#13 生生流転
その場に残っていた渥美駆真は拠点の中へ連れられて、室内の隅の方で自分の状況について考え込んでいるようだった。
「なるほど、敵はそれほどのものか……」
「理解できたことはあるか?」
ノアは宮尾麗音と共に駆真の元へ様子を確認しに歩み寄る。
「ま、それなりにはな。逆にさ、君はどうなんだよ『サク』」
流暢に豪語した駆真を前に、ノアは無反応を貫徹する。しかしその実、衝撃のあまりに身を硬直させただけだった。
「俺は君が、なぜか宮尾を通じて連絡を取ってきたと思ってる。そして今見たら、ついさっき投稿された『サク』の文章がこれ。俺が“離隔”の黒幕を追ってここに来た、って。俺自身動機に心当たりがないのは“離隔”を俺自身が喰らったからっぽいけど、不審なのはこの投稿そのものだ」
駆真の突入のきっかけは、麗音が手引きした筋書きになっている。これはノアにとって不利な状況と言えるだろう。直前まで、スパイであった麗音はノアとの接触を駆真へ隠していたはず。まだ詳細を確認できていないが、今度の経緯を麗音が簡単に受け入れている時点で、3人の関係はノアの記憶にあるものと異なっている可能性が高い。
「俺が『サク』なら、投稿をお前が確認することは分かる。疑われたくないのなら、わざわざ俺が関係している場所のことについて言及するとは思えないが」
ノアは平静を装って応答したはずが、駆真の反応はそれを一笑に付すだけだった。
「もういいって、そういうやり合いは。あの投稿そのものが鍵ってところだ。実際に“離隔”を受けてみて、自分の突飛な推察を信じてみる覚悟がようやくできた」
ノアが言葉に詰まっているのを見ると、駆真はまた大きく笑い出した。
「あー、別にいいんだよ。今答えを聞きたいわけでもないし。ま、そのリアクションでわかったようなものだけどな」
「それは、まあ……。助かる」
ノアは頭を掻きながら、辛うじてそんな言葉を吐き出した。今や、この渥美駆真に警戒を向ける余裕はない。しかし人間として信用に足るとも思えず、だからこそ優位を取って関係を継続させたいという思惑がノアにはあった。しかしそれは、彼がそれほど容易い相手ではないということを改めて思い知らされるだけに終わったようだった。
「借りができたこの状況で探るようになって悪いが、気になるのはお前の目的だ。確証を得るために、お前の口から聞いておきたい」
「お察しの通り、徐羅寧だよ。奴の旧姓は渥美。俺は姉貴の――あの女の敵だ。『ABY』に近づいたのもシーカーズを追うため。今媚を売ってるのは、それで奴らを出し抜くためだ。まあそれで言うと、『サク』のことも裏付けが取れ次第売っちゃえば話は早いってことだな」
駆真が半笑いのままこちらへ詰め寄るが、ノアは後退することなくその場で彼の両目を睨み続ける。その様子を目の当たりにして、駆真は再び破顔する。
「そう凄むなよ、誰にも漏らさねーって。ちょっと匂わせるだけで簡単に俺の人生ごと弄って来そうだしな、お前」
「そうだな。口でどれだけ言ってもお前の言うことだと信じられる気もしない。打つ手は早い方がいいかもしれないな」
ノアの方も薄ら笑いを浮かべて、相手の胸の辺りに人差し指を突き立てて見せると、向こうも似た表情を向けながら身を起こして、ノアの指から離れてみせた。
「それはどうも。でも勘弁な、どのみち君の下で尽くすような義理はない。それと、君は何事も信じやすいバカを置いておきたいんだろうし。ご期待には添えられそうもないってな」
そのまま駆真は身を翻して、入り口のドアノブに手をかける。
「じゃあな。無理矢理自覚もなく引き込むくらいなら、直接連絡しろよ。利害によっては考えてやるから」
「ああ、それじゃあ私も。もう遅いし帰るよ」
駆真と麗音の撤収を見届けて、ノアは頼もしさと危うさの両方を感じていた。当然、矛先が自分でないのならそれ以上のことはないが、まだノアはその徐羅寧という人物に対面したことがない。涼霜劉と協力しているようではあるが、彼女自身の思惑があるかもしれない。そして底知れなさで言えば、駆真に関しても同様だ。彼が『サク』に一切の敵意を持っていないなら、今日に至るまでお互いに探り合うことはなかった。口ではああいったやり取りになったが、共闘の可能性を残しつつ、まだそれが確定していないことを考慮しての落とし所だということは、ノアと彼の間ではお互いに理解しているところだった。
「あのー、ノアくん」
「牙隈か。お前ももう帰れ」
精神疲労を隠して普段通りに顎で促したはずが、今度の未良は何故か眉を顰めて、口を尖らせた。
「あ、早速忘れてる!さっき、きりかさんに対してみたく下の名前で呼ぶって約束しませんでしたっけ?」
「何の話だ?」
「いや、さっききりかさんと私が話してたとき!私が不平等ですよねって話してたら、きりかさんからお願いされちゃってたでしょ?それでノアくん、『仕方ないな』って!」
――勝手な真似をしてくれたものだ。
ノアは未良から目を逸らした。恐らくは、先ほどの投稿で駆真と警察を呼び寄せたとき。過去が変わったことで、劉がこの場に現れるまでの出来事にも当然多少の影響があった。劉との会話を省くことで何も知らないきりかの記憶から様々な疑念を取り除けたこと、そして未良ときりかに自分が見たものと概ね同様の和解が為されていたらしいことには安堵するが、ノア自身の過去にもまた、思わぬ影響を与えていたらしい。
「……そうだったな。……未良。今日のところは帰るんだ。俺も珍しく、家で休みたい気分だ」
ノアのぎこちない様子を見た未良は満足そうに笑いかける。
「ここって複数人寝泊まり出来そうですし、私は帰らなくても良いですよ。なんたって私、ノアくんにとってはさぞ“置いておきやすい”部下でしょうからね」
「さっきの話、聞いてたのか……」
「まあ今のは冗談で、私もすぐ帰ります!きりかさんがノアくんと少し話したいらしいから、それを伝えようと思って。でも、寝泊まりはNGですからね?それは、部下の特権です」
「誰にもそんな権利を与えた覚えはないんだが……」
「あ、それとノアくん」
すると、未良は悪戯っぽく笑顔で顔を寄せてきた。
「下の名前の話、嘘でしたー!」
「……は?」
ノアの呆気に取られた顔を見てか、大袈裟なほどに腹を抱えて笑う未良。
「あははは!可笑しい、ノアくん、もしやとは思ったけど、やっぱり騙される側も慣れてなかったんですね!もう受け入れちゃったから直してもダメですからね、今後未良って呼ばないと答えてあげませーん!今みたいに『……未良』って!」
ノアを真似ているのか、未良は顔を顰めて低い声で言ってみせる。
「お前、あまり調子に乗るなよ?」
ノアが比較的純粋な苛立ちのまま、未良を真っ直ぐに睨むと、また未良は笑みを浮かべて返す。しかし今度はそれまでと異なる――或いは出会って以降、こちらへ幾度となく向けてきたどの表情とも質として異なる――奥行きのようなものを備えた笑顔だった。
「大丈夫。ノアくんには劉さんなんかよりずっと強い自分を持ってるから。今はちょっと辛い気分かもですけど、絶対立ち直れます」
「……そうか」
ノアは肩の力が抜けて、その言葉にただ頷いた。嘘をつかれた直後ではあったが、これまでの未良の言葉では最も信頼のできるものに思われた。
「それで、こんな時間にどうして二人で話そうと?」
未良を二人で見送った後、ノアは早速きりかの隣を向いて尋ねる。
「それは……」
「お前にとって最も残酷な事実だったことは分かる。でも、俺は最近お前と再会したばかりだから。励ましの言葉を軽率に投げかけるのが正しいとは思えない」
「分かってる、その話じゃないよ。だって“今の関係のまま”じゃ、ノアくんの言う通り。私は、結局ずっと独りだった。自分だけで何とかしようとしても、今回みたいに裏目に出るだけ。だからノアくんとはもっと深く、お互いを理解し合えたらいいなって思うの」
「しかし……」
ノアはわずかに視線を逸らした。クラプロと「ABY」の関連や、そこから朧げながら明らかになってきた社会や敵の全貌――ノアにも劉にも、あるいは「ABY」にも、クラプロを中心とした動きは決着を迎えようとしている。「サク」として残された手順は、通例通りだと“痕跡の消去”のみだ。きりかが自分の身を顧みずに拘ったそれを、間もなくノアは無理矢理消し去ってしまう。そうなれば、今後何食わぬ顔で彼女に接することはできない確信があった。
「8年前の、あの時と同じ後悔は繰り返したくないの。今度こそ、もっとノアくんと通じ合いたい!」
「それが、本題なのか?」
「そう。私ね……。ひとつ、ノアくんに言いたいことがあったの」
きりかはノアと手の届く近距離で対面していたが、その分俯いて隠している表情がどうであるかは判別が難しい。
「あのさ――」
そして続いたこの一言だけが、彼女から目を合わせて放たれた言葉だった。
「ノアくんは、『サク』なの?」
ノアは反射で口を開いたが、言葉の方がそれに伴わなかった。
「ねえ、答えてよ!正直に!」
頭の方は懸命に回転させていた。劉との交わした会話全てを認識したままならば――恐らく「サク」の投稿があるまで、きりかがそのことを察するのも難しくないだろう。しかし、それはあの場で塗り替えられたはずだ。「サク」としての嘘投稿で改変を起こせば、目の前にいる人間に対してもその時間帯に「ABY」のアプリを見せないだけで、狙った相手の過去を確実に変えられる。ノアの能力には逃れる条件があるが、そもそも嘘を言う場面へ関与させないことで失敗するリスクを絶っている。きりかが過去改変の様子を知覚した可能性は万にひとつもない。
「お前、それは……」
「何かね、少しそんな予感がしたの。クラプロで二人きりになって話したときのことだよ。あのとき、私は昔のノアくんを垣間見た気がして、それから全部が腑に落ちた感覚になった。何か、凄く大きな殻に閉じこもっているような雰囲気。もう染み付いちゃってるその言葉も行動も、全部が嘘であって、強がりなんだって。それから改めて『ABY』を見たら、途端にあの『サク』にも同じ感覚を覚えた。それこそあの涼霜劉さんみたいな、毅然であって無機質で、人間味のない偽りの姿が、そう見えて仕方がなかった」
言うまでもなく、「サク」としても過去にないピンチが訪れていた。
駆真に言い当てられるのとは、全く勝手が違う。
「ごめんね、急に。めちゃくちゃなことを言ってるのは分かってる。私の直感以外だと、共通点なんて“情報屋”だってことくらいだし。きっぱり否定してくれるなら、それでも良いの。ただ、私に対して正直に、気持ちや考えを全部話して欲しい。私もノアくんにそうしたいって思ってる。そこまで出来たら、やっと“絶縁”状態を終わりに出来る。孤独から抜け出せるかなって思うから……」
「俺は――」
きりかとは敵対関係にない。ここは未知のリスクを回避して、潔く認めた方が賢明に違いない。
揺らぐ。ここでノアは、初めて自分の傷心を自覚していた。
「必要がない」。これが8年越しに現れた涼霜劉の、先ほど自分へ突きつけた認識だった。彼との因縁は今日にして遂に終わり、「サク」という存在がどんな姿をしているか、途端にイメージできなくなっていた。その影は枷であると同時に、ノアの指針でもある。広大な砂漠に解き放たれたような不安感を味わっていた。
しかし、それは受け入れ難い選択でもあった。
「俺は、『サク』じゃない」
ノアは意を決し、目を見開いて言葉を絞り出した。
「元々『サク』を追って、渥美駆真が目当てでクラプロを調べようとしたんだ。だから、俺はお前のことを優先できる。『サク』じゃないから、お前の傷を癒す為に努力できる。お前はこれ以上、辛い思いをしなくて良いんだ」
賭けではあったが、それはきりかならば見抜けると確信しての嘘。絶対にきりかを「サク」に触れさせないという断固たる意思表示だ。たとえ関係が修復できなかったとしても、これこそが「架殻木ノア」自身の選択だった。
ノアにとって「サク」がどうなろうと、本当はどうだってよかった。もし正直に「サク」のことを明かしても、彼女はノアのために黙っていてくれるだろう。しかし、これがノアの贖罪であることに変わりはない。今の劉は劉であって、ノアの見た「涼霜壮」とはやはり別の存在。価値観は今までと何も変わらず、自分自身の時間はあくまで一直線。自分は劉と同様で、確かにあのとき涼霜壮を消した人殺しだ、と。彼女にそれを明かして、共犯にさせるわけにはいかない。これまでもこれからも、「サク」として味方を増やすことはある。それでもノアの意思として、きりかに対してだけは譲れない、と思った。
「そっか……。私、今度こそ君のことを信じて良いんだね?」
「……ああ」
――これも、嘘。
つまらない意地だという自覚は、ノアにもある。
そしてそんな意地を後押ししたのは、未良の言葉。未良はノアが涼霜壮のなり代わりでないことを、一貫して主張していた。それを励みにすることが自分の「架殻木ノア」と「サク」を分けた考え方と矛盾しているという自覚も同様にあったが、ノアは間もなくその発想を決意で抑圧する。
対するきりかは“それ”の起きる直前まで、確かに神妙な面持ちでノアの言葉を受け止めていた。またしても、ノアはその素振りから一転した反応に不意をつかれることになる。
「良かった……。本当にありがとう、ノアくん」
屈託のない笑顔――それが正常に視認できたのは、ほんの一瞬だった。自分自身の持つ全ての感覚器ごと、時が止まった、という確かな実感があった。肉体全てが痛みを伴わず空に塗りつぶされるように感覚を失い、意識も森羅万象に溶けていくような気がした。
これはまず間違いなく、ノアの嘘が適用された結果。
侮っていた。きりかは発言上疑惑の範囲、ということに留めていたが、それを言及するのに必要な覚悟を考えれば、本来この程度の言い逃れで納得できるはずがない。その上で、彼女はノアの言葉をあえて盲信したのだ。
昔からそうだ。彼女にとってノアの言葉は大概の場合、嘘と認識されるものではない。たとえそれが事実と異なっていたとしても、彼女にとっては信じる価値のある“宣言”。きりかとはノアが嘘を吐き続けたことを知りつつ、それでもなおノアの発言による意思の表出を初めから信じて、騙されることのできる稀有な存在であった。
理解し合える、孤独を脱却するための相手として拒絶されたとしても、彼女が選択したのは自分の為の代替可能な他人でなく、架殻木ノアというかけがえのない個人。この視界の歪みと遠のく意識は、彼女のノアに向けた感情の証左だった。
そうして焦りすら感じられぬまま、まもなくノアの意識は時空の彼方に放り出された。
ただ、感覚として直後。早々に彼は目を覚ます。
自宅のベッドの上だった。意識の混濁する心地悪さを一度リセットさせたのは、スマートフォンのアラーム音。カーテンの隙間から光が漏れ出していて、ようやくそれが“普段通り”の朝であることに合点がいく。
アラームを止めてすぐに洗面所に向かい、顔を洗って鏡に映った自分の顔を眺めた。
やはり、特段異常は起きていない。
――小学校教諭・徐羅一判。これが俺だ。
ここまで読んでくださっている方、本当にありがとうございます。
次章ですが準備や様々な理由から、更新をお休みします。再開は12月下旬予定です。
短編「イカロス」を公開しました。( https://ncode.syosetu.com/n1770in/ )今作で触れた設定を題材としているので、そちらの方もチェックしてもらえると嬉しいです。




