第69話 鼓舞
前話翌日
ニードに率いられた隊はネルント開拓村の手前の、山の麓にあるフーシュ村で一泊した。
主街道から外れた田舎の村に宿屋などは無い。
ニードと、ニードが王都から連れてきたボーゼたちは村長の家に泊まったが、残りの衛兵たちは村の民家に分宿だ。
人数分の寝台などあるはずがなく、土間や納屋を借りて寝袋で寝る。
領主が代替わりしてから自分たちが歓迎されなくなったことは、以前からいる衛兵たちの誰もがひしひしと感じている。
先代の時代には、出動先の村ではたとえ粗末な物でも夕食を出してそれなりにもてなしてくれたものだが、今日は寝場所を貸すのも渋々だった。
税率が上げられたせい、というのはもちろん大きい。
だが、領民と自分たちの間にできた溝、あるいは心の距離は、上げられた税以上に大きいように思われた。
領都の街角や領境の検問所で警備のために立っている時も、以前であれば領民たちはこちらに頭を下げて挨拶し、気軽に話しかけて来る者もいたが、今はそのようなことは滅多にない。
誰もが目が合わないように気を付けて通っている。
代官が王都から連れてきた連中が、領民に難癖をつけたり暴力を揮ったりしているからだろう。
それを代官に報告したこともあったが、代官は『付け上がった領民に身の程を教えるのは必要なことだ』と相手にしなかった。
それで衛兵たちは諦めてしまった。
取り締まる側と取り締まられる側の間に壁ができるのは仕方の無いことだと、心の中で言い訳をして。
自分たちは上の命令に従えばそれでいいのだ。
そう思えない連中は、衛兵長に従って領都に残ったのだろう。
だが、代官があいつらをそのままにしておいてくれるとは思えない。
領民たちは気の毒だが、自分と家族を守るためには、嫌でも代官に従うしかない。
明日も見たくもないものを見ることになるのだろうが、自分たちは手を下さず目を瞑ってやり過ごせばそれで済むだろう。
衛兵たちは寝袋の中で溜息をつくと、硬い床を背に感じながら、無理やりに眠ろうと寝返りを繰り返した。
翌朝、朝霧の立ち込める中をフーシュ村を出ると、ニードは荷馬車の荷台で衛兵たちに今回の出動についての指示を出した。
「知っている者も多いと思うが、王都から国王陛下の監察使がやってくる。ネルント開拓村の者が畏れ多くも陛下に対し子爵様を讒言し、虚偽の訴えを行ったのだ」
王都から来た五人の衛兵はニヤニヤと笑い、傭兵四人は無表情だ。それ以外の11人の衛兵は硬い表情で聞いている。
「これまでの子爵様の篤き寵愛を恩とも思わず、わずかな増税に従わぬばかりか反って仇で返そうとする、不義不忠の怪しからぬ行いである。我々はこれより同村に向かい、今回の不当の訴えの首謀者を捕縛する。その他の者が反省し讒訴を取り下げるならそれで良し、取り下げないならば子爵様に反逆する者全てを討ち懲らしめ、関係証拠書類を押収する」
ニードは言葉を切り、衛兵たちを見回した。
多くの者が下を見て視線を避けたが、王都組の連中だけはこちらを見て頷いている。
「手順はこうだ。村の入り口に着いたら、五人ずつ四つの分隊に分ける。一つの分隊、そうだな、傭兵組はそこで留まり道を封鎖する。他の隊は俺と共に村長の家に向かい、一隊は表を、一隊は裏口を監視する。最後の一隊は俺が率いて中に入り、村長を捕縛して家の中を捜索する。監視隊は、逃げ出すものがいれば捕える。単純かつ効率的な作戦だ。いいな」
「あたしは旦那……いえ、代官様とともに行きたいです」
「ボーゼか、いいだろう」
「俺たちもだ……です」
ボーゼに続いて、王都組の残りの四人も勢い込んで手を上げた。
こんな面白い催し事に参加しない手は無い、そう言わんばかりだ。
「いや、だめだ。お前たちは一人ずつ、残りの各分隊の指揮をしろ。一人余るか。お前は裏口隊の指揮補佐だ」
「……わかりやした」
四人が詰まらなそうに手を下げる中、ニードが付け加えた。
「ああ、全員に言っておくが、容赦はするな。逃げ出すものは打ち据えろ。抵抗する者、歯向かう者はおらぬだろうが、もしいたら、斬り捨てて構わん。いや、斬り捨てろ」
王都組の目は輝き、傭兵組は表情を動かさない。
それ以外の衛兵の顔は一斉に蒼ざめた。
ふん、覚悟の無い甘い奴らだ、とニードは嘲笑う。
まあそれでも衛兵長に従って領都に残った連中よりはましだ。
これから俺様が鍛えて、使い物になるようにしてやる。
「全員、返事はどうした」
「了解!」「了解しました…」
大小の声がばらつく。
「何だ、その返事は! 子爵様の威を示しに行くのだ。そんな気構えでどうする。子爵様を辱める気か! もう一度だ! 全員、返事は?!」
「了解!」
今度はそれなりに揃った。
まあ、甘っちょろい連中ではこんなものだろう。
これから修羅場を見せてやる。死体をいくつも見れば、こいつらも変わるだろう。
俺が、俺様が変えてやる。俺様の言う事に喜んで従う臣下にしてやる。
そしてこれが終わったら、子爵を王都に追い返して俺様を勲爵士に推挙させる。
あてがってやったあの女が王都で待っているんだ、喜んで帰るだろう。
そうすればまた、俺様が領主同然だ。
侯爵もハインツもいない、俺が唯一の貴族様だ。
ここは俺様のもの、俺様だけの領地だ。
邪魔する者は容赦しない。
開拓村の連中め、待っていろ。今から俺様がそこに行く。
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ニードたちを乗せた荷馬車はフーシュ村から峠に続く九十九折りの坂道をゆっくりと登っていく。
その上方の途中で、ケンは様子を窺っていた。
万一にも日光を反射して気付かれることが無いように、剣やナイフの金属類は全て峠で待つ仲間に預けて来た。
ちょっと不安になるが、急いで戻るには身が軽いに越したことはない。
仮に見つかっても、ここで戦うような選択肢はない。走って峠に戻る一択だ。
朝方は霧のために視界が悪く気が揉めたが、幸い、日の出と共に吹き始めた風が霧を払ってくれた。
気を落ち着かせ、目を凝らし耳を澄ませていると、遠くから馬車が上ってくる音が響いて来る。
しばらくすると下の方の尾根の出角を曲がって見えて来た。
どうやら一台きりだ。二頭輓きでも馬車の動きは重い。満載のようだ。
あの馬車だと、知らせがあった通りに多くて20数人といったところだろう。
暫く待って後続がいないことを確認すると、ケンは音を立てないようにそっとその場を離れ、峠の仲間たちの所へ戻った。
待っていた全員を集めて偵察の結果を伝える。
「間もなく来るぞ。相手は馬車一台分、約20人。マットの情報から変化はない。みんな、手筈通り、訓練通り動くことだけを考えろ」
全員が頷くのを確認して言葉を続ける。
「もし自分の手筈に不安があったら、今すぐ手を挙げて言ってくれ。遠慮はなしだ。自分一人のことじゃない、皆を守るためだ」
二度、三度と皆の顔を見回すが、不安そうな顔は一つも無い。
全員が口を引き締めてケンを見返す。
「もう一度だけ確認する。相手とのやり取りは、俺がやる。相手の言い草に腹が立っても言葉にするのは我慢してくれ。迂闊な返事をすると付け込まれる。それ以外は手筈通りだ。相手が引かなければ、戦う。何としてもこの坂は上らせない」
ケンは言葉を一度切ると、口調を強めた。
「みんな、ノーラさんに言われたことを思い出してくれ。俺たちは覚悟を決めて、ここにいる。戦う覚悟を決めて、ここに立っている。村を、村の家族を守るために、ここに立ちはだかっている。もう、迷いは無しだ。俺たちは勝つ! いいな!」
「おう!」
揃った声と共に、全員が一斉に持ち場に着く。
ケンは一人一人の所を回って装備を確認した。
緊張した顔をしているが、敵が坂の下に着くころには肩の力も抜けているだろう。
大丈夫だ。
手筈や準備に抜けは無いか、頭の中で確認を繰り返す。
何も無い。
もう後は、待つだけだ。
お読みいただき有難うございます。
次話「開戦」、ついに戦端が開かれます。




