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風の国のお伽話  作者: 花時雨


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33/112

第30話 花園楼

前話から続きます。

承前


花園楼は、飾り気のない質素で古風な木造の、しかし奥行きの深い大きな二階建てだった。

その古びた木の壁は折からの風雨に濡れて黒々と光っている。

周囲に立つ、派手な色で艶やかに塗り上げられた数々の背の高い建物と比べると、むしろ異彩を放って良く目立つ。

ユーキとクルティスは門前で感心して見上げていた。


「驚かれやしたかい? 外見(そとみ)には枯れていても、中は花園にございやす。今を盛りと、色とりどりに咲き誇っておりやすよ。さあ、お通りなすって」


柏が促して二人を玄関へと導いた。

大きな引き戸を開けて柏が先導して入り、声を張る。


「お二人様、お上がりー!」

「畏まりー」

「ようこそ、いらっしゃいまし」


待ち構えていた二人の美しい少女が、上がり框に三つ指を突いて出迎えた。

顔を上げたその笑顔を見ると、一人は菫だ。

手早く着替えたのか、さきほどとは異なり華やかな着物を着ている。

薄桃色の地に、紫色の小さな菫の花があしらわれている。

もう一人も菫と同じ髪型に同じ着物だが、柄が異なり、菖蒲の花が二つ三つと連なって咲いている。


菫に遅れて顔を上げたその子が、ユーキの顔を見て言葉を失った。

細い眼を精一杯に見開き、あわあわと口を震わせている。

ああ、この子が姿絵屋で言っていた菫の朋輩なんだろう。

しまったな、気付かれてしまったようだ。

どうしようかとユーキが迷っていると、その子が声にならない声を絞り出した。


「ユー様……の、ほんも……実寸大ユー様人形……実寸大自律歩行ユー様人形……実寸大意思疎通可……」

「菖蒲!」


柏に叱声をかけられて、『アヤメ』と呼ばれたその子が我に返る。


「失礼仕るな! こちらはシュトルム様だ。商家の御曹司でいらっしゃる。お伴はクルティス様。シュトルム様は菫の御恩人だ。今日は菫を立てろ。いいな」

「あ……あい」

「菫もだ」

「あい」

「ではお上がり願え。シュトルム様、クルティス様、お履き物はここでお預かりいたしやす……クルティス様?」


クルティスは後ろで横を向いて体を二つ折りにし、腹を抑えて、体を大きく震わせて声を殺して笑っている。


「ユー様……実寸大ユー様って……だめだ、腹が痛い……」

「クルティス。失礼だぞ」

「……皆様、大変失礼いたしました」


ユーキに注意されてクルティスは何とか立ち直って頭を下げた。


「では、後はこの者たちが案内させていただきやす。あっしは別で着替えやすので、また後ほど」

「僕たちはこのままでいいんですか? 床が濡れてしまいますが」

「へい、私どもは水商売で、雨のお客様は縁起が良いので大歓迎でさ。どうぞそのまま。ささ、どうぞどうぞ。菫、菖蒲、まずは湯殿でお着替えだ」

「あい。では、こちらへどうぞ」


ユーキたちは柏や少女たちに促されるままに靴を脱いで段を上り、菫が先に立って案内する後に続いて歩きだした。

後ろでは柏たちの声がする。


「松爺、お履物のお預かり、椿の間だ。拭き物も頼む」

「へーい」


振り返るともう柏の姿はなく、白髪の痩せた老爺が笑顔できびきびと濡れた跡を拭いている。

こちらに気付くとさらにいい笑顔で頭を下げた。

この家の奉公人は相当に躾が行き届いているのだろう。



「シュトルム様、どうぞこちらへ」

「ク、クル?……お伴の方はこちらへどうぞ」


湯殿と言われた浴室は、個室がいくつか並んだ設えだった。

菫と菖蒲に導かれて二人はそれぞれ別の部屋に入った。

クルティスはユーキと別れるのを躊躇ったが、ここまで来て刺客もないだろうとユーキが頷いたので、そのまま菖蒲に従うことにした。



ユーキが脱衣所に入ると、続いて菫も入って来た。


「えっ、ちょっと、」

「お着替えをお手伝いいたします」


菫は平然としている。

これで自分だけが照れるのも変なものだ。

顔から火が出るほど恥ずかしかったが、我慢することにした。


ユーキは菫の助けを借りて上着とシャツ、ズボンを脱いだ。

流石にパンツは脱げない。そこまで濡れてなくて本当に良かった。


「湯をお浴びになられますか?」

「いや、体は冷えていないから、いいよ」

「では、お背中をお拭きいたしますので、その腰掛けにお掛けください」


促され、言われるままに脱衣所に置かれている小さな腰掛けに座った。

すると菫も着物の上を脱いで白物一枚になると、湯殿で手桶に湯を汲み、手拭いを漬けてから絞る。

そしてユーキの背後に回ると、温かい手拭いで背中をそっと擦りながら礼を言った。


「先ほどはありがとうございました」


遠くで(いかづち)の音がする。

菫の声はまだ硬い。

それに気が付いたユーキは、自分にできる限りの優しい声を出した。


「今日は怖かったし、辛かったよね、悔しかったよね。気にしないようにね」


菫は気持ちを押し殺した静かな声で答える。


「……ありがとうございます。あの者に罵られた時、目の前が真っ暗になりました。言い返したかったのに、できなくて悔しくて、情けなくて」


ユーキの肩に、湯とは異なる温かいものがポツリと落ち、菫の声が震え出した。


「それが、シュトルム様が言い返して下さったお言葉……芸を売っている、……一所懸命頑張っている、努力しているという一言一言で、日が射してきたように明るくなって、……胸が熱くなりました」


手が止まり、「えっく、えっく」としゃくり上げ始める。

ポツリ、ポツリとユーキの肩に落ち掛かるものが止まらない。


「泣きたいときは、我慢しない方がいいよ。ここなら、誰にも聞こえないから大丈夫」

「本当に……ありがとうございました……」


そう言うと菫はユーキの背中に抱きついて、声を上げて泣き出した。

ユーキはその手に自分の手を重ねてそっと撫でた。

撫でるうちに、泣き声を聞いているうちに胸が痛くなり、ユーキの目にも熱いものが浮かんできた。

それを隠して撫で続けた。

何度も何度も、繰り返し繰り返し、「大丈夫だよ」と言いながら。



暫くすると菫は泣き止み、背中から離れた。

落ち着いたようなので、ユーキは振り向いて笑いかけた。


「もう大丈夫?」

「あい」


頷いた拍子に菫は真っ赤になって胸を押さえた。

どうやらユーキの背中に抱きついた時に白物が少し濡れ、胸に小さな小さな桜の花が咲いたらしい。

ユーキは慌てて前を向いた。


「大丈夫、見えていないから。上を着て、僕の着替えの準備をしてくれるかな?」

「あい」


返事は、恥ずかしそうな、でもとても明るい声だった。

菫が着物を着終わったのを衣擦れの音で確認してから向き直り、菫の手伝いを受けて用意された着替えを着る。

甲斐甲斐しく元気に立ち働くその姿を見て、良かった、本当に良かったなとユーキは思った。


----------------------------


一方、クルティスは脱衣を手伝おうとする菖蒲を、いいよ、と断って、さっさと服を脱いで湯殿に入り、自分でざばざばと湯をかぶっていた。

菖蒲は脱衣所で立ち尽くしており、足の親指で『の』の字を書いている気配がする。

クルティスは湯殿から声を掛けた。


「シュトルム様の方に行きたかったか?」

「いえ、そんな」

「本当のことを言ってもいいんだぜ?」

「……あい。私が使いに行ければ良かったのにと思います。そしたら、シュトーレン様と……」

「シュトルム様な。でもお前は菫ちゃんと違って、迷子になったりしないだろ?」

「あい」

「そしたらそもそも俺たちと出会えていない」

「それはそうでありますが。はぁ」


菖蒲の大きな溜息が聞こえる。


「なんでユークリウス殿下が好きなんだ? 良かったら教えてくれよ」

「……一昨年、国王陛下の御誕生日の御参賀に、若い衆に連れて行っていただくことができまして」

「殿下が初めて参加した時か?」

「あい。ちょうど、ユー様の前あたりに私たちはいたのです。他の王子様は、全体をスーと見回されるだけなのが、ユー様だけは、私たち一人一人の目を見て頷きかけながら手を振って下さってました。私も目が合って、微笑んでもらいました。その笑顔が可愛くって」

「それだけで?」

「いえ。終わりの時刻になってお帰りになられる時、人波が動いてその拍子に私たちの前にいた人が何人か転んだのです。王族方は気付かずにお帰りになられましたし、スタリオン殿下など、明らかに気付かれたのに、顔色も変えずに振り向いてすたすたと立ち去ってしまわれて」

「ふーん。スタイリス殿下、な」

「でも! ユー様だけは! 立ち止まられて御心配そうにこちらを見ておられて! 転んだ人たちが立ち上がり、駆け付けた警備の衛兵が、怪我人なし、大丈夫と丸印を仲間内で交わすのを御覧になると、ほっとしたように笑顔になられて、もう一度こちらに手を振られてから去られたのです! それを見て、ユー様は本当にお優しい、私たちの事を気にかけて下さるお方だと! それからずっと、私の推しなのです!」

「そうか。なるほどな。ユー様、優しいもんな」

「あい。楼では、私だけの推しだったのに……」


クルティスは湯を浴び終わり、体を手拭いで拭くと、その手拭いを腰に巻いて脱衣所に戻った。


「なあ、知ってるか?」

「あい?」

「ユーさ……シュトルム様は、落ち着いてしっかりしていそうに見えて結構抜けてるところがあるんだなあ」

「どんな?」


「ここだけの話だぞ?」

「あい」

「(菫ちゃんにも内緒だぞ?)」

「(あい)」


クルティスは声を徐々に小さくする。

それにつれて菖蒲の返事も小さくなる。


「(子供の頃、御両親に奇術団の公演を見に連れて行ってもらう時、慌てて走って滑って転んで頭に怪我をして。血を出して大泣きして、このくらいで泣くなと叱られて)」

「(まあ)」

「(大事を取るため取り止めになったら、今度は悔し泣きしそうになってこーんな顔して堪えてたんだ。今でも時々、その時の傷跡に触ると、しょげている)」

「(可愛い……)」

「(買ってもらったばかりの帽子を馬車馬に喰われたり)」

「(お可哀そう)」

「(甘い物好きではないと装って、自分では食べない様に気を付けてるけど、周りから薦められると嬉しそうにほいほい食べてたり、辛いものは平気そうにしてるけど、口がへの字になってたり)」

「(見てみたい)」


「どうだ、幻滅したか?」


クルティスは声を戻した。菖蒲は笑顔になっている。


「いいえ。お可愛くて、むしろより好きになりました」

「そうか、お前だけの秘密にしておけよ?」

「あい。ク……クルトン様」

「クルティスな」

「クルティス様もお優しいのですね」

「いいや。子供がしょげてるのを見るのが嫌なだけさ。実は、年下、特に年下の女の子は苦手なんだ。じゃあ、着替えを頼むな」

「あい!」


次話、ユーキが少し御褒美をもらいます。

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― 新着の感想 ―
[一言] >大丈夫、見えていないから。 いやそれは見たという返事なん...w
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