第67話 潜伏偵察
前話同日
ネルント開拓村から領都に偵察に来ていたマットとライナーは、子爵邸に見慣れない豪華な馬車が入るのを見て、顔を見合わせた。
偵察の拠点としている宿屋の部屋の窓から様子を見ていると、慌ただしく人が出入りするのが見える。何があったのだろうか。
暫くすると人の動きが止まったが、一時間ほどすると執事や奉公人と思しき者たちがまた盛んに出入りしだした。昨日までとは全く違う。
そのうちに代官ニードが出て来て、肩をいからせながら通りを急いで歩いていく。
あっちは傭兵ギルドのある方向だ。
マットはライナーに見張りを続けるように言うと、部屋を出て階下に降りた。
一階の食堂で宿の主人を見つけたので、そっと近寄って尋ねてみることにした。
「表が騒がしいようだけど、なんかあったのか?」
「子爵様が王都から戻ってこられたようだな。うちの者に様子を見に行かせたんだが、まだ帰って来ない。何かわかったら、教えてやるよ」
主人は顔をしかめて答えた。
憶測で無駄話をして主人の時間を潰してはいけない。
マットは大人しく部屋に戻ることにした。
「わかった、よろしく頼む」
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マットとライナーは十日ほど前にこの宿に来た。
この宿は、領都のメインストリート沿いにあり、子爵邸から数十ヤード離れた所に立っている。
三階の通り沿いの部屋からは、窓の横から斜めに見下ろせば何とか子爵邸前の様子がわかる。
通りの反対側の建物は低くて覗かれることは無く、ましてや子爵邸から逆に様子を見られる心配はない。
邸の動静を観察するには絶好の場所だ。
宿を取る際にケンから渡された手紙を宿屋の主人に見せると、何も言わずにこの部屋に案内された。
部屋に入ったら主人が扉を静かに閉めて言った。
「あんたたちの事は聞いている。心配するな。俺以外のこの宿の人間についても余計な心配は無用だが、不必要なことは言わない様に注意しろ。いいな?」
「……ああ」
「情報収集だが、素人は動き回らずこの部屋からの観察に徹しろ。毎日続けて観察していれば、何か大きな変化があればわかるようになる。もしそれだけで不満なら、一階の食堂兼酒場で飲んでいる連中の雑談に入るぐらいなら、しても良いだろう。聞くだけだぞ。迂闊に喋るな。素人が派手に動くと、すぐに露見するからな」
「……わかった」
「邸に近寄らないとわからないような情報や街中の噂話とかは、こっちで取って来て教えてやる。いいか、絶対に無理はするな。わかったな?」
「ああ、わかった。済まない」
「それから、宿泊料もいらない。滞在費の心配は無用だ」
「いいのか?」
「ああ。構わん」
「何でそこまでしてくれるんだ?」
「俺の雇い主とお嬢様の御意向だ。全く大した気に入られようだよ。お前さんたちが何をやったのかは聞かないがな」
主人は嘆息し、それ以上は何も教えてくれなかった。
良く分からない不思議な話だが、有難いことなのでそのまま受け取ることにした。
多分、ケンのやつが何かやらかしてくれたんだろう。
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マットが部屋に戻ってまたしばらく子爵邸を観察していると、ニードが戻って来るのが見えた。
さらに、衛兵たちが二人、三人と邸に入っていった。
普段には無いことだ。出兵の準備かも知れない。
二人でじっと邸やその前の通りを見ていると、扉を叩く音がした。
マットが緊張しながら扉を開くと、宿の主人だった。
主人は二人に近付くと小声で言った。
「王都から偉い人が来るらしい。子爵の邸で泊めきれないかもしれないので、あっちの宿に何人かを泊める準備をするようにと、命じられたそうだ」
主人はそこでさらに声を小さくして、こっちをじろっと見ながら続けた。
「どうやら監察使らしい。ネルントの連中が王都に訴え出たんだそうだ」
「そうなのか」
「ああ、それから、下に来た方が良い。傭兵ギルドから来た連中が飲んでいるんだが、妙な依頼が出ているらしい」
「妙な依頼?」
「直接尋ねてみるんだな」
マットが食堂兼酒場に降りると、何人もの傭兵が酒を飲んで雑談をしている。
毎日ここに顔を出しているうちに見知った連中がいるので、話しかけてみることにした。
「昼間から御機嫌だな?」
「ああ? 御機嫌じゃねえよ。毎度毎度のやけ酒よ」
「愚痴話かい?」
マットが連中の間に椅子に引き寄せて座ろうとすると、中の一人の女が言って来た。
「話を聞きたいなら、一杯奢ってよ」
「ああ、いいとも。おーい主人、ここの全員にエールを一杯ずつ。俺もだ」
それを聞いて、しけた顔をしていた連中の顔が明るくなった。
判りやすい連中だ。
テーブルの奥の席に座っている、一番年嵩の男がマットに向かってニカッと笑って礼を言うと、愚痴話を再開した。
「ありがとよ。前にも言ったろ?ここんところ、街道を行き来する商人がめっきり減って、護衛の美味しい依頼が減っちまってよ。使いっ走りとか、どぶ浚いとか、畑荒らしのウサギ狩りとか、苦労ばっかり多くて報酬の少ない依頼ばっかりでよ」
「景気が悪い話だな」
「そんで、そんな依頼受けても仕方ないから、毎日こうやって安酒ばっかり飲んでるんだわ」
「今日はどうだったんだ? 妙な依頼があったらしいとか、あの親父が言っていたが」
マットが探りを入れてみると、女の傭兵が長い髪の毛の先をいじりながら無造作に答えた。
「ああ、けちな依頼だわよ。ここの代官からの依頼でさあ、衛兵の人数が足りないから、うちらに衛兵のふりをして、一緒にどっかの村に行って欲しいんだと」
「何しに行くんだ?」
「わかんない。行けばわかるって。盗賊団の捕縛かと思ったけど、この領内で盗賊団なんて、とんと聞かないしね」
「へえ。でも、どこか知らねえけど、行くだけでいいなら楽な仕事じゃねえか」
「それが、依頼料がね」
女が言うと、傭兵たち全員が顔を見合わせて、一斉に溜息をついた。
「安いのか?」
「20リーグ」
「結構な額じゃねえか」
「三日でね」
「三日がかりの仕事か。そりゃあ、安いな」
「しかも、全額後払いときたよ」
「普通、半金前払いじゃねえのか?」
「ええ、ギルド経由だとそうよ。でも、急ぎで手元に現金がないんだってさ」
「えらくしけた代官様だな」
「領主様はどこの店でもツケが利くからね。月末の一括払いだから、現金はほとんど手元に置かないんだろうさ」
「半金前払いでないとギルドは受け付けないから、ギルドを通さない自由依頼扱いでその額だ。もし何かあって、死んじまったらタダ働きだ。ばかばかしくって、誰も請けねえよ」
「でも、どっかの村へ行くだけだろ?」
「そんなこと、わかるもんか」
「あの代官、あっちこっちで税を絞り上げて暴れ回って、嫌われまくってんだろ。またどっかへ強請りに行くんだろうさ。そこで揉め事になったら、暴力沙汰に巻き込まれかねねえ」
「あいつ、衛兵が足りないから傭兵で数合わせしようとしてるのさ。衛兵が行くのを嫌がるような仕事でその金じゃ、話にならないわね」
「あいつ、ギルドにいた連中に三倍の額を吹っ掛けられてたぜ」
「おいらは五倍でも嫌だね。後払いだぜ? あの男がまともに払うわけないだろう」
「で、何人ぐらい集めてたんだ?」
「多ければ多いほど、って言ってたけど……そんなこと聞いてどうするんだ?」
そこまで憂さを晴らすために大声でしゃべっていた男が、ぴたっと話を止めて真顔でマットを見た。
マットはそれまで知らず知らずのうちに乗り出していた身を慌てて反らせて両手を前で振った。
「いや、どうもしない。もし美味い話で枠が余ってるなら、行ってみようかとかちょっと思っただけだ」
「お前、ギルドに登録してたか?」
「してないけど、自由依頼なら、登録してなくてもいけるんだろう?」
「ああ、そうだ。行くなら、募集は今日中だ。明日の朝に出発だそうだ」
「おい、変な事教えるな。止めとけ、止めとけ。素人が危ないことに手を出すな。それこそ、報酬を踏み倒されても文句も言えないし、誰も助けないぞ」
「ああ、そうするよ。ありがとよ。じゃあな」
年嵩の男の忠告を受けて、マットは話を切り上げることにした。
マットが席を立ち、その場を離れて階段を登っていくと、傭兵たちは話を再開した。
「あいつ、最近ここで良く見かけるけど、何やってるんだ?」
「さあなあ」
「やたらと人の話を聞きたがるから、情報屋か何かじゃねえか?」
「どこかの貴族の手の者とか?」
「それにしちゃあ、格好とか田舎臭いぞ。体つきは農民にしか見えん」
「わからないわよ。情報屋なんてそんなもんだから。この領が関税を上げてから街道の通りが悪くなってるから、様子を見に来たのかもしれないわ」
「何だって俺は構わんよ。酒を飲ませてくれるなら、大歓迎だ」
「違いねえな」
マットは部屋に戻った。
必要な情報はほぼ得られた。
兵力はわからなかったが、しつこく尋ねて疑われては元も子もない。
出兵先は間違いなく開拓村だろう。
明朝出発なら、明後日には村にやってくる。それまでに知らせを届けないといけない。
身支度を整え、軽食と水、それに夜間用の松明だけを背嚢に入れて背負い、ライナーに後の始末を頼むと部屋を出る。
目立たない様に階段を静かに下りた所で、主人に呼び止められ、裏口の方に連れていかれた。
「兵力は、代官本人を除いて衛兵が16人だそうだ。傭兵はまだ決まっていないが、多くても五、六人だろう。行先はもう聞き回るまでもなかろう。出るなら裏口から出ろ」
マットは礼を言って、言われたように裏口から宿を出た。
通りをゆっくりと歩く。
気は急くが、以前にノーラさんに言われた注意事項を思い出す。
変に目立って衛兵に呼び止められでもしたら大変だ。
領都の中では目立たないように『人を抜かない、抜かれない』を心の中で唱えながら歩いた。
街道に出て、人目が無い時には早足にする。
それでも走ったりはしない。これもノーラさんの指示だ。
走れば、もしも転んだ時に怪我をする恐れが強くなる。
それに体力を消耗して、結局は村への到着が遅くなるのがわかりきっている。
街道際に水場があるところでは、必ず水を革袋に補給して、暫く休憩することも忘れない。
ずっと歩き通すことはできないのだから、途中で潰れてしまわないようにするのが肝心だ。
どうせ今日は夜通し歩くことになるだろう。
松明は、麓のフーシュ村から見られない場所まで来てから、火をつける。
幸い今日は望月の数日前、日暮れてすぐに月明かりがある。
大丈夫、それもこれも訓練したとおりにやればいい。
この知らせを届けることが俺の役割だ。このために準備してきたんだ。
俺は俺の役割を果たす、それだけだ。
お読みいただき有難うございます。




