第58話 国王への訴え
王国歴223年5月上旬(ユーキ18歳)
本日、ユーキは閣議を傍聴していた。
この国では、閣議の正式な出席者は国王、王太子、大臣であるが、国王は次官・局長相当の役職者にも出席するよう指示している。
また、成人王族と貴族家の当主には、閣議を傍聴する権利があり、伯爵以上の家の継嗣は希望して国王の許可が得られれば傍聴できる。
もっとも、傍聴者であっても国王は名指しで意見を求め、答えが良くなければ遠慮会釈なく叱責する。
貴族の当主や継嗣はそれを怖れてほとんど傍聴には来ない。
本来出席義務がある役職者でも、仮病を用いた欠席者が結構いる。
「腰痛」の届けが係りの者には見慣れたものになっているほどだ。
それでも、実際の政策は国王と大臣が殆ど決定するので、国政に差し障りはないのが実情である。
ここ数年、国王は年齢のため公務を減らしていたが、閣議にはできる限り出席している。
欠席しても宰相が取り仕切って国王に報告し、その裁可を得るので問題は生じないが、貴族が国王を畏れないようになっては困る。
ユーキは成人した後は、週に二回の閣議をほぼ毎回傍聴している。
同年代の王族のうち、メリエンネ王女は体調回復がまだ十分ではなく、傍聴に来れていない。
スタイリス王子とクレベール王子は時々しか顔を出さない。
特にスタイリス王子は国王がたまに欠席する時に限って、クレベール王子を伴って出ている。
国王の出否をどうやって事前に知るのか、不思議だ。
それが国王の気に障って出席を命じられたか、今日はスタイリス、クレベール、ユーキの三王子が揃った。
議題に関する国王の下問はほぼスタイリス王子とクレベール王子に集中した。
ユーキにとっては弾除けみたいなものになった。
スタイリス王子は下問の大半をクレベール王子に受け流し、結局クレベール王子は答えに大忙しであった。
もっとも、ユーキとしては国王の質問を良い試練と思っているので、有難いわけでもない。
クレベール王子があれこれと答えるのに羨ましく耳を傾け続ける間に、閣議は終わりそうになった。
「宰相、今日の閣議は、これまでかな?」
「はい、陛下、予定されていた議題は、これで……いえ、もう一件ありました」
「うん? 儂が事前に聞いていた件は、全て片付いたように思うが」
「先ほど使いの者が参って、クリーゲブルグ辺境伯から取り上げて頂きたい件がある旨、申し出があったとのことです」
「辺境伯が? 自ら上都してか?」
「はい。今朝、到着された由。急ぎ御審議いただきたいと申されております」
「わかった。何だ?」
「詳しくは御本人から説明されたいとのことで、登城されて控室でお待ちです」
「呼べ」
「承知しました。クリーゲブルグ卿をお呼びするように」
居並ぶ面々が訝し気に待つ室内に、辺境伯が呼びこまれた。
辺境伯は素っ気なく国王に一礼すると、出席者一同を見渡した。
「クリーゲブルグ辺境伯、久し振りだな。元気そうで何よりだ」
「陛下におかれましても、御機嫌麗しゅう、恐悦至極に存じます」
「わざわざ上都しての案件、いったいどうした」
「契約に関する訴え事でございます。本来は訴訟方で取り扱っていただくべきところですが、急を要すると思われること、また、当領と隣領の双方に関わることから、陛下に報告させていただきたいと」
「隣領?」
「はい」
「ピオニル子爵領か。何があった」
国王の問いに、辺境伯はもう一度閣議の出席者・傍聴者を睥睨してからおもむろに口を開いた。
「当領ではかねてより子爵領と、小麦栽培について契約を結んでおります。子爵領での小麦栽培を抑制するのと引き換えに、当領から無償で小麦粉の支援を行うというものです」
「例の件がらみか」
「はい。それだけでは均衡が取れませんので、当領からの荷物については、子爵領では関税を取らぬということにしておりました。実際には、子爵領発の荷物や双方向の通行料も全て無税での運用でしたが」
「それが破られた、ということか」
「さようです。小麦の栽培についても、関税についても、通告もなしに一方的に破られております」
「怪しからぬな」
そこまで聞いて、内務を預かるゲルプ内相が口を挟んだ。
「畏れながら、陛下」
「何だ、ゲルプ侯爵」
「契約が破られたというのは辺境伯にはお気の毒には思いますが、これは当事者同士の話し合いで決着すべきものかと思います。話し合いで納まりが付かなければその時には、卿が仰せの通り訴訟方で取り扱うべきかと。いきなり閣議に持ち込むべき案件とは思えません」
「私もそう思います。領と領の揉め事に陛下の御威光を借りようとは、辺境伯とも思えぬやり方。いかがなものかと」
「さようさよう。貴族の沽券に関わるのではないか?」
ゲルプ侯爵に続いて、出席していた貴族たちが口々に反対する。
「宰相、どう考える?」
「諸侯の意見には一理あるかと。ただ、契約が一方的に破られているというのであれば、当事者同士の話し合いがまとまらないことは容易に予想できます。またピオニル子爵領の事情も鑑みれば、陛下に報告して御裁断を求めようとした辺境伯の考えもまた、理解できます」
「ふむ。辺境伯、どうだ? 諸侯に対して言いたいことはあるか?」
「いかにも、単に隣領同士の争い事で留まるならば、ここへ持ってくるまでもない、その通りでありましょう。当方にも辺境伯としての矜持というものがあります。陛下の御裁断に頼らねば何もできぬと思われるのは業腹です。しかしながら、主街道の関税は、単純な隣領間の争いごとで済ましてよろしいでしょうかな? 主街道上にある、他の領にも影響するのではありますまいか? 現在、ピオニル領は4%の関税を課しておるのですが、諸侯もそれで良いと思料されていると、そういうことですな?」
辺境伯が再び一同を見回すと、諸侯の間に「4%」という呟きとざわめきが、敷波のごとく二重、三重に広がっていく。
辺境伯は視線を国王に戻し、強い口調で訴えを続ける。
「さらに申し上げますが、訴えたきはこれだけではありません」
「申してみよ」
「はい、子爵領のある村の住民から、当方に訴えがございました」
「ある村とは?」
「それは御裁断の後に。村民は領主の報復を恐れておりますれば」
「ふむ、まあいい、聞こう」
国王は一瞬歪んだ表情をすぐに戻すと、体を背もたれに預けて辺境伯を促した。
「はい。しばらく前に前領主と住民らが税額について交わした契約が未だ有効であるにもかかわらず、それを一方的に破棄して増税を突きつけられたと。訴訟方に訴えたいが、方法が分からず、取次を願い出て来たものです」
「ありがちな話だな。村の発展の状況が当初の想定と異なれば、税の多少の調整は仕方なかろう」
「はい。多少であれば」
「ん? 変更の内容は?」
「項目は地租です。従来は1エーカー当たり40リーグだったものを、2ヴィンドに上げるとのことです」
それを聞いて国王が体を起こし、不快そうに問い質す。
「齢のせいか耳が悪くなってな。儂の聞き違いであろうと思うのだが、40リーグを2ヴィンドに上げると言ったか?」
「はい。間違いございません。五倍の増税です」
「確かか?」
「村民の申すには」
「いや、何かの間違いだろう。村民の思い違いとか」
「畏れながら、そうではなさそうです。代官から署名するようにと渡された書類もあるとのことです」
「確かな書類か?」
「村に保管してあるとのことで、領印の押されたものとのことです」
「残念ながら、間違いなさそうだな。五倍とはな」
国王は首を振り振り、慨嘆した。
辺境伯はさらに言葉をかぶせる。
「当方の調べでは、子爵領の他の町村にも、増税を申しつけているようです。地租に関しては、一律エーカー当たり2ヴィンドにするようです」
「小麦粉の価格はどうなっておる?」
「卸、小売り共に特段の変化はございません」
「物価も変わらんのに増税か。ピオニル子爵は何か事業でもしようとしておるのか?」
「畏れながら陛下、他の領では2ヴィンドも例が無いわけではありません」
今度は農政を預かっているローテ侯爵が異を唱えた。
しかし辺境伯が動ぜず反論する。
「ピオニル領の地は元は大半が荒れ地でした。それを先代が苦労して少しずつ肥やしてきたものの、それでも途半ばのはずです。元から地味の肥えた豊饒な地と安易に比べて同じように扱うべきではないでしょう」
「そうではあるかも知れんが、領内の税は、領主の裁量範囲であろう。これに陛下が関わられては、他の領主たちも安心して政を進めることが難しくなるではないか」
それを聞いて、国王が眉を上げて口を挟んだ。
「ローテ侯よ、それで国民が困窮しても、国王は知らぬふりをせよと?」
「いえ、そのような事は申し上げておりません。私は、領の政の主体は領主にあることを申し上げているだけです。その主体を揺り動かすようなことがあっては、領政は立ち行きません。何卒御高察を願わしゅう」
あくまで領主の権限を主張するローテに、国王は声を硬くした。
「侯よ、何か勘違いしてはおらぬか?」
「は?」
「領政の主体と言うたが、では国政の主体は何だ? 領政の主体という領主の合議か?」
「いえ、とんでもないことでございます。国政の主体は陛下にあらせられます」
「では、領政を領主に任せておるのは誰だ?」
「陛下にあらせられます」
「その予が、領政を監督して、何が問題なのだ?」
「いえ」
「よいか、予一人の目ではこの広い国の隅々までは届かぬ。それゆえ、国を分割して諸侯に領政を任せておる。もし目に余る悪政が行われ、国民が苦しむようなことがあれば、予は座視せぬぞ。皆、さよう心得よ!」
「……恐れ入りましてございます」
場の空気は冷えそうになる。
それを救おうと宰相が取り成す。
「陛下、諸侯は陛下の御威光を陰らさんとしているわけではございません。陛下を些事に煩わせてはならじと気遣うばかりにございます」
「宰相、そうか。予にはさようとは思えんかったが、まあよかろう。いずれにせよ、本件は調査の必要がある。監察使をピオニル子爵領に送ることとする。異論はあるまいな」
「御意」
「監察使には誰を選ばれますか? 本来は訴訟方から送るべきかと思いますが」
「訴訟方は、直ちに監察を送ることができるのか? ブラオン伯、どうだ?」
「はい、既にかなりの数の案件を抱えており、相応の日数が必要かとは思いますが、いずれ適当な人選を行い派遣できるかと考えます」
「いずれとは、いつか?」
「はい、調整が必要ですので、そのうちに検討してからしかるべき時機に報告させていただきたく」
のらりくらりと応えるブラオン伯に、国王はいら立ちを隠せなくなった。
不快感も露わに、疲れ切った声で応じた。
「どういう事だ、ブラオン。聞いておると、本件の解決を先に延ばそう、予に関わらせまいと懸命だな。速やかに解決したくはない理由でもあるのか?」
「お言葉ではございますが、いたずらに解決を急ぎ、判断を誤るようなことがあってはならないと考えます」
「そしてその間は予の民が苦しもうとも構わぬ、とでも言うのか?」
「決してそのようなことは」
「ピオニル子爵は新たにシェルケン侯の寄子になったのであったな。訴訟方には、シェルケンの派閥を何名か抱えておるな。過剰に身内を庇えば、痛くもない腹を探られることになるとは思わぬか? それとも何か痛みがあるのか?」
「いえ、そのようなことは」
ブラオン伯はまだ不服そうだったが、国王はもう気に留めなかった。
「ではもう控えておれ。宰相、シェルケンは今日もまた欠席だな?」
「はい、例の腰痛でございます」
「わかった。もう良い。本件は、複数の領が関わっておる。また、件の増税率は見るからに高い。仮にこれが不当である場合、長く放置しては係る民をいたずらに苦しめることになる。監察使は予の裁量で選任し、速やかに子爵領に送ることとする。皆、よいな!」
「ははっ」
「辺境伯、監察の結果が出るまでは、王都に滞在するように」
「承りました」
「宰相、本日はこれで終わりだな?」
「はい」
「では、皆御苦労であった。宰相、共に来い」
「はっ」
「スタイリス、クレベール、ユークリウスはまだおるな? 控室で待機しておれ」
「仰せのままに」「御意」「承知しました」
お読みいただき有難うございます。




