#15 朗読劇「奏楽少女」1
※朗読劇のシナリオは「#7 審美の悪魔」で明かされています。把握していなくたってこれっぽっちも問題ないとは思いますが・・・。
今回の朗読劇発表では、当初の予定通り少人数ということを考慮して、役の登場しない者が舞台裏へ回り演出効果役を交代制で行うという体制を取っている。
冒頭のシーンでは主人公のハナを演じる未良と、その父親・テツヤ役の龍生だけが舞台上に設置された椅子へと腰を下ろす。
ノアの登場は脚本だと後半以降だが、主演の未良は唯一舞台へ出ずっぱりでハナを演じることになっていた。
そして当然、それはノアが自分で劇と舞台裏を行き来して行動へ移すために仕向けている流れだ。
舞台になる教室は既に照明が落とされ、開演を直前に控えた頃。未良が控室に残っていたノアへ呼びかける。
「あの、ノアくん」
「どうした?」
「……私の演技、見ていてくださいね。ノアくんはどうでもいいと思っているかもしれないけど、私はこの劇で役者として、自分のできること全部ぶつけます。来ている人皆を圧倒して見せます」
「そうか」
ノアは一言だけ応答すると、劉による“サクラ”で埋め尽くされた客席の方向へ目をやる。
「ただ水を差すようで悪いが、お前が相手にしないといけないのはこの場に来た人間だけではない」
「え――」
「あ、それ。ようやく言って良いの?」
そう言って控室に入って来たのは、ノアと同様に出番の遠い主人公の母親・シオリ役の真琴だ。ノアは開演したと同時に舞台袖で劇の行方を見守る腹づもりだが、例によって彼女はしばらく寛ぐために戻って来たのだろう。
「言っとくけど、私が悪いんじゃないからね。こいつが皆には内緒でって言うから」
「あの、いったいどういうことですか」
「真琴は『ABY』の個人アカウントでも配信の経験値がある、『メフィスト』のSNS担当だ。『メフィスト』から配信を行うなら、こいつに頼んでおく以外の選択肢はないだろ?」
未良は最初言葉の意味が理解できなかったようだが、やがてその意味を理解したようで、途端に目が大きく見開かれた。
「ええー!?」
彼女らしい、間の抜けた声色で叫ぶ未良。
「『サク』の投稿の件があるから、とんでもない視聴数になりますよ!?ぜ、全世界に流れるんですか、この劇が!?ノアくんの棒読みまで!?」
「そんな話はしてないが……まあ、そういうことだ」
「ちなみにもう開演直前だから、配信は始まってる。客席の後ろにカメラ置きに行ったら、なんかみんな面食らってたけど。配信あるならわざわざ来て損した――って感じ?」
真琴は不思議そうな顔を浮かべて言うと、そのまま教室の最後方、ノアの反対側に腰掛けた。
「でも、どうして教えてくれなかったんですか?その……」
ノアや真琴の方をちらちらと見て、言葉を迷っている様子だった。
考えならば理解はできる。このような伝達事項は、これまで「メフィスト」の面々にこそ隠していたが、未良と乙丸の前では話して来た。
そのことを真琴に勘付かれないように話す言い方を迷うのと同時に、以前ノアに告げられた言葉が頭を過っている。その答えを再び聞きたくはない、とも思っているのだろう。
「意図ならある。だが、お前に話す必要はない」
「……そうですよね」
ノアが無遠慮に言い放った言葉に押しのけられるように、未良は足早に部屋を出ようと踵を返した。
しかし、ノアはそれを呼び止める。
「未良」
「え?」
「ここからの段取りは、前にDMで伝えた通りだ。舞台上でのことは、お前に任せる」
「……はい!」
未良は嬉々とした表情で頷き、結局足早に部屋を後にした。
これでその場には残されていたのは、2人。
「おい、真琴」
ノアがそっと横を見ると、真琴は足を組んで手鏡を睨みつけていた。
「いい、何となく分かったから。劇で何したって私は関係ないけど、恥だけはかかせないでね」
「ああ、すまないな……」
「にしても、『お前に任せる』って。アンタに嫉妬してると思われるのも癪だからこれ以上は言わないけど」
「特別な関係だって言いたいのか?
そうでもない。あいつには悪いが、さっきの要求だって俺は飲めないだろうからな」
「要求?ああ、『私の演技を見てて』って、あれのこと?」
ノアは頷いた。
ノアが様子を伺うのは、まだ劉の出方を分析できていないからだ。この教室内において彼の駒は客席の全員と横にいる涼霜壮、徐羅寧、「メフィスト」側に仕込んでいる柏葉陸朗。これと教室の“外側”に仕込む手段がどの程度のものであるかが、今回満を辞して火蓋が切られる“直接対決”の行方を左右する。
ノアは劇用に設置した舞台袖へ戻る。
舞台となる教壇が明転し、5つ置かれた椅子のうち2つに未良と龍生が着席する。
まもなく、未良の一言で朗読劇「奏楽少女」は開始された。
「お父さん、ちょっといい?話したいことがあるの」
「どうしたハナ。今は作業中なんだが」
「それ、注文されてるギター?」
「いや、これは試作用だよ。今は特に仕事を抱えていないからな」
「あの、私ね――」
「家を出て東京に行きたいのか?」
「え!どうしてそれを……」
「おまえが昔から都会に憧れているのは知っているよ。それと、進路の話を振っても曖昧な言葉しか返ってこない。簡単に想像がつく」
「そっか。流石、だね」
「行っていいぞ」
「え?」
「東京だよ。正直、申し訳なかったんだ。流行らないギター職人が父親で、母親も逃げてしまった。こんな家に産まれて来たせいで、おまえを満たしてやることができなかった。くれぐれも身の安全だけには気を付けて、あとはお前の好きに生きればいい」
「ありがとう。お父さんの言う通り、私は自由に生きてみようと思う。それで、もうひとつだけお願いがあるんだ」
「何だ?」
「そのギター、完成したら私にくれない?」
「いいけど、どうしてだ?前にあげたギターがダメになったなら、修理してやるけど」
「いや、壊れたわけじゃないよ。あれは、子供の頃からの思い出が詰まった大事なもの。知り合いでもない人に見せびらかすようなものじゃないから」
「おまえ、それって……」
「うん。私、向こうでミュージシャンを目指すよ、そのギターと一緒に。
いいアイデアだと思わない?もし私がお父さんのギターを提げて売れたら、お父さんも思う存分職人としての腕が振るえるんだよ?」
「ふざけるな!」
「お父さん……?」
「ミュージシャンの夢、それは尊重してやってもいい。でも、俺はおまえの好きに生きれば、と言ったんだ。わざわざ俺のことまで背負い込んで、そんなリスクのある人生を送ろうとしなくていい」
「それは違うよ、お父さん」
ハナはそう言うと、一度咳払いした後に続けた。
「お父さん、知ってる?この世界に確かに存在している、姿を持たない権力者のことを」
「……何だって?」
龍生の演技はリハーサル時点で学生としては及第点だった。しかし、やはり本物の反応とは一線を画しているということがこの一言で窺える。
目の前ではなく「メフィスト」のアカウントページから画面越しに見守っている視聴者へ向けて、早速未良によるアドリブが展開されている。
「背負い込んでいるというなら、お父さんだけじゃなくて、この世界の力のない人々達すべて。私はミュージシャンとして皆を救いたいの。
たとえばお父さんのギター、多分どんなに宣伝しようとしても売れないんだよ。今は情報の単価が上がりすぎて世間に出回るものの質が低くなってるけど、これは情報を意のままに管理したいと思っている人達がいるから」
「メフィスト」の皆は「サク」による“「メフィスト」が劇の内容から重大な事実を示唆するつもりだ”という投稿を言いがかりだと認識している。その中で行われているこのアドリブは未良らしい、後先を考えない方法だ。明らかに龍生も動揺しているが、彼にはその真意までは読み取られていないらしい。舞台上では自分の立場を考える余裕もないようで、ひとまずこの場は演技を続けることにしている。集中力を欠いた表情がそれを物語っていた。
真琴の発言からして、この劇が配信されていることに劉は気付いている。
未良の口から事実がすべて語られた時点でノアの勝利。この状況を黙って見ているはずがない。
そんな風に考えていると、急に舞台が暗転する。
「え!?」
未良が声を漏らしたことで、客観的に異常性は伝わるのだろうが、間もなくそれは更なる異常によって掻き消される。
「う――」
そんな声と、それが霞むほどに存在感のある爆発音は、客席の方で響き渡った。
前にも聞いたことのあるそれは、確かに拳銃による発砲音だ。
ノアはできる限りに首を伸ばして、客席の方を覗き込む。客席のほとんどの者は混乱の最中にいるようで、その音が何だったのか周囲を見回している。どうやら教室の外側も騒がしく、定員からあぶれた者達もその異変には気付いているらしい。
「――ちょっと、ハナお姉ちゃん!」
劇が不自然に再開されたことに気づいて、ノアは舞台の方を見直す。
最大5人までが同時に出演する今回の朗読劇だが、5つだった椅子が6つに増えている。
そして舞台の上には、そこにはいない筈の人物が存在していた。
「あ、マイ!」
「聞いたよ、東京に行くって。それもミュージシャンになるって……」
龍生によって書かれた本来の脚本には存在しなかったはずの登場人物・主人公の妹「マイ」。
それを演じているのは、既にこの世界から姿を消していたはずの声優・「吉木沙李奈」だった。
――くそ、「フレイム」か!
ノアは舌打ちする。この事態に対して舞台上の未良や龍生が一切驚く様子を見せていないこと、そして客席を見ると彼女の正体・涼霜壮の姿がなくなっていることを踏まえれば、間違いない。
暗転を仕掛けたのは劉に従っていることが分かっている陸朗だろう。犯行現場を暗幕で隠しつつ、銃殺することで今回の朗読劇へ2人目の“客演”をねじ込んだということだ。
「あのねマイ、私は皆を救わないといけないの。今の社会では――」
「頑張ってね!」
吉木は未良の言葉を遮って大声を張り上げる。
「え……?」
「私、応援してるから!」
そこで再び打ち切られるように舞台の照明が落とされる。
冒頭の“主人公・ハナがミュージシャンを志すシーン”は、これで打ち切られたということだ。
次に出演する陸朗が壇上へ向かい、出番のない龍生、そして吉木が舞台袖へ引き返して来た。
龍生は自分の脚本だからか、やはりこの劇自体にも興味があるようでその場に残る。
問題は吉木が控室には戻らず、照明と音響用のパソコンの側に陣取っていることだ。
「別に、客演のプロにまでそんな雑用を任せるつもりはないんですが」
小声で話しかけるノアに対し、吉木は彼女らしい、弱々しい笑顔で応じる。
「あ、大丈夫です……。私、本当はこういう裏方的な仕事の方が好きですし……」
強引な手段でこの男を退ければ、大声を出してでも拒絶されるだろう。現状劉はそこまでの手段に出ていないが、もし演目の続行自体が困難になったなら、状況は彼らの方へと好転する。
劇を中止させても今の注目度ならば延期も可能だろうが、それが繰り返されれば劉の勝算である「ABY」取材部の整備は終了してしまう。基本的には続行させることを優先し、吉木に関しては別の方法で対策を講じる必要がある。
ノアはすぐ横にいたきりかの腕を掴み、戻って来た2人からは離れた教室の壁際まで引き連れる。
「ちょ、ちょっとどうしたの!?」
「今回の朗読劇、お前の先輩の吉木沙李奈が出演しているな」
「え?どうしたの、この期に及んでそんな言い方」
「本当におかしいと思わないのか?奴が今もあの姿で舞台に上がっているということを」
きりかは少し考えると、やがて表情は険しいものへと変わる。
「……おかしい。
上がっていることがおかしいと言うよりも、そのことを納得できてしまうことが変なの。私はあの日、確かにノアくんとあの人の真実について知ったはずなのに。今日の台本も、私の覚えているものと違っているはずなのに」
「『フレイム』、流石にそこまで万能ではないか……。しかし、なかなかの強行策に出たな」
ノアはきりかの腕を話して、そのまま腕を組んだ。
直々に舞台の現場に乗り込んで、大勢の人間に囲まれる中人を殺害した――一貫して、ここまでの劉は状況を操作し得る仕込みを用意して来ていない。
ある意味、それは今回の対決の本質だ。開演直前まで配信の情報を公開していないノアの狙いもそこにあった上、要領の良い劉のような人間は、より効果的な手段のみを選定してこの場に臨んでいるということになる。
ノアは舞台から背を向け、教室の出口へと向かう。
「ちょっと、ノアくん!どこに行くの!?出番は先って言っても、まだ劇の途中だよ!?」
「大丈夫、出番までには戻ってくるよ。今思い立って飛び出すわけじゃない。壮を動かしてきたのも、想定の内ではある」
ノアは走ってキャンパスを出て、車で“般若街”のアジトへと急いだ。
「――お、早いねノア。スピード違反したでしょ」
「サク」のアジトでは、指示している通りに乙丸が控えている。
「してないよ」
「どうだか。科学的に不可能なら能力は発動されない、だったよね」
乙丸自前のパソコンでは、ノアが頼んで仕込ませた監視カメラによって様子が確認できるようになっている。
ノアはその画面を覗き込んで、朗読劇の進行を確認する。
「ちょっと、ちょっと嬢ちゃん!良いねえ、良い歌声だよ!」
「あ、ありがとうございます……」
タクミの初登場シーンに差し掛かり、存外に筋のいい酩酊した演技が繰り広げられる。不幸にも、劇は順調だった。
陸朗は舞台で音楽事務所の所長・タクミとして舞台へ上がるが、その代わりに吉木沙李奈が舞台裏へ回る。きりかに違和感を植え付けた以上彼女が無理な演出は抑えてくれるだろうが、未良の無理なアドリブを劉側の演者が収めるという状況に変わりはない。
陸朗を事前に排除すればいいという考えもあったが、先日のバタフライ効果の騒動を受けて、ノアにはそこへ躍起になる勇気が持てなかった。劉が『メフィスト』の内部に目を付けるという歴史は回避できない。陸朗が内通者である過去を改変したところで、また別の誰かに変化するだけだ。開演するまでは、内通者の正体が確定しているというものより好都合な状況がなかったのだ。
「無駄口を叩いている暇はない、涼霜壮の対処をする。ひとまず向こうの出方は分かったから、たった今邪魔な陸朗もだ。スパイを別人に変更させる。2人とも、配信の目があるから劇から排除まではできない」
乙丸を退けて、ノアはパソコンから「ABY」を起動する。
事前に考えていた文章を作成する途中で、ノアは手を止めた。
今も記憶に焼き付いている、最近知った感覚がした。
――人の、本物の殺気だ。
「……“引き出しの銃”、無いな。
俺の過去改変は最短距離を行く。その銃はこの前の過去改変で調達したものだが、世界を戻してもそれだけは嘘の効果が残っていた」
ノアは一切動じずに、殺気の元である相手へ告げた。
「なあ、乙丸」
「……怖くないの?」
「それはレプリカだ。わざわざ手に取って背後に突きつけるということは、お前は本物と勘違いしていたんだな?俺はそのことをお前へ伝えなかったということだ。我ながら、今度の“過去の俺”は中々鋭かった」
「気付いてたのか?」
「ああ。俺自身の意識としても、少し前からな」
ノアはそこまで言うと立ち上がって、乙丸と至近距離で向かい合う。
「それじゃあ、前に聞いた質問をもう一度しようか――“俺と、どうやって友人になったか覚えているか”?」




