第65話 紅竜ローゼン
承前
「闘いましょうか?」
少女の変化を解いた紅竜がユーキに問う。
「闘う?」
「そう。人間に正体を見られた以上、相手が望むなら闘う。私が負けたら滅ぼされるか、あんたの下僕となる。妖魔の掟とか、面倒臭い話よね」
「君が勝てば?」
「あはは! あんたを殺して秘密を守るに決まってるわ! 無力な人間を下僕にしても仕方ないじゃない!」
「さっきの様子は、闘うどころじゃないように見えたんだけど」
「試してみる? 飛ばないぐらいの手加減はしてあげてもいいわよ?」
そう言うと、紅竜は楽しそうにちろりと赤い舌を伸ばす。
「気が進まない。止めておくよ。死にたくないし、君を滅ぼしたいわけでも下僕にしたいわけでもないからね」
「賢明ね。この姿に戻ったら、あんたが剣を抜く前に灰にするぐらい、今の力でも造作もなかったわね」
ユーキが静かに返事をすると、紅竜はほっとしたように言った。
そしてまた、光と共に少女の姿に戻って穏やかに笑った。
「こっちの方が話しやすいでしょ」
「なぜそんなに色々教えてくれるの? 問答無用で闘って殺すこともできるだろうに」
「普通はそうするわ。うん、やっぱり賢明ね。ううん、聡明といった方が良いのかしら。怯えてもいないし。竜に出会ったのに腰も引けず、堂々としてるしね。暴力的でも好戦的でもないけど、いざとなれば愛する人を護るために闘うのを恐れないんでしょ?」
随分な誉め言葉だ。照れてしまう。
「……有難う」
「もったいないのよ。私たちを恐れず、でも敬ってくれる人は貴重。なんで敬ってくれるの?」
「そうした方が良いって、ここへ来る前にある人が教えてくれたから」
「ふーん。その人に感謝する事ね。命の恩人かもね」
「そうするよ」
背筋が冷える。竜と闘って人間が勝てる訳がない。
クルティスが菫さんの助言を伝えてくれなかったら、もう二度と会えなくなったかもしれない。
ぞっとするユーキの心中とは別に、少女は話を続ける。
「さらにその上に、こうやって親しく話をできる相手となると、私たちの長い一生の中でも数えるほどだろうと思うから」
「確かに、話好きそうだね」
「もっとも、たくさんの人間にずかずかと森に入って来られても困るんだけどね」
「微妙なところだね」
「そうね。……私のことは、秘密にしておいてくれる?」
「ああ、秘密にする」
「その剣に誓ってよ」
ユーキは言われるままに紅竜の剣を鞘から抜く。
剣はたちまち赫々と光り輝き、焔を上げているかのように見える。
目も眩むような光だが、惑わされることなく柄を両手でしっかりと握ると胸の前に真っ直ぐに立てた。
竜の刃を怖れたか、風は止まり、鳥の声一つもしない静寂が広がる。
辺りを厳粛な空気が支配する中、ユーキは粛々と、しかし力強い声で誓文を唱えた。
「我、紅竜より授かりし此剣に誓う。もし違う事あらば、此剣必ずや我に仇なさん。此剣ある限り、我、大森林の主の秘を守らん……菫さん以外には。菫さんにも、話す時には秘密にしてもらうようにお願いする……」
威儀を正してユーキの誓文を聞いていた竜の少女が途中から笑い出し、地面を転げ回り始めた。
「……菫さんはきちんとした人だから大丈夫。二人の秘密って言えば、むしろ喜んで守ってくれるはず」
「な、何、その誓い。ク、ククッ、クッ、や、やめて。わ、笑いが止まらない……お腹が、お腹が痛い」
竜の少女は、ひとしきり笑い転げると、なんとか立ち上がった。
「何よそれ。締まらない、グダグダな誓いね。こんな間の抜けた誓文、妖魔仲間にも聞いた事がないわ」
はあ、はあと息をついているが、楽しそうにしているとますます美しく見えた。
「どういうことなの?」
「えっと、菫さんにはどうしても秘密を作りたくないので」
「菫さん?」
「さっき言った、君達を敬うように教えてくれた人で、えっと、あの、つまり」
「……ああ、護りたい大事な人ね。どんな人?」
「今回は護られた訳だけど。大きな妓楼で禿として修行中なんだけど、一所懸命で、明るくて、可憐で、淑やかで、僕の事を慕ってくれていて、」
ユーキは嬉しそうに菫の事を語り出したが、少女は右手をユーキの顔の前に突き出して遮った。
その手が『はいはい、御馳走様、もう十分』と語っている。
「惚気は要らないから。そう、一流の妓楼勤めなら、王族よりも口は堅いからいいわ」
「そうなの?」
「客の秘密を守れない妓楼が一流になれる訳ないでしょ」
「そりゃそうか」
「その娘だけは特別に許すけど、あのね、普通こういうのは、その場のノリで『誰にも言わない』って誓うものなの」
「そうなの?」
「ええ、それで後から恋人とか奥さんとかに寝物語でつい喋っちゃって、そこから壮大な悲劇が始まるものなのよ。最後には、英雄も恋人も死んで国が亡びるような」
「ふーん」
「『ふーん』って。あなたにかかっちゃ、台無しね。もう、私の出る幕は無さそうね」
「謝ったほうがいいのかな?」
「あなた、真面目を通り越してマヌケだとか言われない?」
「そこまで言われるのは初めてだよ。糞真面目とはよく言われるけど」
「なるほどね。でも嬉しいわ。無駄な争いを起こさない、信じるに足る友ができて」
「友?」
「ええ、あなたが気に入ったから、友達になりましょ。下僕とかじゃなくてね」
少女は嬉しそうに言うと、右手を出した。竜尾は小さく左右に振られている。
ユーキがその手を取り、そっと握手すると、少女も握り返して来た。
竜の手とは思えない、小さな柔らかい手だ。
「光栄だね。えーと……」
「ローゼンと呼んで。この森の名前と同じね。契約していないから真名は秘密。あなたは、ユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティア。ヴィンティアの王子ね。王族内の順位は8位。ユーキと呼んでも?」
「いいよ。親しい人にはそう呼ばれている。9位だけどね」
「ああ……そうだったわね。アレを数え忘れたわ。ユーキも大変ね」
「……まあね。でも王子と言っても一番下だから。何を言われても気にしなければそれで済むから、気楽なもんだよ」
「そうかしら。これからいろいろ大変になりそうだけど」
「そうならないことを期待するよ」
「そうなったら、私の大切な友達だから、力を貸してあげる。もっとも私はこの森からは出たくないから、大した事はできないけどね。何かあったら、この森に来ることね。ここにいる間は私が護ってあげる。あなたたちの言ってた加護ってやつね。麗しのウンディーネじゃなくて悪かったけど。この地が滅びず、私が生きてる限りは安全安心よ」
「それは有難う。でも、この森に入って出て来られなかった村人がいたって聞いたけど」
「ああ、樵とか狩人ね。木や獣を大量に採ろうとして森を荒らした連中らしいわよ。どこへ行ったのかしらね」
ローゼンは握っていた手を放し、両手を頭の後ろに回すと視線を逸らす。
竜尾の揺れは激しくなった。
わかりやすい少女だ。
「最近、人攫いが消えたっていうのもあった」
「私が手を下してないものは知らないわね。でも、人攫いとか、消えても誰も困らないんじゃない?」
「そりゃ、人攫いは死罪だけど。人攫いにも家族とかはいるかも知れないから、消えちゃうのは困るかも……」
「まあ、厄介払いとでも思ってよ。それに、ここには他にもドリアーダとか、アルラウネとか、トレントとかいろいろいるから、何が起きても不思議じゃないわ。今の季節は、エルフも来たばかりね。湖には本物のウンディーネやナヤーデもいるよ? アレたちの設定が馬鹿馬鹿しすぎて、呆れて湖から出てこなかったみたいね。ああ、セイレーンが遊びに来ることもあるわよ? みんなに、ユーキの事は言っとくわ。見かけたら、手でも振ってあげて」
「わかった。できるだけ皆さんに迷惑はかけないようにするよ」
「そうね。まあ、大丈夫だとは思うけど。それから、この森以外にもいないわけじゃないから気を付けてね」
「そうなの?」
「そうよ。フローラはしょっちゅう森からあっちこっちへ出かけてるわ。ドワーフはエルフを嫌ってここには寄り付かないし。嫌うと言えば、群れを嫌ってここへ来ない逸れエルフもいるわ。その他にも。そういえば以前に、逸れエルフが普段と違う所を通って渡って来た時に、黒い毛虫を着けて来たことがあったわね。結構な騒ぎになったのよ」
「黒い毛虫……」
「まあ、ユーキならそれとわかると思うけど。フローラとか、ウンディーネとか、ドリアーダも真の姿は、とっても綺麗よ」
「そうなんだ。でもローゼンも、僕が読んだ絵物語のウンディーネより美しいと思う」
「うえっっ?」
ローゼンはびっくりして口に両手をあてて目を丸くした後に、今度は細くしてこちらを上目使いに舐めつけて何かモニュモニュ呟いていたが、頬を染めながらそっぽを向いて返事をした。
「本心でそう思ってくれているみたいね。ありがとう。嬉しいわ」
湖の方から何か不満そうな水音がしたが、聞かなかったことにする。
「でも、あなた、大切な人がいるんでしょ? 菫さん、だっけ? それ以外の女性に今みたいなこと、言うものじゃないわよ」
「そういうものなの? 単純にそう思っただけなんだけど」
「そ、そう。でもそういうものなの。わ、私には言ってもいいけど」
「そう。わかった。気を付けるよ。教えてくれて有難う」
「(ほんと、真面目にも程がある……)どういたしまして」
「僕の方は何をしてあげられるかな。友達のためなら、できるだけのことはするよ」
「ありがとう。さっきの言葉だけで充分嬉しいんだけど……そうね、この森は荒らさないようにしてくれる? 入る時から、お連れさんと一緒に気を付けてくれてたけど。あ、それから、消え物の供物は大歓迎よ。特に甘い物とか赤い花ね。但しこの森の花は元々私のものだから、ここで摘んでも意味ないわよ」
「わかった。この森を荒らさないように気を付ける。甘い物は、良ければこれをどうぞ。王都限定品だよ」
ユーキはそう言って、侍女のアンジェラが用意してくれた、王都の有名菓子店謹製の袋入りの飴をポケットから取り出した。
くっつかないように、個包装されている上等品だ。
上等なだけあって、小粒なのが玉に瑕ではある。
ユーキは、甘い物は特に好みでも嫌いでもないと思っているし、食べないようにしているつもりだが、荷物になるからと断ろうとしたら、『何かの役に立つかもしれません』と無理やりポケットにねじ込まれたものだ。早速役に立った。
「嬉しい! 用意がいいわね! 久しぶりの甘い物!」
ローゼンは飴を一つ摘まみ上げると手早く包装紙を剥き、頬張った。
「甘い……しかもベタベタしていなくて上品な甘さ……オレンジの酸味も良く効いてる……さすが王都限定、最高……」
「気に入ってくれたようで幸いだよ。良かったら、全部どうぞ」
「じゃあ、もう一つだけ。残りは持って行きなさい。この先、他にも役に立つことがあるかもしれないから」
「そうかな? じゃあ、はい。それからこれは湖のウンディーネ様に渡してくれる?」
さっきから水音がバシャバシャとうるさいので、ローゼンにもう一つ渡した。
「わかったわ。これであの娘も満足するでしょ」
「もし余ったら、帰りに捧げに来るよ」
「そんなこと考えずに、必要があったら使い切りなさい。私には……私たちには、また別に買って来てちょうだい。ちなみに私はブドウ味とかも好みよ」
ユーキは思わず笑ってしまった。
「わかったよ。いろいろ買ってくる。逢いたくなったらここに来ればいいのかな」
「私の姿を見たければね。話をするだけなら、森の中なら心で呼びかければ、いつでもできるわよ。森の外でも、すぐそばなら大丈夫。その位の力はあるの。私の方からも話しかけていい?」
「いいよ。ただ、いきなりだとびっくりして、周りから怪しがられるかもなあ」
「それも面白いわね。王子様が不審人物扱いとか、笑える」
何を想像しているのか、ローゼンはお腹を押さえてくっくっと笑っている。
「そんなに笑うなよ」
「ごめんごめん。じゃあ、それも後でやってみましょ。それから、その剣は竜の力が籠ってるけど、できるだけ使わない方が良いわね」
「竜の力? どんな力?」
「その場次第。使えば自ずとわかるけど、使わずに済むことを祈るわ」
「使わない方が良い力?」
「うーん、力の種類云々じゃないわね。常人には見られなくなっちゃうから、普通の人生を送れなくなる」
「超人扱いされちゃうのか」
「まあ、元々普通の人生じゃないだろうけどね。私の姿も見えたし」
「えー。僕は普通に生きられないんだ」
「王子が何言ってんの。ざーんねん、希少生物に普通はありえませーん。……ま、あなたは、王族は何のための王族なのか、王子としてどう生きるべきか、いつも真剣に考えてるんでしょう? 答えがみつかるといいわね。ああ、もう一人の王子、アレじゃない方も、見えはしなかったようだけど、何か感じてたみたいよ」
「クレベール殿下が?」
「アレよりはましみたいね。一応、王子だし」
「えっと、一応なら、親族でもあるし、あまり酷く言わないでもらえると有難いかな」
「あら優しい。でも、ああ見えて、彼も『王子とは何か、何を成すべきか』を悩んでるみたいよ」
「何でもわかるんだね」
「そうでも無いけど、見れば少しはね……あまりべらべら話すと、折角できた友達に怪しまれちゃいそうね。今日はこの位にしておきましょうか」
「そうだね。あまり時間が経つと僕の仲間も怪しんで様子を見に来るかもしれないし」
「その心配はないと思うけど……また逢いに来てね? 友達は逢えなくても友達だけど、姿を見るのは格別に嬉しいから」
「ああ、そうする」
「菫さんと一緒に来れば? フフフ」
「……考えとく。じゃあ」
「じゃあね」
ユーキは馬に乗り、ローゼンに軽く手を振ると馬を返して森に戻った。
ローゼンはその姿をしばらく見送っていたが、湖の方に向き直って言った。
「欲しければ来れば?」
すると水面に波が立ち、気が付けば、長身で、碧い髪を無造作にまとめて背中に流した白い肌の美女が湖畔に立っていた。
瞳はやや緑がかった水色で、衣はローゼンにそっくりだ。ローゼンの方が真似したわけだが。
髪や肌の色こそ違え、見ようによっては姉妹にも見える。
ローゼンはその女に向かって得意げに言った。
「『ウンディーネより美しい』」
「『絵物語の』がついてたでしょ。実物を見たらどう言うかしらね。……飴」
「はい」
「オレンジかあ。私はメロン味が良かったわ」
「ただでもらっておいて贅沢言わない」
「はいはい」
「はいは一回」
二人はしばらく美味しそうに飴を舐めていたが、ウンディーネが沈黙を破った。
「あんたが人間を気に入るなんて、珍しいわね。いつもなら、すぐに灰にしちゃうのに。適当な事を言って、剣まで授けちゃって」
「あんたも気に入ったんでしょ?」
「まあね。私にまで飴をくれたし」
「超やっすい妖精ね。……手を出したら酷いわよ?」
「わかってるわよ。あんたのものには手は出さないわ。ひょっとして、惚れた? ここで囲っちゃわないの?」
ローゼンは首を横に振る。
「ううん、友達よ。男女と言えば恋仲、ってわけじゃないのは、あんたもわかってるでしょうに」
「まあ、そうね」
「それにあの子はもう既に手が付いてるし。絶世の美女(予定)とできてるし。熱々だし」
「その点は残念だったわね。……あの大きいお連れさんは? もらってもいい?」
「駄目に決まってんでしょ。あの子の掛け替えの無い親友なんだから。その他の連中なら、好きにしていいわよ?」
「パス。ま、あんたの友達なら、何かあったら私も助けることにするわ。良い子みたいだしね。ナヤーデたちにも言っとく」
「そうして。……って、あんたの加護が加わったら、本当に伝説が完成しちゃうわよ」
「別にいいんじゃない? 人間の事だし。それにしても美味しい飴ね……なくなっちゃった。ああ、次が待ち遠しい……そろそろまた来るかしら? 時間、早巻きしちゃう?」
「気が早過ぎんだろ」
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ユーキが皆のところに戻ると、スタイリス王子が驚いて声をかけてきた。
「随分早かったな。本当に行って来たのか? 怖くなって途中で戻ってきたんじゃないだろうな?」
周りをみると、まだ休憩の準備の途中で、スタイリス王子は馬から降りてもいない。
ローゼンが時間を心配していなかったのはこういうことか、ほんの数分しか経っていないようだ。
不思議と言えば不思議だが、まあ、相手が相手だからと思えば納得も行く。
「剣は拾ってきました」
スタイリス王子に剣を見せてデニスに渡そうとしたが、手を引っ込められてしまった。
「そんな不気味な剣、要りません。スタイリス様にお譲りしましたし」
「ああ、そうでした。殿下、失礼いたしました」
ユーキはスタイリス王子の方に馬を寄せて恭しく剣を差し出した。
「俺も要らねえよ、そんな呪いの剣。お前にやる。そんなボロボロの剣で斬られるような弱い奴がいるかどうかは、知らんがな。まあお前に斬れそうなら、斬ればいいだろうさ」
スタイリス王子はそう言い捨てて馬に乗ると、先に行ってしまった。
「……有難うございます」
スタイリス王子の背中に向けてそう言った時に、心の中でさっき聞いた声が響いた。
「(ほーらね? 手放せないでしょ?)」
「(ローゼン? こういうことか)」
心に思い浮かべると、声を出さずにローゼンと会話できることがわかった。
「(ええ、そう。あのビビり君たちにその剣が持てる筈もないし)」
「(ビビり君……)」
「(それにしても、竜剣だけじゃなくて、呪剣にもなっちゃったわね。ビビり君のお蔭で)」
「(そうなの?)」
「(言霊って怖いわよね。この森であんなこと言っちゃって。言葉って、身を滅ぼすのに)」
「(僕は気をつけることにするよ)」
「(それがいいわ)」
「(呪剣っていうのは?)」
「(ビビり君が言った通りよ。ユーキが斬れそうだと思ったら、何でも斬れる剣。誰のことになるかしらね。私たちには向けないでね?)」
「(でも、呪いの代償がいるんじゃないの?)」
「(ええ、剣を呪った者が支払うことになるわね。わかるでしょ?)」
「(……やっぱり使わないようにするよ)」
そうこうしていると、敷物を片付け終えたクルティスに声を掛けられた。
「殿下、どうされましたか? 御気分でも?」
「いや、何でもない」
「では、参りましょうか。あまり遅れると、またスタイリス殿下の御機嫌が斜めになります」
「ああ、行こう」
どうやら傍からは、ぼーっとしているように見えたらしい。
ユーキは馬の脇腹を軽く蹴り、スタイリス王子の後を追う。
少し行くと、クレベール王子が馬に乗って待っていた。
ユーキを見ると静かに寄ってきて、小声で尋ねてきた。
「で、剣は抜いてきたのか?」
「いえ、落ちていたのを拾ってきただけです」
「なるほどね」
クレベール王子は顔をそらしてスタイリス王子が行った方をちょっと見るとぼそっと言った。
「そういうことにしておいたほうがいいな。『だけ』は余分だが」
驚いてクレベール王子の顔を見ると口角をちょっと上げた気がしたが、もうこちらを見ようとせず、馬を先に進めて行ってしまった。
森を出るとき、ユーキとクルティスは湖の方角を振り返り、また一礼した。
「(本当にまた来てね?)」
ユーキの心に、ローゼンの声が少し寂しそうに響く。
「(心配しなくても、必ず来るよ。甘い物と赤い花。約束だ)」
「(良かった。安心したわ。楽しみにしてるからね)」
ほっとしたようだ。
「(じゃあ、森の主ローゼン、また)」「(またね。紅竜の友、ユーキ)」
お読みいただき有難うございます。




