第64話 竜尾の少女
承前
そこにいたのは13か14歳くらいの背丈で、艶やかな濃い褐色の肌の少女のようだった。
膝上までの白く透き通りそうな服を腰の所で蔦で縛ってまとい、その背中に伸びた長い髪も両方の瞳も、燃えるように赤い。
高く通った鼻筋の両側で大きな眼を長い睫毛が飾り、その上を柳眉が流れる。
小さな口は、腕に力を込めているためにへの字に歪んでいるが、美しい顔立ちだ。
その格好は、ぱっと見には絵物語のウンディーネの姿に良く似ている。
エルフ渡りの名残の風がまた吹き始めたのか、赤い髪と白い服の裾がゆらりゆらりと靡いている。
ユーキが何も言えずに立ち止まっていると、その少女は地面に刺さった剣を抜くのを諦め、手を放してこちらに向き直った。
「何? 驚いてるの? 君はさっきも私が見えてたよね? それともウンディーネを見るのは初めて? 絵物語とかで見たことない?」
「ウンディーネ様ですか……絵物語では見た事がありますけど」
「まあ、実物に初めて会ったら、驚くのも無理は無いかな?」
「確かに初めてですね。竜尾のあるウンディーネ様にお目にかかるのは」
そうなのだ、衣の下から、鱗に覆われ、先端に鋭い棘が生えた尾が覗いているのだ。
「えっ!」
少女が慌てて腰を押さえるがもう遅い。
『あちゃー』と言わんばかりに口を開くと、がっくり項垂れて、頭を抱えて「しくった……」とか呻いている。
「もうちょっと服の丈を伸ばすべきだった……でも可愛さが落ちちゃうし……」
「そもそも、なぜウンディーネなのですか?」
「ああ、敬語でなくていいよ。ウンディーネは君たちの設定じゃん。それに乗っかった方が、騙しやすいと思って」
「騙す?」
「本来の姿を人間に見抜かれないように」
「……尾を消せば良かったのでは?」
「ついよ! うっかりよ! たまたまよ!」
「どれ?」
少女はユーキに突っ込まれてプンプンと怒り出した。
両腰に拳を当てて仁王立ちでユーキを睨みつける。
裾から覗く竜尾も後ろにピンと伸びている。
「消したつもりだったの! 力が足りなかったのよ。私はまだ若いから……。昨日までのエルフ渡りで森が荒れて、それを掃除するのに結構な量の力を使っちゃって、まだ回復してないの」
「そうなんだ」
「全く、エルフの連中と来たら、自分の依木以外は折れようが倒れようが、『自分たちの霊力ですぐまた生える』とか言って気にしないんだから。他の子たちは『嵐の後で体がだるい』って手伝ってくれないし。絶対、嘘よ、あれ」
「それは気の毒に」
「綺麗好きが私だけって、どういうことよ。もう片付けでくたくたよ。この姿じゃ、こんなボロ剣もまともに持てないくらいなの」
「それでさっき、剣を奪った後にふらふらしてたのか」
「そうよ。本当の姿を見られたら面倒臭いことになるから、力がある者以外には見えないこの姿に変化したの。でも、あんたには見えそうだったから、そのまま隠れてようかとも思ったんだけどね。刃みたいな不浄なもの、あんまり振り回されると、森がまた荒れちゃう。アレ、試し切りとか言ってそこら辺の樹に斬りつけかねない勢いだったし。困った野郎だよ」
勢いよく言うだけ言うと、少女の竜尾から力が抜けて垂れ下がった。
怒りが治まったようだ。
ユーキが逆らわずに頷きながら聞いていたのも良かったのだろう。
「結局落として刺さっちゃったけどね。もうしようがないから、ちょっと力を貸してくれるかな。この剣を抜いて、そこに落ちてる鞘に納めてよ」
「そんなに深く刺さってるようには見えないけど」
「そうでもないのよ。とにかくこの姿じゃ力が入らなくて」
「ふーん、そういうものなのか。うんっ?」
ユーキはひょいっと抜こうとしたが、刺さっているのは指一本分ぐらいの深さしかないのに抜けない。
そんな筈は無いと思ってぐっと力を入れたが、動きもしない。
「あー待って待って、人間一人だけでは抜けないよ。今、一緒に抜くから」
少女がひょいっと柄に手を添える。
もう一度力を込めると今度はすっと抜け、その瞬間刃が赤く光った。
「これは一体……」
ユーキが呟くと、少女は自慢げに言った。
「私の土地に捧げられた剣だからね。私が手を添えないと、抜けないのよ」
「捧げられた? 持ってきただけなんだけど」
「私の土地に刺さっちゃったからねえ。アレ、あのお調子者?がこっちに向かってめったやたらに振り回すもんだから。凡百の剣では私は傷つかないんだけど、つい、アレの手を叩いちゃったよ。落ちないように掴んだんだけど、力が出なくてふらふらしちゃって……」
「見てた。スタイリス殿下に向って倒れかかって、突き殺しそうになっていたよね」
「殿下? アレが? え? 王子はもう一人いたけど……アレも? いや、アレは……まあいいか」
少女は鼻先で『フフン』と笑って続けた。
「アレを突こうとかじゃなかったんだけど、とにかく支えきれなくて。まあ、刺さっちゃった以上はこの地への捧げ物扱いよね。そうするともう、この地の主たる私が許さないと抜けないの。つまり私自身で抜くか、私が力を貸して人が抜くかしないとね」
「そういうものなんだ」
「そう。力が戻るまで待ってたら、刃の不浄でこの地が汚れるし」
「さっきも言っていたけど、剣は不浄なんだ」
「剣というか、朽ちにくい人工物がね。刃は生き物の命を断ち切るために研ぎつづけ、鋭利を保とうとするでしょ? 有為転変の自然の摂理に逆らう物なの」
「む、難しいんだね。良く分からないけど」
ユーキはちょっと引くが、なぜか少女は自慢げだ。
「そうよ。どうせ捧げるなら、食べ物とか花とかの消え物にして欲しいわ。どうしても構造物を捧げたいなら木造ね、塗装なしで。あ、自然石もOKよ、できるだけ割ったり削ったりしないで積むだけならね。剣は良いものほどなかなか錆びないしすごく困る」
「良い鋼を使うからね」
「そう。それから金貨とか宝石とか最悪。永久に腐らないんだから。ごみ溜めに拾い集めとくしかないわ」
「憶えとくよ……ああ、それで竜の棲み家の隅には宝とか武器とかが集められているって言われているんだな。ごみ溜めか。人間には宝物だけど」
「まあそんなところ……やっぱり竜ってバレてる? 話をしてるうちにうっかり忘れるかと思ったんだけど」
「まあ、まだ尾が見えているしね」
「やっぱり誤魔化せないか……」
少女は頭をポリポリと掻いている。
「さっき言っていた、『本来の姿を人間に見抜かれてはいけない』っていうやつ?」
「そうね。……もうしょうがないか。説明するから、取りあえずその剣を鞘に納めてよ」
「ああ」
ユーキが鞘を拾って剣を納めようとすると、また刃が赤く光った。
納めた剣をじっと見ていると、少女が笑いながら言った。
「紅竜の剣だからね。真の持ち主が扱うと、光るぐらいは当たり前ね」
ユーキは頭痛がしてきた。
あっちもそっちもこっちも突っ込まないと。
「ちょっと待って。紅竜の剣? 50リーグもしない安物なんだけど。それに僕のものでもないし、光るのが当たり前って」
「確かに元は安物ね。銘剣と打ち合えば、五合で折れたでしょうね。でも私が握っちゃった時点でね、別物になっちゃったわけ。紅竜の力で紅く輝く不折のドラゴンソードね。もう、岩に斬りつけても折れないわよ。私一人で抜ければゴミ溜め行きだったんだけど、今となっては、この地から抜いたあんたの所有物だよ。伝説が完成しそうね」
「伝説って、そんな。僕にしたら、ただの拾い物じゃないか。ネコババ伝説とか言われそうだよ。あまり気分は良くないな」
「だったら、元の持ち主に返してみればいいよ。手放そうとしても、自然とあんたの下に戻ってくるから。後で試してみれば? それから、光らせたくないなら、抜くときにそう心の中で念じることね」
言われた通り、ユーキが『光るな』と念じながらちょっと抜いてみると、確かに光らない。
「本当だ……」
「あと、私の正体の件だけど」
そういうと、少女は上を向いて両手を挙げた。
朱い光が一瞬少女を包んで消えた後には、濃褐色の竜に全身が変わっていた。
鬣と瞳の紅蓮の色には変わりはなかったが、体はユーキよりはるかに大きい。
同じく紅蓮の翼は畳まれているが、拡げればたちまち空高く飛べるのだろう。
「これが私。この真姿なら、誰にでも見えるのよ。今はこんな色だけど、成竜になれば炎より赫い紅竜になるわ」
竜はそう言うと、口角を上げた。笑ったのだろう。
そして言った。
「じゃあ、闘いましょうか?」
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