第40話 荷馬車は南へ
王国歴223年2月(ノーラ20歳)
二月は王都にも雪風が吹き抜ける。
街路には、除雪作業に忙しそうな人を除いては、行き交う人は少ない。
多くの人が家に籠る季節だが、行商人はそうは行かない。
「今度はどこへ行くの?」
ノーラは自宅の居間の暖炉の前で、父親のノルベルトに尋ねた。
前の行商から、二か月ほどが経っている。
数年前に、ノーラの両親はこれまでの行商の儲けを元手に、王都の片隅に拠点を構えた。
それを機に、ノーラの母親は行商への同行を止め、拠点の維持を担当することになった。
年齢的なものもあり、また、徐々に治安が悪くなり、各地の街道への盗賊の出没が増えてきたことも理由の一つだ。
母親はノーラの同行も止めさせたがったが、ノーラが言うことを聞かなかった。
今の所はノーラが一人娘だ。
将来、家を継ぐか他の商家に嫁入りするか、いずれにせよ商売に携わって生きていくのならば、経験を増やすのに越したことは無い。
ノーラにそう言われると、母親も反対し続けるのは難しかった。
ノルベルトは、本人が好きなようにすれば良いと思っていたので、強く反対はしなかった。
今も昔も、男親は娘には甘くなりがちだ。
自分に同行したいと言ってくれるのが嬉しくもあるのだろう。
「今回は南部に行こうと思う。ローゼン大森林をぐるっと一周する」
「南部に行くのは初めてね」
「そうだな。今のうちに行っておこうと思う」
「今のうち?」
「ああ、北部の方が人口が多くて商売としてはいいから、南部には行かなかったんだ。最近、北部は治安が悪くなってきたが、南部はまだましのようだ。今のうちに、一回は国中を回っておきたいからな。寒さも南部の方が少しはましだから、丁度いい。この先、国中の治安がさらに悪くなるようなら、行商そのものが難しくなるかもしれん」
ノーラは火に向かってかざしていた手を下ろし、父親の方を振り返った。
「それは、やっぱり、陛下が老いて行くから?」
「『御歳を召される』だ。頼むから、言葉には気を付けてくれ」
「うん、次から気を付ける」
「やはり陛下の抑えがないと、各地の領主が勝手なことをしだす。治安維持には金がかかるからな。碌でもない領主ほど、衛兵の数や訓練を減らしたがるもんだ」
「税を増やすと、不作の年に盗賊に商売替えをする農民も増えるしね」
「ああ、そんな素人の盗賊は、衛兵が足りていればすぐ討伐されるんだがなあ」
「そうよね。で、今度は何を商うの?」
ノルベルトは手に持ったコップの中のエールを見つめる。
それをゆらゆらと揺り動かし、一口飲んでから答えた。
「今回は、商売は二の次だ。南部の様子を見て回るのが一番の目的だ。だから、値が張るものは持って行かない。もし盗賊に遭った時も、被害が少なくて済むようにな」
「塩とか?」
「ああ、南部は海から遠い。塩は儲けは少ないが確実に売れる。それから、鉄くず、作物の種とかにするか」
「どれも安物だね」
「だが、必要な所へ持っていけば、確実に感謝されるものばかりだ」
「必要な所?」
「ピオニル子爵領のネルントとかいう開拓村だ。マーシーさんがあそこに住んでるっていう話だったから」
「マーシーさん。あの、盗賊団に襲撃された時の、傭兵のリーダーさん。剣術を優しく教えてくれた」
「開拓村なら、今のうちに顔を繋いでおけば、先々発展した時に、有利な取引ができるかもしれん。折角知り合いがいるんだ、訪ねておくのも悪くは無かろう」
「塩、鉄くず、種。確かに喜ばれるだろうね」
「ああ、マーシーさんへの土産は何がいいか、お前に任すから考えてくれ」
「わかった」
数日後に、ノーラたちは王都を出発した。
ピオニル子爵領の手前までは何事もなくやってきた。
ローゼン大森林を右手に、街道を荷馬車で南下する。荷は腐るような物ではなく、急ぐ旅でもないので、ノルベルトはゆっくりと荷馬車を進める。ノーラは珍しく荷台に籠ったり荷馬車の横を歩いたりせず、道中ずっと御者台のノルベルトの隣で風景を眺めていた。
「あいかわらず大きな森だね」
「ああ、黒く深き魔の森は、国境の山々を除けば、国でも一番の大森林だからな。この森を何日も眺めながら進むことになる。魔物が飛び出してこないと良いけどな」
「魔物が森から出て来たことがあるの? 聞いたことないけど」
「俺も聞いたことは無い」
「なーんだ」
「黒く深き魔の森に、一度入ったら出て来られない、という話はよく聞くけどな。魔物がいたとして、森の中で満足して出て来ないんだろう」
「……そうね。有難いことね」
「地元の人々が大切にしている神聖な領域は、侵さない方が良い」
「たとえそれが、迷信でも?」
「地元の人に嫌われたり、恨みを買ったりして、良いことは何もないだろう?」
「それはそうね」
「例え自分には理解できない物でも、他の人が大切にしているなら尊重するべきだ」
「ふーん」
「それが犯罪行為や、他の人に害をもたらすものでない限りは、な」
「地元の人は、魔物がいて欲しいのかもね」
「どういうことだ?」
「魔物がいれば、森を侵そうとする人はいなくなる。領主も森を切り拓こうと考えなくなる」
「自分たちが開拓に駆り出されずに済む、と」
「森から流れ出る川の水も、絶えることなく綺麗なままに保たれる」
「森があると周囲の土地は旱魃に強くなるって言われてるな」
「長い目で見ると、森を開拓しない方が、収穫量は多いかも」
「もっとも、国の南部が東西に隔てられてるっていうのは、商業には不利だぞ」
「そうね」
ノーラは興味深そうに森をじっと見ている。あまりに熱心なので、ノルベルトは荷馬車を止めた。
「(他にもいるんだ……)」
「え?」
ノーラの小声の独り言が聞き取れず、聞き返そうとしたところに、道の後方から声がかかった。
「すまないが、少し横に寄せてくれないか?」
ノルベルトが後ろを振り返ると、荷馬車が後ろに止まっている。
「申し訳ない」
ノルベルトは慌てて馬を動かし、自分の荷馬車を道端に寄せた。
その横をゆっくりと二頭立ての大型荷馬車が通って行く。
荷物を満載しているようで、馬は大汗をかいている。
「ゆるゆると旅ができて結構な事ですな」
御者の横に座った、太った商人が声をかけてきた。
「道を塞いで済みません。子爵領の領都行きですか?」
「いいえ、辺境伯領です。私の商売では、伯爵領以上の規模でないと、儲けになりません。では、お先に」
「お気をつけて。良い御商売を」
「そちらも、良い商売を」
商人が挨拶する横で御者が馬に鞭を入れる。先を急いでいるようだ。
満載の荷物で荷台が揺れ動きながら小さくなっていく。
「少々急いでも、到着には大して変わりはないんだけどね」
「馬と荷馬車を酷使すると、結局は儲けが小さくなる、って父さん良く言うよね」
「ああ。ファルコはそういう時にはなんて言うんだ?」
「『鈍きもの。休まぬ兵と研がぬ剣、それを用いて敗れ去る将』」
次話もノーラのネルント開拓村への道中の話です。




