第80話 菓子屋にて
承前
ユーキとクルティスは、小ぢんまりとした古びた菓子屋の前に着いた。
案内の男女がユーキたちを最初に連れて行ったのは、いかにも高級そうな菓子店であった。
王都に本店がある老舗の支店である。
しかし当然のことながら、王都の本店に比べれば品揃えは格段に落ちる。
ユーキの目的とは合わないので、その店には入らずにおいた。
小さな店でも構わないので、この地方ならではのものが欲しいとリクエストした所、連れて来られたのがこの店である。
案内人に礼を言い、店の前で別れて入店した。
クルティスが開けた扉を入ると、甘い匂いが押し寄せて来て圧倒されそうになる。
クルティスはユーキに続いて中に入ると、通りの方をちらりと確認した後に扉を閉めた。
ただし完全には閉め切らず、隙間から案内人の様子を見ている。
「彼ら、横道に潜んでずっとこちらを窺っていますね」
「撒かれないように、用心しているんだろう。そんなつもりは無いんだけどね」
「いらっしゃい。何の用だい。冷やかしはお断りだよ!」
二人で相手の様子を見ていると、カウンターの中からこちらを眺めていた女主人から大きな冷たい声が掛かり、二人は慌てて振り向いた。
女主人に怪しむ目で睨みつけられ、ユーキは急いで謝った。
「失礼しました。冷やかしのつもりではありませんので」
「見ない顔だね。あんたたち、ひょっとして、王都から来たっていう噂の監察の人かい?」
「ええ、そうです」
「ふうん」
「良く売れているのは、どの商品ですか?」
「まさかあたしの店まで、調べに来るとはね。仕入れも、売り上げも、税金も、なーんにも誤魔化しちゃいないよ。商人ギルドに聞けばわかるよ。お門違いだね。縁起でもない、帰っとくれ」
勘違いしている女主人に無愛想に言い放たれて、ユーキは苦笑した。
「いえ、そうではありません。ただ単に、甘い物を買いに来ただけなんです」
「本当かい?」
「はい」
「あんたたちが食べるのかい? 若い男の子が、珍しいねえ」
女主人の声は相変わらず冷たい。まだ疑いの目で見られているようだ。
「今は、男子でも甘いもの好きは多いですよ」
「そうかい?」
「ええ。こちらへは、贈り物用を探しに伺ったんですけどね」
「贈り物? あら、相手は女の子かい?」
「ええ、まあ」
それを聞いてクルティスが片眉を上げてこちらをちらっと見たが、何も言っては来ない。
一方で女主人は急に親し気になって尋ねて来る。
「それはそれは。あんた結構良い顔だし、もてるんでしょ。え、まさか、美形の王子様がお供を大勢連れて来るって、その王子様じゃ……」
「いえ、違います。その他大勢の方です」
ユーキは苦笑いしながら答える。
「ああ、そうかい。びっくりさせないでよ。で、お相手はどんな娘なの? 可愛い娘? 齢はいくつなの?」
前屈みになり声を潜める身振りだが、声そのものは全く小さくなっていない。
ただ、その調子はさっきまでとは全く異なって弾んでおり、興味津々だ。
喰いつきの良さに、ユーキの苦笑は深くなる。
クルティスも、そこで耳を大きくしているんじゃない。
「可愛いというか、みんな美人ですけど、思っておられるような相手ではないですよ。大勢で分けられるようなものがいいんですが」
「なんだい。詰まんない話になっちゃったじゃないの」
「済みません」
「別々に渡せばいいじゃない。その中に、お目当ての娘もいるんでしょ。どう?」
「どうって言われましても。そういうのではありませんので」
それを聞いて女主人は随分と残念そうにしている。
よほどそういう話題に飢えているのだろうか。
藪蛇になりかねないので尋ねないが、取りあえずはこちらの話に耳を開いてくれたようで幸いだ。
「そうかい。まあいいよ。でも、うちのは田舎の菓子ばっかりだから、王都のお方のお口に合うかしらねえ」
「大丈夫です。こちらを紹介してくれた人が、『素朴なようで味わいが深くて、とても美味しい』と教えてくれました」
「あら、そう? じゃあ、これなんかどうだい? レープクーヘンなんだけど。試食してみとくれよ」
「いただきます。……うん、美味しいです」
「そうかい、嬉しいねえ。王都のお方にお褒めいただいて。一つじゃなく、もっと食べて構わないよ」
「そうですか? では、遠慮なく……。本当に美味しいです。もう一つ……。クルティスもどう?」
「では、俺は、一つだけ」
ユーキはいくつかのレープクーヘンを頬張り、目を細めて味わってから言った。
「……うん、いけます。王都のものにも引けを取りませんよ。あ、そうだ、王都の飴があるので、一ついかがですか?」
「いいのかい? お高いものだろう?」
「構いませんよ。どうぞ」
「じゃあ、せっかくだから頂こうかね」
女主人は躊躇ったが、ユーキが飴の袋を差し出すと遠慮がちに手を伸ばした。
「……あらやだ美味しい。やっぱり違うねえ。味が上品だわ」
「いえ、こちらのものも、確かに味わい深くて美味しいです。では、これをいただきます。大勢で分けられるように、多めに適当な量を包んでいただけますか?」
「ありがとね。今準備するから、ちょっと待ってておくれ。それから、あの、もし良かったら、その飴、うちの子たちの分ももらえないかい? 二つでいいんだ」
「いいですよ。どうぞ」
ユーキが飴を袋から取り出して手渡すと、女主人は嬉しそうに受け取った。
「ありがとね。私一人なもんで、王都製のものなんか、うちの子には食べさせてやれなくてねえ」
「失礼ですが、御主人は?」
「二人目が生まれて暫くして、病でね」
「それはお辛かったでしょう。一人でお子さんを育てられるのは、さぞ大変だったでしょう」
「あんたさん、優しいことを言ってくれるねえ。ありがとね」
女主人はユーキが注文したレープクーヘンを量り取りながら語り出した。
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去年まではそれほどでもなかったんだけどね。
先代様はお優しい方で、一人で子供を育ててると、男女を問わず税金をずいぶんと減らして下さってたのさ。
あたしが病気で寝込んじまった時は、少ないけど教会を通して御見舞金を下さったり。
そう、ありがたい事だったのよ。
だからあたしの稼ぎでも何とかなってたんだけどね。
もちろん楽じゃあなかったわよ?
子供は沢山食べるからさあ。食べさせるのが精一杯、ってこともあったわよ。
でもね、貧しい食事でも子供が嬉しそうに食べるのを見てると、疲れも吹き飛ぶってものね。
あんたも早く子供を作りなよ? あら、ごめんなさい、お若い方に。
だから先代様には感謝しかないわね。
お亡くなりになった時は、それはもう、みんなで嘆き悲しんだものよ。
それが、当代様、いえ、あの代官が来てからはねえ。
税金を減らすどころか、上げるって言いだしてさ。
ひどい話だよ、商人ギルドだけじゃない、職人ギルドも、農村も、関税も、増税増税だよ。
挙句の果ては教会への寄進まで課税だってさ。
ギルドは袖の下を渡して、税率を少しは負けてもらったらしいんだけど、教会の司教様とか農村の村長さんとか、そんな手管に慣れてないだろ?
ええ、そう、先代様がお優しくてそんな必要がまるで無かったからねえ。
うまく行かなくて大変らしいよ。
当代様になってから、景気は下がる一方よ。
お邸の御用も、当代様が殆ど王都に行きっ放しなせいでさ、注文がどっと落ちちゃったらしくて。
御用達の店から順々に苦しくなって来ちゃって、とうとうこの店みたいな小さな所までさ。
店をたたむことを考える連中も出てくる有様さ。
その上に代官は、自分では王都製のものばっかり届けさせるらしくて。
え? 何でわかるって? 王都からの荷物が代官の所にちょくちょく届くって噂になってるのよ。
お金が王都へ流れ出ていく一方ね。
ああ、何とか、元通りとまでは行かなくても、安心して子供を育てられる暮らしに戻れないもんかねえ。
そうなのよ、今の税では、もしもあたしが怪我でもしたら、病になったらと不安でさ。
それに代官も、連れ歩いている衛兵も、暴力を揮うらしいのよ。
怪我人だけじゃなく死人も何人か出たらしいわよ。
全く、気の毒にねえ。
ところがね、ギルドの中でも傭兵ギルドだけは増税を突っぱねたらしいのよ。
傭兵ギルドの納税は全国一律だって言ってね。
それでも代官がごてたら、ギルド長が剣を机に突き立てて、『これは国のギルド総長から預かってる剣だ。この剣を抜いてから言ってもらおうか』って言ったんだって。
そしたら代官の奴、腰を抜かして逃げ帰ったらしいわよ。
いい気味よ、ざまは無いわね。
弱い者には暴力を揮って強い者には怯えて逃げ出すとか、最低よね。
貴族の手先って、そんなものかしら。
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「あらやだ、ひょっとしてお客さんも貴族様でしたっけ? あ、あたしったら調子に乗って何てことを。言葉遣いもひどくて。ど、どうかお許し下さい」
「とんでもない、今はただの客ですから、お気になさらないで」
「あたしが言ったこと、代官には内緒にして下さいね?」
「もちろんです。御迷惑をおかけするようなことはしませんから、安心して下さい。言葉もどうぞそのままで」
「本当にいいのかい? ……ああ良かった。お客さんが優しい人で助かったよ。ありがとうね」
女主人はほっとした声と共に、菓子の大包みをユーキに差し出した。
「代金はおいくらですか?」
「3リーグ20ダランよ」
ユーキが包みを受け取ってリーグ銀貨四枚を差し出すと、女主人は受け取るのを躊躇った。
「できたら、細かいのはあるかい? このところ、銅貨が不足していてね。ここら辺の店はどこもそうなんだけど」
「御主人様、これをお使いください」
困ったように言う女主人の言葉を聞いて、クルティスが10ダラン銅貨二枚を渡して来た。
ユーキはそれをリーグ銀貨に足して支払いを済ませた。
「助かるよ。はい、確かに。ありがとうございます」
「また来ます。その時も、美味しいお菓子をお願いしますね。お子さんを大切に。それでは」
女主人は、店から出て行くユーキたちを頭を下げて見送り、扉が閉まるとほっと溜息をついた。
そして作業台の上を片付けながら、大きな声で独り言を言った。
「優しいお人だったねえ。当代様が、あんな方だったら良かったのにねえ……。まだ若そうなのに、大人びて引き締まった良い顔をしてたよ。あんなこと言ってたけど、きっと女の子にもててるに違いないね。あたしが若かったら放っておかないもの。本当に優しくて。当代様があんな風だったらねえ……」
菓子屋を出たユーキとクルティスはゆっくりと歩きながら、女主人から聞き出したことを話し合っていた。
「ユーキ様、荷物は俺が持ちます」
「ああ、頼む。……振り返ってみても、結局、子爵に有利な話は一つも無かったな」
「そうですね。先代は随分と賞賛されていましたが。ところで菫様へのお土産はよろしいのですか?」
「止めてくれよ。調査も済まない内にそんな事をしていたら、菫さんに逆に叱られるよ。調査が済むまでは集中する。いいな?」
「はあ。ところで腹が減りましたね」
「そう? ああ、僕はさっきお菓子を結構食べちゃったんだ。しまったな。まあいいや、宿屋に帰るのも面倒だし、どこか料理屋に入ろうか」
「はい。あの連中がまた案内しに来てくれるでしょう」
「クルティスは何が食べたい?」
「量が多ければ何でも」
「お前はいつでもそれだね」
「はい。何でも食える、いくらでも食える。大事な事ですから」
「あの彼らに美味しいものを聞こう。できたら、次でも何か話を聞けると良いな」
ユーキは案内の男女が近づいてくるのを見ながら言った。
お読みいただき、有難うございました。




