第68話 代官ニードの出兵
前話翌朝
翌日の朝にニードは領都を出発した。
率いているのは衛兵・傭兵合わせて20人。
全員が装備と共に、二頭立ての荷馬車一台に詰め込まれている。
衛兵のうちでも騎馬兵は全員が衛兵長に従うことを選び、同行を拒否しやがった。
馬を借りることすら『監察使の出迎えに必要だ』と断られた。
この領では代官である俺様の言う事を聞かない奴が多い。
なぜそうなったのか、ニードは揺れる車中でずっと考えていたが、わからなかった。
やがて理由を考えるのを諦めて、今までのことに思いを巡らしていた。
ニードの背中には、三条の傷跡が残っている。いずれも子供の頃に鞭打たれてついた傷跡だ。
一条は自分の住む村とその周辺を治めていた代官に、『俺の行く前を横切った』と難癖を付けられて打たれたものだ。
『自分は何もしていない』、そう言おうとしたら、近くにいた村の女に無理やり頭を押さえつけられ代官に謝らされた。
その女が『子供のことです、何卒お許しください』と一緒に謝ると、代官はニードたちを侮蔑の目で見下して、唾を吐きかけて去って行った。
その女以外の周囲の者は、巻き添えを避けるため、皆、見て見ぬふりをしていた。
ニードが生まれ育ったグラウスマン女伯爵領の村では、領主や代官、その配下に逆らうなど、ありえなかった。逆らえば、鞭打たれる回数が増えるだけだったのだ。
村の多くの者が鞭の傷跡を持っていた。
増税されようと、理不尽に鞭打たれようと、民は黙って耐えるものだった。
ましてや王都に上訴するなど、考えもしなかった。
ただ、代官の命に全て逆らわない代わりに、村全体で作付けや作高を誤魔化すのが当たり前だった。土地も肥えており、増税されても暮らしはなんとか立った。
暮らしが立たない者はいつの間にか村を離れていなくなる。
それらはどこか他の領に逃げて行き、大部分の者は盗賊に身を落としたのだろうと思われた。
領のどこの村でもそういうものだと思い込んでおり、誰もが今以上の暮らしなど望まなかった。
だがニードは違った。黙って鞭打たれる連中を軽蔑していた。
そして自分は鞭打たれる側でなく打つ側に回りたいと思っていた。
残りの二条の傷跡は、女伯爵の弟のトーシェ、今のシェルケン侯爵に打たれたものだ。
侯爵家への婿入り話が出る前に、自分の将来が見えぬイライラを晴らそうと、気まぐれに領内の村々で暴れ回っていたトーシェに取り入ろうとしてその気に障り打たれた。
一打を受けてもひるまずにさらに背中を差し出したら、面白がってさらにもう一打を受けた。それでもこらえて笑って見せたら、反って気に入られて使い走りの小者としての身分を与えられた。
トーシェが侯爵家に婿入りする際には付き従って侯爵領に移り、その後読み書きを習ったのも、剣や乗馬を学んだのも、ハインツの靴を舐めるような思いをして仕事を覚えたのも、全て自分が虐げる側に、搾り取る側に回りたかったからだ。
シェルケン侯爵にピオニル子爵領の代官を命じられた時には、天にも昇る思いだった。
これで苦労が報われる。今度は俺の番だ。
若僧の子爵を思いのままに動かして、領民を鞭打てるだけ打ち、搾れるだけ搾り取ってやれる、そのはずだった。
実際に、子爵を唆して命じさせた増税にも、自分が掠め取る分を代官の当然の権利として十分に付け加えた。
商人ギルドなどのわかっている連中は、税を負けて欲しさに出すべきものをたんまりと出して来た。
ボーゼ達の新しい衛兵を王都で集めた時も、相場より安く済ませて浮かせた分を懐に入れた。その分、集まったのは破落戸ばかりだったが、まあそれは仕方がない。
ついでに集めた小役人などは、雇ってもらおうと自分から袖の下を差し出して来た連中だ。
何をやっても子爵をうまく誤魔化せばそれで済む。
ましてや、領民どもに逆らわれる筋合いはない。
どうせ作付けや作高を誤魔化しているんだろうから、それを見逃してやれば文句は無いだろうと思っていた。
だからネルント開拓村の連中が王都に上訴し、監察使がやって来ると子爵に怒鳴られた時は、何を言われているか全くわからなかった。
そしてそれが理解できた時には、ただただ激怒した。
思い出しても腸が煮えくり返る。
俺が苦労して大切に積み上げてきたものを、台無しにしやがるつもりか。
長きにわたって辛酸を舐め、耐えて得たものを無にさせてなるものか。
だが、ものは考えようだ。
農民どもなど、力で押さえつければどうにでもなる。
監察使が来る前に上訴した連中を叩きのめし、それでも折れなければガキや女どもを人質にしてぶちのめすと脅せばよい。
あの甘い連中の事だ、否応なく取り下げざるを得なくなるだろう。
そうなれば、訴えは讒訴だ。
貴族たる子爵を讒訴から守ったとなれば、大きな功績だ。
ああ、そうだ。村から領都に戻ったら、子爵にねだってその功績で俺を勲爵士へと推挙させることにしよう。
もし嫌がったら、焼けと言われたあの契約書の使い所だ。
監察使に提出すると仄めかせば、あんな若僧はひとたまりも無かろう。
元はと言えば、子爵がシェルケン侯に逆らった場合に脅しの材料にするために、子爵の机からこっそり持ち出して隠しておいたものだ。
だが、俺様のために使っても別に構わないわけだ。
やっぱり俺様はやることに何一つ抜け目がない。子爵のような若僧とは格が違う。
勲爵士など、爵位持ちの貴族家の出なら下級の庶子でも金さえ積めば成れる、最下級で一代限りの位だ。
それでも一応貴族のうちには数えられる。
つまりそうなれば俺様も歴とした貴族様だ。
貴族様か。そうか、ついに貴族様か。
俺は今でこそ貴族の身内だが、代官をクビになりでもしたら、今のままではたちまちただの庶民に逆戻りする。もし万が一にも連中の訴えが通るようなことがあれば、間違いなくそうなってしまうだろう。
ふざけるな、貴族たる俺様が認めない。
讒訴した連中め、目にものを見せてくれる。
明日使うのはこの鞭ではない。剣を思う存分揮うのだ。
首謀者は絶対に生かしてはおかない。木に高々と吊るしてやる。
本話の表題を修正しました。「ニードの出兵」→「代官ニードの出兵」




