#0 会話:涼霜劉×涼霜壮
巡査部長・涼霜壮は8年前の資料へ目を光らせていた。
「――何のつもりだ?」
背後からの声は至極聴き馴染みがあると同時に、身体の方は半ば条件反射的にその恐怖を想起し、背筋の冷たく凍りつく感覚があった。
涼霜劉。自分と同じ姓を名乗っている彼が壮の人生に悉く先回りしたことで、壮はこれまでの決断の全てを彼に委ねることを強いられた。
「自分の過去を知ってもいい、と俺は許可したか?俺の能力は理解しているよな――今すぐその顳顬を撃ち抜いて、もっと利口なお前を作り出すことも出来るんだぞ」
「申し訳ありません!」
壮は慌てて立ち上がって劉に正対し、深々と頭を下げる。
壮も「クライス・プロダクション」を巡る一件の首尾は聞かされている。自分はその際にも数度殺されて今に至るらしいが、過去改変能力「フレイム」の仕様上、当然その記憶はない。
もっと言えば、「ずっと昔から劉と知り合っている」という確信すらも最近、一度殺されたことで成り立っていると告げられた。
確かに自らの記憶自体は失われているので、否定する根拠こそまるでない。しかし、「体が覚えている」という感覚は記憶の操作云々で覆せるものではない、という“信仰”がある。当初は動揺や恐怖以外に抱く感情はなかった。
そして、壮自身が信じずにいられないそんな感覚が訴えた最も重大で本能的な指令とは、「涼霜劉には逆らってはいけない」という警告だった。なので、自分が今のまま機能することで劉に動機を与えず、いかにこの“今”を存続させるか――それだけが壮の行動するモチベーションたり得た。
「わざわざ脅してやったところではあるが、もとよりお前を気遣うつもりはない。今殺さないのは、殺人の痕跡を警察の施設に残したくないというだけの話だ。殺すならいちいち声も掛けないから、精々安心しておけ」
「……ええ」
上半身を起こした壮の肩を、劉はそのまま横に押しのける。
劉はパソコンのデスクに片腕で寄りかかって、画面に表示された資料を覗き込む。
「それで、今になってこんな記録を探り出した理由を聞かせてもらおうか。『ミライパーク事件』、捜査当初ならまだしも、事件後しばらくしてからの面会など……」
「実はこの面会、相手は笠井皆幸となっているんですが、どうやら僕の母、涼霜真友も同時にその申請をしていたらしく……」
劉は雰囲気こそ寡黙を貫いていたが、それ以前に他人の調子で進む会話へ興味を示さない印象がある。そんな彼にしては珍しく、今回はこちらの話にも黙って耳を傾けているようだった。
「ずっと興味があったんです。ちょうどあの頃は母の勤務先であった『CUSTER』も潰れる直前でしたし」
「メディア・ハザードの端緒、『CUSTER』主導のNFT手数料高騰……。あえて素直に評価すれば、歴史に残る愚策だ」
壮の方へは見向きもしない一方で、劉は一段と抑揚のない口調で語っている。
「マスコミはある意味その裏切りを抑制するために『CUSTER』を報道の基幹として持て囃し、懐柔していたはず。しかしこれでは、マスコミと共倒れするのも当然というものだ」
「昔のことを母へ尋ねるにあたって、当時のことは知りました。当時の母はエリートで出世も早かったそうですが、あの頃以降会社から冷遇されるようになったと。当時の僕は子供ながらに早帰りを喜んでいただけのようですが」
すると劉はデスクから今一度身を起こして、横目で壮の方を軽く睨む。
「本人に直接尋ねたなら、特に知るべきこともなかっただろう。俺の命令に逆らったのは勿論、警察官としての越権行為を犯す必要がどこにあったと言うんだ」
「はい。ただ、母も知らないであろうことで気になっていることもあったので」
劉は黙ったままで、その続きを尋ねようとはしない。もしかしたら、この先の壮の言葉に見当が付いているからかも知れない。
「それで、貴方にもひとつだけ尋ねたいことが」
「答えの見えている無駄な言葉を吐くな。何であろうと、教える気はない」
劉ば目を切って、面会の資料もパソコンの電源ごと落としてしまった。
「僕に余計な知恵を付けて欲しくないから、ですか」
「……言葉には気を付けろ」
「この程度で怒りに駆られるほど感情的な方でないことは知っています」
「――今回は随分生意気に育ったらしいな」
大きな溜息を吐いた後で、劉はこちらに体を向ける。「黙れ」と言わんばかりに眼光を鋭くさせたのが伝わった。
「ジャレッド・ローチというのはただの殺し屋です。あの段階で笠井皆幸や母のことは知らないでしょうし、その上で面会の相手に嘘を吐いた。事実関係の撹乱が狙いだったということは分かります。恐らく、面会の相手も事情を知らないということを見透かしてのことです。つまり、名前が登場したとはいえ母の関連はそこまで見られなかった。そのことは確認できました」
壮は暗くなった画面の方へ目をやる。
「文字起こしされただけの資料でしたが、あれを見て何より気になったのは面会の相手、笠井皆幸名義の男です。この男が面会で実際に名乗っている名前――貴方は僕とも近しい過去を持っているはずですが、覚えはありませんか?」
劉の口が僅かに開く。ただ実際に言葉が飛び出すまでの間に、僅かながら遅れが生じたように窺えた。
「お前の方はどうなんだ?」
「他の記憶と同様、覚えてはいません。しかし、徐羅寧と同じ姓……というだけではなく、何か気に留まるものがあります。これは推測ですが、もしこの後僕が過去を改めて確認すれば、彼が誰なのかいずれ分かるのではありませんか?」
劉は少し思案した後、小さく呟くようにして尋ねる。
「――牙隈岼果のことは?」
「牙隈岼果、ですか?」
「そうだ。何か記憶していることはあるか?」
「勿論知ってはいますが、特に僕と接点があったという記憶はありません」
「……そうか」
劉はゆらゆらと軽く頷いた後で、また少し考える仕草を見せる。
ただ、やがては普段通りの不遜な様子に戻った。
「もう一度言うが、最低限以上に俺の口からお前に何かを説く気はない」
劉はこれも普段通り、淡々と告げる。
「お前の言う徐羅寧と話していると、奴は偶に『無知の知』というフレーズを用いる。しかし俺に言わせれば、そんな概念は自己の脆弱な人間に向けた尺度に過ぎない。往々にして知識欲というものは未知を怖れる生存本能、存在不安を根本とする。ならば、抑圧の外にいることを自覚した人間は無知を認識する必要がない。受容することも可能ということだ。
それで、お前にはその資格がある。俺がこの手で殺せる限り、お前の生は誰よりも確かに保証されているということだ。盲信で結構。その事実にさえ依存していればいい」
劉が今の瞬間、何かを隠したと言うことは明らかだった。
また、劉は賢い。今の態度は忠実な手下でも納得できるものでなく、相手が反論してくる可能性も頭を過っているに違いない。その一方で共感性の低い男であることに違いはないので、壮の“愚かさ”という点については測りかねているように映る。
「待ってください!」
壮はある意味その賢さに付け込む形で、ここしかない機会での追及に打って出る。
「『浅子理論』のことは聞いて把握しています。それを踏まえ、架殻木ノア――『ディファイル』に注意する重要性を説明したのは貴方でしょう?貴方こそ、それほどの自信を持つ根拠がどこにあると言うんです?」
「まだ理解していないとはな。俺が存在することについて、自分自身で根拠を欲したことはない。時間をかけてまで“無の過去”を手に入れたのも、それを踏まえて自分を赤の他人に信用させるための策だと説明したはずだが」
「『編綴コード』、ですか?」
先日壮へその存在を教えたのは、他の誰でもない、この涼霜劉だ。しかしそれに改めて言及した途端、劉の顔は一段と険しくなる。
「……狡い話術だな」
劉は表情をそのままに、脇のデスクへ拳を叩きつける。
「あまり舐めるなよ。お前が勝手に解釈して自分で納得する分には構わないが、事実としてそれは全くの無関係だ」
「しかし――」
「あれは取り巻きの徐羅寧でさえ忌み嫌う類のものだ。縦しんば有り難がる人間がいたとしても、所謂“当事者”くらいのものだろう」
壮の言葉を遮る際に、劉の語気が僅かに強くなった。
劉にとって“涼霜壮”とは、誕生の経緯からして原則は殺意の対象だ。言葉の意味こそ理解できなかったが、それ以上聞けば彼の辛抱が続かなくなるのは明らかだった。壮は半ば恐怖のままに口を閉ざすしかなかった。
「もう良いだろう、要件を話すぞ。と言っても、俺が口で要求を言う時点で、大した指示でないことは分かるだろうが」
劉は壮から背を向けて、ゆっくりと場を離れながら言う。
「『サク』、架殻木ノアのことだ。直接忠告はしたが、あのまま奴が黙っている筈もない。後手に回るのは気に入らないが、こちらのやることが向こうに見え透いている分、出方を伺わなければ足元を掬われる。出過ぎた真似をさせないよう自分の権力を使って行動は抑制しろ。部下が強引な手段を拒むなら、都合良く動くように俺が過去を植え付けてやってもいい」
「……分かりました」
「先日の包囲された状況を乗り切る事もそうだが、お前には現場での小回りが利くように今の立場を与えている。記憶を繋ぎ止めていたいなら俺の想定通りに動け」
壮は頭を下げる。
自分自身の為、やはり壮は劉の意に沿うしかない。彼の目的は“神”、つまりは自身の手で時空を掌握することだ。
いずれにせよ方針の中心であるのは劉曰く、彼自身を含めた4隻の「船」の主。これらを制御下に置くことが、「浅子理論」に基づいた劉による世界を実現する為の絶対条件だ。




