第87話 マーシーとユーキ
承前
ハンナは、納屋で作業をしている両親の側にいた。
納屋の前の庭では、鶏が数羽、コッコッコッとあたりを自由気儘に闊歩しては地面をつついている。
一行の姿に気が付くと両親は立ってこちらを向き、ハンナは驚いて慌ててその後ろに隠れた。
「監察使の皆様だ」
村長が告げると両親は慌てて頭を下げた。
「こんな格好で申し訳ありません。我々に何か御用でしょうか?」
「ハンナさんの事、お気の毒に思います。お二人とも、怪我とか大丈夫でしょうか?」
ユーキが尋ねると、両親は顔を曇らせた。
「お蔭様で、怪我はなかったのですが、ハンナがこの有様で……ハンナ、お客様に挨拶しなさい」
「やだ。こわい。おはなししたくない」
「この人たちは都の偉い方達だ、怖くなんかないよ」
「……やだ」
「ハンナちゃん、私達は、あなたを怖い目に合わせた人達とは違います。お話ししに来ただけですわ。お顔を見せていただけないかしら?」
ベアトリクスが話し掛けてみたが、黙って両親の後ろに隠れたまま出て来ない。
「殿下、これは難しそうですわね」
「そうだね」
「では、マーシーの所へ行かれますか?」
「そうしましょう。ハンナちゃん、驚かせてごめんね。もし気が向いたら、後でお話ししてね」
ユーキがそう言い、村長達と立ち去ろうとした時に、クルティスが言い出した。
「殿下、俺、ちょっとここに残っていいですか? ここでは護衛は必要なさそうだし」
「いいけど、どうするんだ?」
「ちょっと、考えがあって。後で合流と言う事でお願いします。あと、飴を貰えませんか?」
「わかった」
どうかとは思ったが、クルティスの事だ、何とかするつもりなのだろう。
残っていた飴を袋ごと渡すと、ユーキは「では行きましょう」と村長を促してマーシーの家に向かった。
マーシーはマリアと一緒に裏庭に出した作業台に向かってベンチに座り、豆の選別をしているところだった。
二人の赤ん坊は粗末な、それでも軟らかそうな布に包んで籠に入れられて、マリアの隣に大切に置かれている。村長が声を掛けると、二人はこちらを見て立ち上がろうとした。
ユーキは「そのままで」と声を掛けたが、二人はそれでも立とうとする。
だがマーシーが取ろうとした松葉杖が倒れて地面に落ちて立ち上がれず、マリアが慌ててそれを拾う。
「どうかそのままで」
ユーキがもう一度言うと、マーシーは止む無く従った。
村長がマーシーとマリアに一行のことを告げる。
「こちらは監察使の皆様だ」
「存じております。王家のお方であらせられるとか」
そう言ってマーシーはベンチの後ろで立っているマリアと一緒に頭を下げる。
「私はマーシーと申します。これは妻のマリアです。こんな埃っぽい所ですが、よろしければお掛け下さい」
マリアが急いで作業台の反対側のベンチの赤ん坊の籠を持ち、ベンチを手拭いで拭く。
ユーキとベアトリクスは頷いて腰掛け、マリアに向かって微笑みながら座るように促した。
「貴女もお掛け下さい。お子さんを産まれたばかりでいらっしゃいますよね?」
「はい、殿下様。ありがとうございます」
マリアがユーキに頭を下げてからマーシーの隣に座るのを待って、アデリーヌがユーキ達を紹介した。
「国王陛下の監察使の使いで参りました。こちらがユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティア殿下であらせられます。またこの方は伯爵家の御令嬢、ベアトリクス・ディートリッヒ様、私はお嬢様の供の者のアデリーヌです」
ユーキは紹介が終わるのを待ちかねるようにマーシーに尋ねた。
「マーシーさん、お体の具合はいかがですか?」
「殿下、お心遣い、有難うございます。お蔭様で、こうやって机に向かって作業ができるぐらいには回復しました。歩くのも、まあ松葉杖で何とか。もう何か月かすれば、杖無しでも歩けるようにはなると思います」
「そうですか。それはなによりです。……もしよろしければ、その事件の様子を伺っても?」
マーシーは右手で頭をガリガリと掻く。
「いや、様子も何も、あのニードの野郎が……言葉が汚くて済みません」
「気にしないで、そのまま話して下さい」
「有難うございます。ニードがハンナの手を引っ張って母親から引き剥がそうとしやがったもんで。思わず突っ掛かって行ってしまいまして。まあ、一対一なら負けるはずもなかったんですが、ボーゼの奴に横から不意を打たれちまって。後はぼこぼこにやられちゃいました。お恥ずかしい次第です」
「その際に代官に何か言われたとか?」
「……『殴ったら村全員縛り首』って言われまして。易い脅しに怯んじまうとは、やっぱり齢ですな。若い頃なら何か言わせる前にタコ殴りにしてやったんですが。ほんと、お恥ずかしいです」
マーシーは苦笑いをしてみせたが、ユーキは真剣な表情で答えた。
「マーシーさん、ハンナさんを守って下さったこと、お礼を言います。また、代官と手先によって傷つけられたこと、お気の毒に思います。申し訳なかったと思います」
「殿下、何をおっしゃいますやら。ハンナを守ったのは、私が好きでした事で。村は皆家族ですから。それにニードやボーゼのやったことを殿下が申し訳なく思われることはありませんぜ」
「いや。国民はみな、国王陛下の赤子です。特に幼い子供達の幸せを、陛下は特に気に掛けておられます。代官のしようとしたことは、人身売買の重罪も同然の非道です。それを身を挺して防いで下さったこと、国王陛下に代わって、心からお礼を言います。有難うございました。代官は、国王に任じられた領主の代理。元をたどるなら、陛下に責任がないとも言えないかもしれません」
「殿下、お言葉は涙が出るほど有難く思います。ですが、そこまで背負い込まれては、国が立ち行きませんぜ。どんなに陛下が仁政を行われても、どうしたって少しは妙な輩も出てくるもんでさあ。それはどうしようもないことです。ある意味、俺達は運が悪かったんですわ。どうかお気に病まんでください」
「それはそうかも知れませんが……」
言い淀むユーキをマーシーはじっと見ていたが、一つ溜息をつくと声に力を込めて話し始めた。
「殿下、とんでもない失礼とは承知していますが、言わせてください。殿下はまだお若い。見た所、とても真面目で全てを正面から受け止めようとしてらっしゃる。それは良い事のように思えるかもしれませんが、それじゃ殿下の身が保ちませんぜ」
「それでも、」
「いいえ」
マーシーは何か言おうとするユーキを制し、言葉を続ける。
「年寄りの戯言と聞き流して下さっても構いません。私は、昔、船乗りだったことのある傭兵仲間に聞いた事があるんでさあ。そいつが言うには、きつい追風は真艫から帆に受けちゃあ帆柱が保たねえ、斜めに逃がしながら進むのがコツなんだって。それと同じことだ、全てを背負い込むのはお止めなさい。代官の所業は代官の責任、悪い代官を選んだのは領主の責任。そこまでは貴方方が負うべきものじゃあありません。もし領主が悪いなら、次から良い領主を選ぶよう、あるいは良い領主を育てるように努める、それこそが王族方の責任ではないですかい?」
「それは、そうかも知れません」
「そうですとも。王族方のやるべきことは、頭を下げることじゃない。『国王が頭を下げれば、王冠が滑り落ちる』って、言いませんか? 国民なら誰だって、自分の国の王族方がへこへこ頭を下げるところは見たくもない。どうか、国民が王族に見る夢を、幻滅させないでください」
「国民の夢を幻滅させない……そのために、威厳を保て、簡単に頭を下げるな、ということですか?」
「その通りです」
ユーキは得心が行ったというように頷いた。
「威厳を保つのも国民のためなのですね。そのような考え方をしたことはありませんでした。有難うございます。自分でもう一度考えてみます」
「そうなすって下さい。ところで、良くやったと褒めて下さるなら、お願いがあるんですが」
「何でしょうか?」
「今回の件、ケンが処罰を受けると村の皆が噂をしています。もしそれが本当なら、この身の傷に免じて、許してやっては下さいませんか? この戦いでは、私もいろいろとケンの相談に乗っています。それこそそういう意味では私にも責任がある。もし罰が避けられないなら、私も一緒に受けます。どうかケン一人が重い罰を受けないよう、お取り計らいをお願いできませんでしょうか」
すると横からマリアが心配そうな顔をして、一緒に頭を下げて言った。
「殿下様、私からもお願いです。ケンは村のみんなを守ろうとしてくれたんです。この人がハンナを守ろうとしたのと同じです」
ユーキは静かに答えた。
「私は使いに過ぎないので、約束はできません。ですが、皆さんは本当に家族同然なのですね。皆が皆を守ろうとしている。村長もケンも、責任を負おうとしている。貴方方もそうだ。皆で代官と戦ったのもそういうことなのでしょう。そのことは、心に留めておきます」
「お願いいたします」
マーシーは頷き、さらにユーキへの願い事を続けた。
「あつかましいんですが、もう一つ、よろしいでしょうか」
「何ですか?」
「ケンをこの村から連れ出してやってくれませんか」
「ケンを、ですか?」
「ええ」
「ケンは、この村をとても大事に……愛しているように見えるのですが」
「その通りです。ですが、あいつは、愛し方を間違っている。この村のために自分を犠牲にすることばかりを考え過ぎるんです。あいつは、養子ではあるが、村長の長男です。それなのに、跡継ぎの座を実子である弟に譲ろうとしている。今度の危機では、命の危険を顧みず皆の先頭で闘い、ニードとボーゼを倒し、一人で責任を取ろうとしている。この村での自分の居場所を自分で潰してしまうようなことを、無意識のうちにしてしまってるんです」
「ケンは、訴状に『ケン・ファジア』と署名しています。村長の姓は『ジートラー』ですよね」
「ああ、あいつ、そんなことをしましたか。『ファジア』はあいつの実家の姓です。村長一家に責任が及ばないようにと、あいつなりに考えたんでしょう」
「そこまで考えて……このままでは、村にケンの居場所が無くなってしまうということですか?」
「ええ、そうです。この村にいたら、もし農家として独立しても、村長になれなかった義理の兄という、自分も周りも居心地の悪い存在になっちまう。だから一度村の外に出て、自分を、村を見詰め直す機会をやりたい。村の外で居場所を見つけてもいい、違う自分を見つけて戻って来てもいい、そう思うんです」
「なるほど」
ユーキが頷くとマーシーはそれに力を得て、言葉に熱を込めて続けた。
「あいつは、剣の腕もそれなりにある。今回の戦いでおわかりのように、みんなの指揮を執ることもできる。ただ、今のままではせいぜいが田舎剣士に過ぎない。何とかして、ちゃんと剣術や戦術を学ばせてやりたいんです。ケンに、殿下のお力を貸してやっていただけませんでしょうか。どうか、お願いいたします。この通りです」
マーシーは作業机に頭を擦り付けんばかりにする。
「顔をお上げください。なぜ、そこまで」
「俺は、一応あいつの剣術の師匠ですから」
「貴方が。戦いの後でケンを立ち直らせたという?」
「ああ、あいつそんなこと言ってましたか。まあ、あいつなら、放っておいても時間が暫く経てば立ち直っていたと思いますがね」
マーシーは笑いながら答えると、それまでユーキを真っ直ぐ見ていた視線を下げた。
ユーキはケンの事を考えてみた。
峠の上での緊張した、決意に満ちた顔。
村への道の途中での、考えに沈んだ後に自分に処分をと望んだ姿。
村長の家で、義父を庇おうとして出した大きな声。
そして何よりも、戦いを勝利に導いた戦術と指揮能力。
この山の中で静かに朽ちていくのはあまりに惜しく哀れだと、目の前にいるケンの師匠はそう考えているのだろう。
その通りかもしれない。確かに、このままここにいてはそうなるだろう。
だが、村の外へ出れば、何らかの道が開けるかもしれない。
王都に連れていけば、近衛への入隊は庶民の出なので難しいかもしれないが、自分が頼み込めば訓練を受けさせることぐらいは可能だろう。
「わかりました。この件が無事に片付き、ケンが処分無しに済めば考えてみる、ということにさせて下さい」
「どうか、よろしくお願い致します」
お読みいただき有難うございます。




