#8 異変
【前回までのあらすじ】
大学のキャンパス内で涼霜劉による“公開殺人”を目撃したノアは、能力「フレイム」によって“情報屋”サークル『メフィスト』のメンバーのうち誰かが劉の麾下に加わったスパイになったと判断。対抗策としての過去改変により、サークルメンバーのひとりで高慢極まりない未良の元同僚・高千穂真琴との交際を強引に始めた。幼馴染の囀きりかを招いた朗読劇発表の準備も進む中、ノアは真琴とのデートに臨む。
「おはよー、待った?」
真琴は無気力に手を振って現れる。
「ああ。今日も遅刻だな」
「うわ、一言目から野暮すぎ」
ノアは、都心の駅周辺を今度のデートスポットとして設定“していた”。ノア自身は同一人物の思考回路ということで、その理由についても大体の想像が付いていた。
人混み然り施設然り、この場には仕掛けの余地が多い。ノアが欲しているのは推測の材料であって、明確な異変。だからこそ真琴の背後に何らかの意思が存在するのだとしたら、思い通りに動かれたとしてもそれを感知するということの方が重要になる。余程深刻な事態に陥ったとしても、この場にいない未良や乙丸へ報告する際に事実を偽れば取り返しがつく。
「アンタ、前から思ってたけど私服のセンスはいいよね。拘ってるの?」
「いや、センスがいいのは母親だ。母さんは自分でブランドやってるから、試作品や新作を持ち帰る度に買ってきたコーディネートごと俺に似合うのを渡される。俺が自分で選ぶよりずっと確実だろ」
「はあ。それ、間違っても自信満々に言うことではないから」
真琴は肩を落とす。
「で?今日はエスコートでもしてくれんの?この辺りにはよく来る?」
「全く。だから行きたいところがあるならそこに行く」
「アンタがここって指定したんでしょうが」
「仕方ないだろ。本当に慣れてる場所で言ったら“般若街”って汚い繁華街になるから、そっちじゃ流石にデート向きじゃないと思ったんだ」
「いやいや、それで気遣えてると思ってんのヤバいから!何のプランもない訳?」
「言われなくても今調べる。まずは昼食だ、適当に選んで入ろう」
横からの手厳しい小言を聞き流しつつ、ノアは真琴を連れて飲食店のテラス席を選んで入店する。
「――サークルの今後のことだが、明日は何があるか知ってるか?」
あえて開放的な席を選択した理由も都心を選んだのと同様。知覚できる情報の少ない個室よりも、多くの部分に気を張ることができる。話が多少の重要機密に踏み込んでいても、環境音によってかき消されるという算段もあった。
「『STList』のことを発表するんでしょ。『メフィスト』のパートナーだってさ」
「そうだ。今後は忙しくなるだろうから、今日は今のうちに話す機会を設けておこうと思ってな」
「……それは、どういう意味?」
「夏海はともかく――サークルの他3人はあんな風だから、なんだかんだ言って一番まともな意見交換ができるのはお前だ。演劇サークルと“情報屋”サークル、これらはある程度均衡が取れている必要があるからな」
そこまで聞くと、真琴はわざわざ机へ頬杖をついてこちらへと身を乗り出し、冷ややかな視線を送って来る。
「……つまんない。何なのアンタ?何がしたい訳?」
「どういう意味だ?」
「どう考えてもデートに誘った男のムーブじゃないって言ってんの!」
更に身を乗り出した真琴に対して、ノアは身を引いて距離を取る。
「なんだ、意外と男には人並みに煽てて欲しいタイプか」
「いや、デカい顔して振り回されるよりは勝手にさせてもらう方が私的にもやりやすいけど、そんなことじゃなくて」
真琴は人差し指を眉間に触れる寸前のところまで突き付ける。
「そっちが汚い手段使って告ってきたクセに、いざデートしても全然私に惚れてる感じ見せないじゃん。それどういうつもり?」
「汚い手段?」
ノアは首を傾げる。
「自覚ないの?サイコにもほどがあるでしょ。SNSでアイドル売りしてる私に彼氏がいるって情報をアンタが握って、彼氏と別れて自分と付き合わなきゃリークするって脅したんでしょうが!」
「あ、ああ……。そうだったな」
ノアは真琴から視線を外して返事をした。
初めて知る事実だった。それなりに驚きもしたが、ノアからすれば多少の納得感を抱いたことも否定できない。
というのも、先日の件が意識の空白に陥っている1週間を埋めた嘘だったとして、その主体が架殻木ノアであることは変わらない。
当然好意がそんな狂気染みた選択をさせたはずもない。事実として、ノアには目的があって嘘で彼女との交際をこじつけた。ならばこの世界を生きていたノアも、真琴へ近付いたのは自身の目的を達成する為、と解釈するべきだ。
「気持ちがどうだったとしても、俺は意味のない行動をしない主義だ。『惚れてる感じ』と言うが、お前だってそうしてほしい訳でもないだろ?お前の方から無理に恋人を装ってもらう必要はないぞ」
「はあ?付き合うって言ったんだから、そうしてほしいに決まってるでしょ?私にだってプライドってものはあるんだから」
――『私にだって』も何も、お前にプライド以外のものを感じたことはないんだが……。
「そうじゃなくて、俺に脅迫されて嫌々付き合ってるならそういう態度でいればいい。現状の俺では不満なんだろ?」
「まあ私自身初カレで別れ方が分からなかったってだけで、前の彼氏も早い段階で心底クソ野郎だと思ってたから。アンタのことヤバい奴だとは思ったけど、そのくらいの情熱があるってとこの好奇心が上回ったのは確かね。結局、期待はずれもいいところだけど」
平時と何ら変わらない不貞腐れたような表情をそのままに、真琴は続ける。
「アンタ、私のこと好きじゃないでしょ?そう考えたらなんか腑に落ちるわ。アンタ、目的のためなら手段は選ばないってタイプだもんね」
「何を言ってるんだ?目的と言うなら、今回の場合は交渉材料があった。大抵の“目的”はそれを条件にすれば済む話だ。わざわざお前との交際を挟んだところで、俺には何の利益もないだろう?男女が交際する理由なんて、そんなことを俺の口から説明する必要があるのか?」
「言ってる意味は分かるけど、『何の利益もない』って言っちゃう時点で怪しさしかないし。
……それと、口で説明する必要ならあるから。アンタのそういう言葉、まだ一度も聞かされてない。ちゃんと口に出して私に対する気持ちを伝えてみなよ。それ次第で少しは信じてやってもいいよ」
「口に出して愛を伝えたら真琴はそれを信じる」。これはノアからすれば親切極まりないアドバイスだ。
――絶対に口にしてはいけない。
「真実の愛とは言外で通じ合うことだと思わないか?」
「アウト、0点」
真琴は大きく溜め息を吐く。
「全く……今の言葉とか酷すぎて、ただの意気地なしにも見えてきた」
「どう思ってもらっても構わない。俺はお前のことをもっと知りたいと思ってる――その興味の程度が伝われば、こちらからの好意についても納得は出来ないか?」
「知りたいって、例えばどういうこと?」
記憶のない例の1週間の中で、ノアが必要に感じて真琴を脅すことで交際した、というのが今度の過去。
問題になるのは、ノアが真琴との接近を計画したのがサークルの結成よりも前ということ。加えて活動誌によれば、ノアとの交際と真琴のサークルへの加入はあくまで“別件”。つまり、偶然ノアの恋人が“情報屋”サークルの募集に食いついている。
これらを踏まえると劉の干渉に関わらず、真琴自身が抱えている問題についても考慮する必要がある。
「大したことじゃない。どうして『メフィスト』に入ろうと思ったのか、とか。そんなところだよ」
ノアの記憶が正しく、そのまま改変が起きていないなら、確か真琴はそのことに触れていない。
この質問自体には怪しさを感じられる要素はない。これを聞いて別の解釈をするのは、サークルに所属すること自体に意図がある人間のみだ。
「……興味があったってことだけじゃ理由にならないの?“情報屋”って、日頃から一般人よりも優位に立っていられるでしょ。元々機会さえあればやってみたいと思ってたのよ」
文句の多い真琴でも、この初歩的なトラップには反応を示さない。
「なら、どうしてこの前の俺の言葉は信じなかった?
沖宗結乃のスキャンダルをお前に話した時、お前は俺のことを信用しなかったはずだ。俺には分かる。あのタイミングで、俺が嘘を言うとでも思ったのか?」
「どうしてそこまで決め付けられるのかは知らないけど。私は他人に言われたことを簡単に信じないようにしてるだけ。特に、自分にとって都合がよく聞こえる話はね」
「俺たちに利することだから、敢えてそれが間違っていると盲信したと?」
「盲信って言うと変だけど、大体はそういうこと。自分でどうにかできる埒外でのことに期待して損するなんて、バカのすることだと思うから」
「……なるほど」
ノアは頷いた。
あくまで、彼女自身がこれまでに語っている理論に基づくと――彼女の言葉はこれ以上になく“信用できる”。他人から享受するものは利益・不利益を問わず拒絶する彼女にとって、嘘を言って自分を守るという行為に意味があるとは思えない。最終的な判断は自身で下すとはいえ、彼女が語る物事を判別する指標について、ノアは聞いていて「正直な言葉だろう」と確信さえさせられた。
その内容も踏まえてか、ノアにはその理由を理解できる気がしたのだ。
「って、またこんな話。こんな何の色気もない奴に女の顔してる囀きりかの気が知れないわ。アイツちょっとメンヘラっぽいし、固執してるだけ?」
「……俺に聞くな」
ノアは決まりの悪さを隠さずに呟く。
「何にせよ、お前と別れるかどうかは俺次第の状況だ。俺がどんなにつまらない人間だろうと、お前にはこっちの話を大人しく聞くという選択肢しかない」
「はいはい、分かったから。ほんと最悪」
真琴と交際する目的のひとつ、それは交際中という条件下で嘘を通すための信用を上げることだった。そういう意味で言うと今回の過去改変は多少意表を突かれる結果で、成功したとは言い難い。
しかし、主たる目的はそれと異なり、この状況でも問題はない。
今回ノアが嘘能力を使った背景には、当然サークルの中に劉のスパイがいるかもしれないという事態にある。それを判別し、その上で利用するにあたって、こうしてデートを行うことが最も都合の良い手段だと判断したのだ。
「そういえば、御代が描いてる同人誌の元ネタ、『魔球少女ルパン』のことだが」
「え。……ああ、何?」
こちらが唐突に世間話を始めるのが心底意外だったのだろう、真琴は箸の手を止めてこちらへ怪訝そうな表情を向ける。
彼女もここからがノアにとっての勘所だということには考えが行っていない。「他人に言われたことを信用しない」というなら、そうだとは認識しない会話から攻めるだけだ。
「昨日もらった台本で、『魔球少女ルパン』のオマージュだって言われていた部分があっただろ?」
「ああ、何だっけ?おかしなきっかけで柏葉の役と囀きりかの役が離婚するってやつ」
「ライバル校のコーチというから端役だと認識していたが、どうやらそうでもないらしくてな。どちらかというと厄介な脚本に違いないが、演じる側が理解しておけば理解が追い付くと感じたから、お前にも共有しておく」
「いや、私別に興味ないんですけど。大体、アンタだって演技の機微とかどうでもいいってあの声優サンに言ってたでしょ」
「いいから黙って聞け」
「はぁ…!?」
真琴は顔を顰めている。
しかし――逆らえる状況でないのを理解しているのか――それ以上の抵抗を見せることはない。
ノアは、高千穂真琴という女性との接し方について、いくらか手応えのようなものを感じていた。
それは、単にこの優位に立ち回った状況を指しているのではない。
彼女特有の、人を寄せ付ける気のない機嫌の悪そうな一挙手一投足。あれらは全て、彼女の語る通り“普段”の振る舞い。それらを全て差し引けば、ここまで彼女が見せた反応の中で、特筆すべき感情の起伏は見当たらない。この外面が彼女の人間性を象徴していることには違いないが、どうやらそれ自体を本質とするのは本質を違えているように思える。
「きりかが演じるショウコ、そしてお前が演じるシオリは『魔球少女ルパン』での同一人物をオマージュしたキャラクターなんだ。主人公はこのライバル校のコーチと因縁があり、試合で勝つことが最大の目標――というのを、劇で未良が演じる主人公ハナと、シオリとの関係性が踏襲している。
『魔球少女ルパン』本編ではある試合で負けたことを機に、ハッピーエンドへ向けこの2人の距離が大きく縮まるんだが、勝ってそうならなかった場合の展開というのも外伝で明示されているらしく、これはこれで二次創作での人気が高い。それで、御代の描く同人誌も主に勝った場合の後日談を描いているらしい」
「……だから?」
真琴は適当に受け止めているが、その反応自体に意味がある。
今の話には、本来のストーリーとは勝ちと負けを逆にした嘘が盛り込まれていた。
これは気が向けば簡単に修復もできるような軽い嘘。これ自体に意味はさほどなかったが、これによって真琴の反応を分析することが目的だった。
今回はこのデートこそが、自由に過去をコントロールする場。ノアの狙いはここでの会話で、陸朗や龍生についての嘘を流すことだった。
それが真琴でなければならない理由は簡単で、彼女が異性であるから。サークルの内部で改変を起こす場合、嘘をつく対象とそれ以外の2人とで場所を分ける必要がある。今回の嘘で改変対象だったノア自身が同性愛者ではない以上、それを“恋人同士の時間”という自然な形で多用できると思われたのは真琴だけ。
『その相手って、囀きりかではダメだったの?』
先日その話を説明したときのこと。乙丸はこう切り返して来た。
『ただでさえあの3人、この前嘘が通じなかったじゃない。彼女の方がその辺の不都合はなさそうだけど』
『コントロールするだけならな。しかし、劉の方もスパイを置きっ放しにする訳じゃない。現段階で誰をスパイとしているかは把握しておかないと、強攻策に出られたら対応できない』
『真琴さんなら、そうではないと?』
『ああ。まず候補の1人である真琴を近くに置くことで、こちらから探りを入れられるのが1つ。そして前回の手口を踏まえて、劉が肝心な部分では手段を選ばないことも分かっている。そこにも注意を払わないといけない』
『それはあの人本人が嫌いと言ってた、“嘘を吐くこと”ですか』
『そうだ。厄介なのはあの公開殺人が俺に“スパイになったのは1人だ”と思わせるためのミスリードだった場合だ』
『他の人にも能力を使っていて、複数人で結託している可能性もあるってことか』
『とりあえず今日見ていて、それぞれの様子にフレイムの痕跡……つまり記憶障害をはじめとした違和感は見つからなかった。今後もそうだとなると、考えておかなければいけない可能性だ』
真琴は街の街頭ビジョンへ目をやりながら、ノアの話を聞き流していた。
「てか、詳しくない?読んだんだろうってことは分かるんだけど。結構オタク?」
「まあ、あの後に御代と話しているからな。ちなみに柏葉へも話題を振ったが、あっちは題材がノイズで理解できないの一点張りだった」
「……あっそ」
“試運転”ながら重視していた真琴の反応だが、特段の変化は見られない。
そこで、ノアはあらかじめスマートフォンのメモ帳に転記しておいた「魔球少女ルパン」のあらすじを確認する。
――確かに変化している。
真琴と他の2人に協力関係が存在しているならば、ノアとの接触を共有していない筈がない。これにより、ひとまず“真琴を含めた複数名の結託”の可能性は消滅した。
「よし、話すことは話せた。解散だ、出るぞ」
「……コイツ、もう好きじゃないの隠す気もないし」
ノアが退店の支度を始めたのを見て、ゆったりと続く真琴。
しかし、途中でその手をぴたりと止めた。
「……は?」
真琴の頓狂な声に釣られて、ノアの視線も彼女の見つめる方向へ促される。
目に入ったのは、街頭ビジョン。ここでは表向き「ABY」に関係していない、つまり「アビー・シーカーズ」界隈の企業が自らの名を担保に、時間を借りて上映している。現在は、上映企業が主催する展覧会の紹介映像が流れていた。
真琴が、延いてノアが驚かされたのは、特集として映し出されている「写真家」の顔に見覚えがあったから。
「“新進気鋭の写真家” 松波夏海」。字幕からして、その見覚えが勘違いだという線は薄かった。




