第74話 ケンの場合、マーシーの場合
今回、人が死ぬ描写があります。
お嫌いな方は御注意下さい。
承前
ケンがジーモンと一緒に坂を登り切ると、思わぬ人物がやって来た。
マーシーだ。
松葉杖を突き、足を引き摺りながらゆっくりと近づいてくる。
マーシーがジーモンに頷いて見せると、ジーモンはケンの側から離れていった。
片付けの作業に戻るのだろう。
マーシーは立ち止まっているケンの前までたどり着くと話し掛けた。
「よう、ケン、終わったんだってな。荷馬車が必要だって聞いたから、持って来たぞ」
「マーシー」
「お疲れさん」
労って笑うマーシーの顔を見た途端、ケンの消えていた感情が戻って来た。
そしてそれと一緒に猛烈な吐き気に襲われた。
ケンは崖に走り寄ると、四つん這いになって吐こうとした。
だが、胃からは何も出て来ず、嘔吐き続けるだけで酷く苦しい。
マーシーはゆっくりとケンの横にやって来て苦労して座ると、背中をさすってくれた。
「朝からずっと、水以外は何も腹に入れてないんだろう? それは苦しいさ。水を飲め」
マーシーはそう言うと水入りの革袋を渡して来た。
「無理でも飲め」
そう言われてケンが何口かをなんとか飲み下すと、また吐き気が来た。
吐こうとすると、マーシーはまた背中をさすってくれる。
今度は今飲んだばかりの水が出て、吐き気は少し治まった。
「大丈夫か? 口を漱いでから、少しでいいからゆっくりと飲め」
言われた通りにすると、視界が蒼く暗く消えていくようだった気持ちが落ち着いて来て、周りが少し明るくなった。
そうだ、今は初夏の日中だったと気が付いた。
「あっちで少し話をしようか」
ケンはマーシーに言われるままにふらふらと立ち上がった。
マーシーも松葉杖を使って苦労して立ち上がる。
二人はそのまま広場の端の邪魔にならない所に行き、座り込んだ。
ケンが何も言わないでいると、マーシーは少ししてから尋ねて来た。
「ボーゼをやったそうだな。どうだった?」
「どうもこうも。無我夢中だった。坂の上からあの女を追い掛けたところまでは憶えてるんだけど……その後がわからない。気が付いたら、死んでいるあの女の前で立っていたんだ」
「そうか」
「……人を殺しちゃったんだって思ったら手が震えて来て、手を見てたら体が震えて来て止まらなくなった。坂を上がってマーシーの顔を見たら、自分が気持ち悪くなって吐き気がした」
「そうだったのか」
しばらく黙り込んだ後に、ケンはぼそっと呟いた。
「俺、どうなっちゃうんだろう」
「どうもならんさ」
「でも、俺は人を殺したんだ」
「いや、ボーゼは偽降伏したんだろ? お前は指揮官として、罰しただけじゃないか」
「……違うんだ」
「そうか? ナイフを隠し持っていて、縛っていた縄を切ったって聞いたぞ?」
「そうだけど、そうじゃないんだ。偽降伏していなくても、殺すつもりだった。あいつを村へ連れて行けば、必ず逃げ出そうとして村の誰かを殺す。そう思ったから、あいつは別にして始末しようと考えたんだ。偽降伏していたのは、その後なんだ」
「それがどうした。お前は村を守った。それだけのことだ」
「でも、俺は人を殺したんだぞ? 殺そうとして。人殺しなんだ」
「でも、お前はお前だ。何も変わらん」
「そうかな……」
「ああ、そうさ。お前、俺のことをどう思う?」
「どうって?」
「知っているだろ? 俺は傭兵稼業で何人も斬っている。そのことで俺がおかしくなったとか、変になったとか思うか?」
「いや。思わない」
「そうだろ。俺は雇い主を守ったんだ。お前も同じだ、何をどう思ったとしても、村を守るために闘ったんだ。お前は大丈夫だ」
「そうだといいんだけど」
頭を抱え込んだケンを見て、マーシーはその肩に手を置いて揺り動かした。
「いいか、ケン。ノーラさんの言った『人を殺す覚悟』とは、殺した後のことも言ってるんだ。あの嬢ちゃんはすげえよ。以前一緒に盗賊と戦った時、あの嬢ちゃんは盗賊が放った火矢を拾って、逃げ出した相手の背中に平気で射ち込んだ。そいつを俺たちが倒してほっとしてたら、油断するなって怒鳴られた」
「そうなのか」
「後で盗賊が怖くないのかって聞いたら、俺たちが護ってくれてたからと言ってたけどな。その後にぼそっと『盗賊怖くて商人ができるか』って呟いたのが聞こえた」
「へえ……」
「なあケン、ちょっと俺の話を聞いてくれるか?」
「いいけど、何?」
「俺が初めて人を斬った、いや、殺したときの話さ」
------------------------------------
相手は、まあ、お定まりの盗賊さ。
その時、俺たちはある商人の護衛をしていた。
その街道は大きな町同士を結んではいたが、衛兵団がしょっちゅう警邏してたこともあって、大きな盗賊団は寄り付かなかった。
だから護衛と言っても、荷物を届けた帰りの空荷の荷馬車に護衛代の代わりに無料で乗せてもらう便乗みたいなもんで、そんな奴が偶然寄り集まって一台の荷馬車に六人もの護衛っていう、おかしな状態だった。
寄り合い所帯だが六人のうち四人はベテランで、俺ともう一人は新米だった。
ベテラン連中のバカバカしい法螺話を聞きながらの気楽な道中の途中で、いきなり横の茂みからみすぼらしい格好をした盗賊が襲って来たんだが、たった三人なんだ。
たぶん、街道から街道を渡り歩き、単独行動で手薄な荷馬車を専門に襲ってた連中だったんだろうなあ。
そいつらにこっちの戦力がわかるわけも無かったんだが、ベテラン連中はカモが来たと嗤ってたよ。
それで闘いになったんだが、ベテラン連中が前に出て、俺たち二人は万一に備えて後方警戒をしろ、って言われたんだ。
それで荷馬車の後ろ側で剣を構えて様子を見ていた。
まあ、大して食えてなさそうな痩せこけた盗賊三人じゃ、ベテラン傭兵四人相手に勝負にならない。
良いようにされてたんだが、そのうちに何の弾みか一人が囲みを抜けて、頭から血塗れでこっちへ必死に走って逃げて来たんだ。
だけどその賊、血が目に入ったのか、俺たちの前で躓いてこけやがった。
それでベテランが俺たちに叫んだんだ。
『今だ、やれ!』って。
ところが俺ももう一人の新米も、体が動かないんだよ。
動こうとしても、足が地面に凍り付いたように前に進めない。
すると賊が立ち上がって、血塗れの顔で『助けてくれっ!』て叫んで、剣を振り上げながらもう一人の新米に向かって歩き出したんだ。
『やばい!』と思って頭に血が昇ったとたんに、体がやっと動いた。
必死になって、もう、斬るとか突くとかじゃなく、剣を前に出したまま、訳の分からない大声を上げて賊にぶつかって、一緒になって転がったんだ。
その後のことは良く憶えていないんだが、同じようにやっと体が動いたもう一人と一緒に、滅茶苦茶に戦ったらしい。
気が付いたら、ぼろきれみたいになった賊の死体の前に二人で座り込んで、はあはあと息をしていたんだ。
俺ももう一人も返り血やら土やらで顔も体もドロドロに汚れてて、顔を見合わせてゲラゲラ笑い出して、笑ってるうちに体が震えだして、怖くなって涙がボロボロ出て来て、二人ともどうしていいかわからなくて、呆けて泣いていたんだ。
その盗賊がどんなつもりで『助けてくれ』って言ったのかはわからない。
こっちを油断させようとしていたのか、本当に降参するつもりだったのか、もう頭が変になっていただけなのか。
それでも、助けを求めた奴を殺しちまった自分が怖かったんだろう。
ただただ、呆けて泣いていた。
そのうち、残りの二人を片付けたベテラン連中がやって来てな。
俺たちの様子を見て、『しっかりしろ』と言って顔をひっぱたかれた。
それでやっと我に返ったんだ。
その後、俺たち二人は腰が抜けたみたいになってたから、死体の後片付けとかはベテラン連中がやってくれて、出発することになって何とか立ち上がった時に、ズボンがびしょ濡れになってるのに気が付いた。
ああ、そうなんだ。
俺ももう一人の奴も、知らないうちに漏らしてしまっていたんだ。
傭兵になった時に先輩から、荷物には必ず下着と服の着替えを余分に入れておくように言われたんだが、理由がわからなくて、そうしていなかった。
その時初めてわかったよ。
しばらく馬車に乗って進んだら川の近くに出たんで、馬車を停めてもらって川で体と服を洗った。
着替えが無いので洗って絞っただけの濡れたパンツ一丁で川から戻ってきたら、雇い主の商人が俺たちを待ってて、俺たちに『初めてか?』と聞いて来た。
『そうだ』と答えたら、『じゃあ、これで一人前だな』と言って、『命賭けで護ってくれて、有難う』と礼を言われた。
その後、『少ないが臨時報酬だ』って全員にリーグ銀貨を一枚ずつくれたんだが、『それはそれとして』汚した荷馬車を洗わされたよ。
それも荷台だけじゃなく、ついでにって、車輪から引き棒から全部だぜ。
酷い話だ、1リーグじゃ割に合わねえよってぼやきながら、もう一人と川の水をバケツで運んで、パンツ一丁で江風に吹かれながら懸命に洗ってたら、商人もベテラン連中も、俺たちが服を乾かすためにつけた焚火の側で茶を飲んでカードで遊びながら、こっちを見て大声でゲラゲラ笑ってやがった。
もう、本当、参ったよ。
だけどな、必死に荷馬車を洗ってるうちに落ち着いて、立ち直れたんだ。
気が付いたら震えも収まってた。
------------------------------------
語り終わると、マーシーは真顔でケンを見て言った。
「これが俺の最初の人殺しだ」
お読みいただき有難うございます。




