第91話 愚か者
承前
代官の下宿の調査にユーキ達が出掛けて二時間ほどが経った。
自室で休憩していたスタイリス王子はユーキ達が戻ったという知らせを受けて、会議室に戻った。
ずかずかと部屋に入って自分の席に音を立てて腰を落とすなり、冷ややかな笑いを浮かべながら尋ねる。
「遅かったな。退屈させられたぞ。で、どうだったんだ? ユークリウス、この時間の掛かり様では随分と悪足掻きをしたようだが、今度こそは自分が愚か者だと、はっきり自覚したか?」
「いいえ、兄上」
ユーキはスタイリス王子の問いに答えようとしたが、クレベール王子がそれを制して割って入った。
そして苦笑いをしながら明るい声で応じる。
「兄上、愚か者は私達だったかもしれません。ユークリウス殿下は子爵の責任を示す証拠を見出しました」
「何だと? どういうことだ、クレベール」
クレベール王子はそれにすぐには答えず、調査に同行した者達に指示して種々の資料を次から次へと机の上に並べさせた。
その量を見てスタイリス王子は唖然とした。
「これは……」
クレベール王子は兄のその顔を気にした様子も無く、淡々と報告した。
「ユークリウス殿下は代官の下宿で、我々の誰もが気付かずにいた隠し部屋を暴き立てました。その隠し部屋、元は衣裳部屋のようですが、そこからは代官の衣類以外に様々なものが見つかりました。まずは、問題となっていたこの契約書。代官が子爵邸から持ち去り、隠匿したのでしょう。内容ですが、このネルント開拓村との契約書は、村でディートリッヒ嬢が調べた結果と完全に一致しました。こちらのクリーゲブルグ辺境伯との契約書も、辺境伯の訴状と一致しています。それ以外の、領内の町村への各種の税に関係する契約書がこちらです。十通ほどありました。現地調査からするとその殆どが無視されたことになりますが、これだけあって訴え出て来たのがネルント村と辺境伯の二件だけだった、というのが逆に驚きですね」
「……」
無言で口を半ば開けて聞いているスタイリス王子の様子を時々見ながらも、クレベール王子は報告を続ける。
「それから、そちらの山は子爵から代官あての書簡が多数。日付は昨年が大半です。どうやら継爵して最初の頃は少しは打ち合わせていたものの、その後は代官に投げ出していたようですね。内容として、小麦の作付け、増税額や懲罰方針について、代官に対して明確に許可を与えています。『従来の契約書は焼き捨てよ』『小麦を領全体で大規模に増産せよ』『貴族としての威光を保つのに必要な額の税を躊躇せず徴収せよ』『わが権威を知らしめる為に適切とあらば、罰を与えることを躊躇うな。多少の傷を負わせることがあっても止むを得ないと考える』ですか。但し、代官は従わずに契約書を隠匿し、また税額はさらに上乗せしていますが」
「……」
「ああ、重要な事を忘れていました。初期の書簡に『其の方からの手紙は全て焼き捨てている。そちらでも間違いなく焼き捨てるように』というのがありました。あと、文書類の他には、ここにも酒瓶がありました。持って参りませんでしたが、種類は、最上級でした。最後は、この革袋の現金、金貨です。隠し部屋の中でも最奥に隠されていました。中身を数えた所、494ヴィンドでした。一年も経たないうちに、よく貯め込んだものです。それを使えば、傭兵ギルドを全員連れていくことも簡単にできたでしょうに。恐らく、代官は守銭奴で、金貨を使うことが出来ない性格だったのでしょう。手に入った金貨を全てそのまま貯め込んでいたと思われます。金貨を数えるのを肴に、美味い酒を嘗めていたのでしょうか。ひょっとすると、隠し部屋を作ったのはこの金貨を隠すのが真の目的で、契約書等はそのついでだったのかも知れませんね。……まあそれはともかくとして、まとめると、認否での子爵の説明とは異なり、子爵は明確な意思を持って契約に違背したと言えるでしょう」
クレベール王子はそこで一度言葉を切り、スタイリス王子の方を見た。
「兄上、どうなさいますか? 子爵は兄上に対して嘘をついていたことになりますが」
スタイリス王子はずっと無表情でクレベール王子の言葉を聞いていたが、突然大声で笑い出した。
「ハッハッハッハッ」
「兄上?」
「ハッ、そんなことは最初から分かりきっていたことだ。今更何を言っているんだ?」
「ですが、兄上。子爵は兄上のお膝に縋った者ですが」
「明確な証拠を子爵に突き付けることができなくて、止むを得ず子爵を信じるふりをしていただけだ。俺たちの勝ちだな。ユークリウス、良くやった。お前ならきっと俺のために証拠を見つけてくれると信じていたぞ」
スタイリス王子の余りの豹変ぶりに一同が互いに顔を見合わせる中、クレベール王子が訝しげに兄に尋ねた。
「兄上、一体どういうことですか?」
「うん? 何だ? 俺がユークリウスに言ったことか? こいつを発奮させるためにわざと言ったに決まっているだろうが」
スタイリス王子は大笑いしたために崩れた長い金色の髪を撫でつけながら続ける。
「お前は頭はいいが、理屈の輪から抜け出ることが出来ない。ユークリウスは馬鹿正直で、決まりきったことを決まりきったようにやろうとする。これじゃあ、隠れた証拠は掘り出すことはできないと俺は考えたのだ。そこで、まあ、発想を転換させるためにユークリウスを追い込んだわけだな。追い詰められれば、自分の枠を壊してでもなんとかするだろうという策だ。大当たりだったな」
それを聞いて、クレベール王子の表情と声が俄かに硬くなった。
「それでは、殿下が以前言われたことも今日言われたことも、策の一部だとおっしゃるのですか」
「もちろんそうだとも。お前もユークリウスも俺が思った通りに踊った訳だ。なかなかに面白かったぞ。ここで待っている間は、なかなかにイライラさせられたが。二人とも、良くやった。これで子爵はお終いだな。どんな顔をするかお楽しみだ。そうじゃないか? アッハッハッハッ」
スタイリス王子はさも愉快そうにまた高笑いをしたが、追従笑いをする者はもう誰もいなかった。
部屋の雰囲気はぴりぴりと緊張し、彼の側近や従者でさえ、その表情を凍り付かせている。
クレベール王子は張り詰めた相貌のまま、ゆっくりとユーキの方を見る。
ユーキはクレベール王子に小さく頷くと、スタイリス王子を真っ直ぐに見て静かに口を開いた。
「殿下、では実は私は愚か者ではないと思っておられたということですね?」
「ああ? 俺の言う事を真に受けていたのか?」
「はい。正使殿下のおっしゃった事ですので、真剣に受け止めておりました」
「そうか、そうか。可愛い男だ、効果十分だったわけだ。やっぱり俺は策士だな。アッハッハ」
「つまり、私は殿下の言を真に受けるべきではなかった、と?」
「俺は策士だ。策士の言う事をいちいち信じるとは、甘いな。本当に馬鹿正直な奴だ。おっと、これは陛下がおっしゃったのだぞ?」
「殿下の言をいちいち信じる必要はないのですね」
「ああ、そうだとも。王族なら、そのぐらいわきまえろ」
「王族なら、殿下を信じるなと」
「そうだと言っているだろう。お前はくどいな」
「殿下、それは御自身を……」
「何だ? 何か俺に文句でもあるのか?」
スタイリス王子の側近が耐えかねて脇から何か言おうとしたが、王子は強い口調で遮った。
側近は顔を曇らせ、何かを諦めるかのように俯いた。
「いえ、何でもありません」
「もうその話はいいだろう」
もう飽きたと言わんばかりのスタイリス王子の様子を見て、クレベール王子が下を向いて深く溜息をついた。
「クレベール、どうした?」
「策は策だとしても、ユークリウス殿下は愚か者ではないと、形だけでも取り消されるべきではないかと思いまして」
「お前は本当に理屈が好きだな。そんな詰まらん事に拘るな」
その言葉を聞いて、クレベール王子は顔を上げた。
眼を厳しくしてスタイリス王子を見る。
彼にすれば兄を睨みつけるのはいつ以来だろうか。
声も大きく、高くなる。
「詰まらぬ事ですと? 王族同士が他の貴族の面前で交わした約束事が、詰まらぬ拘りだと言われるのですか? 貴方は国王陛下の御名代なのですよ」
「わかった、わかった。クレベール、そんなに睨むな。ユークリウス、『愚か者』と言ったのは取り消す。お前は愚か者ではない。クレベール、これで良いか?」
「スタイリス殿下、それはユークリウス殿下にお尋ねになって下さい」
「ああ? そうか? ユークリウス、取り消したぞ。それで良いのだろう?」
スタイリス王子はユーキに向いて軽い調子で言った。
一方のユーキは先程からずっと表情を変えずにスタイリス王子の顔に視線を向けていた。
スタイリス王子の側近達はそのユーキの様子から目を離せずにおり、スタイリス王子が何かを言う度にはらはらしている。
だがユーキは背を伸ばし胸を張ったまま、静かな口調でスタイリス王子に答えた。
「もう一点、よろしいでしょうか? 殿下がおっしゃった村人の件ですが」
「何の事だ?」
「殿下は、『村人の事など知らない』とおっしゃいました。それも殿下の策のうちで、御本意ではなかった。貴族だけでなく、村人たち庶民もまた陛下の赤子、そういう事ですね?」
「何? 俺はそんな事を言ったのか? 憶えが無いが、まあいい、その通りだ。本意ではない。庶民も陛下の赤子である。これで良いだろう」
「はい。それを伺って安堵しました。有難うございました」
それ以上は求めないと言うユーキの言葉に、スタイリス王子の周囲にいた者達は詰めていた息を一様に音を殺して吐き出し、緊張を緩めてほっとした顔で互いを見交わしている。
中でもスタイリス王子の従者はユーキに向かって小さく、しかし恭しく頭を下げた。
スタイリス王子はそれに気付かず、この話題はうんざりだと言う表情をしている。
「うむ。クレベール、もう良いだろう?」
「はい。ユークリウス殿下がそれで良いのであれば、結構です」
クレベール王子は大きく息を吐き出した。
「クレベール、また溜息か。今度はどういう意味だ?」
「ああ、申し訳ありません。深い意味はございません。どうやら今回の任務もどうやら終わりに近づいたかと安堵しまして」
「そうだな。もう調査は終わりだろう。子爵も母親もこれで貴族の世界からはおさらばというわけだ」
「……」
相変わらずの調子で能天気に言い放つスタイリス王子に、クレベール王子は答えない。
周囲の者の雰囲気はまた暗くなり、憂いに満ちた表情に戻った。
子爵はともかくとしても、何の罪も無い母親までもが貴族の座から滑り落ちる。
それは同じ貴族として気が咎め、できれば加担したくはないのだろう。
暗い沈黙を落ち着いた声で破ったのは、ユーキだった。
「スタイリス殿下、お尋ねしてよろしいでしょうか?」
「ユークリウス、何だ?」
「はい、私の知る範囲では、今回の件に先代子爵夫人が関与した証拠は見つかっておりません。報告の案を作成させていただく際に、夫人については何の罪を記載すれば良いか、御指示を仰いでもよろしいでしょうか?」
「うん? そうだったか?」
「はい。調査初日に、殿下は夫人と直接面談されたと伺いました。その際に何かがあったのでしょうか?」
「いや、その時には子爵に対する教育不行き届きを謝罪されただけだったな。まあ、罪と言えなくもないが、罰するほどではないか」
「はい、御賢察かと。この領都の市井でも、先代子爵夫妻に対してはその徳を賛美し、感謝と尊敬の声が多く聞かれました。その事を殿下から陛下に御報告され、夫人の身分を保全することを御提案されてはいかがでしょうか」
ユーキが答えると、ベアトリクスが横から口添えした。
「ユークリウス殿下のおっしゃったような事を私共も聞きましたわ」
それを聞くや、他の随行者達も続いて口々に夫人を庇う。
「そうです、先代の遺徳は領内広く知られております」
「ユークリウス殿下の御指摘のように、夫人は罰するには当たらないと思います」
「正使殿下、是非ユークリウス殿下の御提案をお取り上げ下さい」
一同の声を受けて、ユーキはさらにスタイリス王子に具申した。
「夫人に大きな罪がないとすれば、その身分を守ることは国王陛下の御威光をこの領内に行き渡らせ、乱れた秩序を正すのに役立ちます。引いては、今回の殿下による監察の御成功に繋がるのではないかと考えます」
「要するに、庶民の受けが良くなる、ということだな。ユークリウス、回りくどいぞ。わかりやすく言え」
「申し訳ありません」
「監察が成功し、庶民が喜ぶのであれば、正使である俺としても別に反対する理由は無いな。クレベール、どうだ?」
「はい。それがよろしいかと思います」
クレベールが応じると、部屋の雰囲気は明るくなった。
随行者達も皆、感謝の目でユーキを見て、スタイリス王子に気付かれないようにそっと目礼をする。
スタイリス王子はそれを他所に、監察が成功して自分の庶民人気が上がるのならばと満足そうにしながら言った。
「他には何も無いな? では子爵に有罪を申し渡すとするか、クレベール?」
「スタイリス殿下、それは陛下がなされます。我々としては、調査が終了したことを通告し、子爵に王都へ同道を求めることが役割だと思います」
「それはそうだが、件の契約書を俺達が見つけたことぐらいは教えてやっても良いだろう。契約書が見つかったと言えば、子爵にしたら断罪を受けたも同然だろうがな。通告は正使として俺が行う」
「殿下、調査結果を子爵に漏らし過ぎないようにして下さい」
「ああ、わかっているとも。大丈夫だ」
「では、他の皆は宿の撤収と帰還の準備を始めてくれ」
「待て、クレベール。通告の際に随行員が一人もいないというのは格好が付かない。ああ、ユークリウス、お前は来い。ついでに、悪事を働いた貴族にどう対するべきか、見て学ぶ機会をやる」
「……承知しました」
「それでは申し渡し内容の擦り合わせを致しましょう。それが済み次第、子爵を呼ぶと言う事で」
「うむ」
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王子達が子爵への通告の準備を始めると、随行員達は王都に帰る準備のために、宿屋の各自の部屋に戻った。
ベアトリクスはアデリーヌと共に自分たちの部屋に入り、アデリーヌが扉を閉めた途端に、両手を握って小声で快哉を上げた。
「んーっ、痛快! さすが、ユーキ殿下でしたわね!」
「全くですね、お嬢様!」
「あの姿絵屋の看板野郎、見え透いたデタラメを並べた挙句に自分は信用するに足りない男だって言わされて、その上、何を言ったか憶えてないって白状したのよ。愚か者はどちらよ! あの時の周りの連中の情けない顔と言ったら!」
「お嬢様、私、顔がにやけそうになるのを我慢するのが苦しくて苦しくてたまりませんでした」
「私もよ! それに比べて、敢えて責めないユーキ殿下の器の大きさと堂々たるあの態度! トンボとワイバーンぐらいの違いはあってよ!」
「あいつらが、お嬢様の尻馬に乗ってユーキ殿下にどんどん靡いていくあの場面を思い出しただけで、私、白パン三つ軽くいけそうです」
「私は黒パンでもいただける気がするわ」
「お嬢様に黒パンなんてとんでもない。それもこちらへいただきます」
「私が食べるものがなくなるじゃないの。まあいいわ。帰ったら、スーやウィルヘルムのおじさまにたっぷりとお教えして差し上げましょう。ああ、ユーキ殿下が隠し部屋を暴かれるところ、拝見したかったわね。残念……」
「私も無念です。お嬢様、この際、そこはクルティスさんにお尋ねして、適当に作っちゃいませんか?」
「そうね! それがいいわよね。その場面が無いと、お話が盛り上がりませんもの」
「良いお土産話になりますわね、お嬢様」
「そうね。では、帰り支度を急ぐことに致しましょう」
「はい、畏まりました」
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別の部屋では、随行者の一人が従者を前にして考え込んでいた。
「……」
「……」
「……」
「……若様」
「……馬鹿正直で、修行好きの糞真面目。世間知らずで融通の利かぬ、まだ子供の堅物王子。そう言われていたし、私もそう思い込んでいたのだが」
「はい」
「あれでは、どちらが正使かわからんではないか」
「私には、子供どころか、最後は正副使殿下よりも大人に見えました」
「……そうか」
「若様、このままでは……」
「そうだな。仕える相手を間違えては家の存亡に関わりかねない。戻ったら、父上母上に申し出てみるとしよう」
お読みいただき有難うございます。




