#12 審美の悪魔2
【前回までのあらすじ】
未良や乙丸との関係を悪化させた直後、覚えのない過去改変がノアを襲う。
嫌な予感を覚えたノアがそれまで打ち合わせを行っていたアジトへ引き返すと、そこには胸にナイフを突き立てられて死んでいる乙丸の姿があった。
生気の失われた越智乙丸を前に、ノアは背中から全体重を壁に預けて感情の整理に専念する。
――まだだ。まだ“確定”じゃない。
ノアはひたすら自分自身に言い聞かせた。
現に動揺の多くは、知人が失血死した実物を初めて目にしたという事実、そのものにある。ノアの能力をもってすれば、乙丸が生存している歴史を作り直すこと自体は可能だ。
ただ、「乙丸が死んでいない」という嘘を直接実現させるだけでは根本的な解決にならないのは確かだ。彼が殺害されるにあたって、理由が伴わなかったはずはない。現時点での殺害が無効化されたとしても、ノアの嘘がその動機まで取り払ってくれるとは限らない。
いずれにせよ、最も状況を把握できてノア自身が得をする方策を考案するとき、目標となるのは歴史の“修復”。過去改変の原因そのものと真逆の事実を流布させることで、元の世界に近い状態を再現することだろう。
そうなると、やはり重要となるのはこの場に戻って来た理由、「サク」の活動誌だ。
「サク」として活動する上で、場所や内容を自身にルールとして課すことで世界の変化を比較できるようにする、パソコン上のデータ。これを通して何が起こったかを確認すれば条件を確認することは容易。あとは適当な人間に嘘を吐くだけだ。
ノアはパソコンの置かれた奥のデスクを目指して、恐る恐るベッドの上の死体を横切る。
「う――」
ノアが思わず声を漏らすのは、乙丸の指が自身の脚に触れたとき。
一度は思考が止まる。しかし、すぐにその違和感に気が付いた。
――まだ温かい。
おそらく、死後硬直と聞く現象もまだ始まっていない。事件は極めて直近で発生したものだと推測できる。
そこで、ふと「なぜ乙丸が殺されたのか」に対するひとつの予想がノアの頭を過ぎった。
それは、「サク」のアジトで彼が殺害されているという事実に基づくもの。それが意味するのは、「乙丸が『サク』の仲間の1人だから殺した」という可能性だ。ならばその殺意の対象が乙丸に限られるはずはなく、当然「サク」の中心、ノアも含まれるに違いない。
犯人は秘匿された「サク」アジトで乙丸を殺したにもかかわらず、ノアを待たず早急に立ち去った。
そんな人間とノアとで入れ違いを起こしたのは何故か。考えてみても、思い当たるのはすぐにこの場へ引き返したノアの“思い付き”だけだ。
つまり犯人がノアを狙うならば、確実にその足取りを辿ってくる――そこに気がついた時には遅かった。
ドアを開き、この場を知るはずのない人物がゆっくりと足を踏み入れたからだ。
「お、お前は……」
その顔を見て驚きこそあったが、ノアには確信できた。普段の彼からは感じたことのない“殺気”というものがその事実を物語っている。
御代龍生。
その目つきの鋭さは、感情表現の乏しかった平時の彼と比べて別人にも思われた。
「架殻木ノア。いや、『サク』と呼んだ方が良いだろうか。……状況は理解しているな?」
「生憎、全くだな……。俺や横のこいつが人に殺されるほどの反感を買った覚えはないんだが」
「ふざけるな」
龍生は声を荒げる。
「君は全ての元凶だ。『サク』が消えることこそ、世界が前進する上での絶対条件だ」
あえて「サク」に敵対する存在としては、真っ先に浮かぶのが「ABY」、その背後にいる涼霜劉だろう。龍生がそのスパイだという可能性については、この会話の中で真っ先に思い至った。
ノアは今回の過去改変以前に、「陸朗がスパイの正体だ」という嘘を吐いている。それが通用する時点で、彼は涼霜劉によって過去改変能力「フレイム」を発動させられた対象と化したのは確かだ。
しかし、今回の世界でそれと全く同様の現象が起きたという確証はない。能力者である劉自身の記憶に影響はないが、「彼が誰に能力を使ったか」という事実にはいくらでも変化の生じる余地がある。ならば、龍生の行動理由にも説明が付くと考えて良い。
「……皮肉なものだな」
龍生は口を開き、懐に隠し持っていた新しいナイフをこちらへ向けた。
「『サク』、全てを知った風で人々を煽動してきた君も、死ぬ瞬間には目の前の現実の形すら理解できていない」
にじり寄る龍生から後退りして離れるノアだったが、まもなく奥のパソコンデスクに背中が衝突する。
――このままではまずい。
「“預言者”さん……もう良い加減現実に還るといい」
そう言って龍生がナイフを振り上げたところで、ノアは口を開くことで制止した。
「俺は銃を所持している!俺はお前を殺したいと思わないが、本当にその刃を俺に向けるつもりなら、容赦はできないぞ」
ノアがそう言って上着の懐に片手を入れて見せる。
龍生の反応は薄いものの、注目は集まっている。その隙に、ノアはデスクに置かれたキーボードの方を横目に照準を定める。
「嘘だな。それも半端な、その場凌ぎのものだ」
勘付いた龍生はさらに近づきながら、振り上げていた腕を僅かに下ろした。これにより、ナイフとノアの体との距離が再び縮まる。
「そこの男を俺が殺したのは明らかな状況で、君が僕に敵意を向けていない筈はない。殺したくないという主張も今更すぎる。
そしておまけに、君はこちらの視線を集めながら視線は常に後ろのデスク、それもキーボードの方へ向けられていた。解決策の本命がそちらにあり、その注意をそらすことが目的なんだろう?」
「……ああ、その通りだよ。流石に抜かりがないな」
ノアは肩を落とす。
「このパソコンは何の意味もなくここに据え置かれている訳じゃない。この手狭な部屋でも、そのあらゆる機能がこのデスクでコントロールされているということだ。越智乙丸の遺産でな、非常時は電源がオフの状態で普段使っているPINコードを入力するだけで外敵に対する目眩しができる」
「なるほど」
龍生が容易にこちらを信用しないことは想定済みだ。だからこそダミーの行動を挟むことで弱みを見せたフリをして、ノアはたった今、コマンド入力という脱出方法を確保するに至った。
あとはそれを敢行するだけの隙を作る。リスクこそ回避できないが、ノアの持っている手段は何も変わらない。ここまでの基本に立ち返るだけだ。
「最後まで狡い男だ。サークルでも見ていてそれだけは感じていた。だが、それももう終わりだ」
「……どうだろうな!」
ノアは思い切って龍生の胴体へ突進し、飛び込む。龍生は一瞬怯んで体勢を崩す。
そして、ナイフをこちらへ向けるより前にノアは起き上がって元の位置に戻った。
「銃なら、引き出しにある!」
デスクの引き出しを開けると、今度はその実体が出現していた。格闘になり身の危険を少しでも感じたからこそ、龍生にこの嘘を疑う余裕はなくなったということだ。
起き上がった龍生を拳銃で牽制しつつ、ノアはキーボードに手をかける。
コマンドを入力すると、直後、部屋中から白い煙が展開される。
ノアはその中を走って龍生と距離をとり、拳銃をその場に落とした。
「ただの学生が本物を持ってるわけないだろ!それはただのモデルガンだ!」
真っ先に距離を取ったことで、役目を終えて落とした拳銃は計算通り“囮”として作用する。
ノアはそれから目眩しに紛れてアジトを飛び出した。
「くそ……!」
駐車場まで戻って来たノアだったが、その光景を目にして舌打ちする。
恐らく前もって龍生が対処したのだろう、ノアの車はタイヤが潰されていた。今は一時凌ぎで出し抜いているだけなので、交換する時間は惜しい。
ということで、龍生から逃げるには車での移動自体を断念するしかない。ノアは徒歩であちこち迂回して、複数ある目的地の候補を目指し“般若街”を離れる。
母のゲルトラウト辺りに電話をすれば容易に嘘で自分の位置を操作できるだろうが、この場合気軽に自分の過去を変えることは命取りだ。自分の居場所を移すだけの嘘ならば、当然龍生からの殺意を解消するバタフライ効果は望めない。つまり過去を改変し再構成させるということは、彼と“偶然”遭遇するまでの試行回数を増やしているに過ぎない。電話して嘘を信じさせた次の瞬間には、突如出現した龍生によって胸を貫かれても不思議ではないということだ。
「それにしても、何故今更殺しなんか……」
道中、ノアは呟いた。
龍生が劉の協力者だとして、不自然なのは龍生というよりも、劉の方の姿勢の変化だった。これまでは敵対を表明しつつも直接的に危害を加えるという態度は見せてこなかった彼が、ここに来てなぜ龍生に指示をしてノア達を狙うのか。龍生の様子を見るに、彼自身もまた「サク」の排除を望んでいるような風ではあるが、劉が「フレイム」を使用して龍生との絶対的主従関係を築いたのであれば、彼が暴走したという線はまずありえない。
そしてノアが目的地を決めることになった決め手は、そちらの方向を行き来するパトカーの通りが普段よりも多いということだった。乙丸の事件のことでもないだろう。ただパトロールが強化されているという事実は、刃物を所持している乙丸にとってはある程度抑止として機能する。
そしてノアは1時間以上、直線距離とは比較にならないほどの時間を費やして目的地・「メフィスト」のアジトに辿り着く。
しかしそれは、ノアにとって憔悴を加速させるものに過ぎなかった。
「まさか……」
眼前の光景は、先ほど以上に凄惨なものだった。
既に日が暮れかかっているので部屋は薄暗かったが、ソファやテーブルといった普段の景色にことごとく血飛沫の赤色が滲んでいるのがはっきりと分かる。
そしてまたしても、刺殺された知人の姿――柏葉陸朗、高千穂真琴の死体がそこには転がっていた。
ノアは息を呑み、部屋の奥へと進む。
血痕やそれぞれの体を観察してみると、乙丸の時よりも僅かに違っていることに気付く。時系列としては乙丸よりも前、おそらく“般若街”へ立ち寄る前に決行された虐殺と思われた。
すると直後、僅かな光と共に何かの物音が、同じ方向から耳朶を打つ。入り口が開いたのだ。
――もう来たのか!?
ノアは身構えたが、現れたのは龍生ではない。
「嫌――」
こちらが声をかけるよりも前、手前の死体を見つけたことによる裂帛の声。それは確かに覚えのあるものだった。
「未良!?おい、未良か!?」
ノアは驚きつつも、咄嗟に未良を大声で呼ぶ。
「え……。の、ノアくん!?」
その場に立ち尽くしたまま、未良は怯え切った表情でこちらを見つめて来る。
それを見て、ノアはふと我に帰る。たった今彼女の目に映っているのは2人の殺人現場と、そこにひとり、平然と立ち尽くしている生きた人間。
「いや、待て未良!これは俺じゃない!」
「え!?いや、それは分かってますけど……。ノアくんがどうしてここにって……」
「そんなの、お前こそだ……」
彼女は『メフィスト』の一員だが、この時間にアジトを訪れた事実が奇妙であることに変わりはない。
彼女はこの部屋が乙丸の監視下にあるということを知っている。「メフィスト」の召集がない時間帯で、彼女が必要以上にここに足を運ぶことは違和感があった。
「まあ、そんなことはいい。見て分かる通り、非常事態だ。俺はこれをやったであろう犯人、御代龍生から逃げて来たんだ。……“般若街”の方でも乙丸が殺されていた」
「お、乙丸さんまで……!?それを、龍生さんが……!?」
「奴は俺を中心とした『サク』、『メフィスト』の関係者を狙っているようだ。だからお前も間違いなくターゲットだろうな」
「まあ、ここに来たのは運が良かったな。自分の命だけを考えた時、今はここより安全な場所もない。パトロール強化をしている警察がこの部屋に気付いたら厄介なことにはなるが」
未良の顔色は悪い。安全とは言っても、目につく場所に殺された人間が横たわっている状況を割り切ることはできないだろう。
「私たち、どうなっちゃうんですか?ノアくん、能力でどうにかしてくれるんですよね!?」
「ああ。そのつもりだが、龍生を撒いているうちに“般若街”にまた戻らないといけない。さっきのタイミングで活動誌の確認をし損ねたからだ。待ち伏せされていない限り、今度は最速で行くだけでいい分には楽だが」
「本当に、お願いします……!こんなの私、いくら何でも受け入れられませんから……」
今の状況を受けて、気分が沈んでいることは確かだろう。しかし彼女の縋るような視線を受けたノアには――自身が気まずさを感じていたからこそ――その接し方が普段と何ら変わりないということに違和感を覚えていた。
「ところでお前……今日は何をしてた?」
「え?えーと、さっきまではノアくんの指示通りに『メフィスト』での活動をして、それから病院に行きました。お姉ちゃんに会いに」
「それはどうしてだ?俺と乙丸は“般若街”で普段通り打ち合わせていただろ」
「なんか、『STList』のアイランさん、家族とすごく仲良しみたいで、話を聞いてたらお姉ちゃんと話したくなって来ちゃったんですよ。ノアくんも乙丸さんもそれで文句すら言わないんだから、多少虚しい気持ちになったりもしましたけど」
その「虚しい」は、半分冗談めかした風で口に出ていた。
先ほどのノアの“宣告”があったとは到底思えない言葉で、未良も先ほどまでとはかなり乖離した過去を持っているらしい。
問題なのは、「アイランの話を聞いていたら自分も姉と話したくなった」――これが間違いなく過去改変の影響を受けた現象だということだ。
「分かった。この後のことだが、俺が1人で行く」
「え、どうして!?私も行きますよ!」
「危険だ、残ってろ」
「そんな、こんなところで待てだなんて!それに、私にも何か出来ることが――」
「ない」
ノアは未良の目を睨んで、淡々と告げる。
「お前にはない。これは“2度も”言いたくはないことだが、お前には俺の役に立つ能力なんてひとつも持っていない。だから余計なことをするな」
「ノア、くん……」
「女優として成功することを目標と謳いながら、それらしい努力を見たことがない。それは、お前が自分自身を着飾る為の仮初だからだ。姉の岼果のため、彼女から受け取った夢を背負い女優を目指す『牙隈未良』、俺のために『サク』の野望をサポートする『牙隈未良』と思い込むことで、自分が生き延びる為の一時凌ぎとして簡単な“自分”を演じ続けている」
これらの言葉が彼女の孤独感をさらに煽る言葉であることは分かる。ノアも未良ほど感情を表には出していないが、先ほどから経験したことのない恐怖を体感している最中だ。このような場所で置き去りにすると告げられて、素直に承諾はできないだろう。
そこでノアは項垂れて、気怠そうに首を振った。
「そして、こっちの方は“1度足りとも”言いたいことではない。ただ、今のお前がこれで退くならまだ話せる」
ノアは普段よりも落ち着いた態度で、穏やかに話し出す。
「俺がこんなことを見抜けるのは、俺とお前が似ていると感じるからだ。お前もそうなんだろう?多分、だから家族である姉に対してのように、赤の他人である俺に味方するんだ。
俺も、自分の力のせいで人を存在ごと消してしまって以来、その贖罪を自らに課して来た。『サク』は、その影から操られるようにして始まったもの。お前と同じ、俺も抱えている過去から自分の運命を解釈して、自分自身をそれで縛って生きて来た。“自分”を演じていたんだ。……分かるか?」
未良は視線を逸らして何も口にはしなかったが、素直な反応で頷いた。
「でも、今の俺は少し違う。消したと思っていた涼霜壮が『劉』として復活したことも多少はあるが、俺はお前のお陰が大きいと思ってる」
「わ、私?」
「ああ。お前は以前、俺のやって来たことを涼霜劉の生写しではなく、俺自身のものだと言ってくれた。それは俺にとって何よりも意味のある言葉だった。
俺は結果主義だから、ただの親切で『危ないから残れ』なんて言わない。お前を守ることには理由がある。俺はお前の言葉に応えないといけないと思っている。同じことで迷っているお前に、今度は俺が指針を示せるように」
「……悩みが同じでも、私とノアくんは違いますよ」
未良は小さな声で返答する。
「ノアくんが自分で言ってたでしょ。私にはそれらしい才能なんか何もありません。ノアくんは私がそう言い切れるだけの結果を残していたってだけで……」
「それならお前こそ、俺と会ったとき自分で最初に言ってただろ。お前は世界で最初に『サク』を見つけたんだ」
ノアは近づいて、未良の肩を掴む。
「本当のお前は俺なんかよりもずっと強い人間だ。俺だけじゃない、同じように“自分”を演じている人間を救う力がある。そんなお前が“誰かのため”なんかで、その強さを無駄にするのはやめてくれ」
未良はまた、ゆっくりと頷く。
先程までと比べて、表情は確かに柔らかくなった。ただ、ノアの表情を窺って少し不思議そうな顔をしている。
「何だよ」
「あ、いや!なんかノアくんにこんなこと言われると、すごく変な気分というか……」
「……もっと“簡潔に”伝えられたんだがな。ここまで言って納得したならそれでいい。俺はもう出る」
ノアはすぐに未良から離れて、逃げるようにその場を発った。
「――何だこれは?」
ノアは思わずそんな独り言を漏らした。
移動にあたって支障はなく、タクシーで無事に“般若街”へ戻ることができた。
問題は、目的であった活動誌に記された内容のことだ。特に気になるのは先日、徐羅寧が家の前で待ち伏せていた日の際の記録。
「徐羅寧と会合。涼霜劉の意向を共有。」
どう見ても妙な傾向だった。
「会合」、「意向を共有」。これらはまるで、ノアが劉に協力しているかのような表記だ。他の記載を見ても、行動そのものに変化が見られない一方で、言葉選びへの違和感が目に付く。
『俺の駒にならないか?』
劉の言葉を思い出した。
「そういうことか」
ノアは呟く。点と点が線でつながっていく感覚がした。
今度の世界でノアを救ったのは警察のパトロール強化という“幸運”だったが、この解釈は不正確だ。
現「メフィスト」アジトは、ノアと劉が最初に顔を突き合わせた場所でもある。あのとき劉に毒殺されたのち、彼の能力によって警察の巡査部長になった男がいたはずだ。
“幸運”ではない。先ほどのパトロールは“必然”だ。あれは涼霜劉の部下・涼霜壮による手引きに違いない。
すなわち、陸朗でも龍生でもない。
――今度の世界線、劉の“協力者”は俺か……!




