第75話 人喰い虎と英雄
承前
自分が初めて盗賊を倒した時の経験を語り終えると、マーシーは柔らかい声でケンに尋ねた。
「お前はどうだ、ケン。まだ震えてるか?」
「……いや。止まったみたいだ」
ケンは自分の手をじっと見ながら答えた。
体の震えは、マーシーの話を聞いているうちにいつの間にか止まったらしい。
「大したもんじゃねえか。漏らしてもいねえしな」
マーシーがにやっと笑う。
「そんな」
「いや本当に、初めての真剣での戦闘では、大半の奴が漏らしちまうんだ。それ以降の経験で分かった。多かれ少なかれ、男も女も関係なく漏らす」
そして今度は大真面目な顔になった。
「だがな、少数だが、初めての戦闘でも全くびびりもしない、むしろ普段は気が小さいくせに、戦闘になると人が変わったみたいに勇敢になる奴もいる。お前もそうかも知れんな」
「良くわからないけど、始まる前も戦いの最中も怖くはなかった。それより、終わった後、人を殺しちゃったんだと気付いた後の方が怖かった」
「そうか。そういう奴の事を、俺たち傭兵は『虎』って言うんだ」
「虎?」
「ああ、そうだ。普段は用心深くて慎重だが、獲物を襲う時は果敢で獰猛になる」
「なるほど」
「一緒に戦うと、とても頼りになる連中だ」
「だろうね」
「ところが、その中でもごく稀にだが、『人喰い虎』になっちまう奴もいる」
「人喰い虎?」
「最初は人を助けるために戦って相手を斬る。そして褒め称えられる。良かったなと思う。それを繰り返し繰り返し続けるうちに、病みつきになっちまうんだ。そして人を傷つけることそのものが快感になる。最後には人を殺す機会を捜し回るようになる」
「だから『人喰い虎』か……」
「ひょっとすると、ボーゼの奴もそうだったのかもしれん。自分の中で何か歯止めになるものを持っていないと、誰でもそう成り得るんだ」
「歯止め……マーシーは何か持ってるのか?」
「ああ、ここにな」
マーシーは胸の所を掴むと、服の下から何かペンダントのような物を取り出した。
銀貨に穴を開けて細い革紐を通してある。
「それは……」
「さっき言った、商人に貰った1リーグだ。あの日の事を忘れないように、いつもぶら下げているんだ。戦いの前、戦いの後、自分が何のために戦うのかわからなくなりそうになったらこいつを握って、これをくれた商人や顔をひっぱたいてくれたあのベテラン連中、それから今までの護衛の依頼人たちを思い出すんだ。それから……」
「それから?」
「マリアや、マリアと俺の赤ん坊、もちろん村のみんなもな。誰のために、何のために戦うのか、確かめるのさ。それが怪しくなったら、辞め時だ」
マーシーは手にした銀貨のペンダントを首から外して、ケンの顔の前に差し出してきた。
「お前にやるよ」
「え……貰えないよ、大切な物じゃないか」
「いや、俺にはもう不要な物だ。傭兵は辞める」
「どうして? さっき言ってた、『人喰い虎』になりそうだから?」
「そう見えるか?」
「いや、見えない」
即座に否定するケンに、マーシーは軽く笑った。
「ありがとよ。だがな、俺はもう脚が駄目だ。傭兵ができるほどには戻らないだろう。ここが退き時だ。マリアと赤ん坊の側にいてやりたいしな。マリアと赤ん坊を食わせるため、畑を頑張るよ。これからこれが必要なのはお前だろう? 俺をずっと護ってくれた、効果抜群のお守りだ。お前の事も護ってくれるだろう。村のみんなを守ってくれた英雄に、心ばかりのお礼だ」
「英雄だなんて、俺はそんなつもりで戦ったんじゃない」
「そうだろうな。だがな、お前がどんなつもりだろうと、守られた側からすると、英雄なんだ」
「……」
「いいか、英雄とか勇者とかは成りたくて成るもんじゃない。自分から英雄に成ろうなんて、馬鹿か碌でも無い奴かに決まってるさ。『人喰い虎』でも、最初は嫌々ながら周りに祭り上げられた英雄だったかも知れないんだ。『人喰い虎』になるか、『英雄』のままでいられるか。それはお前のここ次第なんだ」
マーシーはリーグ銀貨のペンダントを握った拳でケンの胸を軽く叩くと、さらに言った。
「お前は大丈夫だ。俺はそう信じている。お前はこの村の英雄だ」
「そうかも知れないけど、俺は、戦った仲間の一人にすぎない」
「それでも、英雄ってものが必要な時があるのさ。成りたいかどうかに関わらず英雄に成らざるを得ない、皆の先に立つというのはそういう事だ。今回はそれがお前だったってだけの事さ。ま、諦めるんだな」
そう言うと、マーシーはリーグ銀貨のペンダントをケンの首に掛けた。
ケンはそれを右手で握り締めてみる。
掌に銀貨の冷たさが伝わり、それは確かにそこにあると感じられた。
「ほら、みんなが英雄を待っているぞ」
顔を上げると、荷馬車や捕虜の周りに仲間たちが集まって、こちらを心配そうにちらちらと横目で見ている。
ケンは溜息をつきながら立ち上がった。
「わかったよ。俺はみんなを助けられたらそれでいいんだ。英雄でもなんでも好きに呼んでくれよ」
「ああ、その意気だ。じゃあ早速ですまんが、もう一回、ちょっと英雄になってくれないか?」
「え? 何?」
「肩を貸してくれ。この杖よりお前の方が、はるかに頼みになるからな」
そう言うとマーシーはケンを見上げてニヤッと笑う。
ケンもつられて笑った。
「お、笑ったな。そうそう、英雄は笑顔でなくっちゃな」
マーシーは松葉杖を二本まとめて左手に持ち、ケンに助けられて立ち上がるとその肩に右腕を回し、がっちりと肩を組んだ。
荷馬車に向かって二人が笑顔のまま歩いていくと、仲間たちもまた笑顔で集まって来た。
「ケン、やったな!」「ケン、俺たち、勝ったんだよな?」「ケン、ありがとな!」
仲間たちの声が輪になってケンを包む。
ケンは大声で答えた。
「ああ、みんな、今日、俺たちは勝ったんだ。次も勝つぞ!」
「おう!」
歓声は暫く止まず、山々に木霊して響き渡った。
お読みくださり有難うございます。
次話から舞台はピオニル領の領都に戻ります。




