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VGOO(ボーゴ)〜嘘の導く並行世界渡航〜  作者: 喫痄
プロローグ/クライス・プロダクション編
10/59

#9 囚われるもの:晩夏

【前回までのあらすじ】

現在から8年前、夏のある日。当時11歳の架殻木ノアは周囲に溶け込めておらず、その日も夏休みながら友達との約束はなかった。しかし父と話す中で意地になって、普段持たされているスマートフォンも置いて家を飛び出す。行った先の公園で笠井希理花と、図書館で涼霜壮と遭遇すると、三人で希理花の父が30年前に隠したというタイムカプセルを探すことになる。改竄された「ノアの方舟」の一節の通りに入手方法の指定に従うも、最後の手順になって壮への対抗意識が増長したノアの不用意により、手順の全てを終えた瞬間ノアと壮の意識が失われる。目を覚ますとなぜか時間は夜へ、場所は線路脇の茂みへ二人とも飛ばされていた。希理花と連絡を取るために壮へスマートフォンを使うよう促されたが、手元にないので嘘ではぐらかす。すると、なぜかノアのポケットの中に無かったはずのスマートフォンが出現した。

 驚いてスマートフォンの全体を舐め回すようにあれこれ確認するノアを、(そう)は不思議そうに眺めている。

 間違いなく、置いて来たはずの自分のもの。まずは壮に対し取り繕う為にバッテリーの残量を確認するが、それ自体は出まかせなので当然問題はない。

 ノアは自らの感覚からして、確かにその場にスマホが現れたと感じていた。柔軟なノアの若い頭脳は、自分の身に起きたことが超常的なものであることを受け入れる一方で、その因果を結びつけたのがどういった法則か理解しようとはしなかった。置いて来たスマートフォンがここまで瞬間移動したのが、特殊なポケットのせいか、スマホ自体のせいか。あるいは欲しいと願った自分自身の力か。

 しかしそんな小学生の想像力にしても、希理花(きりか)から着信があったか確認しようとスマートフォンを起動したところで、11歳なりの正常性バイアスに囚われることになる。

 母・ゲルトラウトからの着信が数件、それも時間の経つごとに段々と高頻度に増えていることから事態は察せられた。もし家にスマートフォンがあったならゲルトラウトがその位置情報を確認しているはずで、この挙動はありえない。

 ――置いてきたつもりがつい癖で、スマホを持って出てしまったんだ。

 夢想はそこで引っ込めて、ノアはゆっくりと起き上がった。


「――よ、良かったあ……!気付いたら二人ともいなくなってて、私どうしようかと思って……」


 希理花は呼び出し音を聞くまでもない早さで電話に応答してきた。


「ああ、ごめん……。そういえばタブレットどうした?」


「大丈夫、二人の走って行った先に落ちてたのを拾ったから」


「そっか。今もそこにいんのか?」


「えっと、実は交番にいて……」


 希理花の話によると、彼女は二人を探そうと交番を訪ねたらしく、その場で待機しているらしい。ゲルトラウトから連絡があったのも、巡査の指示で希理花から彼女の親を通じて安否の確認があったからとのこと。


「今、どこにいるか分かる?涼霜(すずしも)君は一緒?」


 その場にいる巡査から何かを伝え聞いたのか、少しの間があった後で質問する。

 それを横で聞いたのか、壮は電話に当てていないもう片方の耳へそっと伝えた。


「線路を跨いで交番へ行くより直で帰った方が楽だ。俺は先に帰る。今帰れば塾のサボりはバレないだろうしな」


「え……」


 有無を言わさず壮は線路沿いの道路に出て遠のいていく。

 ノアはひとまず希理花に言われた通りのことを伝える。ひとまず交番で集合することを約束してから、小走りですぐ彼に追いついた。


「何だ?」


「道が同じなだけだよ。というか、こんな目に遭っといて普通に一人で帰るっておかしいだろ?」


「なんだ、お前はそんなに怖いのか?」


 ――こいつ。

 ノアが怒りを抑えるのに必死な一方で、その間も壮は印象の通り、二人でいるとまともに会話を繋げようという気も無い。ノアにしても、何故かそれに対する気持ち悪さを覚えなかったが、何かの拍子で堰を切ったように、言葉が口を衝いて出た。


「とりあえず、これ以上ムカつかない内に正直な話をしておく」


 壮はこちらに目線だけ向けて、特に言葉を返す様子はない。


「今日はごめん。俺、つい意地になるから変に突っかかって、結局大変な目に遭わせた」


「……別に」


「は?」


「どうでもいいと言ったんだ。考えてみれば、危険性も自分で理解できていたのに、お前なんかの為にわざわざ巻き込まれてやった俺が馬鹿だっただけだ」


「お前なあ……!」


 言い争いになりかけたところで踏切まで辿り着くと壮は足を止め、表情を変えずに呟いた。


「ほら、交番行くならここだろう?」


「……そうだな。じゃあまた、2学期に」


 ノアは一睨みした後で踏み切りへ目線を変えていたが、何故か壮はその場から離れず、そのまま話を続ける。


「お前が自分を大きく見せたがるのは、自分の小ささを自覚していて、自信がないからだ。そうやってもがく様に異性として魅せられる変わり者もいるらしいが……。俺までにそれを求めるな。幼くて薄ら寒いとしか感じられない」


「……なんだよ、とっとと帰れよ!自分のことなら、俺が一番知ってる!お前みたいに金持ちじゃねーし、頭も良くない!嘘をついてる俺が悪いのは分かるけど、それもレッテルを払拭する為だ!」


「何だと……?」


 電車が過ぎ去って踏み切りは開くが、壮の語気が強くなって、ノアは驚いて振り向く。静寂の中、彼の目付きが鋭くなるのは暗さを(つんざ)いて伝わった。


「親の資産や頭脳――俺の存在をそんな低次元に定義するなら、それこそ酷いレッテルだ。俺を示すのは言葉であり行動だ。俺自身の意思が為すもの以外を認めはしない」


 ――その言葉がまさにナルシシズムとして解釈できることについては、ずっと後になってから気が付くことになる。

 しかしこの時のノアにとっては、その立ち振る舞いにこそ心の引き込まれる感覚があった。


「わかんねえよ。じゃあ、お前の自信ってなんなんだよ」


「……愚問だ。虚言癖を好きになる変わり者もいると言ったろ。俺はお前の人格を否定するが、嘘を吐くことを否定したつもりはない。精々この言葉の意味を考えろ」


 踏切が開いたが、最後に壮は後ろにいたノアの方へ振り向く。


「自分で何かを決めるのに、自分で考える以上の方法があると思うか?決断の度根拠として(すが)る程度の自信なら、俺はその概念ごと必要としていない」


 壮はそこまで言うと、ノアに見向きもせず暗闇に消えて行った。



「――はあ、これに()りたら気を付けて遊びなさい?それと基本的には誰か、保護者の方を必ず同伴させること」


 巡査の注意を受け、ノアは再会した希理花と帰路につく。


「そういえばノアくん、お母さんかお父さんに連絡した?」


「あ、そういえば……」


「もう、絶対心配してるよ?また通報される前に掛けてあげた方がいいよ」


 希理花を横にゲルトラウトへ電話をかけると、今度も呼び出し音を聞く前に応答がある。


「ノア!?ノアなの!?」


「あ、うん……」


「……全く、心配かけて。まあ、無事なら良かったわ。結局のところ、何があったの?」


 何があったか。詳しいことはノア自身の口からも説明できず、それ故の(わずら)わしさはあった。もしあったことのままを伝えても、むしろ疑わしく思われるような体験だ。

 それは壮にしても同じだろうが、ここで本当のことを話さなければ、恐らく壮は親に今日の受難や塾に行かなかったことについて、万一にも(とが)められることはない。息子の言う通り外出していたからだろう、壮の親へは希理花の親からの連絡が通じなかったという。

 ――それらのことを考慮した。二人の運命を歪曲させるにしては、あまりに安い判断によって、ノアは淡白に返答した。


「大したことじゃなかったんだよ。希理花と遊んでて途中ではぐれて、合流しようと思ったけどスマホも途中で落としちゃっただけ」


 その瞬間気が付いたのは、意識していなかった程の弱い風が、スイッチを切り替えたかのように風向きを変えたことだけだった。

 ――涼霜壮がクラスから存在ごと姿を消したこと、そして自分に力が宿ったこと、それが何であるかにノアが初めて気付いたのは、しばらく経って2学期が始まったタイミングだった。




「ねえ、ノアくん……」


 物思いに(ふけ)る間に時間は過ぎて、2学期の始業式は終了した。

 ランドセルを背負って希理花は、着席したまま帰り支度をするノアの机へ両手で寄りかかっている。

 事態を飲み込めず不安げな彼女の言葉はノアの耳にも入っていたが、応じる気になれなかった。

 クラスから壮のいたはずの席は無くなり、出席番号順で取る出欠確認も、彼のところが飛ばされていた。


「私、出欠のときイチバン先生に聞いたよね。『涼霜くんはいいんですか』って。クラスメイトのみんなも先生も、言ってる意味が分からないって反応だった。なんか変だよ、みんな涼霜くんのことを忘れてる」


 希理花は一度息を呑んだ後で、小声で続ける。


「ノアくんは、突然いなくなったあの後、涼霜くんと一緒にいたんだよね……?」


「まあな」


 ノアが冴えない反応をするに耐えかねたのか、困り顔のまま僅かに目を細めて、こちらへ更に顔を近づけた。


「ノアくん、おかしいと思うよね……!?なんで焦ったりしないの……!?」


「まあ、大丈夫だろ」


 言いながら、ノアは立ち上がる。それがただの強がりではないと感じ取ったのだろうか、希理花は何か言いたそうにしていたが、動揺して言葉に詰まった様子だった。


「じゃあまた明日な、(かさ)()


 彼女の追ってくる前に、ランドセルを背負ったノアは走って教室を飛び出す。

 自然と、笑いが(こぼ)れていた。自分が夢のような力を手にしたことを実感して、辛そうにしていた希理花の前では気を遣って強張らせていた表情が緩んだ。

 恐らくは、気を失って記憶が抜け落ちているあの時だ。考えてみればあの日は意識の飛ぶ奇妙な感覚があって、それが覚醒の予兆だったのかもしれない。そうではなく希理花の父が用意したタイムカプセルの“船”がこの力を指していて、消えた壮もまた同じ力を宿していたのだとしたら、様々な謎が残ることを自覚していたが、そういったものも一切苦難だと思えなかった。確信めいた全能感の心地よさのまま、ノアは通学路を軽やかに駆けた。


「ただいまー」


「おう、おかえりノア」


 帰宅して意気揚々と自分の部屋へ戻るが、やがて不安そうにしている希理花が不憫(ふびん)に思われて、出迎えた(れい)()の方へ戻る。


「そういえば父さん、夏休みの絵日記見てくれる?」


「何だ、今日提出じゃないのか?出来てるなら見せなくてもいいぞ」


「ああ、実は家に忘れちゃって。せっかくだし今持ってるから、念の為読んでよ。どこか文章間違えてたら恥ずかしいし」


「……まあ、別にいいけど」


 嶺二は警戒せず信じたが、絵日記は今日既に提出した。しかし部屋に戻ると、学習机に日記帳が置きっぱなしになっている。

 日記帳を自分で改めて振り返るが、力を宿したあの日の夜、壮の消失を知らずに書いた内容はそのままだ。当然、内容は壮を(かば)う程度でほぼ嘘はなく、あったままのことを記している。


「はい、お願い」


 嶺二は不思議そうに絵日記を流し見する。

「能力が備わっている」と自覚して以来、どういう訳か扱いの勝手が自ずと体に馴染むのが分かった。今回の場合、壮そのものが存在しない時点で、覚えのない名前のせいで彼から十分な信用が得られないかもしれない。しかし、絵日記という記録を通してなら、その存在は比較的説得力をもって伝わるはずだ。


「それじゃあ俺、学校挟んで向かい側の公園まで行ってくるから」


「随分遠くまで行くんだな。どうしたんだ?」


「涼霜壮って、クラスメイトの奴と待ち合わせしてるんだ。ここにも書いてるだろ」


 ノアはページをめくって、黒髪の男児が下手に描かれた日を指さす。


「はあ……」


 嶺二は日記を見て何か考えていたようだが、疑っているようには見えない。ただどこか勘付いた部分もあるようで、残りのページは大して読まずにこちらに返した。


「――まあ、前みたく遅くならないように気を付けろよ。せっかく良い友達が出来たんだから、優しくな」


「友達なんかじゃねえけどな」


「ああ、そうか」


 嶺二は優しく笑って返す。


「じゃ、行ってくるから」


 ノアは軽く支度をした後に再び家を出る。

 ――これで問題ない。


 あの日、希理花と偶然鉢合わせたのと同じ公園。同じ場所に行き着いていても、その経緯も気分もまるで違っていた。

 そして嘘によって待ち合わせたことになっている「涼霜壮」も、間もなくその場に姿を現す。


「あ、()(がら)()君」


「……誰?」


「え?」


「名前は?」


「何言ってんの?涼霜壮だけど」


 全身から血の気が引く。

 まず間違いなく、それは嘘で指定した「涼霜壮」そのもの――しかしそれは、ノアの思い描いた「涼霜壮」とは全くの別人。顔立ちも背格好も目つきも雰囲気も、ノアの想定とは(ことごと)く異なっていた。

 そしてそれが何を意味しているのかだけは、手に取るように理解できた。

 あの日ノアが実現してしまった世界は、自分の知る「壮」が「初めからいなかった世界」。この世界で「涼霜壮」という個人名を指定したところで、それは無から有を生み出す作業をやり直すのであって、無限大の乱数から都合良く同一の結果を選び取ることは不可能だ。仮に嘘を交えて顔立ちや性格や境遇、条件を絞ったところでその結果に大差はない。どれだけ周囲の環境を書き変えられても、ノアの認識が一元的な時の流れであることに変わりはないのだ。

 動転した心はさらに渦を巻いて、今度は全身から汗が吹き出す。自分の能力に思い当たるものがあって、夢見心地でいた数分前までとは違う。自分のしたことに対する整理が追いつかない。


「あ、ちょっと――」


「壮」の制止には聴く耳を持たず、半ば衝動的にノアは公園から逃走していた。


 ――俺が壮を消した。

 その一つを受け入れようとするだけでも、苦しさと混乱、そして滝のような汗が服の重さへ変換されて体にのしかかる。

 人を殺したようなものだ。でも、問題はその罪以上に、それを裁いてくれる人間がいないということだった。ノアは今後何をしても、この世界で罪を清算することができない。罪悪感に対して、今後自分は一生向き合うことになるという確信があった。

 何しろ、この“嘘が本当になる能力”の中で最も厄介なのは、逃げ出すことができないということ。その実態が“二度と嘘がつけなくなる能力”であるからだ。

 拭えない罪過を前に、それまでに経験したことのない程に湧き上がった自信が、刹那(せつな)にして裏返る。烙印(らくいん)を刻まれた今、「壮のように自信を持って生きる」ことは、以前にも増して縁遠い生き方になり、絵空事と化しつつあった。


 行く当てもなくて自宅まで戻ってくると、表札の前で待ち伏せている人物があった。世界でたった一人ノアへの“執行人”たり得る少女、笠井希理花だ。


「どうして……?」


「あ、ええと。ごめんね?偶々通りかかっただけなんだけど……」


 髪を触って目を逸らす希理花の横を通り過ぎて、家の門の内側へ入る。


「涼霜壮は死んだ」


「死んだって――え!?涼霜君が?どういうこと?」


 彼女に頼み、無理にでも私刑を委ねて清算するか、“現代科学的潔白”という十字架を背負い続けて生きるか。

 その判断も含め、何もかも委ねたくなったそのとき、ふと壮の言葉が過る。


『自分で何かを決めるのに、自分で考える以外の方法があると思うのか?』


 ノアはドアを開く前に、一度だけ振り返って希理花に目を合わせ、呟いた。


「これは嘘、ってのとは少し違う。分かるだろ。これはただの()()()だ」


 自身の記憶が覚えている限り、これが笠井希理花とのまともに交わした最後の会話になった。


 考えてみれば、あの日の奇妙な体験を改めて考察する余地もあるだろう。結局、ノアに力を与えたのは何だったのか。そして、誰だったのか。

 しかし現在に至るまで、ノアにとってそんな考察が無意味であり、その日以来のノアの指針と行動が、ルーツへ不用意に踏み込めるほど軽率なものではなかったのもまた事実であった。




「――あの、ノアくん」


(さえずり)きりか”の呼び掛けがあって、ノアは我に返る。

 形はどうあれ(かる)()を出し抜いて応接室で二人になり、いざ彼女から詳しい事情を聞こうというところで、唐突にこの写真を見せられたのだ。しかし、今のきりかはこの男――「涼霜壮」とノアに親交があったことを知らない。あの後、ノアはきりかの記憶を消して転校することで距離を置いたからだ。ここは平静を装うことに努めなければならなかった。


「悪い。……この男がどうしたんだ」


「私がこの人と会うようになってから、(あつ)()さんの言う“離隔”がクラプロで起き始めた。――全部私の責任なの」


「“離隔”の犯人が涼霜壮、か。しかし、少なくとも経緯や動機のところを聞かない限りはな……」


 ノアは写真から目を離してきりかを見つめる。彼女はその視線の含蓄を汲み取ったようで、息を呑んだ後、ゆっくりと切り出す。


「君も、“情報屋”なんだよね」


「……ああ」


「ごめんなさい……。やっぱり私、何も教えられないよ。君は、この8年で――いや、私に唐突に絶交を告げたあの日から、人が変わってしまった。もう私の知ってるノアくんじゃないもの」


「お前に何が分かる……」


 全身を強張らせてもなお、自然と言葉が口を衝いた。


「ノアくん?」


「こうするしかないんだよ……。あいつへの贖罪(しょくざい)と、あいつの遺志を汲んで前進することを両立する方法が、これ以外にあるか……?」


 「あいつを俺の中で生かせば」。無常感のままに更なる不用意な文言が続くのに気付いて、ノアは無理矢理口を閉ざす。その不自然な間隙は表情を見るに、きりかにも感知されたらしい。


「とにかく、そんなのはお互い様だ。お前も随分変わったよ、そうやって一人で解決しようと強情になる辺りはな。昔の誰かを見ているみたいだ」


 ノアは一度深呼吸した後にきりかを見据えて、彼女の背後にある出口の方へ顎をしゃくった。


「話したくないならもういいよ、その男の写真は見せてもらえたしな。帰るとき、駆真には気を付けろよ」


「でも、ノアくん……」


 ノアは怪訝そうな顔のきりかから目を逸らして、明後日の方向へ吐き捨てる。


「安心しろ。もう全部、自分で推理できた。お前の証言は必要ない」


 相手の反応がなくて、ノアはきりかの方へ視線を戻すと、彼女は少し驚いたような表情でこちらを眺めていた。


「何だよ」


「……ううん。ごめんね、再会してからまだあまり話してないのに、印象ばっかりで変なこと言って。やっぱり、ノアくんはノアくんなんだね」


 腕を組んだきりかは椅子の上で背中を丸め、身を守るような体勢で俯きながら呟き始める。


「敵わないな……。結局私は、君の言葉に縋ろうとしてる。君みたいに、未来の自分に期待をかけたり、誇ったりする自信を持ちたかった。今回だってそうなんだよ?結局は全部私の空回り」


「……お前がこの事務所で何をしてたか、話してくれないか?俺は誰かを(おとし)めてまで情報を売り捌く気はない。駆真にも黙っておく」


 涙ぐんでいるのか、きりかはぼんやりとこちらを見上げる。少しの間口を閉ざして何か考えているようだったが、やがてぼそぼそと話を始めた。


「この事務所は、私が入った当時の姿とは別物。全てのきっかけは『ABY(アビー)』が介入したことだった。今有名になってる動画配信も、初めは社員とタレントが一緒になって作りあげてた思い出深くて、暖かみのある事業だった。でも上からの一方的な命令で『ABY』を使ってニュースを作るように言われてからは、会社の勢いこそ付いたけど、業界での地位を上げていくにつれてしがらみも多くなったし、お金や面子のことばかりになってきた。未良(みら)ちゃんにも申し訳ないことをしちゃったよね。レッスンの名目であんなことをしていたなんて」


「知らなかったのか?」


「うん、てっきり本所属の誰かが同意のもとで代役をしてるのかと……」


 きりかはそこまで言ったところで言葉を打ち切って、力なく目を細める。


「……いや。でも遅かれ早かれ、この事務所がどこかで未良ちゃんを(あざむ)く予感はしてた。それでも、未良ちゃんならそんな会社を変えていくエネルギーを持ってるんじゃないかと思って。彼女を事務所に入れた理由には、多分そんな下心もあった。一番最初に彼女を欺いたのは他の誰でもなく、私だったってことだね……」


「最近は一人で背負い込むにも限界が来ていたってことか……。ニュース動画を始めたのはそれなりに前だよな?牙隈(きばくま)未良が入ってくる最近までは何をしていたんだ」


「あまり変わらないよ。普通にやっていても、社員でもない私が会社の体質は変えられない。でも育てて貰った恩もあるし、見切りをつけるような真似は絶対にしたくなかった。だから『ABY』との繋がりが揺らいで、事務所がまた自立するようになればいいと思って、逆風になるものを近づけようと思った。本当は何もしてないのに、あの時は自分が全部コントロールしてるような気分だったんだろうな……」


「“逆風”?それってまさか――」


「うん。『アビー・シーカーズ』。あの組織に近付いて少し後にこの人、『涼霜壮』を名乗る男性が現れて、“離隔”の事件も始まった」

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