第一話
八月中旬、財閥が解体して約一年半程が経過した。
一族の当主兼医者から実業家になり、最近はそれらからも徐々に手を引き、自宅近くの土地を改築して内科、小児科医として開業しようかと考えていた。
医者に戻るための計画を進めながら、時期的なこともありお盆休みを取ろうかと考えていた。
そんな頃、数か月ぶりに母から電話があった。
「もしもし」
「もしもし?更夜おはよう。ごめんなさいね、仕事中だった?」
「ああ、大丈夫だよ。何かあった?」
「いいえ、ほら前に話していたけど、結局休みを取れそうになくて、お盆もそっちに帰れないの・・・ごめんなさい。」
「そうか・・・。まぁそっちには盆という期間ないわけだし、仕方ないな。小夜香にも伝えとくよ。」
母は残念そうにため息をついた。
「・・・そういえば更夜、聞き損ねていたんだけど・・・屋敷が解体されてから、小百合さんの遺品は全部おうちに持って行ったのよね?」
「・・・ん?ああ・・・あるよ。」
「小百合さん、ご実家のお着物をいくつか持っていたでしょう?疎遠になってしまっていたけど・・・あちらのご家族に、一着でも返してあげたらどうかしら。」
「・・・」
通話をスピーカーにして、キーボードをはじきながら聞いていた手が止まった。
「余計なお世話だったらごめんなさいね。」
「・・・いや・・・。考えとく。」
「ええ。小夜香ちゃんは元気?」
「ああ、こないだ軽井沢の別荘に4人で遊びに行ってたよ。」
「まぁ、そうなの。随分会えていないから悟さんも毎日のようにね、小夜香ちゃんにメッセージ送ってるんですって。嫌がってないかしら・・・。」
「そうなのか。特に・・・何も言っていないから嫌ってわけじゃないんじゃないか?」
「そう、ならいいのだけど・・・。美咲くんたちは相変わらず小夜香ちゃんによくしてくれているのね。」
「ああ、小さい頃と変わらず兄弟のようにな。まぁ美咲くんと晶は夫婦だし、今はめっきり咲夜くんにベッタリだがな。」
「ふふ・・・それも昔から変わっていないみたいね。」
「まぁそうだな。・・・そういえば、先月小夜香の誕生日プレゼント、わざわざありがとう。小夜香は当日、咲夜くんからプロポーズを受けたよ。」
「まぁ!本当に?そうなのね・・・それはまだ報告されてなかったのかしら、悟さん何も言っていなかったから・・・。」
「そうか・・・。直接話したいのか、はたまた親父が寂しがるから黙っているのか、定かじゃないな・・・。」
「そうねぇ・・・両方かしらね?・・・ところで・・・」
「・・・ん?」
「・・・いいえ、何でもないわ。」
母は何か遠慮したように誤魔化すので、俺は何となく会話の流れから尋ねたいことを察した。
「・・・俺の話か?」
「・・・ええ、少しはね?気にしているのよ。別に貴方を心配しているというほどではないの。けれど小夜香ちゃんのこともだけど、事後報告されてお祝いのタイミングを逃してしまいそうでね?出来れば知りたいなと思っている程度なのよ。」
「そうか。・・・なんだかんだ俺ももうすぐ36だし・・・まぁ・・・まだ子供を持ってもいい年かなと思っているんだ。だから相手のタイミングにもよるけど、再婚したいと考えてる。」
俺がそう告げると、母は少し黙っていた。
「そう・・なのね。・・・ごめんなさい・・・こんな言い方したら悪いのかもしれないけど、良かったわ・・・。」
「何が悪いんだ?」
「・・・その・・・小百合さんのことを考えてしまって・・・。」
「・・・母さん、俺は亡くなった妻がどう思うだろうとか、考えながら生きるのはもうやめたんだ。」
「・・・そうね・・・そうよね。」
「親であるからこそわかるけど、散々心配かけてきたと思うし、黙って見守ってくれていたこともあると思う。何より小さい小夜香を育ててくれたのは母さんと父さんだ。その甲斐あって今子供たちの平穏を護っていけているから、小夜香が咲夜くんと一緒に生きていけると、自信をもって家を出られるなら、俺も・・・と思ってる。」
電話口の向こうで、母が少し涙ぐんでいるのがわかった。
「ふふ・・・少し様子を伺うだけのつもりでかけたのに、思いのほか会いたくなってしまったわ。また来月にでも休暇を取れないか調節して、悟さんと帰るわね。」
「ああ、わかった。会えないならそれはそれで、また都合のいい時に電話をくれ。」
「ええ、ありがとう更夜。くれぐれも医者の不養生にならないように、体に気を付けてね。」
「ふ・・・わかってるよ。じゃあ・・・。」
電話を切って、仕事のメール画面を見つめたまま少し考えた。
亡くなった妻は老舗である呉服屋、藤宮家の一人娘だった。
実家は京都にあり、島咲家の分家にあたる。
藤宮家が本家を離れてからは100年以上経っているが、元々御三家に着物を卸していたこともあり、繋がりは深いものだった。
小百合は元々病弱で、跡継ぎとなる婿を取ることも拒んだため、静養する目的として本家に身を寄せることになったが、それは親から捨てられたも同然だった。
現に小百合が本家に戻ったのは16歳の頃だったそうだが、それから決定的に縁を切ることになった一度しか、父親は顔を見せることはなかった。
精神的虐待とも思える父親の態度に、俺が半ば強引に本家に立ち入ることを禁じたこともあるが、亡くなった知らせを打っても葬式にすら来なかった。
母親はと言うと小百合から聞いた話では、早くに病死したとのことだった。
小百合の遺品は、まとめて俺の部屋の衣装部屋に置いてある。
所持していた本は書斎に混ぜてしまったが、着物や洋服、小物類も全て、余すことなく本家から持ち帰った。
部屋に戻って、改めてそれらを眺めて手に取る。
高価な生地で作られているその一つひとつの着物は、確かに箪笥の肥やしにしておくにはもったいない代物だ。
いずれは小夜香が着るだろうと残してはいるが・・・それにしては数が多すぎる。
一番長く着ていた普段着の着物だけでも・・・形見として返すべきだろうか・・・。
もう小百合の父親や、その家族たちは、彼女を居なかったものとして忘れてしまったんだろうか。
実家に訪問して門前払いされるならまだいい、だが無関心で気にしてすらいなかったら?
「お父さん、どうしたの?」
小百合の着物を持ってボーっと佇んでいると、いつの間にか小夜香が側に居た。
「・・・いや・・・」
心のどこかで、振り払おうとしていた違和感がまた体の中を巡った。
行き場のないため息を落として、俺はまたそれを丁寧に仕舞う。
十数年経って、今更何を思う。
心配そうに俺を覗き込む小夜香の顔を見ると、そっくりに成長したその容姿で嫌でも思い出すことはある。
以前本に挟んで隠していた写真もそうだが、いちいち気持ちを引っ掻き回されても仕方ない。
「大丈夫だ・・・。心配ない。」
心無い返事をただ発声した。そうでないことはすぐにばれるとわかっているのに。
「も~・・・お父さんの馬鹿ぁ・・・。」
「・・・あ?」
「なになに~?感傷的になっちゃってたの?私がぎゅ!ってしてあげよっか?」
小夜香はそうおどけながら、両手を広げて見せた。
「ふ・・・。じゃあしてもらおうかな。」
小夜香はキョトンとした顔を返したが、まだまだ小さいように感じる小夜香を抱きしめた。
小さいと言っても、もう17歳だ。かつての小百合と同じサイズ感ではある。
小夜香は少し戸惑いながらも、黙って腕を回して抱きしめ返してくれた。
「いつの間にこんなに大きくなったんだろうな・・・。」
「ええ・・・?お父さんホントにどうしたの?もしかして小百合さんと喧嘩でもしたとか?」
「いや・・・」
奇しくも同じ名前の今の恋人は、俺が妻を亡くしたことを知っているし、今更ながら俺が妻の親類と関わりを持ったとしても、特に気にする人ではないとは思う。
そっと体を離すと、小夜香は気を取り直すように言った。
「ね、せっかくだしバルコニーで寛ぎながら話聞きたいなぁ。何でもないんだ、とか今更なしね?」
小夜香は返事を待つことなくベランダへ向かい、大きな窓を開けた。
「そういえば・・・週末なのに今日は咲夜くんちに出かけないのか?」
「ん~?今日は咲夜くん朝から日雇いのバイト入れてて、夕方からも塾講のバイトだって言ってた。飲み物何か持ってこようか?」
「・・・いや、いいよ。」
エアコンをつけていない室内はそこそこ暑いものだが、入道雲が見えるバルコニーは影の下で、意外にもそこまで暑くはなかった。
「春秋はここでまったりお昼ごはん食べるのもきっといいよね。天気がいい晩は月見たり、少ない星空見たりさ・・・」
バルコニーチェアに腰かけ頬杖をつきながら、小夜香は遠くを見つめて言った。
「そうだな・・・。そういえば、母さんから電話があって、残念だけどお盆に帰れそうにないから、また来月に帰れる目途がたてば連絡すると言ってた。」
「そうなんだ、残念・・・。おじいちゃんはしょっちゅうメッセージくれるから、元気なんだなぁっていうのは知ってるけど、二人とも仕事忙しいんだね。当然かぁ・・・現役のお医者さんだし・・・。それで?お父さんどうしたの?」
小夜香は俺が押し黙るのをわかっているのか、急かすように尋ねた。
「・・・ふぅ・・・。小百合の遺品の一部を・・・彼女の実家に届けようかどうか迷ってる。」
俺が吐露すると、小夜香は黙って俺を見つめてまたそっと視線を逸らせた。
「お母さんの実家って京都だっけ・・・。私学校行事では少し行ったことあるけど、お母さんが育った街ってどんなとこなんだろ・・・。お母さんのお父さんは、会いたいって言ったら会ってくれそう?」
「さぁなぁ・・・。住所は知っているし、店の電話番号はわかるから、近々連絡してみようかと思う。正直気乗りはしないが、少しでも父親が小百合の物を持っていたいと思っているなら、返してやるべきなのかもしれない。向こうの親が、俺と同じような親心を持っているか定かじゃないがな・・・。」
「そっかそっかぁ・・・。あのね、別に私がそう言うからそうしてほしいとかじゃないんだけど・・・私はちょっと、おじいちゃんに会ってみたいな。」
小夜香はそう言ってニッコリ笑みを見せた。それすらも、母親そっくりの笑顔だった。
「そうなのか・・・。どうして?」
「ん~とね、お父さんが知ってるお母さんは10代の頃のお母さんからでしょ?でもおじいちゃんはきっと、子供の頃のお母さんのことも知ってるはずだから。どんな人だったか聞いてみたいなぁって。」
「なるほど・・・。」
妻は小夜香が3歳の頃に亡くなった。当然小夜香は母親と過ごしていた記憶などない。
本家でどんな暮らしをして、どんな風に結婚することになったかは話したが、彼女の親類関係の話は極力していないし、死因の詳細も伝えることが出来ない。
小夜香ももう子供ではないので、俺が伝えられることだけしか話していないことは、何となくわかっているのだろう。
詮索しないのは、過去を蒸し返すことで俺の傷をえぐる結果になりかねないと、気遣っているからなのもわかる。
それでも母親の断片があればかき集めたいものだろうし、もう少し子供の頃は、しょっちゅう小百合の写真を見返していたと、母から聞いたことがあった。
一番多感な時期に、小夜香の側にいてあげることが出来なかった罪悪感もあり、叶えられることは叶えてやりたい気持ちでいっぱいだが、小夜香はそれすらも理解しているようで、自分の意見を優先するのではなく、したいようにしてくれと、そう思っているみたいだ。
そこまで娘に気遣われるようになってしまったかと、少し前までは自分を情けなく思っていた。
けれど心労が祟って具合を悪くする姿を見せてしまってから、小夜香は更に俺に大人の対応をするようになった。
「お父さん、着物を返してあげるのはいいことだと思うけど、相手がそれをどうとらえるかわかんないなら、どんな酷いことを言われたとしても、お父さんのせいではないんだよ。」
「・・・そうだな。」
小夜香はもう精神的に大人になりすぎて、子供と話しているというより、対等の一人の人間としての会話をしている。
「とりあえずはまぁ、一報を入れてどういう対応をされるかだな・・・。」
そう言いながら懐から煙草を取り出すと、小夜香は小さく頷いた。