第76話 監察使到着
舞台はピオニル領の領都に移り、ユーキへの試練の幕が上がります。
前話同日午前
時間調整の名目で立ち寄ったローゼン大森林での出来事の後、気が抜けたようになっていたスタイリス王子の馬の進みはロバのように遅かった。
結局子爵から遅れること二日、大森林から三日後の午前中に監察使一行はピオニル子爵領に入り、領境で衛兵長とその率いる衛兵たちの出迎えを受けた。
「失礼いたします。私は本領の衛兵長を仰せつかっております、ハウトマンと申します。国王陛下がお遣わし下さいました監察正使スタイリス・ヴィンティア殿下並びに御一行様でしょうか」
「いかにも」
「ようこそいらっしゃいました。本来ならば子爵は自らお迎えに上がるべき所、監察使様を畏み自邸にて慎んでおりますゆえ、私が命じられて参上いたしました。僭越ながら、御閲兵の準備が整っております」
「御苦労。だが、今回は国王陛下の御名代とはいっても、監察が目的だ。過剰で面倒な儀礼は不要だ」
「承知致しました。それでは早速子爵邸へと案内させていただきます」
「うむ。しかるべく」
護衛の衛兵たちは監察使の隊列の前後に分かれ、その中心を衛兵長の馬に続いてスタイリス王子たちは街道を進んで行く。
監察使が来ることは既に知れ渡っていたようで、ピオニル領の各町や村に入るごとに領民が街道の両脇に立ち並んで、頭を下げるふりをしてこちらを盗み見ている。
娘たちが口々に「あの方がスタイリス殿下よ」「素敵!」「お噂以上の美形……」「お傍に近付きたい……」とか言っているのが聞こえてくる。
不敬に当たる恐れがあるから聞こえない様に小声にした方が良いのだが、田舎の娘たちのやる事で、遠慮なく大声で喋っている。
随行の何人かははらはらしてスタイリス王子の様子を窺うが、当人はむしろ御機嫌が直ったようで、馬上ですこぶる気持ち良さげに体を揺らしている。
田舎娘だろうと何だろうと人気があるのは喜ばしいと言うか、誉め言葉が五月雨のように降って来るのが当然で慣れっこなのだろう。
途中で早めに昼食休憩を取った後、午後早くに一行は子爵邸に着いた。
邸の前では子爵が使用人たちを付き従えて出迎えのために待っていた。
「監察使様、本日は私のために御足労をおかけして申し訳ありません。何卒よろしくお願いいたします」
「うむ。立ち話はよろしくない。座って落ち着いて話をするとしよう」
「畏まりました。こちらへどうぞ」
一同を子爵が先に立って案内して邸内に移動し、会議の設定にしつらえられた大部屋に入る。
関係者が大机を挟んで着座するのを見計らって、子爵が立ち上がって頭を垂れて切り出した。
「本日はお越し頂き有難うございます。失礼ながら自己紹介させていただきます。私が当領の領主子爵、ペルシュウィン・ピオニルであります。何卒よろしくお願いいたします」
スタイリス王子が頷く横でクレベール王子が返答する。
「子爵、本日はクリーゲブルグ辺境伯およびネルント開拓村からの訴えの件について、国王陛下の御指図により調べに参りました。御存じとは思いますが、こちらにあらせられるのが監察団の正使、王孫スタイリス・ヴィンティア殿下、私が副使を仰せつかった同じくクレベール・ヴィンティアです。随行の者については、折に触れて紹介したいと思います」
「御紹介有難うございます。今回、国王陛下、スタイリス、クレベール両殿下のお手を煩わせることになったこと、恐縮する次第であります。何卒、よろしくお願いいたします」
「スタイリス殿下。よろしければ何かお言葉を」
スタイリス王子はクレベール王子とピオニル子爵のやり取りをどこか他人事のように聞いていたが、クレベール王子に促されて子爵に声を掛けた。
「ん? ああ、そうか。子爵、隣領と領民から訴えられるとは気の毒だが、今更言っても是非もない。思う所あらば、取り調べの際に明らかにするように。素直に応じれば、陛下の御心証もよろしかろう。心するように」
「はい」
子爵は挨拶の間中ずっと恐縮して頭を下げていたが、ようやく少し視線を上げた。
それでもまだ、王子達の顔を見ることはできない。
その両肩が少し震えている。
監察使たちは子爵の様子を見ていたが、クレベール王子が静かに取り調べの口火を切った。
「スタイリス殿下、では、始めてよろしいでしょうか」
「ああ、クレベール、頼む」
「では、子爵、お座り下さい。まず、訴えの内容について確認いたします。それぞれ認否を明らかにしていただきたい」
「承知しました」
子爵はかすれた声で返事をすると慌てて椅子に腰を下ろし、落ち着きなく姿勢を正す。
椅子の脚が床に擦れる耳障りな高い音が室内に響いた。
何度か体を動かした末にようやく落ち着いて、体の震えも少し治まったようだ。
それを確認してクレベール王子は問いを始めた。
「ひとつ、隣領クリーゲブルグ領主との契約において、小麦の栽培について領境より6マイル以内ではこれを行わずまたその他においても農村自給を超えぬ程度に抑制する定めに違背して、領内で全面的に栽培を拡大し、一方でクリーゲブルグ領からの代償である小麦粉の援助については従前通りこれを受納していること」
「……」
「子爵、いかがですか?」
「小麦栽培の拡大については確かに命じました。ただ、全面的と言われると……」
「否認されますか?」
「わかりません」
子爵が無表情で述べる要領を得ない答えに、クレベール王子は額に皺を寄せた。
「わからないとは?」
「作付の場所や面積とかは代官に一任しましたのでわかりません」
「代官からの報告は?」
「受けておりません」
木で鼻を括る様な子爵の言葉に、スタイリス王子が口を挟んだ。
「代官はこの場にいるか?」
「本日は不在です」
「それはまた……」
「スタイリス殿下、各項目の詳細な調べは後にして、認否を進めたいのですが、よろしいでしょうか」
「そうだな。よかろう。続けよ」
スタイリス王子の是認を受けて、クレベール王子は淡々と問いを続けた。
「ひとつ、先の契約において小麦粉の援助と均衡を取るためにクリーグブルグ領との間の関税を無税とする定めに違背して、同領から来領した商人より高率の関税を徴収した事」
「……」
「いかがですか?」
「関税収入を増やすべきと代官から進言を受け、『そうかも知れんな』と応じた記憶はあるのですが」
子爵は今回も無表情を崩さない。
「税率については?」
「存じません」
「代官が決めたのですか?」
「そうかも知れません」
「報告は?」
「受けておりません」
再びの要領を得ない回答に、部屋の中で聞いていた者全員が眉をひそめ、静寂が流れる。
「では、次、最後になりますが、ひとつ、子爵領内のネルント開拓村に対し、先代子爵が交わした地租に関する契約の有効期間中であるにもかかわらず、一方的に破棄と増税を申し渡した事」
「領内全般にわたって増税は命じましたが、先代と各村との契約については聞いた事がありません」
「契約書は?」
「見た事もございません」
「先代から何かの引継ぎは?」
「長い人事不省の期間の後に亡くなりましたもので、引継ぎも何も」
「……先代の執務室等の捜索は?」
「私の執務室としておりますが、そのようなものがあるとも知らず、特に探しておりません。もっとも、私は王都で忙しく、殆ど使っておりませんが」
「御存じないと」
「はい、辺境伯様との契約も含め、全て存じません。ですから、訴えられたり責めを受けたりするのは何とも遺憾です」
にべもない答えに、クレベール王子がつい、声を高くする。
「子爵、契約を破られた側には、それは通じませんよ」
「しかし、知らぬものは知りません。代官に任せてありますので」
「ふん。なるほど、『知らぬ』は万能の方便だな。憶えておこう」
スタイリス王子が面白いものを聞いたかのように、楽しそうに口を挟んだ。
「そうおっしゃいましても……ですが、クリーゲブルグ辺境伯様については、私が派閥を離れた事の御不満もおありなのでしょう。そちらについては、再度交渉させていただいても良いと考えております。もし手切れの際にこちらに不備があるのでしたら、若干の譲歩は可能かと考えます」
「では、契約について御自身の落ち度をお認めになる?」
「いいえ、そういう訳ではありません。それとは無関係に、手切れの条件に付いて交渉をお望みであれば応じるのに吝かではない、ということです」
クレベール王子は諦めたように声を戻した。
「それでは、まとめますと、三項目の全てについて、契約の存在を知りえなかったため、子爵御自身は過失・故意を問わず責を負うことを一切認めない、ということでしょうか?」
「はい、さようであります」
「契約については、辺境伯領・開拓村のいずれについてもその存在をお認めになっていない、ということですね?」
「はい。知りようもありませんので」
「もし存在した場合にはどうされますか?」
「仮定の質問には答え難いですが……辺境伯様とは手切れしており、その時点で既に無効と考えます。開拓村についても先代との契約であれば、私との契約ではありませんので無効と考えます」
誰一人として考えもしなかった答えに、再び気まずい沈黙が流れる。
『契約があろうがなかろうが、俺は知らんし関係も無い』という主張である。
『それはおかしい、理屈も何もない、そんな無茶が通じるか』と、随行者たちもそれらの言葉が喉まで上がるが、皆何とかそれを飲み込んでいる。
それを代弁するかのように、クレベール王子が確認する。
「先代は先代、自分は自分、先代との契約があったとしても従うおつもりはない、ということですか」
「はい」
「爵位と領地は受け継ぐが、契約は受け継がないということですか? 虫が良く聞こえますが」
「どう聞こえるかは存じませんが、爵位と領地は国王陛下からの戴き物、契約は先代が自分で結んだもの。一緒に論じられるのはいかがかと思います」
「失礼ながら、そのお考えでは、貴領と契約を結ぼうという者は今後いなくなるかもしれませんね。いや失礼、これはただの感想です」
「クレベール、止めよ。まだ認否の段階だろう。仮に子爵の言うことに理があるなら、無実の訴えと言うことになる。潔白の者を非難するのは良くないのじゃないか?」
「はい、殿下。子爵、大層失礼しました」
「いえ……では、私の疑いは晴れたと考えてよろしいでしょうか?」
「いいえ、今のは訴えについての認否を伺ったまでのこと。これから事実調べを行わねばなりません」
クレベール王子が次の手順に移ろうとした時に、随行者の席から声が上がった。
「スタイリス殿下、失礼ながら、よろしいでしょうか」
「何だ、ユークリウス」
「はい、一点だけ確認いたしたく」
「言ってみろ」
「子爵、辺境伯側から、契約通りに去年と同量の小麦粉を既に送っているとの主張がありますが、これについては子爵はどうお考えか伺いたく」
横合いから差し挟まれた質問に、子爵がユーキをキッと睨んだ。
「貴方は何者か。名乗りもせぬ随行に過ぎない者に、不躾にどうこう言われる覚えはない!」
「まあ、まあ、子爵。私が発言を許したのだから」
「しかし! 爵位を持つ私に対し、無礼ではありませんか!」
「この者はユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティアと申す者」
「え……」
「お判りだろうが、私の親族で王位継承権も持つ者だ。社交に不熱心で世間が狭い男だから、御存じなかったのであろう。若輩ゆえ、今回は見習いとして随行を陛下から命じられている。私に免じて今回は許してやってくれないか」
「ユ、ユークリウス殿下……こ、これは知らぬ事とは言え、失礼を申し上げました……」
「いえ」
王族に対し礼を失したと狼狽する子爵を面白そうに見た後に、スタイリス王子はわざとらしく『ふぅ』と溜息をつき、ユーキに向かって厳しい声を出して見せた。
「ユークリウス、以前も言ったがお前は王族としての威厳が足りん。それゆえこのような誤解も招く」
「申し訳ありません、スタイリス殿下」
「精進が足りんな」
「励みます。それはそれとして、子爵にお答えをいただいてもよろしいでしょうか?」
「は?」
まだ狼狽から立ち直れていない子爵に、ユーキは再び問う。
「辺境伯側からの小麦粉支援についてです」
「そ、それはその……勝手に送って来るものですから……まあ……」
「送って来たから受け取り、一方でこちらでは契約を破棄した、と?」
「ええ。いえ、さきほども言った通り、私は知りませんし、あったとしてもこちらからの破棄ではなく、手切れで契約は終了と」
子爵の答えに、ユーキは間髪を入れずに問いを重ねた。
「小麦粉を受け取ったことはお認めになるのですね?」
「……はい。ですが詳細にはわかりません。何分、代官に任せておりますので」
「受け取ったことは承知していて、その基となる契約は御存じない? それはおかしいのでは?」
「……」
「小麦粉を受領した理由を代官に尋ねられませんでしたか?」
「………」
「いかがですか? お答えを」
「止めよ、ユークリウス。正使である私を差し置いて先走るな。王族たる者が、陛下の赤子である貴族を声高に詰問するとは何事か。子爵は突然の訴えで混乱しているのだろう、多少の記憶違いは止むを得ん。控えていよ」
「……はい。申し訳ありません、スタイリス殿下」
スタイリス王子の助け舟に、子爵は大きく息を付き、体を椅子の背もたれに預けた。
額から脂汗を流し、みるからにほっとした様子だ。
随行者たちの何人かは、ユーキと子爵のやり取りに身を乗り出し息を詰めて聞いていたが、彼らも残念そうに体を後ろに戻した。
クレベール王子は何も言わずに聞いていたが、調査を続けるべく、話を戻した。
「他には何か確認したい者は……いないようですね。では、認否はこれで良いとしましょう。事実調べですが、スタイリス殿下?」
「ああ、クレベール、予定通り進めろ」
「はい、殿下。では、子爵、まずは御自身の執務室を拝見させていただきたい」
「承知しました。こちらへどうぞ」
お読みいただき有難うございます。




