1:お嬢様のお屋敷で
夏休み初日、ミャルは早速レイア様の屋敷に来てホームステイを開始したらしい。
らしいというのは、珍しくその日僕はレイア様に呼ばれなかったからだ。
きっとミャルはたくさん荷物も持ってきたはずで、いつもなら荷物持ちや荷物整理に僕も駆り出されそうなものだけれど、今回はなぜか逆に来るなと言われてしまった。
いい加減レイア様も、僕が大して力持ちじゃないって事を理解してくれたんだろうか。それともさすがに女の子の私物を整理させるのはマズいと思ったのかな?
まあ、大量の荷物運びをしなくて済んだから良かったんだけどさ。
ミャルと会えないのは残念だったけど、それも僕はそんなに気にしていなかった。
きっとレイア様にはそう日を開けずに呼び出されるはずで、ミャルにも近いうちにまた会えるだろうから。
そしてそんな僕の予想は当たり、三日目にしてレイア様から呼び出しがあった。
夏休みの課題を三人で一緒にやろうというので、学校の鞄をそのまま持っていく事にする。
昼食はレイア様の家でご馳走になるからいらない、と母さんに言うと喜ばれた。
楓が友達と遊びに出かけるからっていうのもあるけれど、長期出張に出かけていた父さんが数日前に帰ってきていて、まとまった休みを取ったからデートに行くつもりだったのもあるらしい。
昔から仲の良い夫婦なんだよ、うちの両親は。
「雪成、もう行くのか」
「うん。あんまりレイア様を待たせても悪いし」
早速出かけようとしたら、玄関先で父さんに声をかけられた。
振り返らずに靴を履きつつ応えたけれど、本当の所は早くミャルに会いたいだけだったりする。
だって今日は夏休みだ。ミャルの私服がついに見れるんだぞ。普段はどんな服を着るのかなって思うと楽しみで仕方ない。
もちろんどんな格好でも、ミャルは絶対に可愛いと思うけど。
「そうか。……雪成、悪いな」
「なんだよ、突然」
レイア様の我儘に付き合わされるのなんて、今に始まったことじゃない。なのに今更どうしたのかと思って顔を上げると、珍しく父さんは歯切れ悪そうな顔をしている。
CEO秘書なんてしてるだけあって、いつもキリッとしてる人なのにどうしたんだ? さっき何気なく返した一言は、そんなに悲壮感溢れてただろうか。別にレイア様の事を悪く言ったつもりはないんだけど。
「いや……その、何があってもあんまり驚かないようにな。困ったことがあったら、いつでも言いなさい」
「え? ああ、うん。まあ、何かあったらまた頼らせてもらうよ」
父さんがここまでハッキリと物を言わないなんて、本当に珍しい。あまりに曖昧で何を言いたかったのかよく分からないけれど、これは心配されてるって事でいいんだよな?
いったい何をそんなに……って思ったけど、考えてみれば父さんは、ミャルがレイア様の家にホームステイしてる事を知ってるんだった。もしかして猫アレルギーを心配してるんだろうか。
実をいえば少しずつ試した結果、ミャルと接するのに手袋だけじゃなくマスクももう必要ないと分かっていた。七月に入ってからは、僕は何も着けずにミャルの世話係をしてきたんだ。
だからUMYAに猫アレルギー因子はなさそうだという報告は父さんにもしていたんだけど、それでもやっぱり気にしてくれてるのかな。
母さんほどではないけれど、父さんも僕の猫アレルギーにはかなり気を遣ってくれていた。
元から家族を大事にする人だけど、あまり心配されると面映い。
「それより、今日は母さんと久しぶりのデートなんだろ。父さんも楽しんできなよ」
「ああ、ありがとな。お前も気を付けて」
「隣に行くだけなのに大げさだって。行ってくるね」
こんなに念を押されるなんて小学校の頃以来なんじゃないだろうか。あまりに不安げな父さんに軽く噴き出しつつ、僕はレイア様の家へ向かう。
まだ午前中だけど日差しはすっかり夏のもので照り返しも眩しい。数分歩いただけでも汗が滲みそうだった。
「ごめんください、中村です」
「ああ、中村君いらっしゃいませ。お嬢様はサロンでお待ちですよ」
いつものように守衛さんに挨拶しつつ門を通ると、僕は玄関ではなく従業員用の裏口から屋敷に入った。レイア様の秘書という事で、一応僕は従業員として認証登録されている。
ちょうど近くにいた執事さんに挨拶をして、そのままレイア様がいるという中庭の見えるサロンへ向かった。
そう、執事さん。ビックリなことに、レイア様の家には本物の執事がいるんだ。
他にも料理担当のシェフに、掃除や洗濯担当のメイドさん、専属の庭師と岩熊さんたちボディガードのみなさんもいるから、レイア様のお屋敷には結構な人数が暮らしている。
広い敷地には洋風の屋敷と庭だけじゃなく、和風の離れに従業員寮まであるんだ。これが個人宅とか驚きしかないよね。
でもそんな広々としたお屋敷も、僕は何度も行き来してるから勝手知ったるものだ。
時折すれ違う人たちに挨拶をしつつ、たどり着いたサロンの扉をノックした。
「レイア様、来たよ」
「お入りなさい」
どこのホテルかなって思うような両開きの扉を片方だけ開けて部屋に入ると、中庭を見渡せる大きな窓のそばに置かれたラタンのテーブルセットにレイア様は座っていた。
けれど見慣れたミャルのモフモフはどこにもない。
その代わりというわけじゃないけど、レイア様の向かい側には僕らと同い年ぐらいの女の子がいた。
サラサラなボブスタイルの茶髪にバンダナを巻いた小柄な女の子は、ソワソワとした様子だ。
どことなく気恥ずかしそうにしつつもじっと僕を見つめるその子とは初対面のはずなのに、僕はなぜか既視感を覚えた。
「……ミャル?」




