第93話 糾明
承前
国王は謁見室に入って玉座に座ると、既に階の下段で蒼ざめた顔で跪いているピオニル子爵をゆっくり時間をかけて眺めまわし、一つ溜息をついてから口を開いた。
「ピオニル子爵、久し振りだな。継爵の時以来か?」
「はい。御無沙汰いたし、申し訳ございませんでした」
「他にいろいろと忙しかったんだろうな。社交とか、都大路の闊歩とか。止むを得んな」
「……」
「今回の件だが、あらかじめ聞きたいことがある。監察の知らせをそちに送った時、なぜすぐに儂の所へ来なかったのだ? 何かの間違いとかちょっとした勘違いであれば、すぐに釈明に来るだろうと期待しておったのだが」
「申し訳ございません。きちんと確認してから、と思いましたため」
「そうか。まあ良い。では、始めるか。宰相、スタイリス、準備は良いか?」
「はい」「ははっ」
宰相とスタイリス王子の返事を受け、国王は大きく頷いた。
「では、個別に一つ一つ進めるとしよう。まずはクリーゲブルグ辺境伯からの訴えの、領間の契約について問う。宰相?」
「はい、訴状では、ピオニル子爵領では小麦を領境の近傍には植え付けぬ事、その他の場所でも農民の自給分を超えぬ事、その代わりにクリーゲブルグ辺境伯領から小麦粉の支援を行うこと、領間では関税を取らぬこととの契約が交わされているのが、違背されたとのことです」
「契約書は?」
「クリーゲブルグ卿が持参されております」
「これへ」
「はっ」
クリーゲブルグ辺境伯が進み出て契約書を宰相に渡す。
宰相は受け取ると、ざっと確認して国王に差し出した。
「間違いなさそうです」
「うむ。スタイリス、事実はどうであったのだ?」
「陛下、私の監察団は私の指揮の下に子爵領全般の綿密な調査を行いました。クレベール、陛下に調査結果を申し上げよ」
「はい。今年から契約対象の地域を初めとして、ピオニル子爵領全体で小麦の植え付けが大幅に増加しており、また、辺境伯領からの荷にも少なくとも4%の関税が掛けられていることを確認しました」
それを聞いて、国王が子爵に問う。
「ピオニル子爵、これについて何か言うことはあるか?」
「そのような領間の契約事があるとは知りませんでした。政を執るにあたって父の執務室は調べましたが、契約書があるとは思わず見つけられませんでした。小麦の増産は、領を富ませるのに必須と判断して行った事です」
「契約書が見つからんだと? 何だそれは。スタイリス、子爵側の契約書について、何かわかったか?」
「はい。子爵側の契約書は、子爵の代官の住居の隠し部屋に巧妙に隠匿されておりましたが、私の監察団はそれを暴いて発見しました。前子爵の執務室の机から代官が盗み出して移したものと考えられます。机はもともとは施錠されていましたが、代官が合鍵を無断で作っておりました。その合鍵も我々は発見しております」
スタイリス王子が得意げに報告し、国王は子爵をじっと見た。
「ピオニル、父の机すら、まともに調べなかったのか」
「は、重要書類が入っているとは思わず……」
「その上に、其の方の領で小麦の植え付けが抑制されていた理由も知らんのか?」
「収量が悪いためでは? それは単に耕作に工夫が足りないだけに過ぎません」
「情けない。自領に起きた災害も知らんのか」
「災害、ですか?」
「黒縮病だ」
「黒縮病?」
「たわけめ! 麦に出る病だ! 麦に黒い毛虫のような実がなり、それを食べた者は狂い死にをするのだ! 三十年ほど前だったか、それが其の方の父の不在中に突然に発生して大規模に広がり、危うく辺境伯領にも広がるところだったのだ! 知らせを聞いた其の方の父が、王都からクリーゲブルグの所へ夜を日に継いで早駆けして、頭を下げて領境付近の麦畑を全て焼いてもらって食い止めたのだ。その後も、其の方の領では黒縮病が根絶されておらぬ。最近は大発生はしておらんようだが、麦の様子を注意深く観察せねばならんから、大量には植え付けができんのだ。クルーゲブルグはそれを知っているから、自領との境には小麦を植え付けぬのと引き換えと称して、小麦粉を支援しているのだ」
「知りませんでした……」
「そのような不祥事は、隠すのが当たり前であろうが。それでも、予にはきちんと報告が来た。其の方の父は賢明な男だった。それが、単に収量が悪いとかの理由だけで決めるわけがないであろうに。思い至らなんだか」
「……」
子爵が沈黙したその時、スタイリス王子が嬉しそうな声を発した。
「陛下、畏れながら、報告したき儀が」
「何だ、スタイリス、申してみよ」
「我が監察団は、子爵領内でその病に侵された麦を発見いたしました」
謁見室にざわめきが拡がる。
「何と、真か? スタイリス、詳しく述べよ」
「はい、詳しくは、確認したユークリウスが申し上げるでしょう。ユークリウス、確かに見たのだな?」
「はい。辺境伯領への領境に遠くない村で、畑の一部に広がっておりました。その畑の農民に問いましたところ、村長を経て代官に報告して焼き払う許可を求めたものの、まだ許可が下りず困っていたとのことでした」
「それでどうしたのだ?」
「その場で直ちに周囲を含めて焼き払うように指示し、代償として相当の金銭を与えました。僭越の行いで申し訳ございません」
「良い判断だ。それについては認める。良くやった。周囲の領を含め、引き続き監視を怠らぬように」
実際には勝手なことをしたとスタイリス王子に叱責されたのだが、ユーキはそれは言わずにおいた。
スタイリス王子はうんうんと満足げに頷いている。ユーキは正しい選択をしたようだ。
「では、辺境伯の訴えは全て理由あり正当、ということで宜しいですかな?」
宰相が議論を引き戻す。国王が頷き、子爵は俯く。
「では、次だ。村民からの訴えについてはどうなっておる?」
「ネルント開拓村の村民の上訴状によりますと、前領主との租税契約が未だ有効であるにもかかわらず、増税を一方的に申し渡されたとのことです。その額は前領主との契約の五倍、エーカー当たり2ヴィンドです」
「そうであった、厳しいな。スタイリス、調査結果はどうだったのだ?」
「それは私の指示で現地を調べたユークリウスから申し上げます。ユークリウス、簡潔に述べよ」
「はい。地租について、村側が保管していた契約書と訴状の間に矛盾はありませんでした。次に、代官が新しい契約を結ぶように村長に言い渡した際に、現契約との違背を村長が訴えた所、代官から鞭で打擲を受けたとのこと」
「……」
「二度目の申し渡しの際には、代替として相場の半分での換算で小麦での物納あるいはエーカー当たり四十日の賦役を言われたとのこと」
「その村での小麦の収量は?」
「地味がまだ十分に肥えておらず、小麦は自給分しか植えていないとのことです」
「ではそもそも無理な話だな。病の件もある」
「さらにその際、税の前納と称して、代官が村の幼い娘を奪おうとしております」
それを聞いて国王は立ち上がり、顔を朱に染めて怒声を発した。
「何だと!! 子の拐わかしは死罪と知っての事か! ピオニルよ!」
「私は存じません! そのような事、命じておりません!」
「その際にその娘を守ろうとした村人が、代官に六尺棒で全身に酷い打擲を受け、足の骨を折り未だ完全には癒えておりません」
「酷いことを……」
「代官はその村以外でも、その意に添わぬ者に対し多く暴力を揮い、領民に死者も複数出ております。他村で受け入れられた増税も実際には暴力で押し付けたものです」
子爵は報告したユーキを睨みつけながら、大声で叫び続ける。
「私の知らぬ事です! 増税はともかく、それ以外はニードが勝手にやったことです!」
「ニードとは?」
「代官です。シェルケン侯爵から推薦を受けて、雇った男です! 増税にせよ、私の一存ではありません。その者の勧めに従っただけでございます。娘を奪えとか! 村人を殴りつけろとか! 私は命じておりません!」
国王の厳しい声での問いに、子爵は悲痛な声で答えた。
それを聞いて、国王はスタイリス王子を振り返った。
「スタイリス、子爵からその代官への指示について、何かわかったことはあるか?」
「え、は、はい。それについては……」
言い淀むスタイリス王子に、国王の目が細く険しくなる。
さらに何かを尋ねようとした時に、クレベール王子が口を挟んだ。
「陛下、それについては副使である私から」
「うむ。申せ」
「はい。子爵から代官へ指示を送る書簡を多数発見しました。その内容では、代官に対して増税に従わぬ者へ致傷の厳罰を加えることを許可しております。罰の程度については言及しておらず、代官は恣意的に解釈することが可能でした」
「そうか。傷つけて良い、その結果として死に至っても構わんということか」
「そのように読み取れました」
そこまで聞いて子爵はたまりかねてまた叫ぶ。
「違います! そのようなつもりではございません! お聞きください!」
「言ってみよ」
「はい、私はまだ若く、領民から侮りを受けるかも知れません。権威を示すため、どうしても指示に逆らう者には罰を与えようと考えただけなのです。やむを得ぬ時には罰の結果を怖れるなと、それを代官に端的に示したく、比喩として『傷を負わせてもやむを得ぬ』と書いただけなのです。まさか代官が勝手に領民を殺すとは思いませんでした。私は知らぬのです」
だが、国王は容赦なく問い詰める。
「それをどのように証すのだ? 後からでは何とでも言える。結果として民を死なせているのだ。そもそも、代官の言葉は領主の言葉、代官が勝手なことをせぬように監督するのは領主の義務であろうが! 『代官が勝手にやった、自分は知らない』、その言葉がお前が領主の義務を放棄していた、何よりの証拠ではないか」
「お言葉ではありますが、寄親であるシェルケン侯爵から勧められた代官です。未だ政に慣れぬ身、その男に裁量を持たせるなと言われるのは、あまりではありませんか。侯爵閣下から、悪いようにはせぬ、ニードに任せればよいと言われたのでございます。私が一人で決めた事ではありません! 何卒お察しください!」
子爵の余りの哀願に、宰相が言葉を差し挟んだ。
「確かに、子爵がクリーゲブルグ辺境伯からシェルケン侯爵に派閥替えをしたというのは我々の間でも話題に上がりましたな」
「は、はい、宰相閣下、まだ領の政に慣れぬであろうから、ニードの言うとおりにした方が良いと、侯爵から伺ったのです」
「寄子ゆえ、寄親に忠実に従っていると言うのだな?」
「はい、その通りでございます」
「では、シェルケンの責任か」
国王の言葉を聞いて子爵の顔が少し緩む。
国王は辺りを見回して大声で呼ばわった。
「シェルケン侯爵! シェルケンは来ておるか?」
お読みいただき、有難うございます。




