#16 朗読劇「奏楽少女」2
手に持った銃が意味を持たないことを悟ったのか、乙丸はノアの前へ突き出していた片腕から力を抜く。そして、ノアが話すのを黙って聞いていた。
「“俺と、どうやって友人になったか覚えているか”?
――前回この質問をしたのは、確かまだサークルのメンバーを探っていた最中。劉がキャンパスに来て“公開殺人”を行なってみせた直後のことだ。
劉が俺の身内に仕掛ける内通者は1人とは限らない、その可能性は念頭に置いていて、未良やお前の前で口にもしている。前回聞いたはずのあの時点でのお前は、確かに“味方”だったはずだ。
ここで、お前がその後劉に襲われ『フレイム』で奴の方へ寝返ったと言う可能性も浮上するが、そうとは考えづらい。
今の世界ではともかく、本来この“般若街”アジトの場所は劉にまだバレていなかったからだ。奴は再会する際俺の呼び出しに応じて、今『メフィスト』で使っている方を1度訪れているだけだ。
となれば、残るきっかけは俺の嘘による改変の結果。この世界の劉が『フレイム』の対象として陸朗とお前の2人を選んだんだ」
ノアは話を止めて乙丸の様子を窺った。
先ほど感じた殺意のような昂りは、今の視線から読み取ることができない。彼自身でさえ自覚のない今の“過去”がどのようなものであるかまでは知る余地もないが、彼ほどの年齢で、ノアの過去改変で得たものと同等のITスキルと、殺人者としての豊富な経験値を同じ過去で得ることは難しいだろう。確信犯として襲いかかった龍生を見ているからこそ、彼に正常な人間としての感性が残されている、ということは手にとるように分かる。
ただその上で、今の乙丸からは普段の温厚さがことごとく消え去っている。
「で?」
反応を見たがっているノアの意図も察したようだが、それに対してはたった一言の返答をもって切り出された。
そして、乙丸はノアの方を睨み付けて続ける。
「それが合っているかなんて俺は知らないし、興味もない。まあ本当に君の言う通りだったとしたら、おめでたいものだね。最後はやっぱり自分の一人相撲ってことでしょ」
それを聞いて、ノアは嘆息する。
「……そうだな。そうやって一人相撲になるように仕向けられたことにも気付かなかった、俺のミスだ」
「どういう意味だよ?」
「まず言っておくと、俺は一度受け入れ難い“時間”に直面し、再度過去改変を起こすことでそれ以前と似た世界を再現してここにいる。
問題はなぜ、どのようにしてそれが起きたかということだ。あのとき嘘に該当したのは、『アイラン・ローチが新日家である』ことを認めたことだった。
そしてそれが、恐らく劉の誘導によって起こったことだ」
「確かにクラプロの件でもそんなことがあったらしいけど、それは涼霜劉が自分の能力で出来ないことだったからだ。ノアの嘘に頼るだなんて不確定で他人任せなやり方、普段の彼が選択するとは思えないよ」
「そうだな。ただ今回の場合、そうやって俺を騙すことに意味があったんだ。
気分が悪いことこの上ないが、劉や寧……奴らは本気で『俺に敵意を向けていない』と主張したいんだろう。内通者を付けて動きは牽制しつつ、たまに直接“忠告”しただけ。俺本人に直接危害を及ぼさないのは今に始まったことではない。それは、俺の能力に利用価値があるから。……本当はお前だって聞かされているんだろう?まだ諦めていないから口止めされているんだ」
頑なに表情を動かさない乙丸だったが、ノアと目が合った途端後ろめたそうに視線を横に逸らす辺りに、真実の如何と彼自身の面影を見ることができる。
「奴らの策は、俺に居場所を失わせることで自分からあの世界線を選ばせることだったんだろう。もちろん、それを俺が拒絶することも想定していた。すぐさま『ABY』CEOのセス・ブラックハウに『フレイム』をかけて攻勢をかけて来たのも、この判断を受けてのことだったからな。
俺を除く『メフィスト』と『STList』のアイラン・ローチが顔を合わせたときの会話は、特にその意図が顕著だった。
あの場面で機能していたのは陸朗の方だ。思い返せば、積極的にアイランの言葉を引き出して終始話を回していたのは既に内通者だと分かっているあいつだった。元々そういう役回りだとも言える分、当時は油断していた……」
そこまで言うと、ちょうど陸朗の声が再び耳に入る。
「帰ったぞ、ショウコ」
「あらあなた、お帰りなさい。そちらの方は?」
「聞いて驚くなよ、我が事務所の所属タレント、君に続く待望の2人目だ!」
「ハナと言います。あの、大丈夫でしたか?こんな夫婦のお部屋にお邪魔しちゃって――」
朗読劇の方では既にショウコ役の囀きりかに台詞が回っており、シーンの後半に差し掛かっている。
それが終わった次のシーンにはノアが着席していないといけないことを踏まえると、残された時間は少ない。それは当然乙丸も把握していることで、ノアがキャンパスに戻らないように妨害するのは目に見えている。
自分の所在について嘘を吐き“瞬間移動”を行うことは可能だ。しかし実現するような過去改変となると、これから「サク」で投稿する内容が無効化されるか、あるいは「『サク』の投稿は“般若街”のアジトにてノアがパソコンから発信するもののみである」という、これまで守り通して来た法則が崩れるかだ。バタフライ効果の大きさを考えれば、後者だけは避けたいというのがノアの考えだった。
「とにかく。あの時、その場で俺の言霊を耳にしたのは未良とお前だったはずだ。その瞬間に改変は起きず、何故か3人が解散してから時間差で時空の歪みを検知した。
時間差で改変が起きたということは、前提として俺の“嘘”に当たる事実誤認が、2人に聞き入れられていなかったという事実がある。そのうち未良の方はあの兄弟に因縁があり、俺の言葉に耳を傾けない理由はあった。それに対してお前にはないということがひとつ目の違和感だ。
2つ目は、結果として遅れて改変が起きたということ。
あの世界に関してだが、変更点を見るに『サク』・『メフィスト』・『アビー・シーカーズ』の内情について上辺しか知らない人間の誤解によって成り立つものだった。そんな奴が『サク』アジト内での俺の発言を能動的に聞けるはずはない。
つまり、俺の嘘を間接的な手段で聞かされた第三者がいた――これが過去改変を引き起こした。それを誘導できたのは、あの場にいて俺の話を録音できた人間しかいない」
乙丸は若干の苦笑いを浮かべて、やれやれと首を横に振る。
「なるほど、ね。涼霜劉が仕掛けた作戦に嵌ったけど、そのおかげで実態が見えて来たということか」
それを聞いて、ノアは鼻を鳴らす。
「違うな。俺を侮るなよ、乙丸」
「何?」
乙丸は眉を顰めた。
「過去改変の内容や時間差なんてのは、俺の仮説を補強したものに過ぎない。俺はそんなことが起きるよりも前に、既にお前に対する違和感を抱いていた。
再三言うが、お前は覚えていないんだろ?高校時代、本来の俺とお前がどのようにして知り合ったか。今のお前に記憶がどこまで残っているかは知らないが、思い当たるものはないはずだ。最初から俺を『サク』と見て接近していたのが、お前の知る過去だから」
「そう……だね。でも、その話を誰が信用するの?未良ちゃんにだって話していないことなんだろ?」
「『俺の威厳が失われるから』、な。殊更に言うつもりは今後もないが――隠したつもりはない。いや、“隠せていたと思っていない”、と言った方が正しいか」
そこまで言うと、ノアは乙丸へ苦笑して見せた。
「俺の過ごして来た高校時代、同級生の越智乙丸は『サク』の協力者たり得る利用価値なんてなかった。俺の方だって、『サク』としての活動も始めていない。だからきっかけなんて大したものじゃなかった。
――趣味が合ったんだ。当時の俺も、『魔球少女』シリーズを愛読していた」
「……嘘なら、残念ながら通じていないよ」
「このタイミングで俺が自分の過去を変えるメリットが無いだろう?まあキャラじゃないのは確かだし、信じてもらわなくとも一向に構わないんだが……。
実際、最近作品に触れた未良の熱量が強かったからな。言えなかったのを察してくれていたんだよ、前の世界のお前はな。その事実と、後ろめたさで隠していたのが威厳に関わるってことだ。
そして、俺も軽率だった。シリーズの中のひとつ『魔球少女ルパン』のストーリーも当然頭に入っているから、嘘としてもちょうどいい……“実験”に選んだ理由はそれだけだった。
高千穂真琴と話す中で彼女が内通者であるか否かを確かめるために吐いた、“ストーリー上の試合の勝敗”についての嘘――これがお前の運命を変えてしまったんだな」
言うまでもなく、これは正真正銘の真実だ。今の乙丸自身を巻き込んでいる過去改変の経緯を本人へ語ったところで、それは彼にとって信じられる情報のはずがない。
そのことを十分に理解していながらノアが乙丸へ説明するのは、現に敵対している彼への未練に他ならなかった。
「『魔球少女ルパン』だって?」
乙丸が口を開く。
「『フレイム』の記憶障害があるとは言え、当然知ってるさ。ノアの知る『越智乙丸』であるためにね。それが、どうしてノアに違和感を覚えさせたのか分からないな」
「そうだな……読み込みが、足りなかったんじゃないか?」
ノアは顎で劇の映った画面の方を指し示す。
ちょうど繰り広げられているのは、夫婦であるタクミとショウコが口論を始めるのに、ハナが巻き込まれている場面だ。
「てめえショウコ、何しやがる!」
「こっちのセリフだろ!?アンタ、私の売上だけで生きてるようなモノじゃねえかよ!その癖して酒飲んで若い女連れ込んで!この前だってそう!私が好きな記者の社説を集めるのが唯一の趣味だって知ってるくせに、スクラップブックを勝手に捨てたでしょ!?まだ許せない、何もかもが本当に不快なの!」
「ちょっと2人とも、落ち着いて私の話を……!」
「アンタは黙っててよ!」
きりかの台詞は元の筋書きと若干変わっていて、未良の方は含みのある表情で舞台上に座っていた。どうやら再度劉の存在を示すアドリブを試みたらしいが、それを察知した陸朗が台本を前倒しにして喧嘩を始めたらしい。
「“推し”なんか作って仕事に真剣にならないのが悪いんだろうが!最初に決めなかったか?一緒に同じ事業をやるんだから、俺たちは他のどの夫婦よりも一蓮托生でやらなきゃならないんだって!」
「違う!赤の他人2人が結婚して、何もかも一緒にして上手くいくはずないでしょうが!言わなかった?私はアンタの為に生きないし、アンタも私の為に生きるわけじゃない!」
それを耳にした乙丸の表情が変わる。
「……今のセリフ、確か」
「『俺はお前の為に生きるのではないし、お前も俺の為に生きるのではない』、と俺は言った。未良は真っ先に気付いたよ、この“パロディ”にな。その後お前と話した際にはしつこく助け舟を出したが、あまりにも反応が鈍かったもんだからな。
龍生が書くシナリオでは、同人誌でもこういったパロディを多発している。同じ作者の同じ作品に対するパロディだったのに、龍生を以前から知っていたはずのお前が気付けないというのは異常だ」
乙丸は何も言わず、歯を食いしばってこちらを睨み付けていた。
――そろそろ限界か。
ノアは劇の方へ目をやり、残された時間が限界に近いことを知る。パソコンの方へ再び体を返し、着席して「ABY」を起動させた。
「させるか!」
「無駄だ」
デスクの方へ飛びかかってくる乙丸だったが、彼は直前でその動きを止めた。ノアはアジトに来てからまともに投稿の編集を行なっていなかったので妨害の余地がある――そう思ったのだろうが、「ABY」の投稿画面上に既に完成した文面、そして添付ファイルがあったからだろう。
『【独占インタビュー】吉木沙李奈決意の転身 現在は声優の仕事を全て断ち漫画家へ 影響受けた作品への思い語る』
「独占インタビュー、だって?どうして、この短時間でフェイクニュース用の記事まで……」
「“投稿を俺が、この場所に設置したパソコンから行う”、固定しているルールはそれだけだ。事前に作成していた記事を架殻木ノア名義のアカウントからDMで送ったとしても、何ら問題はない。まあ今日のこの時間以外で、それがお前の目を掻い潜ることもなかっただろうがな」
ノアは投稿ボタンへマウスカーソルを当てたころで手を止め、乙丸の顔を見上げた。
「お前は俺を妨害したいのかもしれないが、出ていった方がいい。さもなければ、お前はこの投稿を目にすることになる」
それを聞いた乙丸は、険しい表情をそのままに体を硬直させる。
「分かるだろ。お前は俺の嘘を認識さえすれば、過去改変の対象外になる。見知らぬ世界、真反対の環境に自分の存在を否定されたくないのなら、改変に記憶ごと身を委ねることを推奨する。
さっき話した前の世界では徐羅寧がアジトに押しかけて来たんだが、奴にも全く同じことを言った。奴の場合、利口にこのアジトを出て行ったぞ」
乙丸はしばらく考えている様子だった。
劉が知っている過去は、基本的にノアと変わらない。彼も乙丸が協力する事態を拒んではいないらしいが、乙丸に対しては“何かの拍子で急に湧いて出た不審な味方”という認識でしかないだろう。そして今改変が起きた時点で、たった今劇を鑑賞している劉に乙丸の不変を確かめる術はない。ノアの方から仕掛けた罠という疑いは拭えないだろう。
つまり、ここで拒否すれば乙丸はどちらからの信用も失う。居場所のなさ故にこの争いから退かざるを得なくなるだろう。そして劉もノアも、情報を持ち過ぎている彼をそのまま放っておくほど楽観的ではない。ここで抵抗を見せても、彼に利するように作用する要素は何もないと考えて良い。
これらの葛藤からか、乙丸の顔色は険しさを帯びていたが、ある瞬間からそれが全くの無に切り替わった。
そして、彼は突如呆れたように笑い出す。
「良いよ」
乙丸は一言、小さな声で呟いた。
「……何だと?」
「俺はそれでもここに残る。どうとでも投稿しなよ、ノア」
――寧と同様にはいかないと予想はしていたが。
ノアは黙って腕を組んだ。
「俺には何もなかった。涼霜劉に価値を見出されたことで今があるんだ。彼が過去改変の影響を受けないのなら、世界が変わってところで彼の目的や信条は変わらないってことだろう?彼からの信用は、俺が自分で掴み取る。過去が変わって自分が根本から曲がってしまうとして、それを自覚もできないだなんて――これ以上の屈辱はない」
「俺からしたら、今のお前が変なんだ。高校の同級生の延長として、味方だったときのお前に戻って欲しいというのが正直な気持ちだ」
「さっき、自分で言ってたじゃないか?元とは言うけど、そもそもノアの知る“本来の俺”という奴に、利用価値なんてなかったんだろ?」
「それは……」
「確かにそうなんだろうね、なぜか物凄く腑に落ちるんだよ。
『俺のような凡人が偶然長所を得て意味のある存在でいられたのは、君のような特別な存在の近くにいたからだ』それが君の主張だろう?今、さぞ自分の所有物を奪われたような気分でいるんだろうね。君は“覚悟”とやらを免罪符にして、そうやって人を好き勝手に操作することに躊躇いがない人種なんだ」
「……確かに、返す言葉もない。でも、それは劉にしたって何も変わらないはずだ。そちらに従う根拠となる記憶すら、『フレイム』の記憶障害で今のお前にはない。それでも、お前は劉に従っていたいのか?」
「ああ、それこそが今の俺の運命。運命ということはすなわち、俺のアイデンティティでもある」
「――分かった」
そこまで聞いて、ノアは渋々投稿のボタンをクリックする。そして再び立ち上がると、乙丸に向かい合った。
「そこまで言うなら構わない、俺にはお前を止める資格はないからな。
ただひとつ、それなら俺をキャンパスに帰してくれ」
「なりふり構わない物の言い方だね。過去改変を受け入れることを俺が拒否した時点で、君の主導権は無くなったんだよ」
「そういう意味で言ったんじゃない。俺は、お前にこの“劇”の続きを見届けてほしい、と言ったんだ。俺はこの後あそこに出演しないといけないから」
それを聞いた乙丸は最初に少し驚いたような表情を見せたが、やがて言葉の意味を理解したのか、すぐに哄笑して応じた。
「はは!俺は『フレイム』の影響で大部分の記憶はないけど、『メフィスト』の練習風景はしっかりと画面越しで見て知ってるんだよ?心地の悪いストーリーも知ってるし、没入感を執拗に阻害する君の演技にだって、このアジトから毎回笑わせてもらってる。無茶な主張にも程があるって」
「運命がアイデンティティになる……俺も少し前まではそんなふうに考えていた。でも、きっとそれは違う」
「どういう意味だ?」
「『ハナ』は劇中で、きっとお前に本当の答えを教えてくれるだろう。リハーサルなんか見ていても分かるはずもない。“舞台は生き物”、らしいからな」
直後、感覚器の揺動を感じ取る。その瞬間にノアは走り出した。
対象を外れている乙丸も、その歪みに気付いたのだろう――動揺するだけで、出口へ向かうノアの通過を許した。
「サク」によるフェイクニュースが行き渡り、改変が果たされたのだ。




