3:究極の選択
幼稚園から大学まである西宝院学園の広大なキャンパスは、周囲を森に囲まれた緑豊かな場所にあって、天気が良ければ富士山も見える。
四季折々に姿を変える美しい景色に加えて、宇宙に名だたる西宝院グループが総力を上げて作り上げた学園には優秀な教員や最先端の設備が揃い、それらを守る警備面もバッチリだ。
間違いなく日本一、もしかしたら地球一とも言える学校だろう。
そんなハイレベルな学園だから、さすがの岩熊さんも校内までは着いてくる必要がない。
学園の中心部に建つ本部棟。その最上階にある理事長室には、僕とレイア様の二人で向かった。
「ご機嫌よう、伯母様。連れてきましたわ」
「おはようございます、理事長先生」
「おはよう、二人とも。待ってたわ」
血の繋がりがあるだけあって、理事長の目元は吊り上がり気味でレイア様とよく似ている。ただ、いつも爽やかな色合いのスーツにフリル付きのシャツなんかも着ているからか、レイア様より柔らかな印象を受ける。
でもこれに油断してると酷い目に遭うんだよな……。ここに呼び出されては無理難題を押し付けられた事を思い出すと胃が痛い。今日は何を言われるのやら。
ついつい現実逃避をしたくなって、大きな窓に目を向ける。
うん、今日も良い天気だ。学園全体が見渡せて相変わらず圧巻だなぁ。下手な絵を飾るよりずっと良い。こういうのを借景っていうんだっけ?
けれど悲しいかな。嫌な予感ほど当たるもので。
促されるまま応接ソファに座り、温かいお茶まで出されたけれど、やっぱりというか何というか。予想していた以上にとんでもない話をされて、現実と向き合わざるを得なかった。
「えっと、すみません理事長。今、なんて言いました? 猫星人が留学してくるって聞こえたんですけど」
「やだわ、中村君。若いのにしっかりしてると思ってたけど、あなたも驚く事あるのねぇ」
僕たちの向かいに座る理事長は、ホホホと上品に笑ってるけれど、こんな話を聞かされたら驚くに決まってる。
実は高等部に留学生が一人来ることになってね、猫星人なのよ――ってどういうこと⁉︎
そんな気軽に言う話じゃないと思うんだが⁉︎
「猫星人って、発見されたばかりの猫型宇宙人UMYAの事ですよね? 今朝のニュースで報道されてた。それが今日から留学してくるってどういうことですか⁉︎」
「そう、そのUMYAよ。あのニュース、中村君も見たのね。でもあの情報は古いのよ。報道解禁が今日だったというだけで」
正直驚きっぱなしだけど、深呼吸を心掛けつつどうにか冷静さを保って話を聞いてみる。
理事長によれば、UMYAが発見されたのは実は一年も前だったらしい。
確かに今朝の報道では、いつ発見されたとか具体的な日付については言ってなかったような。
「私たち地球人がどれだけ猫型宇宙人を欲していたか、宇宙中が知ってるもの。いきなり発表したりしたら、地球人は何をするか分からないと思われてたみたいね。だから一年かけて念入りに下準備をして、今回の発表になったそうよ」
知的生命体のいる惑星が新しく発見されたからといって、すぐに交流出来るわけじゃない。
その星の文明レベルに応じてどの程度接触するかを決めなくちゃいけないし、正式な交流は全宇連に加盟してからになる。
その前段階で地球人が存在を知ったら、暴走してUMYAの星に突撃するかもしれない。そうなれば全宇連加盟の話にも悪影響を及ぼす可能性だってあるわけで、慎重にしなければならなかったという事だろう。
まあ、真っ当な判断だよなぁ。今朝のニュースだって、あれだけお祭り騒ぎだったし。
「じゃあ発表されたって事は、UMYAの星も正式に全宇連に加盟したんですね。それで急な留学に?」
「そこが問題なのよ。だから今回の話に繋がるのだけど」
これから徐々に報道で情報解禁もされていくらしいけど、UMYAの星は地球でいう二十一世紀初頭。ちょうど民間での宇宙開発が本格化し、有人探査の手を遠方の惑星へ伸ばそうという頃ぐらいの文明を持っているそうだ。
ただ地球と違って戦争や紛争は滅多にない平和な星だったようで、全宇連への対応を巡って惑星内で意見が分かれ、あわや戦争か? なんて事はなかったらしい。
けれど、突然現れた宇宙人とすんなり馴染めるかというとそうもいかない。不安の声もあるにはあるようで、全宇連加盟の方針で考えてはいるけれど最後の一歩が踏み出せないという事のようだ。
そこで、今回の留学話。
「留学といっても今回のはいわばお試しで、留学生が調査員みたいなものなの。全宇連に加盟するとどんな風に生活が変わるのか、他星人との関わりがどのようになるのかを実体験して、正式加盟に繋げてもらうのが目的よ」
数ある全宇連加盟惑星のうち、加盟後に起こる技術革新や政治経済などの変革について、UMYAの星に一番状況が近しいだろうという事で体験先に地球が選ばれたらしい。
年齢や性別も様々な複数の調査員が派遣されてくるみたいだけど、そのうち一人が日本の、しかも僕らの学校にやってくるというのは、まあ当然だろうな。
何せここ西宝院学園はあらゆる面でハイレベル。地球だけでなく宇宙からやってきたVIPも多く在籍しているんだから。
レイア様を始めとする有名企業の子どもはもちろん、王政を残す国や星の王族、学業の傍らで芸能活動にも精を出す人気アイドルグループや歌手、俳優たち。
もちろんごく普通の生徒もいるけれど、奨学金制度が充実しているのもあって様々な才能溢れる子も多い。
どれだけ多くの星が全宇連に加盟しているのか、体感するにはピッタリだろう。
それに、UMYAが突然やってきても最初から好感度最大値な歓迎になるのは間違いない。今や宇宙にも広がったヲタクカルチャーの大元である日本だけれど、不安視される熱狂的な混乱だって警備面もバッチリなここなら何の心配もないし。
有名人が多いため、校内での事は口外厳禁というのも生徒たちに身についてるから。
とはいえ、やって来るのはUMYAだ。さすがにこの学園でも、受け入れ当初騒ぎになるのは必至だろう。
という事は、だ。
「なるほど、分かりました。つまり僕らは、生徒が暴走しないように手綱を取ればいいということですね」
「もちろんそれもあるけれど、あなたたちにはもう少し踏み込んだ事を頼みたいのよ」
理事長はニコッと微笑んで言ってるが、僕としては寒気が止まらない。
やっぱり来た。今度は何なんだ……⁉︎
「留学生はあなたたちのクラスに入るから、中村君にはお世話係をお願いしたいの」
「はぁ⁉︎ お世話係⁉︎」
この学園はとにかく規模が大きいから、クラス数もすごい。
高等部二年の普通科だけだってAからOまで十五クラスもあるのに、なぜよりによって僕らのAクラスに!
いや、そこは理事長の姪であるレイア様もいるから、ある意味当たり前なのか。下手したら留学生受け入れの段階から、レイア様が手を回していそうだもんな。
何かあった時も、レイア様がいれば学園としてサポートしやすいだろう。
そこは百歩譲って理解出来るとしても、なぜに僕が世話係に⁉︎
「すみません、理事長先生。僕に世話係は無理です」
「あら、どうして? 中村君、猫好きだったでしょう?」
「好きですけど、理事長先生もご存知のように僕は猫アレルギーなので!」
「やだわ、中村君。留学生は猫じゃなくて、猫星人よ」
「それはそうですけどっ!」
相手は猫型宇宙人なんだぞ⁉︎ 猫アレルギーは関係ないかもしれないけど、やっぱり何となく怖いじゃないか!
「もちろん、万が一に備えて対策は取るわよ? 留学生がいる間は最新型ナノマスクとエア手袋を貸し出すし、付属病院の受け入れ態勢も常に整えておくわ」
「それは有難いですけど……」
「それに留学生は女の子なのよ。中村君なら不用意に触ろうとしたりしないからピッタリでしょう?」
「お、女の子⁉︎」
それは下手な男子をつけるわけにはいかない。猫娘とか大昔から男子の憧れじゃないか! 世話係という立場を利用して何をしだすか分かったものじゃない。
だからって女子が世話係じゃ、群がる男子への牽制にはならなさそうだ。
でもそれなら、今も僕の隣でニヤニヤしているレイア様がお世話係でもいいじゃないか。レイア様相手に逆らえる生徒なんて、男女問わずどこにもいないんだし。
いや、ダメか。レイア様は世話される側だもんな……。
「やっぱり中村君には無理なのかしら。どうしましょうね、レイア?」
「今更受け入れ拒否は出来ませんもの。他に信用出来そうな男子をつけるしかありませんわね」
「あなたのクラスに、誰かちょうどいい子はいるかしら? もしいないなら、他のクラスから引っ張ってきてもいいわよ?」
「そうですわねぇ……」
僕が悶々と悩んでいたら、理事長がこれまで黙って成り行きを見守っていたレイア様と相談を始めてしまった。
どっちにしろ僕らのクラスに来るのは確定なのか。それなのに、他の誰かがその子の世話をするのを僕は見ている事になるのか。
猫アレルギーは怖い。でも猫は好きで、地球に初めてやって来る宇宙猫娘の世話係になるチャンスなのに、それを棒に振って本当にいいのか?
結局は同じ教室内で、間接的とはいえ毎日ずっと接触する事になるのに……?
「…………ます」
「あら? 何か言って? 中村?」
「〜〜っ! だから、僕がやりますっ!」
「良かったわ。中村君が引き受けてくれて。よろしくね」
気がつけば僕は、立ち上がって宣言していた。
嵌められたような気がしないでもないけど、もう決めたんだ。しょうがない。
理事長先生がいい笑顔で、約束のナノマスクとエア手袋を渡してくる。
限りなく透明に近いとはいえ、どちらも着けてるのは目に見えて分かる、が、装着感はほとんど感じないという優れ物だ。
「似合ってるわよ、中村。最悪、岩熊を呼ばなくてはならないかと思っていたから助かったわ」
楽しげに笑うレイア様の言葉に、頬が引き攣ったのは言うまでもない。
危ない、岩熊さんに余計な仕事をさせてしまう所だった。それにいきなり大柄で強面な岩熊さんが付いたりしたら、留学生だって怖がるかもしれない。
しかも世話係という事は、当然授業中も教室内にいるわけで。留学生だけじゃなく、クラスメイトの精神にも多大な影響を及ぼしただろう。何せあの眼力だから。
僕の決断はきっと、みんなの精神を救ったのだ。
……僕自身も救われるといいなぁ。