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盆に咲く花  作者: 理春
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第三話

閑静な住宅街で静かなインターホンの音だけが鳴って、それから機械音で返事が聞こえた。

こちらが名乗るとしばらくして玄関が開き、70代くらいの女性が出迎えてくれた。

挨拶もそこそこに、藤宮さんはパッと小夜香を見ると、懐かしいような悲しいような笑みを浮かべた。

一礼して門扉を抜けると、小夜香は半歩下がって俺の陰に隠れながら、俺の腕を掴みゆっくり歩いていた。

その様子を見ていると、酷く人見知りをしていた幼い頃を思い出す。

手入れの行き届いた庭を通って玄関へ入ると、電話に出てくれた小百合の祖父が出迎えてくれた。

二人はニコニコしながら終始腰低く、手土産を受け取りリビングへと案内してくれた。

部屋に入る直前、後ろを歩いていた小夜香がさっと俺の荷物を取った。

藤宮さんがリビングのドアを開けると、そこには腕を組んでソファに座る泰明さんがいた。

ピリっとした空気を飛ばされて思わず反射的に身構え、威圧を返しそうになった。

紺の紗綾形の着物に身を包んだ泰明さんは、ジロリと俺と小夜香を交互に見やった。


「ご無沙汰しております。」


俺たちがそっと頭を下げると、泰明さんは一つ息をついて静かに口を開いた。


「今更なんだ・・・と言いたいところだが、来たものはしょうがない。座りなさい。」


後ろにいる小夜香の緊張感が高まっているのを感じながら、静かに向かいに腰を下ろした。

小百合の着物を抱きかかえるように座る小夜香は、改めてじっと泰明さんを眺めていた。


「お忙しいところお時間いただきまして、ありがとうございます。用件は存じてらっしゃるかと思いますが、生前小百合が長く身に着けていた着物をお返ししたく、お邪魔させていただきました。私自身そのような考えに至るまでにはいかず、恥ずかしながら母から助言されてお伺いした次第です。」


「ふん・・・長く身に着けていたなら、そちらが持っていた方がいいのでは?逆にあまり着ることのなかったものの方が、こちらとしては返していただきたい。」


藤宮さんは用意したお茶をテーブルに置き、老夫婦は静かに部屋を後にした。


「といいますと?」


「・・・小百合は目利きだけは一等だった。絹の良さは誰よりもわかる子だ。だからこそ何故か、自身が着るものは安物でいいと、高額な着物には腕を通さなかった。まぁもううちは廃業してしまったんだ、返されまいがどうされようが無関係だ。元より島咲家に嫁に行った時点で、あの子とは縁を切った。」


泰明さんはそう言ってお茶に口をつけ、チラリと小夜香に視線を送った。


「忌々しい程あの子にそっくりだ・・・。元当主もつらかろう、こうも死んだ妻に似た娘が成長して、同じ顔で・・・同じ声で日々を共に過ごさなければならないなんてな。」


小夜香は特に反応せず黙って聞いていた。


「縁を半ば強引に切らせたのは私です。その節は短絡的な対処をしてしまったと、今は反省しております。おっしゃる通り小夜香は小百合にそっくりですが、この子はこの子です。私が今日、泰明さんにお会いして着物を返したいと思ったのは、貴方に少しでも小百合を想う親心があるなら、持っていてほしいと思ったからです。」


「ふ・・・嫌味のつもりか?どこまでも小賢しい言い方をする奴だな。今更父親だからと押し付けて、俺にどうさせたいんだ。何も知らんくせに、何を期待している。」


俺が視線を逸らせて言葉を選んでいると、隣で黙って聞いていた小夜香が口を開いた。


「おじいちゃんの言う通り、私もお父さんも何も知らないの。だから着物を返して思い出してほしかった。お母さんのこと・・・良かったら私たちに教えてほしい。おじいちゃんとお母さんが、どんな風にここで過ごしてたのか・・・。」


怯えながら言葉を紡ぐ小夜香は、紙袋から風呂敷を取り出して大事に解いた。

薄桃色の古びた着物は、生前小百合が気に入って普段着として使っていた。

畳まれた白い帯は、何度も何度も使い古しては洗濯していたので、若干布が擦れてしまっている。


「泰明さん、今更なんだと思われるのは当然です。ですが・・・この子は3歳までしか小百合と過ごすことが出来ませんでした。どうか、分け与えていただける思い出があれば、聞かせてくださいませんでしょうか。」


「お願いします。」


小夜香も続いて頭を下げた。

広々としたリビングに沈黙が降りる。

泰明さんは黙って俺たちを眺め、やがてテーブルに置かれた着物を手に取った。


「この着物は・・・元々私の妻が着ていたものだ。・・・だから小百合も気に入って着ていたんだろう。」


俺も小夜香も同時に顔を上げると、泰明さんは桃の花があしらわれた生地を確かめるように撫でた。

その瞳がゆっくり小夜香を見据えて、それからまた悲しそうに目を伏せる。


「・・・その子の名前は、小百合が決めたのか?」


「え・・・ああ、はい。俺と小百合の字から取って・・・漢字も小百合が・・・。」


「そうか・・・。あの子の母親は・・・、妻は桃香という。桃が香ると書く。」


そう言われて俺と小夜香は目を見合わせた。

小百合と俺の字と、そして母親の字を組み合わせていたのか・・・。


「そういえば・・・小夜香の本家の部屋の庭に、桃ノ木が植えてありました。あれも小百合が植えたと後で聞きましたが・・・そういうことだったのか・・・。」


泰明さんが黙って着物を見つめ、小夜香はそっと口を開いた。


「さっき、亡くなった妻に似た娘がいてつらいだろう、って・・・おじいちゃんがそう思ってたから?」


小夜香がそう言って、自分が失念していたことに気が付いた。

泰明さんは俺と違い、妻も・・・娘も亡くしているんだ。

分かり切っていたことなのに・・・。


「ふん・・・馬鹿な子だ本当に・・・。自分の母親同様、可愛い娘の成長も見れずに死んでしまうなんざ・・・」


「・・・小百合が死んだのは小百合のせいではありません。」


「・・・誰のせいかだなんて問答するつもりはない。結果的にそうなってしまったのが哀れだと言ったんだ。あの子は私のように頑固者なところがありながら、母親に似て病弱だった。母親が死んでから、自分が一切を担わなければならないと躍起になっていたんだろう。そんなプレッシャーに耐えられるはずもなく、結局心も体も壊してしまった。器用にはなれなかったんだ。あの子の弱さが、あの子を死なせた。」


その言葉たちを受け止めながらも、どこか煮えくり返るような遣る瀬無さに、握った拳に力がこもった。


「おじいちゃん、私たちお母さんの思い出を聞きに来たの。お母さんが嫁いで、出産して子育てして・・・死んでしまうまでのことを何も知らないのに、お父さんの前でお母さんの死について言及しないで。」


ピシャリと言い放った小夜香の横顔が、真っすぐ相手を見据えるその目が、小百合の血を一層に感じさせた。

泰明さんはどこか諦めたように苦笑いをこぼした。


「妻に先立たれて、娘とも縁と切って・・・挙句年若いまま死んでしまった。確かに私は死因について詳しく知らせは受けていないし、葬式にも出なかった。何も更夜くんに悪態をつく権利を持ち合わせてはいないだろう。だがな・・・思い出を聞かせてくれと言われても、小さな頃のことを思い出せば同時に妻が浮かぶ。病弱な癖にお転婆で、社交的だがいざというときは物怖じしてしまう。どれもこれも母親に似たばかりで、私は亡くした二人のことを、あれやこれやと思い出しても・・・虚しいばかりだ。」


「・・・申し訳ありません。軽率にお伺いしたことをお詫びします。」


またその場で深く首を垂れた。

心底後悔した瞬間だった。

泰明さんの手元に、戻るはずなかった着物を手渡してしまった。


「おじいちゃん・・・私・・・」


「何も謝らなくていい。あの子は・・・もうこの世にはいないが、今も居たなら、お前とそっくりだと言われるくらい、芯の通ったしっかり者だ。だがそれは自分の弱さを隠した虚勢でもあった。勤勉で真面目だった。それが受け継がれているだけだ・・・。私が語れることはそれくらいだ。」


泰明さんは着物を風呂敷に包み、小夜香の前へ突き出した。


「これは持って帰りなさい。もう会えない母親を想うには、ちょうどいい品だろう。」


「・・・でも・・・」


小夜香が困って着物を見つめていると、泰明さんはチラリと俺の顔を見た。


「ならこれは私からの最初で最後の頼みだ。小夜香、娘の着物を側に置いてやってくれ。私ではなく、自分が産んだ子に持っていてほしいだろう。桃香がそうであったように。」


小夜香はじわりと涙を浮かべて頷くと、そっと着物を受け取った。


「・・・泰明さん、小百合が手を付けていなかった着物も確かに数着あります。この子が継いで着れない程・・・。真新しい物でしたら、本当にお返しした方がよろしいですか?」


「いらん。着ていなかったとしても、それは持ち主の魂が宿る物だ。小百合が選ばずに大事に取っておいたものならば、残しておきたいと思っていたんだろう。あの子は本当に要らない物であれば、他人に譲るなり売ってしまうなりして、物を多く持たない子だった。そればっかりは私に似ている。そもそも返してしまいたいならとっくにこちらに送り返していただろう。それでも箪笥の肥やしにしていたのなら、更夜くんか小夜香に持っていてほしいのじゃないか?」


「・・・わかりました。ありがとうございます。」


「おじいちゃん、ありがとう。思い出話が聞けなくても、お母さんがどんな人だったかちょっとわかった気がする。」


泰明さんはまた鼻を鳴らして視線を落とした。


「生きた人間は変わり続けるが、もう死んでしまった人間ならば、わかった気になっても構わんだろうな・・・。私が語る小百合も、更夜くんが語る小百合も、そういう一面があった、ということにすぎん。死んでまたあの世で会うことがあったなら、その時は散々語りつくそうと思うくらいでちょうどいいだろう。そういう意味では・・・私は死んでからの楽しみがうんとあるというもんだ。」


そう言って立ち上がった泰明さんは、静かにキッチンへ入って行った。

静まり返ったリビングで、小夜香は隣の俺の手をそっと握った。


「お父さんごめんね、代わりに謝らせちゃって・・・。私が来たいって勝手について来ちゃったのに。」


「いや、いい・・・。小夜香も・・・わざわざ言い返さなくて良かったんだぞ、俺は何とも思ってない。」


「ふふ・・・嘘下手だね、お父さん。」


その柔らかい優しい笑顔さえも、小百合にそっくりだった。

やがて泰明さんは皿に乗った和菓子を持って現れ、静かに俺たちの前へ置いた。


「ありがとうございます。」

「わぁ綺麗・・・美味しそう。」


「・・・それを食べたら帰りなさい。長いこと孫の相手をするほどの気力も体力も、こっちは持ち合わせていない。」


「わかりました。」


俺が了承して皿を持ち上げると、小夜香はまたじっと泰明さんを見つめてから言った。


「おじいちゃん・・・私婚約したの。入籍するのは成人してからかもしれないけど、結婚式に呼んでもいい?」


「・・・いいや、呼んでいらん。」


「え~・・・?咲夜くんもきっと会いたいって言うのになぁ・・・。」


小夜香が口をとがらせながら和菓子を口に運ぶと、泰明さんは眉をひそめて言った。


「咲夜・・・もしや高津家の子か?」


「そうだよ。白夜様の双子の息子で、弟の咲夜くん。」


「ふん・・・尚のこと呼ばれとうない。高津家の子は好かん。」


「ひど~い。咲夜くんいい子だもん。ねぇ、おじいちゃん、京都の人なのにおじいちゃんは関西弁じゃないんだね、どうして?」


「・・・食べるのか喋るのかどっちかにしなさい。」


小夜香はそんな調子で、俺に質問攻めにするときと同じようなテンションで、泰明さんに投げかけ始めてしまった。

そういえば、会話しながら相手の警戒心を解くことも、社交的な小百合が得意なことだった。

やり取りする二人を眺めながら、出された茶菓子を堪能する。

渋みのあるお茶と、甘い和菓子・・・小百合が生きていたなら、ちぐはぐなやり取りをする二人のようになっていたんだろうか。


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