9:体育祭の練習なので
あんなにも疲れ果てて眠ったんだから、翌朝は寝坊してもおかしくなかったと思う。けれど意外にも、いつも通りの時間にすっきりと目が覚めた。
これはあれか、夢も見ずにぐっすりと眠ったからなのか。それとも、アニマルセラピー効果みたいな?
今日もミャルと会えると思うと心が弾むんだ。アドレナリンでも出てるのか、いつもより元気な気すらしてくる。
猫アレルギーでビビってたくせにどうしたって言われそうだけど、とりあえずまだ症状は出てないんだからいい事にしよう。
そうして今日こそはきちんと髪型も整えてリビングに向かえば、昨日に引き続きUMYA発見のニュースが流れていた。世の中の興奮は一晩経ったぐらいでは治らないらしい。
そしてそれは猫好きが過ぎる母さんたちにしても同じ事だったわけだが、その方向性は昨日の朝とは全く違っていた。
「おはよう、雪成。今日もしっかり食べて、元気にお世話してらっしゃいね」
テーブルに並べられたのは、ここはホテルなのかと思うぐらいのいつも以上に豪勢な朝食の数々だ。どうやら母さんは宣言通り、僕が猫アレルギーに打ち勝てるよう栄養満点の朝ご飯を用意していたらしい。
一体何時から起きて作ったんだ、この料理。どう考えても食べきれなさそうだけど、とりあえず有難く頂いた。
そして妹の楓はというと、いつも以上に張り切って支度を終えていて。
「ねぇ、ユキ兄。今日は私もレイア様の車に乗せてもらえないかなぁ?」
「大丈夫だと思うけど、一緒に行ってもミャルには会えないぞ」
「えっ、そうなの⁉︎ でも毎朝迎えに行くって言ってたのは?」
「それは昇降口までの話だよ。ミャルの家にまで迎えに行くわけじゃない」
「なぁんだ……。残念だなぁ」
全く油断も隙もありゃしない。それでも頬を膨らませて不貞腐れてる姿は可愛いと思うんだから、僕も大概だよなぁ。
いつかは会わせてやりたい気持ちはあるけど、それは今じゃないんだ。ごめんな、楓。
「じゃあ一緒に行くのは諦めるけど、帰ってきたら今日のミャルさんがどんなだったか教えてね!」
「はいはい、分かってるよ」
仕方なさそうに返事はしたけれど、妹を甘やかしたい兄としては満更でもない。ミャルの事がきっかけで可愛い妹との会話も弾むなんて嬉しい誤算だ。
大変な事は色々あるけれど、やっぱり世話係を引き受けたのは正解だったと思う。
そうして僕はいつも通りに西宝院家の豪邸まで赴いて、レイア様の車で登校した。
校門付近や昇降口には一目ミャルを見ようとたくさんの生徒が集まっていたけれど、彼らの望みが叶う事はない。こうなる事を予想して、今日のミャルは登校時間を少しだけずらして来る予定になっているんだ。
数日空振ればみんなも諦めるだろうと、理事長とレイア様が悪い顔をして話していたのを思い出す。言って聞かせるより、直接体に叩き込む方が早いという事らしい。
昨日散々留学生に不用意に近づかないよう言い聞かせたのに実際こうなってるんだから、その考えは正しかったといえるだろう。まるで動物を躾けるかのようで何となく胸が痛むのは、見ない事にする。ミャルのためだからな。
僕らのクラスは、今日は一時間目から交流体育祭の練習だ。朝のホームルームを終えると男女それぞれに別れて更衣室へ向かう。いよいよミャルと練習だというのが楽しみなのか、その足取りはみんな軽い。
ジャージに着替えたら、みんなは先に校庭へ。僕とレイア様は昇降口へ向かった。
「今日の練習場所、屋上じゃなくて大校庭に変わったんだね。しかも貸し切りだなんて、これもレイア様の考え?」
「いいえ、これは伯母様の案よ。昨日の騒ぎを気にしてらっしゃったから」
生徒数の多い西宝院学園は、高等部だけで校舎が三つある。そして校庭と地下体育館、屋上校庭もそれぞれの校舎にあるんだけど、これとは別に大校庭と呼ばれる一際大きな校庭があった。
三つの校舎のどこからでも見れるほど大きくて、交流体育祭の本番も行われるこの大校庭は、普段の授業では複数のクラスで分割して使っている。まあ何せ、生徒数に応じてクラス数も多いから、各校舎の校庭や体育館だけじゃ回せなくなるんだよね。
当初の予定では、ミャルの練習は使用クラスしか入れない屋上校庭で行われる予定だった。地下体育館にならなかったのは、ミャルの身体能力がどのぐらいあるか未知数だからだ。
ジャンプしたら天井に頭をぶつけました、なんて事が起こったら困るから屋上になっていた。雨さえ降らなければ、屋上校庭の可動式天井は開きっぱなしだから。
そこをわざわざ僕らのクラス専用にしてまで大校庭に変更したのは、生徒たちがミャルを見れる機会を増やすためという事だろう。
どの校舎からも見えるとはいえ、大校庭は広いしそれなりに距離もある。昨日みたいにみんな窓に張り付いてホラーじみた光景になるかもしれないけど、ミャルに突撃してくるような馬鹿は現れようがない。安全性は確保されてるというわけだ。
遠目だとしても、全く見れないより見れた方が生徒の欲求も満たされるだろう。
鞭だけじゃなく飴も与えるあたり、理事長はさすがとしかいえない。
「他のクラス、授業にならないだろうな」
「仕方ないわよ。みんなが慣れるまではね」
レイア様とのんびり言葉を交わしてるうちに、一台の車が上空から降りてきた。昨日も見た、ミャルの送迎に使われている車だ。
横開きの扉が開いて、ミャルが降りてくる。
もう昨日みたいに可愛い姿に動揺したりはしないぞと覚悟を決めて出迎えたのだけれど、僕の理性は早々に砕け散った。
「レイアちゃん、ニャカムラ君、おはようニャ」
「おはよう、ミャルさん」
「か……可愛っ……‼︎」
目の前に現れたのは、制服姿ではなくジャージ姿のミャルだった。
しかも体がモフモフなだけに暑くなる事を想定しているのか、長袖長ズボンではなく半袖ハーフパンツ。
制服に収まらなかった顔や手足のモフモフを見るだけでもヤバかったのに、今日は半袖ハーフパンツだから当然モフモフ率は倍増していてもうヤバい。可愛い。
長い毛並みがしっかり見えてて、ちょっとカール気味なんだなとかも分かっちゃう。
誰だ、ミャルに体操服渡したの。半袖まで用意してるとか天才か!
体育祭の練習なんだから当然こうなるって考えれば分かるのに、どうして僕は予想していなかったんだ!
「ニャカムラ君? どうしたニャ?」
ハッ、いかんいかん。また意識が飛んでいた。
「い、いや、なんでもない! おはよう、ミャル! 体操着も似合ってるね」
「ありがとニャ! 制服より着やすくて助かったニャ」
こんな可愛い姿を全校生徒に見せなくちゃいけないのか。いやでも、どっちにしろ交流体育祭では見せる羽目になるんだった。
そう考えたら、先に見せておいた方がモフモフしようなどと考える輩も減るだろうか?
「ミャルさん、やっぱり長袖では暑かったかしら? 練習中も、辛かったら遠慮なく仰ってね」
「暑いというより、長ズボン履くのはちょっと難しかったニャ。でも無理はしニャいようにするニャ! ありがとニャ!」
制服より着やすいけど、長ズボンは難しい? まあ制服はブレザーだし、タイも結ばなくちゃいけないから面倒だもんな。
長ズボンが履けないのは、足を通すのが難しいとかだろうか。スカートとハーフパンツは問題ないみたいだけど、冬場とかどうするのか考えておかないと。
「中村、いつまでボーッとしてるの? 行きますわよ」
「ごめん、すぐ行く!」
ついつい秘書目線で考え込んでいたら、いつの間にかミャルとレイア様は歩き出していた。
僕も慌てて追いかけたけど、ミャルの尻尾が揺れる後ろ姿があまりに可愛かったから、横に並ぶのがなんだか勿体無いなんて思ってしまった。