#7 審美の悪魔
【前回までのあらすじ】
ノアは大学の松波夏海とともに、たまたまキャンパス内で行われていたマジックショーのリハーサルを鑑賞する。しかしその実態は涼霜劉の能力「フレイム」を発動させるための“公開殺人”だった。ノアは“情報屋”サークル『メフィスト』のメンバーである高千穂真琴・柏葉陸朗・御代龍生のうちの誰かが、能力によって劉の麾下に加わったスパイになったと判断する。
ちょうどその日の活動は表向きの演劇サークルとしてのもの。客演として幼馴染で声優の囀きりかを招き、それに応じて直近のオープンキャンパスで予定している発表を朗読劇にすることを決定したが、その中でもスパイの正体には見当が付かなかった。
そしてノアが「奥の手」として次に取った行動とは、母との電話で「真琴と交際している」と嘘をつくことだった。
「今月から高千穂真琴と既に交際している」――ノアがこの嘘に踏み切った背景には、1週間分の“蓄え”がある。これは自らの意識が過去に飛んでいたことを一旦伏せている今、未良や乙丸にもまだ話していないことだった。
というのも、基本的にノアは自分自身の過去を嘘で変えるのを嫌うが、今回はその限りではない。ノアが記憶こそ持たないが実際に流れていた1週間で、目ぼしい行動といえば「メフィスト」としての活動に備え表アジトへ手を加えていた程度。それこそ嘘で後付けできる程度のものくらいで、自分の意識として惜しむ必要もない言わば空白の時間が1週間分存在していたということだ。
“嘘を現実にする能力”、これはリスクさえ度外視すれば自分の過去を弄るのが最も便利な使い方だ。それを承知していたノアは意識を取り戻して以来、この空白を有効活用する方法を常々考えていた。
「あら、それはおめでとう。初めてでしょう?もっと早くに教えてくれればいいのに」
真琴との関係を聞かされたゲルトラウトの言葉は、普段通りの淡白なものだった。
ただそんな冷静沈着なゲルトラウトでも、声の調子は僅かに上擦っているような印象を受ける。何にせよ、彼女がこちらを敢えて疑うようなことをしないのは通例通り。無事に改変は成功するだろう。
「あの、ノアくん?」
未良は、ノアが通話を終えるや否や、すかさず呼び掛けた。
「今のって、まさか……」
「言った通り、だ」
ノアが言い淀んだのも未良が慌てているのも、とりあえずは各々自身の問題に起因していない。
現状両者ともと視線を合わせず、ひたすらに硬直しているきりかの動向を窺わずにはいられないのだ。
「あ、そうだ嘘だ!信じる必要ないですよきりかさん!これは嘘で――」
彼女の言葉には何の効力もないとはいえ、ノアは咳払いして釘を刺す。
「えっと、そうじゃなくて!嘘みたいな本当の話、らしいです。いや、マジでありえないですけど……」
この場面も全て話してしまえば説明出来るかもしれないが――むしろ逆効果かもしれないという意味でも――正体や能力のことをきりかへ話さない方針に変更はない。
「悪い。もう少し前に伝えておくべきだったよな。それもこんな形で……」
「メフィスト」に客演として招いたこと自体は戦略として既定路線。それでもこの場からきりかを追い出していないということについて、ノアとしては義理を通したようなものだった。
――嘘は確実に信じてもらわなければ困る。きりかが疑うようなことも無いんだろうが、迷いなく受け入れてくれる母さんの方が都合は良い。案の定今回のような嘘だと未良の邪魔も入ってくる訳で――
「……いや、これは言い訳だな」
ノアは呟いた。
「俺は自分の言霊に逃げて、答えを出して伝えるということから逃げたんだ。これじゃ、あいつに貶されるのも仕方がない」
「あいつって誰です?」
「それこそ、“真琴”のことだよ」
「あ、この男いけしゃあしゃあと……」
すると口を閉ざしていたきりかが突如、腰掛けていたソファを離れる。
「ノアくん、別に私のことは気にしなくていいよ。私も少し驚いただけだから」
きりかは彼女らしい透き通った声で語りかけて、ノアに向けて微笑を浮かべる。
「じゃあ私、帰るね」
「きりかさん……」
「あ、違うの。いづらいとかじゃないんだよ?これからも昔からの友達として仲良くしたいもの。今は朗読劇も控えてるしね?
……ただ、この仕事のことは今日中に事務所に伝えとこうと思ってさ。ノアくんだって、ギャラの交渉は早めにしときたいでしょ?」
「あ、ああ。そうだな」
やけにきびきびとした動きで、きりかは部屋を後にした。
「ノアくん、あれ多分キレてますよ」
「そう、だよな……」
「で、今の嘘にどういう意図があるのかとっとと教えてもらえますか」
未良の方は既に動揺こそ収まっているらしかったが、呆れたような表情がその感情を物語っている。
ノアの能力と、それに当たっては絶対に戦略上の意図が伴っていたという経験を彼女は思い知っている。自身の私情ではなくて、単に囀きりかと親交を持つ者として、彼女の心情を慮らずにはいられないのだ。
「意外と何の意図もなかったりして。俺は何も聞かされてないよ」
今残っているのは「サク」を知る者だけ。本人の居合わせていない「メフィスト」アジトのスピーカーから、乙丸が遠隔で発声する。
「適当言うな乙丸。気は進まないって言っただろ」
ノアは天井付近のカメラを見上げて、吐き捨てるように言った。
「別に難しい理屈があった訳じゃない。目的は当然、劉の仕組んだスパイに対処すること。それで、やらなくちゃいけないことは他にもある。味方にどんな人間が紛れていようと、『メフィスト』の活動を止める訳にはいかない」
「それは……どうして?」
「劉の言葉、先日接触して来た徐羅寧の言葉――“奴らは俺に行動を起こして欲しくない”ということについては一貫している。その一方でこちらを直接攻撃する気はない。
恐らく、今回のスパイもその一環だ。目的はこちらの動きに対する牽制。こちらが警戒して行動を慎重にしたなら、それこそが向こうの思う壺ということだ」
「なるほど。なら、向こうはこちらに『STList』とのコネクションがあることを把握していたのかな。『ABY』取材部を使った情報コントロールの構想について嗅ぎつけられたと言っても、そこまで慌てるほど今のノアが脅威にも見えなかったと思うんだけど」
「無視できない可能性だとは思うが、どうだろうな……。とにかく、今回も例によって相手の出方を伺うつもりはない。相手が攻めていると思っているうちに、こちらから仕掛ける」
前回以降、「メフィスト」の活動日は“情報屋”と演劇、それぞれ別のスケジュールを設定した。
演劇サークルとしての活動日はネット上にも公開してある日程に添っている関係で多く設定されているが、実態は状況に応じての召集になる。今回は引き続ききりかを招き、オープンキャンパスに向けた最初の“練習日”となる。
「うーす」
数分遅れで真琴が到着してすぐ、その日の活動が始まる(遅刻したのは彼女だが、ノアや未良の胃を痛めたのは律儀にも15分前には顔を見せていたきりかの方だった)。
「……何?」
ソファに腰掛けた真琴の方へ視線を向けると、彼女は顔を引き攣らせて体を引いた。
あれ以来ノアはゲルトラウトから“尋問”を受けている。口数こそ一般平均ではまだ少ない方なのだろうが、少ない内のほとんど全てが真琴に関する話題に変わり、ノアは今日までの間ひたすらにその問いをかわし続けていた。要するに、ゲルトラウトがノアの嘘を少しも信じていないという可能性は万にひとつもない。半信半疑程度では個人差もあるが、母へついた嘘で能力が発動しなかったことは一度もない。
――だが、何故奴の反応は変わっていない?
「……とりあえず、始めるとするか」
ノアはひとまず“真琴の彼氏”として、余裕を取り繕ってゆっくりと視線を皆の方へ移す。
「その前に――言うまでもないが、昨夜『サク』が例の件を“後出し”して来たな。沖宗の不倫、キャンパスも今はその話題で持ちきりだ」
念の為重要なことは周囲の発言に委ねて、ノアは全体の様子に目を光らせる。
「俺たちが入ったクラプロの件じゃあまり話題にもならなかったですけど、流石に2度目となると反応違うっスね。やっぱ学部同じだと強いですね、龍生センパイ」
陸朗が言った。
――思った通り。
この事態については活動誌で事前に確認していたので最終的なチェックに過ぎない。ノアは言葉や表情に出さず数回頷いた。
「アンタ結果的に『サク』に楯突いたんじゃないの?中途半端な人間」
「そんなことないですって!『サク』に認知してもらえたかもしれないんだから、嬉しがったっていいっしょ?」
ノアの言葉で改変を許さなかった3人から信用を得るという意味で、「サク」の方で沖宗のスキャンダルを公開する手順は話した通りだ。ただ実際に「ABY」へ投稿するにあたり、実際に調査をしていたという事実、陸朗や龍生へ情報収集をさせていたという事実は“網”として利用できる。
「サク」がでっち上げの事実を真実として実現するにしても、それが過去改変である以上はその情報を得た経緯についてある程度の説明付けもなされる。「サク」の場合現在は勝手に飛び込んで来るタレコミになることが大半だが、今回もそれに則っているとして、この状況の世界でなら調査を展開していた「メフィスト」に情報を掴めなかったはずがない。つまり、「メフィスト」が自力で情報を入手したというバタフライ効果を意図的に起こすことができる。
『私は君にね、変に場を荒らして欲しくないって注意しに来ただけなの』
『好き勝手に過去を変えても碌なことにならないって話。世の中のSF作品だって、それが話の定石でしょ?』
徐羅寧の言葉が蘇った。
――俺はこの能力で、お前の忠告すら超えてみせる。
「サク」そのものの功罪はさておき、ノアにも“預言者”として今の時代をここまで先導してきたという自負はある。能力のリスクも過去を変えるということの意味も、全ては“言われるまでもない”。だからこそ寧が改めてそれを伝えに来るということに意味があると言うこともできるが、ひとまずノアにはそれらが制御出来ているという実感がある。それについても、ノアの動きを鈍らせたい彼らが、意識を向ける対象を分散させようとしたのだろう。
「今回で『サク』を出し抜くのは2度目になる。反響は上々、ここからが本番だ」
きりかには事情を話しているとはいえ、“情報屋”としての活動はノア自身の作戦にも絡むため、今後についての詳細は言わずに留めた。
「メフィスト」については当然事実のままを語っていたが、内容がどちらもスキャンダルでかつ普段は「サク」のフォロワーを煽っているということもあり、『サク』側の誰かが離反した裏アカウントだという噂も立っている。これについてはある程度想定の内だ。
「さて、じゃあ練習に移るか。……御代、脚本は書けたんだよな?」
「ああ。要望もあればということで印刷はしていないけど、今データを共有するよ」
龍生から送られた台本のデータを、皆各々の端末で黙読していく。しかし話が進むにつれ、皆の表情は少しずつ苦々しさを帯びた。
「基本は少人数で演出もやらないといけない分、一度のシーンで登場する人間は少なく留めている。ただ全員がある程度の台詞量を持っているから、裏方は役回りを順次回転させる必要があると思う」
「あの、そんなことよりこのストーリーなんですけど」
未良が怪訝そうに切り出した。
「……何か不味かった?」
「あの、なんというか……」
未良はどうにも言語化に困っている様子で、苦笑いを浮かべるだけの返答だった。
微妙な静寂の中、ノアは恐る恐る脚本を読み返す。
主人公のハナ(未良)は、田舎町でギター職人の父テツヤ(龍生)に男手ひとつで育てられた。ハナは目的を「父の作るギターを有名にする為」と宣言し、ミュージシャンとして上京する。
――ここまではいい。
地道に路上ライブを行う彼女に目を付けたのはとある音楽事務所の所長を名乗る男・タクミ(陸朗)。常に一升瓶を片手に持ち、初対面でも酒の匂いがしている紛れもない危険人物だった。しかし名刺が本物であることと提示された契約金の額から、ハナはリスクを承知でタクミへ付いていく。
タクミが音楽事務所の所長という話自体は本当だったが、妻・ショウコ(きりか)がシンガーとして所属しているだけの個人事務所で、オフィスは2人の自宅を兼ねているものだった。3人で初めての食卓を囲む――はずだったが、ショウコは出会った瞬間から若いハナに対して敵意を剥き出しにしていた。険悪な雰囲気が流れる中、ショウコの“推し”であった新聞記者の社説の切り抜きコレクションをタクミが勝手に捨てたことが判明する。これが夫婦の大喧嘩に発展し、この時もまだ酔っていたタクミはショウコを殴ってしまう。その場で離婚の口約束がなされ、ハナの所属した事務所は1日で解散する運びとなった。
翌日、タクミはハナに言葉で謝罪を述べる一方、相変わらず酒に酔っている。離婚については満更でもなさそうで、彼には現在“最愛の人”と言うほどの愛情を向け憧れている音楽家がいると語った。キューピッド役になって欲しい、という下心もあるのかその音楽家を紹介されたハナが指定された場所を訪れると、そこには天才ギタリストとして有名なトム(ノア)が待っていた。
ハナは興奮して自分のパフォーマンスを披露したが、トムはそれを中傷とも言うべき言葉を並べて酷評する。ハナは夢を諦めるほどのショックを受け涙を流すが、彼女が持つギターに限りトムは高く評価した。
失意の中にあったハナはギターだけでもトムヘ託そうとするが、間に合っていると却下される。その代わりに、とトムにギターを買いたがっている自分の恋人を紹介されたのだが、その恋人とは幼い頃ハナの家族を見捨てて家を出た母・シオリ(真琴)だった。
この期に及んで、ハナは自分の本当の目的が「シオリを見返すこと」と息巻く。引越し屋でアルバイトをしていたショウコと偶然の再会を果たし、1日限りのユニットを結成すると、トムやシオリ、ハナの父であるテツヤまでも招いて路上で「引退ライブ」を敢行する。
雨が降りしきる中のパフォーマンスだったが、それは聴衆の心を掴む大成功を収め、居心地の悪いシオリはトムを引き連れて帰ろうとするが、滑って転倒。加えて車道に近づいたあまりに車のはねた泥を被った。
そこで何故か改心したシオリはテツヤが持参して来たギターを受け取り、トムを含めた4人でセッションを始め観客を熱狂させ――ここで大団円の終幕。
「なんかさ、もっと物語の形すら成してないようなら目もあるというか、囀きりかの出演ありきでウケも狙えるけど。ちょっとずつ変だから、ただただ気持ち悪い」
龍生は乏しい表情ながら、少なからず傷心したようだった。それは真琴の言葉というよりも、その意見がある程度この場の理解を得られているということに対して、という方が正確だろう。
「あの、ちょっと良いですか?」
きりかが、申し訳なさそうに口を開いた。
「なんだよ、君もそう思う?」
「……えっと、全体については特に注文しません。頑張って書いて貰ってるから。
でも私、どうしてもこの役に入れそうにないというか……。気持ちが読み取れないんです」
「それは、何か要望があるということ?」
「私の演じるショウコは、どうやってこの日までタクミとの共同生活を維持して来たんですか?こんな常に酔っ払ってて、手もあげるような人と。それなのに、きっかけはこんな些細なことだなんて。鬱憤が溜まっていて、もっと他のことでそれが破裂するというならまだ分かるというか――」
「ちょっと待った!」
そこで何故か未良が声を上げる。
「きりかさん、『魔球少女ルパン』はご覧になっていないんですか?」
「え、うん。観てない……」
「これは“オマージュ”なんですよ!ライバル校のコーチがそんな風に離婚したって、有名なネタなんです!正直他はよく分からなかったんですけど……ここだけは名シーンだと思いますね!」
「オマージュって、別の作品の?そんなこと言っても、この作品の世界で実際にショウコが生きているとしたら――」
「お言葉ですがそれは詭弁だ、囀きりかさん」
そう口にする龍生。ここまで真剣な表情を見るのは初めてのことだ。
「登場人物とは、決して生きた人間ではない。幻想の存在です。あらゆる意味で、現実を生きて自由に物事を考えるということはできない」
「……私は役者です。それが幻想だろうと、見ている人により解像度の高い存在として見せることが仕事です。今のままではそれが全うできるとは思えないんです」
そのやり取りで張り詰めた空気の中、横からくすりと笑う声は明瞭に耳へ入る。
それは、ソファで足を組んでいた真琴だった。
「意識高い系なんだね。アレ見た感じ、演技のことなんか分からない顔ファンしかいなさそうだけど」
「……ファンの方の悪口は言わないで欲しいです」
「うわ、綺麗事。それってノアの前だから?そうやって気のある男に媚び売ってる奴がどの口でファンの側に立ってんの?」
「だから私、別にアイドルじゃないし、恋愛だってストップかかってないですし……!」
顔を赤くして真琴の方は詰め寄ろうとするきりか。
「止めろ」
ノアは咄嗟に回り込んで、2人の間に立ち塞がる。
「きりか、俺はこの脚本をそのまま本番で読むので構わないと思っている。問題なく実施すること“だけ”が目標だ。お前にもそれを求めている。言ってる意味は分かるよな?」
それを聞いたきりかは、俯いて口を閉ざす。改変で真琴との関係が生まれている今、きりかの態度の方もさほど変化がない。聞き分けの良さが逆に申し訳なく感じられて来た。
脚本があまりに退屈だったのか――読み始めて以来一言も発していない陸朗は、いつの間にか船を漕いでいる。いずれにせよ普段にもまして重い雰囲気の中、未良が肘でノアの腹を小突いて、こっそりと声を掛ける。
「あの、きりかさんのアフターケアもちゃんとしといてくださいよ?ここのところ、結構心に来てると思うんで。ただでさえクラプロのことがあるのに」
「……甘い言葉を掛ければ、それだけ辛い時間が長くなるだけという話もあるんじゃないか」
「振り慣れてるモテ男ぶった屁理屈言うな、バカ!」
語気を強めたとはいえあくまで小声だったが、軽くノアの足の甲を踏み付けて、未良は離れていく。
ノアは嘆息する。
――屁理屈を言ったつもりはない。
これから戦略としてカップルになった意味を追求する以上、きりかへ今までと同様に接するべきではない。
ノアもつい先ほど、スマートフォンを確認して知った。“それ”は過去改変の影響でわざわざ手を打つ必要もなく、既に予定されていたのだ。
翌日、ノアは真琴との「デート」に臨んだ。
脚本のくだり、長々とごめんなさい(笑)
自分でも何を書いているんだろうと思いつつ、多分必要になるのでいっぺんに作ってしまいました。
無駄にならないよう善処します・・・!




