182.アノフェレス熱病の薬③
リリー達が、集められた草木を持って向かったのは、船着き場だった。
そこにはアシュトンと、まだ(?)病を得てない船員が待っていた。
「皆、変わりないかしら。
あれから熱病の人は、増えていない?」
リリーが尋ねると、
「お嬢サンの言う通り、積み荷のある部屋と船に、誰も近づかなくなってから、本当に病人は増えなくなったよ」
アシュトンは不思議そうに言った。
この熱病が、伝染病でなく蚊が媒介する感染症だと思ったリリーは、薬作りの許可を父様にとる時に、誰も船と積み荷にも近づかないよう伝言を頼んでいた。
今回の航行で積み荷についてきたであろう蚊は、もしかしたら船内をまだ飛んでいたり生きているかもしれない。
しかも、花は切り花でなく、植え替えられるよう土や葉ごと持ち込んだと言っていたから、最悪の場合は繁殖をしている可能性すらあった。
「やっぱりね。
それなら良かったわ。あとはこれ以上の被害を出さないようにしないと」
ピンゼル様を振り返ると、ピンゼル様もうんうんと頷いている。
大きな空の缶(本来ペンキを詰めるための缶)6つに10cmくらいの穴を開けて、持ってきたヨモギ、松、杉、茅を中に詰めていく。
そして、そのうちの2つの缶の中に、火をつけた松ぼっくりを入れた。
中でパチパチと草の爆ぜる音がして、煙が出てくる。
独特の臭いが、その場に立ち込め始めた。
「何をしているんだ?」
アシュトンと船員は首を傾げているが、とりあえず作業を大人しく見守ることにする。
最初の白い、水蒸気を含んだ煙の後は、黒く灰色の煙がもくもくと出てきた。
そうなってから、リリーが荷物の中から取り出した何やらゴツい布を穴から出る煙にあて、纏わせていく。
もう1つの缶も同じように、ピンゼル様が布を煙にあてて、満遍なく燻煙させていった。
缶から煙が出なくなり、完全に燻された布を広げると、それは服だった
「さて、これを服の上から着るわ」
それは前回、ラピス公国の交易品で報償として貰った、厚くて頑丈な布で作られた服だ。
時間がなかったので、雨ガッパ的な簡易構造になっている。(カシア作)
リリーの指示で、この服から出るのは顔と手足先だけだ。
出ている手には厚手の手袋、足にはブーツを履く。
つまり、防虫&殺虫煙を染み渡らせた対蚊防護服だが、アシュトンや船員は、季節にそぐわない意味不明な出で立ちに、怪訝な顔をしている。
リリーとジェイバーは、黙々と袖を通した。
最後に三角巾で鼻と口を覆ったら、完成だ。
即席防護服に身を包み、両腕に缶を抱えて船の中に静かに入る。
入口で、ピンゼル様が心配そうにリリーの袖を掴んだ。
ピンゼル様は中には入らない。
リリーが今からしようとしている事を、父様が聞いたら絶対に許してはくれないだろう。
今から船の中で行う事は、3人の秘密だ。
「大丈夫です、ピンゼル様」
リリーはくぐもった声で応えた。
締め切った船内は、昼間だから中は辛うじて視界に捉えられる程度で、だいぶ薄暗い。
ジェイバーを先頭に、聞いていた道順を手探りで進む。
最後の階段を下りて、目的の部屋の前に着いた。
緊張と、重ね着した厚い服と、鼻と口を布で覆っているための酸欠とで、顔に汗が伝う。
手に持った缶の感触を確かめて、深呼吸をひとつした。
「リリー様、宜しいですか」
ジェイバーの問いかけに、頷く。
ゆっくりと静かに、貨物室の重い扉が、開かれた。




