おまけ✿ SIDE ジニア
お嬢様が、また熱を出された。
果物も野菜も食べたくないと言って臥せっている。
もともとか細い御身体なのに、このままでは本当に儚んでしまうのではないかと心配になる。
「お嬢様、すりおろしリンゴだけでも召し上がられませんか? 絞ったジュースもございます」
「いらないってば! 私のことは放っておいてよ!」
頭から布団を被って拒絶する。
私はその震える膨らみを優しく撫でた。
10歳になられたお嬢様は、世に聞く"反抗期"なるものなのか、最近は誰も寄せ付けない。
食事を全く摂らなかったり、誰とも話さなかったりするのだ。特に私にはわがままを通す傾向にある。
ロータス様には、あまり強く出られないみたいだ。
布団の膨らみの中で、歯を食いしばるような声が聞こえる。
「リリーお嬢様…」
優しく手を添えれば、中から小さな声が聞こえた。
「お父様は? お兄様は? 誰も来ないわ。
私が熱を出そうが、食事を摂らなくたって、誰も心配なんてしない。私なんて死んだって構わないんだから…!」
「お嬢様! そのようなことはございません!
公爵様もウィリアム様も、リリー様のことを大切に思っておいでですよ。
大切さゆえに、苦しまれる姿を見ていられないのです」
「嘘よ嘘! 誰も私のことなんか気にしていないわ」
う〜〜という呻き声は嗚咽に変わり、布団の震えが大きくなった。
「元気になりたい。丈夫な身体と手足があれば、こんな家、飛び出して行くのに。
外の世界にはきっと、私を愛してくれる人がきっといるはずだもの…!」
本格的に泣き出した塊を、私は抱きしめた。
それでも悲しみは止まらない。
「お金なんてなくたって、平民としてでも良いわ。
私はお針子仕事をしながら、旦那様の帰りを待つの。
可愛い子供と、犬と一緒に暮らすのよ。
こんな冷たい家で暮らすなら、死んでるのと同じだわ」
悲しみは怒りに変わり、まくし立てるように話す。
しかし息が続かなくなって喉から笛のような音がし始める。
「お嬢様、そのように興奮されては…!」
そっと布団をはぐり、涙でぐちゃぐちゃのお嬢様の背をさする。
咳込み、ヒューヒューと荒い息をしている。
大きな声を出しすぎたのだ。
まだまだ涙が止まらないお嬢様の背をクッションにもたれさせて、布団をそっと掛け直した。
ヒックヒック ゼェゼェと呼吸が整わない。
温めたタオルで顔と首を拭き、落ち着くのを待つ。
真っ青な顔色で目を閉じ、苦しそうなお嬢様に、何もできなくてもどかしい。
まだ10歳の少女にとって、両親のいない広い家は想像以上に冷たく寂しいものなのだろう。
ましてや身体が辛い時は、傍にいて欲しいものだ。
私は兄弟が多いから、弟妹が風邪をひいた時、いつもより甘えん坊のワガママになるのをよく知っている。
お嬢様も同じ気持ちなのだろう。
端正な顔を歪ませて荒い息を吐く。
貼り付いた髪を整えながら、発作が治まるのを待った。
熱は上がったり下がったりしていたが、1週間後に突然跳ね上がった。
私だけでなく、ロータス様の声にも反応が無く、水も口にされない。
目の下に隈ができて青く、唇は乾燥して白い。
指先は冷たいのに身体は燃えるように熱かった。
こんなことは今までにない。
意識が無くなってしばらくして、公爵様に伝令を走らせた。
今回は本当に危ないかもしれない。
まず、お嬢様に生きる気力が無いのだ。
この大きな峠を、越えられるだろうか。
力を送るような気持ちで手を握り、果実水を含ませた布を口の端で少しずつ絞りながら、公爵様の来訪を待った。
公爵様が来てくださればお嬢様は元気になるかもしれない。
今回は何とか来て欲しい。
そう、毎日祈った。
しかし公爵様は結局来られなかった。
意識が無くなって5日目に、お嬢様は突然目を覚ました。
そこからのお嬢様は、ほとんど別人だった。
聞き分けが良く、努力家で、人に全く甘えない。
これまで食事にほとんど頓着が無かったのに突然こだわられ始め、あまつさえ運動の出来るホールを建設された。
11歳の誕生日に剣を頼み、いつの間にか剣を振り回して男性を圧倒し、そこらを跳ね回り、歌まで歌いまくれる変わった令嬢に成長された。
私は、変わらずお嬢様のお傍でお支えしながらも、ずっと不思議だった。
というか、どちらかといえば、不安だった。
稀にしか会っていない公爵や兄、王子はその変化を好意的に捉えているようだ。
でも、こんなに変わることがあり得るのだろうか。
お嬢様は、あんなに好きだった読書も刺繍も全くしなくなった。
私のお嬢様は、もしかしてどこかに行ってしまったのだろうか。
もう、会えないのだろうか。
わがままだったし、御世話は結構大変だったけど、可愛かった。
多くのわがままは私だけに向けられ、それが気を許されている証のように感じられ、嬉しかったのだ。
私も出稼ぎのような形で公爵家に雇われ、仲良しだった兄弟と別れたから、実は寂しかった。
だから何となく、4歳下のお嬢様に、妹を重ねてしまった。
今のお嬢様は… とても"妹"ではない。
※ ※ ※
リリー様とエルム王子の婚姻式から2日後、部屋を片付けていると、ノックの音がしてリリー様が入って来られた。
「お忘れ物ですか?」
リリー様は婚姻式の後から部屋を移られていて、このお部屋に御用は無い筈だった。
不思議に思って尋ねると、リリー様はいつになく歯切れの悪い調子で私に聞いた。
「ジニア、小さい頃の私は可愛かった?」
「どうされたのですか、突然。
それはもう、可愛かったですよ。子供らしくて、甘えん坊さんで、わがままで」
記憶は少し遠くなったが、小さい頃のお嬢様を思い出す。
「そっか。あのね、昨日夢を見たんだけど…」
「夢ですか?」
「小さな私が、ジニアに御礼を言いたいって。
"時々八つ当たりしてしまったことがあったけど、ずっと傍にいてくれてありがとう、大好きよ"と伝えてって言っていたわ」
「!!」
目の前のリリー様は、私に八つ当たりをしたことは無い。
ということは、そのメッセージは、本当に昔の、いなくなってしまった私の小さなお嬢様の言葉だ。
「そ… その、小さなリリー様は、今は幸せでおられますか?」
「うん、衣装がか…いえ、お針子仕事をしながら幸せに暮らしているみたいよ」
普通の人が聞いたら、ワケの分からない話だ。
目の前のリリー様は王子妃で、お針子仕事などしない。
誰の話をしているのだと思うのだろう。
でも、私は妙に納得した。
やはり、今のリリー様と、私のお嬢様は違う方だったのだろう。
恐らくは、あの熱の日から。
「それは、良かったです。
多分ずっと、心配していました…」
自分でも知らないうちに涙が零れた。
リリー様は黙って私を抱きしめて下さった。
「私もジニアが大好きよ。今まで支えてくれてありがとう。
これからも、宜しくね」
この不思議な夜のことは、リリー様と私の、2人の秘密になった。
お嬢様と、リリー様がどうして今のようになったのか、聞いてみたい気もしたが、リリー様がいつか話して下さる日まで待とうと思う。
その日は多分、もうすぐな気がする。
ジニアの話をいつか書きたかったので、書けて良かったです!
わがままリリーも中々可愛かったようです。
さて、『魔力無しの疎まれ居候令嬢ですが、薬師兼聖女として幸せになります』というお話を書き始めました。
今回のお話とはまた違いますが、読んで頂けると嬉しいです。宜しくお願い致します!




