89.王立オーケストラ②
ギィ…
扉を開けたリリーに、注目が集まる。
ザッ
その視線を受けて、リリーは丁度… 満員電車の中で急に子どもが泣き出した時の感じに似ている、と思った。
「あら可愛いお嬢さん」という、優しい目。
「何だアイツ」という、敵意のある目。
「どうでもいい」という、無関心な目。
ホール中から集まったそれらに、リリーが一瞬たじろいでいると、後ろから伸びた手が扉をさらに押し広げた。
「今日から僕の妹のリリーがお世話になるね。
王城は初めてだし世間知らずだから迷惑をかけると思うけど、よしなに頼むよ」
兄様が声をかけると、皆は曖昧に笑ったりふいっと目を逸らしてから、自分がしていた練習の続きを始めた。
そして、オーケストラの代表者みたいな人が走ってきた。
「あぁウィリアム公爵子息様、わざわざありがとうございます。
リリーお嬢様も、公爵家領からの長旅お疲れ様でした。
私がこのオーケストラとホールの管理者の、ゲルプ・シトリン・ソニードと申します。
宜しくお願い致します。」
リリー父と同年代くらいの男性で、丁度昔の音楽家みたいにカールさせたグレーの髪を後ろに束ねている。
後から聞いた話によると、伯爵様らしい。
…リリーはこの世界でロン毛の男性を初めて見た!と思った。
ソニードさんは、リリーが公爵家領(本邸は王国の北側の領地にある)から直接来たと思っているようだが、今日は別邸から来ているので、実は長旅をしていないし疲れてはいない。
「いきなりお歌いになるのは大変でしょうから、まずは我々の演奏をお聴きになりながら、ご休憩下さい」
そう提案されれば、確かに緊張もしているし、先程の様子からあまり歓迎されてない可能性があるので、お言葉に甘えて見学からさせて貰うことにした。
お兄様に案内のお礼を言って別れ、リリーは勧められた椅子に座って演奏の開始を待った。
晩餐会で予定している曲は全部で6曲あり、リリーが歌う彩然寶頌はラストの6曲目だ。
それまでの5曲は、序曲、前奏曲、クルール王国の伝統的な組曲、ラピス公国の伝統的な協奏曲、交響詩となっている。
リリーは聞いたことのない曲ばかりなので、ドキドキしながら、始まった演奏に耳を傾けた。
リリーは、というか百合子は、若者らしくJ-POPや洋楽が好きだが、クラシックも聴いたことはある。
しかし、オーケストラの演奏をこんなに間近で聴いたことは無いので、音の渦に飲み込まれるような感覚に陥って驚いた。
迫力が違う。
ひとつひとつの楽器が力を合わせて歌っている感じで、揃って重なった音の和音がすごく綺麗なのに、音の粒も潰れずにちゃんと聞き取れる。
指揮者のタクトを皆で注視し、指示に合わせて強弱や速度を調整していて、こんなに大勢で演奏しているのに誰も列を乱さない所は、さすが王立のオーケストラだからなのだろう。
さっき挨拶をしてくれたソニードさんは、管理者と言っていたけど、オーケストラには入っていないようだ。
指揮者も違う人だった。
指揮者は難しい顔をして、一心不乱にタクトを振るっている。
演奏はとっても上手なんだけど、何だろう…
何か足りないような…
気のせいかな。
素人だから詳しいことは分からないけど、ふと頭に、いつか読んだマンガのワンフレーズがよぎった。
"カンタービレ" と。




