第51話 領破り
ケンの活躍が始まります!
王国歴223年4月下旬(ケン19歳)
ネルント開拓村の一同が代官ニードと戦うと決意してから約二か月が経った。
戦いの準備は、進んでいるものもあれば遅れているものもある。
それでも時間は容赦なく過ぎていく。
できること、やらなければならないことをしていくしかない。
この日、昼下がりの陽光の中、ケンは緊張しながらクリーゲブルグ辺境伯領への道を歩いていた。
今日は兄のアルフに頼んで辺境伯に引き合わせてもらい、村の窮状を伝えて訴えを国王に届けてくれるよう懇願するのが目的だ。
他の者も同行すると言ったが、面識があるのは村長と自分だけだし、人数が多いほど途中で人目についてしまう。
兄にしても、他領の村からの依頼よりも自分の弟の頼みごとの方が受けやすいだろう。
色々と相談した結果、ケンが一人で行くことになった。
暁に開拓村を出発してから既に九時間ほど経つが、疲れは感じていない。
気が張り詰めているからかもしれないし、ノーラに諭されて行っている鍛錬が効いているのかもしれない。
麓のフーシュ村を通り過ぎる際はさらに緊張したが、幸い、朝の農作業で疲れた体を癒すための昼寝の時間に当たったためか、誰にも見咎められずに済んだ。
もちろんそうなるように道中での休憩時間を調整したのだが、ついているからだと思うことにした。
その方が、この先もうまく行きそうな気がしたので。
「ついてる、大丈夫だ」
主街道とは異なり、フーシュ村から辺境伯領のトリニール町に抜けるこの脇道は細く、人通りはあまりない。
やがて領境の関所が見えて来た。
関所と言っても小規模な、衛兵が数人泊まり込むための小さな平屋があるだけだ。
関所を避けて領破りをすることも考えたが、万一発見されて捕まった時に大変なことになる。
単に兄に会いに行くだけだと言えば問題は無いはずだから、堂々と通ることにした。
深呼吸を一つして、関所に向かって歩を進めた。
平屋の前の日陰に椅子を置いて、二人の衛兵が腰掛けている。
近付いて行っても、身動きもしない。
良く見ると、この前に父の見舞いに行った時にもいた、あのノッポと太っちょの二人組だ。
組んだ腕が緩み、ノッポの頭は前に、太っちょは後ろに頭が垂れている。
何のことは無い、二人とも居眠りをしているらしい。
更に近づくと、二人とも、グーとかスーとか寝息を立てている。
ケンは緊張が緩み、思わず笑ってしまった。
「あのー」
声を掛けると、ノッポがもぞもぞと動き、ゆっくりとこっちを見る。
目の焦点が合ったかと思うと、びっくりしたのか、ばね仕掛けのようにいきなり立ち上がった。
「な、なんだ、お前は! ……って、ケンかよ……びっくりさせるなよ」
「済みません」
「おい、起きろ!」
ノッポは太っちょの椅子を蹴る。こちらもびっくりして立ち上がる。
「な、なんだ、お前は!」
太っちょもノッポと同じことを言っている。
「休んでる所、済みません」
「いや、休んでないし。考え事してただけだし」「そうそう。瞑想してたんだぞ」
「さっき、『起きろ』って言ってたけど」
「いや、そりゃ、えーと、あれだ。そう、こいつの名前。こいつの名前が、『オークロー』って言うんだ。だから、『おい、オークロー』って」「そうそう、そうそう。俺、『オークロー』だぞ」
「そうなんですか?」
「あ、ああ。こいつ太ってんだろ? 代々みんな同じで、先祖はオークだったとか言われてて、それでオークが訛ってオークロー」「そうそう、オークロー」
「居眠りしてたって、俺、誰にも言ったりしません」
「……済まん、頼む。今度の代官がひどいやつだろ? それで衛兵長もずっとイライラしてて、居眠りしてたって知られたら、きつくどやされちまう」「頼む、この通りだぞ」
二人は揃って手を合わせてケンを拝み始めた。
「大丈夫です。それより、通りたいんだけど、出領証を頼みます」
「隣の領に行くのか?」
「ああ、兄の所へ久し振りに顔を出しに行くんだ」
ノッポと太っちょは顔を見合わせ、気まずそうにケンを見る。
ノッポがポツリと言った。
「10リーグ」
「え?」
「領境を超えるのに、行きも帰りも10リーグ払ってもらわないといけないんだ」
「え……そんな話、知らない……ここと辺境伯領の行き来は無税だっただろ……」
ケンは呆然となった。
その様子を見て、ノッポと太っちょは申し訳なさそうに続けた。
「すまんな。一か月ほど前に、代官が決めたんだ。『辺境伯領から先、どこへ行ってるかわからないんだから、無税にはできん』とか言ってたらしいんだが、全く以って意味が分からん。だけど俺たちじゃ、どうしようもなくてな。人の出入りの台帳もつけることになっちまったんだ」
「ああ、ここはただでさえ人通りが少ないのに、金が要るとなったらほとんど誰も通らなくなっちまったぞ。俺たちは暇で暇で、午前中に訓練して時間をつぶすと、午後は昼寝……瞑想したくもなるぞ」
「という訳だ。10リーグ、払ってもらえないか」
「そんな大金、持ってない」
「じゃあ、申し訳ないけど通せない。今日の所は村に戻って、金を持って出直して来たらどうだ?」
困った。戻ったら予定が狂う。
一日遅れたら、その分間に合わなくなる可能性が大きくなる。
それに次来た時も、今日のようにうまく他人に見咎められないとは限らない。
何とか通してもらわないと。
「急いでるんだ。何とかなりませんか。そうだ、帰りに、往きの分も払う。兄に借りて来る」
「それがなあ、今日は夕方に代官の手下が集金にくるんだよ。細かい奴で、行き来の台帳と突き合わせて確認するから、ばれちまう。ほとんど誰も通らないのに、無駄なことだ」
「帰りに今日の分も台帳に記入するとか」
「ケン、お前結構、悪知恵だな。だが、だめだ。少なくたって通る奴はいるんだ。日付が不自然になっちまう。とにかく、台帳に嘘を書くのは絶対にまずい。だめだ」
「そこを何とか……貸してもらえませんか?」
「済まんな、俺も持ち合わせがないよ」「俺もだぞ」
「ここを通れないと、領破りしないといけなくなる……」
「おいおい、そりゃ俺たちの前で言うことじゃない」
「お願いだ!」
ケンは必死で頭を下げる。
「何かよっぽど急ぎの事情があるみたいだな……」
「ごめん、言えない」
「よせよ、きっと家族の事情とかだぞ、聞いてやるなよ」「ああ、そうか。でも弱ったな」
ノッポが困っていると、太っちょが言い出した。
「ケン、よっぽどの事情と見たぞ?」
「ああ」
「そうか。もしここを通れれば、あっちの関所は今でも無料だぞ。こっちの出領証が無くても顔パスで通れるよな? あっちの代官の弟なんだから」
「たぶん」
「だめだったら、このノッポが証を渡し忘れた、って言うんだぞ」
「おい! 俺かよ! そこはお前だろ!」
「どっちだっていいぞ。後はここをどうやって通すかだよな? 俺、ちょっとそれについて瞑想してみるぞ」
そう言うと、太っちょは椅子にドカッと座って腕を組んで頭を後ろに垂れた。
「お前も座って考えてみるんだぞ」
「……やれやれ。ケン、今週は俺たちがずっと当番だ。手下が集金に来るのは二日おきの夕方だ。その時以外は、人通りがなかったら俺たちは考え事をしてるからな? こう見えて、頭を使う難しい仕事をしてるんだ」
ノッポはそう言って苦笑すると、やはり椅子に座って頭を前に垂れた。
ケンは胸が一杯になったが、黙ってもう一度二人に頭を下げると、道に置かれた柵の脇を抜けて辺境伯領の方に早足で去っていった。
太っちょが頭を上げてそれを見送りながら言った。
「多分、増税の事を相談に行くんだろうなあ」
「ああ、多分な。この領全体が、あの代官のせいで滅茶滅茶だ。あっちもこっちも増税で、あんな若いのまでが右往左往するなんて、酷い話だ」
「そうだな。だけどあいつ、青二才の顔をしてなかったぞ。もう、何かを背負ってるんだろうなあ」
「まあ、俺たちには関係ないことだけど、大事をしでかさないといいんだが」
「何か、すっかり目が覚めちまったぞ。また訓練でもするか」
「ああ、そうしようか。何かあった時のために」
ケンへの試練はしばらく続きます。




