【連載版始めました】追放された聖女の明るい復讐譚「声が甲高くなる呪いをかけてやる」
「本当にいいんだね、レナ?」
魔女のテルマが何度も確認する。
「はい、バッサリやっちゃってください」
シャキリシャキリ ハサミが入るたび、レナの自慢の黒髪が軽くなっていく。
「ほい、切り終わったよ。鏡見てごらんなよ。意外と似合うよ」
レナは手鏡で自分の顔を写してみた。アゴの下あたりで切り揃えられた黒髪は、重みがなくなんだか頼りない。首元もどうにもスカスカする。
レナは首を軽く振ってみる。うん、でも思ったより悪くない。
「ついでに染めちゃおっかなー」
「いいんじゃないかい、好きな色に染めたげるよ」
「やだ、テルマさん……泣かないでよ。私まで泣きたくなっちゃうじゃない」
「あんたはまったくもう。あんなひどい目にあったんだから、泣いたっていいんだよ」
「今はまだ泣かないの。全部終わってスッキリしたらいっぱい泣くつもり」
「そのときはいつでもおいで。一緒に泣いたげるからさ」
テルマはタオルで目尻を拭くと、レナの頭をぐしゃぐしゃとなでる。
「それで、髪は何色にしたいんだい?」
「そしたら目の色と合わせて緑にしよっかな。春の新緑みたいな元気が出る色にしてよ」
レナは無理して笑顔を見せる。テルマは何も言わずに髪を染めてくれた。
***
レナはついこの間まではこのドルーヴァン国の聖女だった。でもあっさり追放されたのだ。新しく魔力の豊富な聖女が見つかったらしく、レナは用済みということでポイされた。
隣国が聖女を必要としているらしく、紹介状はもらっている。でも厄介払いされたことには違いない。
「好きだったのにな……」
レナはライアン第一王子のことを思い出す。優しくて美しくて理想の王子様だった。ついこの間までは。
「私の何がいけなかったんだろう」
ポツリとレナの口から心の声が漏れてしまう。
ダメだダメだ。暗くなってる場合ではない。明るく復讐するって決めたんじゃないか。ドロドロした復讐は聖女の力を損なうので、軽〜い仕返しをするのだ。そしてスッキリしたらいっぱい泣いて、笑顔で隣国に行ってまた聖女としてがんばるんだ。
レナはテルマさんにもらった魔法陣に集中して魔力を流す。
「うん、うまく発動したっぽい」
レナの黒髪と引き換えにもらった呪いだ。今ごろライアン王子は驚いていることだろう。
レナは『声が甲高くなる呪い』の魔法陣をクルクルと丸めると、バッグの中にしまった。
◆◆◆
「おい、お前たち、何をニヤニヤしている」
「は、いえ、あの……殿下の声が、ややなんといいますか……」
「なんだ、ハッキリ言え」
「はっ。殿下の声が幼女のようにかわいらしくなっています」
「なんだと! 私にはいつもと同じに聞こえるぞ。お前たち、まさかふざけてはいるまいな」
「いえ、まさかそのような。……殿下、本日の外交はエイデン第二王子殿下に代わっていただくほうがよろしいかと……」
◆◆◆
「テルマの紹介だって言うからやるけどさ、あんた本当にいいのかい?」
魔女のエルザがためらいがちにレナの瞳をのぞきこむ。
「はい、大丈夫です。気にせず抜いちゃってください」
エルザは大きな魔石をレナの目に当てる。魔石は明るい緑色に光った。
「うん。ちゃんと抜けたね。……まあ、悪くないとは思うよ」
エルザはそっとレナに手鏡をわたしてくれる。そこにはぼんやりとした黒い瞳が映っている。
「しばらく目を休ませる方がいいからね。このメガネをおまけでつけてあげるよ。まぶしい場所では必ずかけるんだよ」
レナはメガネをかけて森の木陰でひと休みする。さっき市場で買ってきたリンゴをかじりながら、空を見上げる。
ヒラリ 大きな葉っぱが一枚落ちてきた。
レナは葉っぱをつまむと髪の色と見比べてみる。髪と葉っぱがほぼ同じ色で嬉しくなる。
「瞳の色は黒になっちゃったけど、髪は緑色だし、交換したと思えばいいよね」
レナはメガネの上に葉っぱを乗せて目をつぶる。
「ライアンは私の瞳がキレイっていつもほめてくれたな。ライアンはお月様みたいな金色だった」
レナは首をブンブンと振った。
「また後ろ向きになってる。せっかく魔法陣もらったんだもん、早速やってみよう」
瞳ふたつ分で、ふたつの魔法陣をもらえたのだ。エルザさんてばいい人だ。
レナは『果物がいつも酸っぱい』と『肉がいつも生焼け』の魔法陣に魔力を流した。
「クククク、ライアンはもう、好きな果物と肉が楽しめなくなるぞ。ざまあみろ」
レナは、ゴロンと仰向けに寝転がると、若葉を見ながらリンゴをかじった。
◆◆◆
「なんだ、今日の果物はどれも酸っぱすぎるぞ」
「兄上、僕の果物は甘いですよ。取り替えましょうか?」
「なんだ、ちっとも甘くないじゃないか、どうなってるんだ一体」
「ライアン、小さなことで大騒ぎするのではない」
「しかし父上……なんだこの肉は、火がちゃんと通ってないじゃないか。こんな血の滴る肉が食えるか。料理長を首にしろ」
◆◆◆
「こんなかわいらしいソバカスをもらっちまって、本当にいいのかい? ソバカスは精霊のキスと言われてるのに」
魔女のナオミが心配そうにレナの頬をなでる。
「はい、いいんです。私にはもう必要ないんで」
ナオミはレナの顔に黒い布を当てた。しばらくすると、黒い布にたくさんの星がまたたいた。
「うん、ちゃんと移ったね。まあ、陶器みたいな真っ白な肌も、あんたには似合ってるよ」
レナは窓に映る青ざめた顔を見る。うん、大丈夫。精霊のキスがなくても、私は元気だ。
「もう遅いから、今夜はうちに泊まっていきな」
レナは屋根裏部屋の窓から星空を眺める。
「ライアンはいつも私のソバカスにキスしたっけ」
レナは顔を手でゴシゴシこすった。ベッドに置いていた魔法陣を眺める。もう既に魔力は流したあとだ。
レナは『インクがいつもボタッと落ちる』魔法陣を眺めると、机の上に置いた。レナはベッドに寝転がると、頬をそっと撫でた。
◆◆◆
「ええーい、なんだこのペンは、書類がめちゃくちゃではないか」
「殿下、新しいペンをお持ちしました」
「ああっ、まただ。契約書が台無しだ。なんてことだ、最近呪われてるみたいじゃないか」
「…………」
「なんだよ、何か言いたげだな」
「殿下、やはりレナ様を呼び戻されてはいかがですか?」
「なんだと?」
「新聖女は見た目は確かに美しいですが、魔力の質がよくないと神官から声が上がっています」
「……まだ慣れていないだけであろう」
「であればよいのですが……。書類については、エイデン第二王子殿下に署名していただきます」
◆◆◆
スッキリもしなかったし、泣きもしなかったけど、なんとなしにレナは隣国のラミタス王国との境界に着いた。もっと仕返しを繰り返してもよかったのだけど、もうレナには魔女に渡せるものがなかったのだ。さすがに生爪とか指とかは渡したくないじゃないか。
境界門の衛兵に紹介状を見せると、衛兵はレナを礼儀正しくもてなしてくれた。
「明日には護衛と馬車をご用意できます。恐れ入りますが、本日は街まで私が護衛を務めさせていただきます」
「え、そんな、わざわざ結構です。今までもひとりで来れましたし」
「いえ、聖女様には必ず護衛をつけるようにと上から言われております。聖女様は国の宝ですから」
「本当? 私もう若くもないし、髪も短いし、美人じゃないけど」
「……? あの、私はあまり魔力が豊富ではないのですが……。聖女様の魔力はなんとなく感じとれます。温かくて包み込まれるような、そんな感じで。それってすごいことです」
衛兵は言葉を選びながら一生懸命伝えてくれる。
「それに、聖女様は雰囲気が穏やかで落ち着きます。とてもかわいらしいと思います」
衛兵は照れながら言った。レナは恥ずかしくてずっと下を見て歩いた。
レナはどこの街に行っても歓待された。教会を訪れ魔石に魔力をこめ、病気の人に治癒魔法をかける。皆が涙ながらに感謝し、心づくしのお礼を持ち寄ってくれる。
ドルーヴァン国では、ライアンに言われるまま魔石に魔力をこめたり、治癒魔法をかけたりしたが、特にお礼を言われたことはなかった。レナは平民だから、そんなもんだろうと思っていたのだ。
レナは、まだ自分が役に立つと知れて嬉しかった。
レナが少しずつ笑えるようになった頃、ラミタス王国の王都にたどり着いた。
王都に着くと、すぐに王の執務室に通される。
「聖女レナ様、よくお越しくださいました。長旅でしたが、お体は大丈夫ですかな?」
レナは驚きのあまり言葉が出なかった。前の国で、王族にこのように丁寧に対応されたことなどなかった。
「聖女レナ様、いかがなされました? ご気分が優れないようでしたら、お部屋に案内させますが」
「あ、いえ。ドルーヴァン王国では、このような扱いを受けてきておりませんでしたので……。私は平民ですし」
「あの国はどうかしておるのですよ。護衛もつけずに聖女レナ様を我が国まで追いやったそうではありませんか。全く信じられません。あんなことでは近々神に見捨てられるに違いありません」
王はふと思い出したようにつけ加えた。
「いや、もう既に見捨てられたかもしれませんな」
「え?」
「ライアン第一王子殿下がなにやらおかしな呪いにおかされ、部屋から出てこなくなったという噂です。王位は第二王子が継ぐとか」
「あっ……」
「それに、新聖女の力が弱く、魔物の出現が多くなっているとも」
「そうなんですね……」
「今しがた、ドルーヴァン王国から便りがあり、聖女レナ様の居場所を聞かれました」
王はまっすぐにレナを見つめた。
「聖女レナ様、レナ様はドルーヴァン王国にお戻りになりたいでしょうか?」
「いいえ、いいえ。私はもうドルーヴァン王国に二度と戻るつもりはありません。あの国では大切にされたことがなかった……。この国にきてからそれがよく分かりました」
王は安心したように笑顔を見せた。
翌日からレナは早速働き始めた。王や神官は、もう少し国に慣れてからでよいと言ってくれたのだが、レナは貧乏性なので働いていないと落ち着かない。
中央神殿の魔石に魔力をこめることから始め、徐々に結界石にも力を注いできた。今日は重い病いで苦しむ人たちを治癒するのだ。
教会の隣にある病院は、末期患者の療養所も備えられている。レナは院長に連れられて、病いの重い人から順番に治癒魔法をかけていく。
レナの魔力は多いけれど、末期患者を完治させるほどには潤沢ではない。呼吸の早い患者の胸に手を当てて、澱みを取り除いてあげるぐらいしかできない。
ひとりの患者にだけ魔力を注ぐわけにはいかないのだ。
「今日はここまでで充分です。聖女レナ様、貴重なお力を患者に与えてくださったこと、感謝いたします」
院長や看護師はレナの手を握って何度も何度も礼を言う。
レナは護衛を伴って病院を出て、隣の教会に入っていく。神に祈りたかったのだ。
レナは礼拝所で跪き、真摯に祈った。
「もっと魔力が増えますように。もっと多くの人を助けられますように」
力が欲しい、切実に思った。
礼拝所から出ようとして、レナは子供たちの歌声を聞いた。中庭に行くと、たくさんの子どもたちがひとりの男性を取り囲んで歌っている。淡い色彩の男性は木の下で椅子に座って、ポロンポロロンと小さな弦楽器を爪弾いている。
空気と溶け合うような優しい音楽だった。
ポロン 最後の音が鳴り終わり、レナはためらいがちに手を叩く。
子どもたちが歓声を上げながら走り寄り、あっという間にレナは子どもたちに取り囲まれた。
「レナ様、レナ様、今日はティム様がいらしてるのよ」
「ティム様、ほら聖女レナ様だよ」
「レナ様、早く早く」
子どもたちに押されて、レナは男性の前に押し出される。淡い白金の髪に、一度も日に焼けたことのなさそうな白い肌、淡い水色の瞳。光の中から現れたような人だった。
「レナと申します」
レナは、男性の尋常ではない美しさにかなり尻込みしながら、オズオズと挨拶する。
「聖女レナ様、初めまして。ティモシー・ラミタスです。どうかティムと呼んでください」
レナは慌てて跪いた。王国の名字を持つのは王族と決まっている。
「レナ様、お立ちください。聖女様は誰にも跪く必要はないのです。それに、私はしがない第三王子ですから」
ティモシーはレナに手を差し出し、木の下の椅子まで誘導する。その足取りがややおぼつかないことに、レナは気づいた。
「僕は生まれつき目が悪くてね。メガネをしないとほとんど何も見えないんだ。メガネをすると頭が痛くなるしね」
椅子に座ると、ティモシーはレナの首元に視線をさまよわせながら言った。
「執務はできることが限られているから、民の声を聞くようにしているんだ」
レナは病院での治癒が終わる度、中庭でティモシーと会話するようになった。
ドルーヴァン王国でのこと。毎日働いてばかりで趣味もないこと。王子にされた仕打ちのこと。そして、レナがやったささやかな仕返しのことも。
ティモシーは何も言わず、黙って聞いてくれた。レナが話し終わったとき、ティモシーはためらいがちにレナの髪に手を伸ばす。
「柔らかくて気持ちのいい髪だ。今この髪は何色なんだい?」
レナはくすぐったい気持ちになったが、じっとしていた。
「いつのまにか緑色はとれてしまって、今は元の黒色なの」
「そう、人々を眠りで守る夜の色だね。レナにピッタリだ」
ティモシーはそっとレナのまぶたに指をはわせる。
「もう痛みはない? そんなこと、二度としてはいけないよ」
「もう痛くはないわ。色は少し灰色っぽくなってきたの」
「そう、希望に満ちた夜明けの空の色だね。レナも少しは希望が持てるようになってきた?」
「ええ、今は毎日が穏やかで安らぐわ」
ティモシーは優しくレナの頬をなでる。
「もうソバカスはひとつも残ってないのかい?」
「それが、最近右目の下にひとつ出てきたのよ。精霊がキスしてくれたのかしら」
ティモシーがレナの右目の下を親指でなぞる。
「僕もキスしていいかい?」
「ええ……」
ティモシーはレナに顔を近づけ、ソバカスを見つけると軽くキスする。ティモシーはレナのおでこにコツンと自分のおでこを合わせた。
「レナの姿はよく見えないけれど、レナの声はすごく好きだ。ずっと聞いていたくなるよ」
ティモシーは柔らかくレナの口をふさいだ。
「この国に来てくれてありがとう。ずっと僕のそばにいてくれると嬉しいな」
レナは穏やかな日々を過ごしている。
鎖骨あたりまで伸びた黒髪はゆるくひとつにまとめている。
ソバカスは三つに増えた。毎日ティモシーはソバカス三つ、最後に唇にキスをする。
もうライアンを思い出すことはほとんどない。
仕返しをして、スッキリしたかというと、それがそうでもなかった。復讐は何も生まないというのは、本当なのかもしれない。
でもレナは後悔していない。あれは自分にとって必要な儀式だったのだ。
もう誰も好きにならない、そう思っていたけど……。
私の声を好きと言ってくれたティモシーの手を握る。
「何を考えているの、レナ?」
「あなたのことよ、ティム。あなたのこと」
レナはティモシーの肩に頭を乗せた。
テルマに会いに行きたいな、ふと思った。
一緒に泣くのではなく、愛しい人のことを話したいな、そう思った。
【後日談】=======================
「本当にいいのかい?」
「はい、大丈夫です。お願いします」
シャキッシャキッ ハサミの小気味よい音がして、床に柔らかい茶色の巻き毛が落ちる。
「はい、できたよ。よく似合ってると思うけどさあ……。一体全体どっから呪いの話聞いたんだい? 最近ちょくちょくこういう依頼がくんだけどさあ」
「あの、王宮に野菜届けてる子からウワサを聞いたんです。王子がおかしなことになってるって」
「わあああああーーーー」
魔女のテルマは大声を出して、少女の口を手でふさいだ。
「ちょいとあんた、そのものズバリの単語出さないでおくれよ。あたしが縛り首になったらどうしてくれんだよ」
少女は肩をすくめて縮こまる。
「それで、誰に何したいか言っておくれ」
「ふんふん、なるほどね。結婚を約束してた肉屋のトムが、結婚式の支度金持って他の女と逃げたんだね。それは気の毒なこったねぇ。それで、どの呪いがいいんだい?」
少女は真剣に魔法陣を見て、ひとつを選んだ。
「これにします。あの、トムがいつも身につけてた物があると、よく効くって聞いたんですけど……」
「そんなことまでウワサになってんのかい? まったく。どれ、ここに置きなよ」
少女は魔法陣の中央にトムのエプロンを置いた。
「そしたら今から魔力流すからね。離れて見てなさい」
テルマは魔力のこもった魔石を魔法陣にあてて、力を押し込む。テルマの顔が真っ赤になり、次に真っ青になった。テルマの顔から汗がポタポタ落ち、全身がブルブル震えた。
ホワッ 魔法陣が光り、光がひと筋どこかに飛んでいく。
「ふー、やれやれ。あたしはアノ子と違って魔力が少ないからねぇ、重労働だよ全く」
「ありがとうございます。あの、これウチのお店で使える券です。鶏肉と野菜の煮込みがおいしいって評判なんです。いつでも食べに来てください。券がなくなったらまたお渡しします」
「ありがとうよ。一年分ぐらいあるじゃないか。そしたら、街に買い出しにいったら寄らせてもらうよ」
少女は何度もお礼を言って、帰っていった。
テルマは「偉い人が話し始めると鼻の穴のきわが妙に痒くなる」魔法陣を丁寧に丸めると、棚の中にしまった。
***
「ねぇ、トム、今日はアタシたちのお店の家主が見にくるのよ。ちゃんと掃除しないと」
「そうだな、ピカピカにしないとな。肉屋は清潔じゃないと客がつかねえから」
「やあ、こんにちは。調子はどうだい? ほう、キレイにしてるじゃないか。これなら肉の仕入れさえできれば、いつでも開業できるな」
「はい、そうなんです。仕入れ先はもう見つけたんで、来週には営業できます」
「おい、お前、ふざけてんのか?」
「は? いえ、ふざけてなんていませんけど?」
「ちょっと、トム。あんた何やってんの? 鼻ほじんないでよ」
「え、ええ? そんなこと俺してねぇ」
「クッ よくもバカにしやがって。この話はもうおしまいだ。契約はしない。今週中に出て行け」
「バカ、トムのバカ。どうして家主の前で鼻ほじるの? 意味分かんない。私もう家に帰る。さよなら」
***
「俺さー、最近なんかついてなくてさー。便所行くと紙がねーんだよ。おかしーだろ。紙あるって確かめて入るんだぜ。でもいざ使おうとすると、ねーのよ。俺、こえーよ」
「俺なんて、しょっちゅう足の小指どっかにぶつけんだよ。すっげーイッテーのなんの。折れてるかもしれん」
「やっぱあれかな……。女遊びがひどいヤツが呪われるってやつ。俺たちこの前、田舎のウブな姉妹をポイ捨てしただろ……」
「…………」
***
「陛下、最近妙なウワサが出回っております。女性に対して心ない仕打ちをした者に、何やら妙な呪いがかかるという。もしや聖女レナ様がこの国全体に呪いをかけているのでは……」
「ライアンが部屋に閉じこもっておる例のアレか……。そういえば、ワシは最近ずっと口の中にデキモノがあるのだ。痛くて何も食べる気がしない……。もしやワシも……」
「陛下、ラミタス王国に使者を送りましょう。そして聖女レナ様に償いをするのです」
「う、うむ。そうだな、そうするか」
***
「レナ、何を笑っているんだい?」
「さっきね、ドルーヴァン王国から使者が来てね、お詫びの品をたくさんくれたの。宝石とか布とか。それで、もう呪わないでくださいって頼まれたの」
「でも、レナはもう呪ってないだろう?」
「そうなの。もう呪ってないし、そろそろライアン殿下の呪いも解けるころだと思うのよね。まあ、知らないふりして、何のことか分かりませんって返事したんだけど」
「そう。それでどうして笑っているの?」
「その使者の人、鼻毛がすごくて。本人気にしてるみたいだから、気づかないふりしたんだけど。あはは、誰かあの人に鼻毛が伸びる呪いかけたのかも。おっかしい」
「ふふふ。僕も見たかったな」
「そういえば、テルマさんから手紙が来たのよ。なんだかドルーヴァン王国にいるのが怖いから、こっちに引っ越してくるって。楽しみだな、紹介するね」
「レナの友人に会えるのか。それは楽しみだ」
レナはティモシーと手をつなぐと、城内に向かってゆっくり歩いた。
【更なる後日談】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その日、ドルーヴァン王国の毎年恒例の行事である、騎士団対抗戦で前代未聞の珍事が起こった。王の剣たる近衛騎士団の精鋭が、下級騎士が多い騎士団にボロ負けしたのだ。
近衛騎士団は高位貴族の見目麗しい令息で構成される。もちろん、見た目だけで選ばれるわけではない。一人ひとりが騎士団長級の腕を持ち、武技と魔法を組み合わせて戦える一騎当千の実力者である。
かたや騎士団は、騎士養成学院で戦い方を学んだ下級貴族や平民で構成される。騎士団など、しょせん人海戦術用の使い捨ての駒とバカにされてきた。
ところが五人制の対抗戦で、近衛騎士団の先鋒、副将、大将の三名が敗れたのだ。あってはならない大惨事だ。
近衛騎士団の会議室は異様な空気に包まれている。
隊長が重い口を開いた。
「それで、大将のクライス、見解を述べてみよ」
「は、なんの言い訳にもなりませんが、靴の中に尖った小石が入っており、踏み込みができませんでした」
「……なぜ対戦前に石を出しておかなかった」
「は、それが……何度石を出しても、なぜかまた入ってきてしまいました」
隊長は机をダンと叩いた。
「そんなバカな話があるか。次、副将のアーノルド、お前はなんだ」
「は、あの……残尿感がずっとありまして……」
「ああ? なんだ? もう一度大きな声で言ってみろ」
「はっ、残尿感があり集中できませんでした!」
「バカモン、ふざけんな」
隊長は大声でどなったあと、長いため息を吐く。
「先鋒のブルース、言ってみろ」
「は、突然全身の毛が抜けて驚いてる間に負けました」
「……確かに、お前、頭どうした? 剃ったのか?」
「いえ、突然髪が全て抜け落ちました。髪だけでなく、すね毛も指毛も……下の毛もです! 全身ツルツルです!」
ブルースはヤケになって大声で叫んだ。
「隊長、少しよろしいですか?」
副隊長がおずおずと発言する。
「もしや、これは例の呪いではないでしょうか……。女遊びが激しい男がかかるという……」
「なんだと……。おい、お前ら、後ろ暗い点はあるか? 正直に言ってみろ」
三人はスッと目をそらした。
「あるんだな……。なんてことだ。お前ら、これから女遊びは禁止だ。すぐに結婚しろ。そして絶対に浮気するな。女房を大切にしろ。それができないなら、首だ」
それ以来、近衛騎士団は愛妻家の集まりとして知られるようになった。
***
のどかな晴れた午後、王宮では王と王妃がお茶を楽しんでいる。
「あなた、口の中のデキモノ治りましたの?」
王妃が尋ねた。
「おお、そうなのだよ。やっと治って、今日は久しぶりにそなたとケーキを食べられるのだ。ふむ、実にうまそうではないか」
王は、優雅に食べられるギリギリの大きさをフォークですくうと、満面の笑みで口に運ぶ。
ぶーっ 王がケーキを吹き出した。
王妃はこめかみをピクピクさせて、冷たい声で聞く。
「なんですのいったい。不作法にもほどがありますわ」
「ケーキが、か、からい!」
「何をバカなことをおっしゃっているのです。どれ……。甘くておいしいですわよ」
「そ、そうか。少し紅茶を飲んで口の中をきれいにしよう」
「あなた、なんですの、その小指」
「ん? 小指? わー、なんでワシの小指がピンと立っておるのだ! 気持ち悪い」
王はカップを置くと手を開いたり握ったりした。王はフォークを手にとると、ケーキを少しだけ口に入れる。途端に王は顔を真っ赤にして、目を白黒させながら飲み込んだ。
「か、からい。どういうことだこれは」
王妃は氷のような目で王を見ると、侍女に耳打ちする。侍女はしばらくすると、お皿にトウガラシをのせて戻ってきた。
「あなた、そのトウガラシ食べてみてくださる?」
王妃の有無を言わさぬ迫力に、王は渋々トウガラシをつまんで、少しだけかじった。
「あ、甘い、甘いぞ。なんてうまいトウガラシだ。これならいくらでも食べられる」
王妃は静かに立ち上がった。
「あなた、またどこぞの女中に手を出しましたわね。それ、例の呪いでしょう。わたくし、しばらく実家に帰らせていただきますわ」
月日がたち、ドルーヴァン王国はある評判を得るようになった。彼の国の男は、女性をとても大事にすると。
<完>
お読みいただきありがとうございます。ブクマや評価もありがとうございます。とても励みになります。おかげさまで9/29に日間ランキングに入りました。とても嬉しいです。ありがとうございます!
誤字脱字報告ありがとうございます!
*感想でおもしろい仕返しネタをいただきましたので、「更なる」後日談を追加しました。ありがとうございました。もし、イヤでしたら消しますので、ご連絡ください。
塩豆大福さま「偉い人が話し始めると鼻の穴のきわが妙に痒くなる」
チャイーRさま「トイレに入るたびに紙が切れてる」
りふらふさま「一日一回箪笥の角に足の小指をぶつける」
booom さま「鼻毛が1時間に1本は出る呪い」
ひろろんさま「1週間に1回口内炎ができる」
にゃふさま「靴の中に尖った小石が常にある」
にゃふさま「お小水がビミョーに出しきれない」
ひよこさま「全身禿げる呪い!」
高谷さま「甘いものと辛いものが常に逆になる」
かえるの王様さま「お茶を飲む時に左手小指がピンと立ってしまう呪い(オッサン限定)」
なんだか大喜利みたいになってきました。皆さんが楽しんでいただけると嬉しいです。