で喧嘩しないでくれる?」
押し黙るノアを見兼ねてか、乙丸が手を叩いて仕切り直す。
「ごめんなさい、そうでした……」
「別にいいけど。架殻木もさ、良い加減本題に入ってくれよ。そもそも、どうして今日はウチまで来たんだ?今日の君がした投稿の話?確認するようなことも無いと思うけど」
「あ、それはですね」
乙丸の指摘通り、大した用事はない。協力者の正体を確かめることが今回の目的だったので、もう用は済んでいると言っていい。
信頼できる相手かどうかで対応は変わる、と未良には説明していた。しかし、厳密に言えば信頼できる相手などいない。友人の乙丸でさえ、バタフライ効果で生い立ちのレベルから改変が起きていて、実は裏切るだけの事情を抱えているかもしれない。ただ、ノアが尋ねたたったひとつの質問から能力を想起し言及していたことから、余計に事実を隠す段階の相手ではないのは確かだ。
「あれは、俺が流したフェイクだ。つまり、今のお前はあの投稿によって生まれた存在だってことだ」
聞いた直後、乙丸は目を見開いて多少の動揺も見られたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「……なるほど。まさか俺がとはね」
「悪いな、こいつが空気の読めないことを言うから余計にショックかもしれないが、俺としては、協力者がお前だったのはよかったよ。これからも手を貸してくれないか」
「もちろん。君の力は聞いてたけど、流石に実感が湧かないだけだから。今の人生に不満があるわけじゃないし、精々また君に弄られるまでは自分の仕事を全うするよ」
「そうか、助かるよ」
未良の機嫌が治っていないことは、横目にはっきりと映っていた。謝ったほうが場は収まるとも思ったが、そういった体裁を彼女が嫌うことも理解している。そして何より、彼女の指摘を素直に受け取るのがどうにも気に入らなかった。「自分が嘘を本当にできる」と気付いて以降、このようにやり場のない苛立ちを覚えたのは初めてのことだった。
「そういう訳だからさ、俺にも何か手伝わせてよ。まだ今はインフルエンサー狙い?」
「インフルエンサーって、あのディルクも?前に獲物って言ってましたけど」
ベッドに飛び乗って腰掛けた未良は、明後日の方を向いて吐き捨てる。
「そうだ。昔はネット出身の有名人をインフルエンサーと呼ぶ傾向にあったが、今は誰もが似たようなものだからそう呼ばれることもある。そいつらに目をつけるのは、『ABY』の数字がそのまま社会的なカーストへ反映されている現状があるからだ。逆に考えれば、『ABY』と癒着することで信用と権威を獲得している人間もいるはずだってことだ」
「なるほど。今まではそういう人を探って『ABY』の暗部の情報を集めつつ、嘘で世直ししてその痕跡を消してきたってことですね」
「でも、今のところ当たりは引けてないんだけどね」
「日記を見て知ってはいたが、この世界でも収穫はないか」
「うん。それでもし次の当てがないなら、今度は俺が気になってるところを教えようと思ってさ」
乙丸はスマートフォンで「ABY」を経由し、「クライス・プロダクション」の公式ページを開いた。
「略して“クラプロ”……。芸能事務所ですか?」
「そう、巨大グループの子会社なら今でも問題なくタレントを雇っているけど、独立資本で大手になるのは最早現実的じゃない。でも、ここはそれが出来てる。事務所ぐるみでやってる動画の反響が良いみたいでね」
「なるほど、確かに怪しいですね……」
「そうか、お前も姉がディルクグループにいたんだもんな」
「いや、そうですけど!それ以前に私が事務所に所属してるから分かるって話ですから!」
「信憑性ねーよ、毎日学校終わりに寄ってきといて」
事務所の「ABY」アカウントに戻り、動画ページに移る。「ABY」は短尺長尺の動画SNSも連動しており、自らの投稿を通してそれらの動画にコメントを残したり、自分のプロフィール内のコンテンツとして添付することもできる。
「『柏葉羊大、国際宇宙ステーションへ出発』?なんだこれ、国の発表で確かそんなのがあったが」
「要するに、ある程度確証を得ているニュースを時間差でまとめて、プロモーションついででタレントに読ませてるってことだよ」
「へえ、基本的には声優さんの事務所なんですね」
「そういや俺の知る世界の越智乙丸も、高校時代はアニメばっか観てたっけ。それ故のアンテナってことか」
「あはは、バレた?」
ノアは乙丸に断ってスマートフォンを借りる。どうやら、タレントのファン向けのコンテンツも散見されたが、発展の背景となっているのは二年ほど継続していているこの“ニュース”に間違いないようだった。
「まあ大きなタイムラグがあるにせよ、マスコミがない今この動画に需要があることは分かる。ただ、こんな風に大衆から支持を得られるものにしたければ、適当な真似事ではダメだ。タレントが自前とはいえ合成音声を使わない以上人件費は無視できないのに、裏付けや引用にもそこそこ費用は掛かるはずだ」
「そう、でも『ABY』のデータベースについて一括で使用許可が得られていれば、NFTをいちいち購入する必要はない。ABY公認の“無断転載”でそれをケチってるかもと思ってね」
「これは調べる価値アリですね……!」
「ああ、そうだな」
「そしたら、問題はどう探るか、だね」
結局のところ、そこがノアの行動する上で最も苦労させられるところだった。自分の身分を偽ることができないので、本格的に潜入することは困難だ。自分から嘘を言わず誤解させるだけなら能力は発動しないので、今までは変装したり会話の中でミスリードを誘ったりと、地道で回りくどい手段を取ってきた。しかし、個人でなく組織を調査するとなると、それにも限界がある。
「未良ちゃん、この中に誰か知り合いはいないの?」
「私、特に声優の知り合いなんていませんよ」
ノアはそのまま画面をスワイプして過去の動画の一覧を遡っていたが、あるところでそれをぴたりと止めた。
――どうにも偶然とは、重なるものらしい。
「未良、今回は俺の代わりに潜り込んでくれないか」
「え?えっと、はい!私でいいなら、やります!」
「へえ、珍しいね。そうやって素直に頼むの」
「放っとけ」
合理的に考えても、これは悪い判断ではない。リアルタイムで連絡が取れるようにしておけば、未良の口からノアの考えた嘘も問題なく発することができる。
「とにかく、直接内部で確かめるのが一番だ。接触の機会は向こうに作らせればいい」
ノアはそう言って立ち上がる。
「ちょっとノアくん!え、お菓子は?」
「知るか!じゃあな越智、また頼むことがあったら連絡するから」
ルーティンの厳守のため、ノアは未良を連れて拠点へと引き返してくる。
ノアは帰ってくるや否やデスクへと直行し、パソコンを立ち上げた。
「なんなんですか、もう!私に無許可で過去を弄るために行かせた買い出しなんですから、これはノアくんが責任取って食べてくださいよ!私職業上絶対に太れないんで、こんなには食べられません!」
「まだその話か!大体、開いてなかった袋をわざわざお前が開けたんだろ!しかも車中で!」
ポテトチップスを抱き抱える未良は眼中に入れず、淡々と文章を作成する。自動投稿だった適当なニュースと差し替えて、改変用の投稿を仕込む算段だ。
「『クライス・プロダクション、来週にも急遽オーディションの開催を発表。背景は某“情報屋”が劣悪な育成環境を新規研修生へリークしたことによる集団入学辞退。搾取を維持する為の人員補填か』?ちょっと、わざわざこんなネガティブな話にする必要あります?」
「当然だ。フェイクニュースってのはネガティブな内容の方が信用されやすい。信じて美味しいだけの話は、信じることで騙されて損をする可能性があるが、信じなければ損をする話なら仮に騙されても取り越し苦労なだけで、失うものはないからだ。それに、今回の場合内部の人間が反論してくる可能性があるが、傍からは不都合なことを隠蔽しているだけに映る」
「でも、それを嘘だと分かる人たちは世界が変化していることに気付かないんですか?私みたいに」
「改変から逃れる為には、それが嘘だと気付くことの他に、“俺を完全に認識している”必要があるようだ。つまり、俺の正体を名前や容姿といったところまで知っていなければならない。不特定多数へ向けた嘘の場合、そうして意見が分かれても多数派の意見がある程度支配的なら、そちらが世界に反映される。こちらが相手を特定していない分か、直接よりもある程度拡散されるまでの時間差が必要になるが」
「なるほど……。まあ、私的にはスッキリしないけど、要はこのオーディションっていうのに私が出ればいいんですね?」
「そうだ。一応訊くが、今いる事務所の方は大丈夫か?」
「事前に連絡さえしとけば多分問題ありません。アットホームなところなんで。『声優やりたくなりました』ってクラプロの名前を出せば、籍を置いたまま受けさせてくれると思います」
「良かった、じゃあ早速、投稿するか。今後のことも考えて言っておくが、お前は改変に巻き込まれないように、時間になったら投稿されるのをリアムタイムで見る必要があることを忘れるな」
「え?でも、普段の定時投稿だって私全部は確認できてないし。大丈夫じゃありませんか?」
「いや、普段の投稿はファンクラブから徴収した情報の中から信用できるものを抜粋した本物の情報だ。『サク』が今日の影響力を築くまでは地道に嘘をつき続けていたが、『ABY』打倒に動き出した今、そこもリスクヘッジが優先だ。『ABY』上のファンクラブも、基本はそれが目的で運営している」
「じゃあ、今の『サク』は普通に貰ったニュースを流してるんだ……」
「まあ、デマを吹き込まれていたとしても本当になる。俺としてはバタフライ効果の小さそうなタレコミを選定しているだけだ。それじゃ、次の19時の定時投稿と入れ替えて流すぞ――」
そこまで告げたところで、未良は慌ててパソコンの画面にまで身を乗り出してくる。視線の先は端の方で、どうやら時刻を気にしているようだ。
「どうした?」
「やばい、お姉ちゃんの面会時間も7時までなんですよ!私もう帰ります!」
未良はそれだけ言うとデスクの傍にポテトチップスの袋を放り出し、片手に掴んでいたノアの椅子を突き飛ばす勢いで押し退け、入り口へ向かい吹き飛んでいく。
「あっ、おい!オーディションは本当に受けるんだからな、次会うまでに色々準備しとけよ!」
「はい、分かりました!」
乱雑に扉が閉められ、アジトには台風一過さながらの静寂が訪れていた。
ノアは脱力し、未だ揺れている椅子へ一層の体重を委ねる。
方針が決まっているとはいえ、今後の策もまだ検討すべき段階にあるが、場に残された余韻からか、頭には不思議と未良のことが浮かんでいた。
まだ彼女とは知り合って僅かな期間しか経っていないが、彼女はノアが最も恐れ、遠ざけてきた類の距離感を自分と早々に築き上げようとしている。接していると、こちらも自然と他人事に思えなくなってくる。ノアの信条としては忌避したいものだが、これは事実だと認めるしかない。
しかし、同時に理解しかねる部分もあった。
彼女はある意味で役者だ。その場面場面で「牙隈未良」に適した言動を出力し、演じ連ねているに過ぎない。何故まともな仕事もないまま努力もせず、女優志望を語っているのか?そもそもどうしてノアに執着しているのか?そこに至るまでのものは、未良自身が引き寄せたものとしては違和感を覚える。表裏、あるいは人間性としての奥行きという問題ではない。人格を象った人工知能と話していて痛感させられる感覚と同じ。4次元的に虚ろなのだ。
そして恐らく、そういった空白を作り出していることに関して彼女自身も無意識で、その要因を理解できていない。だからこそ、それは第三者から見て暗黒に映る。
そう、ノアからも見ていて他人事だと思えないのは、まさに彼女のそんな部分なのだ。
何故なら、ノア自身もまた、彼女と同質の虚無を抱えているから。
「――さて」
ノアはもう一度背筋を起こして、「ABY」に流れる情報を確認する。
ファンクラブや世間の反応を聞く限り、どうやら「ABY」は反響の大きい「サク」の投稿がフォロワーでないアカウントへ提案されないよう、投稿の表示を制限しているらしい。
向こうは痛手を負わせたつもりかもしれないが、この動きはノアの予想通りだった。両者の対立はより明確になり、これからさらなる仕掛けを行うのに十分な背景が出来たからだ。
乙丸や未良の見立て通り、クライス・プロダクションが調査に値するのは確かだ。しかし、ノアの“本命”は別にあった。
数刻の後、未良は急いで病室に駆け込んでいた。(物理的な意味で「駆け込んだ」ので、廊下で看護師に厳しく注意され余計に時間を食った。)
「お姉ちゃん、来たよ……!」
「未良!」
肩で息をする未良を見て、岼果は少し困ったような顔をしている。
「もう、そんなになるくらいならまた別の日に来れば良かったのに」
「今更そんなこと?私はちょっとでも行けそうならどうしてでも来るの!」
「それで、どうして毎日になるの?学校や事務所に友達はいないの?会ってくれるのは嬉しいけれど、それが心配なの」
「いるってば!高校はそりゃ、部活も行ってないしあまりだけど、普通に話すよ!事務所の子とはよく一緒にいるし、いつも断ってここに来てるだけ!お姉ちゃんが頑張ってるのに、私だけ遊んでるなんて……。そんなの、悪いもの」
岼果は体の感覚を取り戻す為に今もリハビリを継続しており、その費用は日中にネットを通じた内職を行うことで賄っている。
「気にしなくていいの。私は心配も沢山してるけど、最近未良の表情が少し明るくなったなって。安心もしてるんだ。お仕事、上手くやっていけてるの?」
「あ、うん……」
未良は目を逸らす。それが岼果に余計な憶測を呼ぶことも理解していたが、飄々と目を合わせて取り繕っていられるはずもない。
ディルクグループの闇に触れてから最近に至るまで、未良の行動の指針は一変していた。治療費を稼ぐ為に強硬手段を用意し、ディルクの居場所を探っている内に、女優への憧れが徐々に薄れていく。何より、その自覚がありながら、“あの場”に行くことこそが苦痛だった。混じり気のない夢が集まっていたかつての事務所に、今では劣等感しか感じられなくなっていた。
それらしい言葉を見つけるよりも前、視界の端で、時計がまもなく7時を指そうとしているのに気付く。
「あっ!ちょっとごめん、スマホ見るね」
「え?ええ、どうぞ」
ノアの指定通り、「ABY」に例の投稿がされたことを確認し、1分ほど睨み合った末に目を離した。ディルクと対峙した飲食店が空き家に変貌したときと同じことが起きているはずだが、少なくとも、この病室に変化の起こった様子はない。
「どうかした?」
「あ、ううん!ちょっと確認しなきゃいけないメールが届くって聞いてて」
「あ、もしかして好きな子でもできた?」
「ええ!?どうしてそうなるの!?」
「だって。最近元気で、連絡気にしてるって……」
「それは、そういうことじゃないんだけど」
「本当に?」
「多分。――もしそうなら、その方がいいなって思うもん」
何にせよ、岼果の興味が若干逸れたことが幸いした。
元々彼女は心優しい人だったが、事故に遭いこうして病室で顔を合わせるようになって以降は、特に未良の考えに反対することが無くなったように思う。
「未良がやりたいことをやるのがいい」。おそらく、「サク」へ協力していることを打ち明けたとしても、行為自体が否定されることはなく、そんな風に言うのだろう。
しかしだからこそ、未良には本当の思いを口にすることができなかった。
「それじゃあ私、時間だから帰るね。ごめんね、遅くなっちゃって」
「うん。どうしても暇な時だけで良いから、たまに遊びに来て」
未良は足早に病室を後にするが、扉が閉まる音を背中で確認すると、その場で立ち止まる。
岼果へ気を遣わせてしまったのは明らかだ。しかし、先ほどのやり取りが今後の二人の関係に陰りを生むことはない。それが岼果の持つ懐の深さだった。むしろこうして病室の外へ出る度に、未良は自分の居場所がここにしかないのだと痛感するのだ。
未良は夜が嫌いだった。特別深い意味はない。ただ、片親で未良を育て、岼果を援助している母の生活は言わずもがな苦しい。誰もいない家で過ごすことはもちろん、たまの日にあって彼女の疲れた顔を目の当たりにするのも、見ていて苦しく感じられる。そして、まだ高校生の未良にとって、そんな状況を直接変える為の働きかけは日中にしか行えない。
岼果がいるときの為に借りた2LDKの部屋に、この日は母すらもいない。
そして20時を迎えるとき、未良はソファの上に寝そべって、たった一人で無力感と戦っている最中だった。
『今日の動きを見て、シーカーズは早速私との共闘を申し出た。彼らとは利害を同じくしていると考えるが、私は特定の派閥に属するつもりはない。今後は協議を重ね、互いの利益が最大になる条件を模索していく』
ノアによる“本命”の投稿は、またしても人知れず世界を塗り替えた。