2:幼馴染なお嬢様
「中村、遅いわよ! わたくしを待たせるなんてどういうつもりなの!」
「レイア様⁉︎ いやでも、まだ約束の時間じゃ」
「あなた、またデバイス見てないんでしょ! そんなんじゃ、わたくしの秘書失格でしてよ!」
きっちりと整えられたブレザーの制服に身を包むレイア様の髪は、整髪料を使わずにどうやってセットしているのか分からないけれど、今日も美しく整えられた上品な縦ロール。ほんのり赤みがかった黒髪が大人っぽくて艶めかしい。
見下すように顎を軽く上げ、釣り上がり気味の目で眼光鋭く睨まれるのは、長い付き合いで慣れたものとはいえ毎度ビビる。
僕の方が背丈は上なのに、絶対逆らえない感が半端ない。さすがレイア様、迫力美人極まれり……って、現実逃避してる場合じゃないな。
慌てて腕時計型デバイスを見てみれば、三十分前に「予定変更。今日は早めに登校するわよ。十分後には迎えにいくから、支度出来次第出てくるように」とレイア様からメッセージが入っていた。
ちょうどニュースに気を取られていた時だから気づけなかったんだ。これは完全に僕の失態だ。
「ごめん! すぐに行くから!」
ダッシュで自室に戻り、鞄を引っ掴んで家を出る。
何もかも平凡な中村家だけど、少しだけ他と違うところがある。それは僕の父さんがちょっとしたエリートサラリーマンだという事だ。父さんは、今や全宇宙にも名を轟かせている総合商社西宝院グループのCEOであるレイア様のお父さんの秘書をしている。
その関係で、僕はレイア様と物心ついた時から幼馴染として親しくしているんだけど、なぜかレイア様は僕を自分の秘書だと言って憚らない。
僕の髪が七三分けなのも伊達メガネ必須なのも、僕を僕と呼ばなきゃならないのも、幼馴染なのに様付けしなくちゃいけないのも、全部レイア様の指示だ。「わたくしの秘書として」と事あるごとに言われてる。現役秘書の父さんだってそんな事してないのに、一体どこからの拘りなのか物凄く謎だ。
別に僕はまだ秘書になるって決めてるわけじゃないけれど、父さんの立場が悪くなっても困るから指示に従っている……というのは、まあ建前だ。
結構ワガママな所があるお嬢様なレイア様にも良い所がたくさんあるのを知ってるから、ついつい僕も言う事聞いちゃうんだよね。
秘書といっても本当に仕事があるわけじゃなく、結局はただの使いっ走りみたいな事しかさせられないし、小さい頃なら誰でもやるごっこ遊びを高校生になった今も続けているようなものだ。
そんなレイア様の家は僕の家の隣だ。といっても、ごく普通の一軒家な中村家と違って、西宝院家は豪邸だから庭も広い。
僕はいつもその豪邸の玄関先まで歩いて向かい、学校へ向かうレイア様の車に同乗させてもらっている。車のドアを開けてレイア様を待つという、オプション付きで。
それがどうやら今朝は、早く出ないといけない理由ができたらしい。日直でもなかったはずだけど、何があったんだろ?
不思議に思いつつもレイア様の待つ黒塗りの高級車に僕が駆け込むと、いつも通り車は音も立てず空へ滑り出した。
◇
いつもなら学校までの移動時間はのんびりと過ごせるけど、さすがに今日はそうもいかなかった。
慌てて家を出たからうっかりしてたけど、そういえばこれから改めてヘアセットをしようと思ってたはずで……まあ当然こうなるよな。
「なんですの、その中途半端な髪型は! そんな頭でわたくしの横に控えるつもりでいますの⁉︎」
「ごめんって。すぐ直すから」
「誠意が足りませんわ! 秘書としての自覚が足りないのではなくて? 大体あなたは」
「まあまあ、お嬢様。時間もないんですからその辺で」
走り出した車の中、予想通り(?)レイア様に叱られてしまった僕は、同乗しているボディガードの岩熊さんの助けもあって、とりあえずドライヤーを借りて髪を整える事にした。
こんな事が出来るのも、レイア様の車が老舗車メーカーTONDA社のハイエンドモデル、スカイリムジンを特別仕様にカスタマイズしたものだからだ。
広々とした車内にはドライヤーだけでなく、飲み物や軽食が入った小型冷蔵庫、ちょっとした着替えやタオルなんかも完備されていたりする。
もしかすると住めるんじゃないのか? と思ったり思わなかったり。
空を簡単に飛べる今の時代、どこに行くにも移動時間なんてそう大した事にはならないのに、よくここまで車内環境に力を入れたものだと思う。
僕らの通う高校も隣県にあるけれど、あまり速度を出せない低空路を通っても三十分とかからず着ける。地球の裏側に行く時だって、宇宙ステーションもある周回軌道を通ればあっという間なんだから。
星間用でもないただの車にこんなに金をかけるなんて、さすがは宇宙有数の大富豪、西宝院家所有の高級車だ。おかげで僕はレイア様のご希望通り七三分けをちゃんと出来る。
「これでいい? レイア様」
「そうね、合格にしてあげるわ。まったく、中村は本当に手間がかかるんだから。もう二度とこんな失敗しないようになさい」
「あー、うん。ごめん。気をつける」
「終わりましたか。はい、どうぞ中村君の分」
「ありがとうございます。すみません、岩熊さん。僕の仕事なのに」
「いえ、このぐらい何でもないですからお気になさらず。しかし珍しいですね。中村君がこんな失敗をするとは」
「あはは……今朝はちょっと、ニュースに見入っちゃって」
「ああ、あのニュースですね。それは仕方ない」
ようやくレイア様に許してもらえてホッとした所で、岩熊さんが紅茶を淹れてくれた。いつもは僕がレイア様に淹れてる紅茶だけど、岩熊さんが淹れてくれる方が美味しい気がする。
岩熊さんはレイア様の専属ボディガードなのに、器用に何でもこなせるんだよなぁ。岩熊さんがいてくれるなら僕が秘書役をする必要なんてない気もするけど、さすがに兼任は無理だろうから仕方ない。
岩熊さんは名前の通り熊みたいに体の大きな男の人だけれど、そんなに暑苦しく感じたりはしない。北欧系の日本人だそうでめちゃくちゃ色白で金髪だからなのか、同じ空間にいるとむしろ華やかに思えるぐらいだ。
ただ顔は強面だから見るからに強そうなんだよね。僕は見慣れてしまったから平気だけど、視線だけで人を殺せそうな険しい目つきがデフォルトだし。
そして実際、地球人で初めて全宇宙異種格闘技大会8位入賞を果たした経歴を持つすごい人だったりする。
レイア様は大富豪の娘だし小さい頃に誘拐未遂なんかもあったりしたからボディガードは必須だけれど、岩熊さんが来てからは危険な目に遭った事はない。
たまにパパラッチの車がレイア様を追いかけてくる事もあるけれど、そんな時は今も後ろを走る警護隊の車が対処してくれるし。今日も日本はとにかく平和だ。
ちなみに、車内には僕とレイア様、岩熊さんの三人しかいない。
空飛ぶ車は科学技術の進んだ星から技術提供を受けて実現したそうだけれど、その時に完全自動運転の技術も貰い受けて運転手は不要になったからだ。
ただ、未成年者だけでの車の使用は何らかの不具合時や災害時の緊急対応に問題があるからと法律で禁止されている。まあ僕らには、岩熊さんがいつも一緒にいてくれるから何も問題ないんだけど。
「それでレイア様、何だって今日はこんなに早く出る事にしたわけ?」
「理事長に呼ばれているからよ。行けば分かるわ」
僕らの通う西宝院学園高等部は、その名前から分かる通りレイア様の一族が経営している私立高校で、理事長はレイア様の伯母さんだ。
見た目は落ち着いた感じの女性なんだけど、レイア様と血の繋がりがあるだけあってちょっと強引な所がある。その理事長の呼び出しとか嫌な予感しかないけど、一体何の話なんだか。
知ってるなら教えてくれたっていいのに、レイア様は楽しげに目を細めるだけだった。