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風の国のお伽話  作者: 花時雨


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第28話 迷子

承前


グリンダ武器商会の外に出てクルティスと顔を見合わせると、お互いに照れ臭い。

何とも気恥ずかしいので視線を逸らせて空を見ると、店に入るときには晴れていた空に叢雲が広がっている。

ところどころには黒い雲もある。

クルティスもそれに気付いたようだ。


「雲行きが怪しくなってきましたね」

「ああ、まだ時間は早いけど、帰ることにしようか」


残りの護衛も店内の一階で待機していたようで店から出て来たので、ユーキたちは歩き出す。

護衛もまた距離を取ってついてくる。



今日のことを思い返しながら王城の方向へ向かって二人で黙って歩いていると、誰かが横からクルティスに話しかけた。


「あの、恐れ入ります」


二人がそちらを向くと、困り顔をした若い娘だった。

良く見ると娘と言うにはまだ幼く12、3歳ぐらいかもしれない。

服装が普通とは異なっている。

東方風の一枚布地を身に纏い、腰に巻いた幅広の紐で縛って止めている。

『キモノ』とかいう服だろうか、涼やかでありながらそこはかとなく色気も感じさせる。

おかっぱに切り整えた青味がかった銀髪が、上品な目鼻立ちの顔に良く似合っている。

そしてその大きな瞳は、どこまでも深い紫色に輝いている。


その眼を見た途端に、ユーキは凍り付いたように立ち尽くした。

この子、あの子じゃないか……まさかまた……逢えた……夢じゃない……とうとう逢えた……。

ユーキが呆然と見惚れていると、少女はおずおずとクルティスに話しかけた。


「あの、恐れ入りますがお尋ねいたします。この近くに、姿絵屋はございませんでしょうか。道に迷って難渋致しております」

「またか……」


ユーキははっと我に返り、慌ててクルティスに問いかける。


「また? またって、クルティス、どういうこと?」

「俺、最近、やたらに子供に道を尋ねられたり、助けを求められたりするんですよ。何故だかわかんないんですけど」

「御迷惑をおかけしてごめんなさい。お兄さん、優しそうなので、つい……」

「いや、迷惑じゃない、ごめんよ」


女の子は泣き出しそうなほど申し訳なさそうな顔になったが、クルティスが慌てて笑顔を取り繕うと、ほっと安堵して微笑んだ。


「そういうことか。クルティス、場所、わかるかい?」

「何軒かありますけど。嬢ちゃん、店の名は?」

「それが曖昧になってしまいまして。店の若い者と共に使いに出されたのですが、途中で逸れてしまいました。使いの最後に姿絵屋に寄ることになっていて、逸れた場合はそこで待ち合わせることになっております」

「使いの最後と言うことは、この子の家の近くじゃないかな?」

「そうですね。嬢ちゃん、住んでるのはどこだ?」

「あい、花街の花園楼です。姿絵屋もそのほど近くです。一度だけ行ったことがあるのですが……」


花園楼。妓楼の娘なのか。


「それならあそこだな。すぐ近くです」

「案内できる?」

「はい。嬢ちゃん、花街まで送って行こうか?」

「いえ、それは御勘弁下さいまし。迷子になったと知れると、薄婆様……差配の遣り手婆様にきつく叱られます。一緒に出た若い者は優しいので、姿絵屋で逢えたら、黙っていてもらえると思うので」

「じゃあ、俺が送って行きます。シュトルム様は、先にお戻りになられますか?」

「いやいや、僕も行く。一緒に行くよ」

「よろしいのですか? 花街のすぐ近くで、御当主様達に知られると良い顔をされないと思いますが」


ユーキが慌てて答えると、とぼけて確認するクルティスの目が笑っている。

こいつ、この子の事、わかっていて言っているな。


「花街だってこの街の一部だし、別にやましいことをするわけじゃない。それに、」


ユーキは少女に向き直って言う。


「君たちにとっては大切な場所だよね?」

「あい」


少女は嬉しそうに答えた。


「じゃあ、行こうか」

「はい、こちらです」「あい、お願いいたします」


先に立ったクルティスに続いて少女と並んで歩き出すと、緊張が解けたのか少女が笑顔で話し掛けてきた。


「シュトルム様は貴族様でいらっしゃいますか?」

「いや、違うよ。僕は小さな商家の息子で、こいつは僕に付けられた使用人だ」

「さようでしたか。失礼いたしました」

「……君は、何ていう名前なの?」

「私は『菫』と申します」

「『スミレ』? 珍しい名前だね」

「あい、私どもの楼で働く者は皆、東方風の名を付けられております。女衆は花、男衆は木の名前です」

「そうなんだ。菫の花、愛らしい花だ。菫さんか。君にぴったりの名前だね」


やった、やったぞ。勇気を出して尋ねて良かった。名前がわかった。

『菫』。

ああそうか、あの時の花も、この子の花だったんだ。

小さくて健気で可憐な紫の花。

誰が名付けたのか、本当に、名は体を表すじゃないか。


「……ありがとうございます、シュトルム様。お上手ですね。嬉しいです」


菫の頬がうっすらと紅くなり、ますます麗しくなる。


「えっ、いや、あの、えと、そんなつもりはなかったんだけど、気に障ったらごめんね」


前を歩くクルティスの肩が細かく震えている。

そんなに笑わなくてもいいだろうに。憶えてろ。


「いいえ、大好きな名前ですので、お褒め頂いて嬉しいです」

「僕の名前、一度だけで良く憶えていたね」

「あい」


クルティスが振り向いて尋ねた。


「じゃあ、俺は?」

「クルティス様」

「当たりだ。凄いな」

「一度聞いたお名前は忘れないように、姐様からも婆様からも躾けられております。お名前でお呼びするのは、おもてなしの基本だと。初会のお客様が帰られた後には、お名前を憶えているかどうか、試されます。間違えると叱られます。私の朋輩は、憶えるのが苦手でいつも苦労しております」


「菫さん、その齢で、もう働いているの?」

「あい。働くと言うより、行儀見習いで学んでおりますが。姐様の身の回りのお世話をさせていただきながら、行儀作法だけでなく、詩歌、舞踊、歌謡、琴瑟、着付、裁縫、遊戯、歴史、算術、経済、幅広く学ばせていただいております。ありがたいことで、励ませていただいております。ですが、舞踊や歌謡は朋輩に及ばず、悔しく思っております」


驚いた。僕たちより、よっぽど沢山の事を学ばなきゃならないんだ。

もちろん、広く浅くかも知れないけど。


「す、凄く沢山あるんだね。大変じゃない?」

「いえ、将来身の助けになる事ですので、一所懸命に励ませていただいております。興味深くもありますし、学びは楽しいです。それに愚か者では、お客様のお相手としてご満足いただけません。中には、そういう者をむしろお好みのお客様もいらっしゃるとは聞きますが」

「そうなんだ。頑張っているんだね。すごいな。でも、みんながみんな、全部できるようになるわけじゃないよね?」

「学びが十分でない場合には、妓女になれずに楼から出されます」

「どうなるの?」

「他の勤め先を紹介されます。料理店であるとか、宿屋であるとか、仕立屋であるとか、その者によって異なりますが。妓女にはなれない者でも市井の庶民よりは行儀作法は優れており、引っ張りだこだと伺っております。才能によっては、劇団から請われて俳優や歌手になる者や、中には貴族様のお邸に勤める者もいるそうです」

「そうなんだ。僕が思っていたのとは、違う世界のようだね」

「シュトルム様の御想像はわかりませんが、王都のこの花街では、ただ身をひさぐだけの者はおりません。ここでは頻繁に戸籍の確認が役人によって行われ、身売りや拐かしで来た者がいないかも、調べられております。国王陛下の御慈政のお蔭と、みんな感謝しております」

「そうかあ。皆さんが誇りを持って勤めていて、それで幸せだと言ってくれるのなら、陛下も喜ばれるだろうね」

「あい。ただ、花街の通りから離れて裏通りや横道に入ると、そのような者を隠れて用いる店や、茣蓙一枚でその日の糧を得ようとする者もおらぬではありません。治安も悪く、危のうございますので、お気を付けください」

「わかった。有難う、気を付けるよ」


胸を張って自分たちのことを語る菫。

その話を聞くうちに、ユーキは胸が熱くなってきた。

ああ、この子は、自分や周囲の人たちの仕事に誇りを持って、精一杯に励んでいるんだ。

だから、こんなに美しく輝いているんだ。

どんな仕事だろうと関係ない。一所懸命に打ち込むことが大事なんだ。

僕も、これまで精一杯やってきたつもりだ。

だから今、胸を張ってこの子の横を歩ける。良かった、頑張ってきて良かった。


ユーキが感慨にふけっていると、前を歩いていたクルティスが足を止めて振り返った。


「着きましたよ。この店だと思います。花街の通りはこの少し向こうだよな」

「あい。ありがとうございます。ここで間違いありません」

「良かったね。菫さんのお店の人は?」

「まだのようです。ここで待つことにいたします」


ユーキはどうしても別れ難かったが、つき纏うわけにも行かない。

変にしつこくして、嫌われては元も子もない。

それに、住んでいる所と名前がわかった。もう以前とは違う。

妓楼勤めなのであれば、次は正々堂々と会いに来ることもできるだろう。


「そう。クルティス、じゃあ行こうか」

「シュトルム様、ちょっとお待ちください」

「どうした?」


クルティスが身を寄せて来て、囁いた。


「通りの反対側から、こちらの様子を窺っている、目付きの悪い若い連中がいます」

「刺客か?」

「いえ、そんな大層なものでは。ただの不良だと思います。目付きからすると、その子をジロジロ見ているようです。しばらく様子を見た方が良いと思います」

「わかった」


クルティスが離れたので声を戻す。


「どうかなさいましたか?」

「うん、僕たちもこの店を少し見ていくことにするよ。こういう店には来たことがないしね。そのうち君のお店の人も来るだろうから」

「あい、さようですか。では、私は姐様たちから頼まれた絵を探すことにいたします」


菫はにっこり笑って見せると少し離れ、絵の品定めを始めた。

クルティスが離れていた護衛にさりげなく合図を送ると、護衛が少し距離を詰めて来る。

それを確認して、ユーキたちは店の中をぶらぶらと見てみることにした。

そう広くはない店内の台や壁に、様々な男女の姿絵が、所狭しと並べられている。


「いろんな絵があるんだな……」


ユーキが呟くと、店の主人と思しき女が声を掛けて来た。


「はい、今、人気の俳優や歌手、花街で売れっ妓の男女、幅広く取り揃えてるよ。お兄さんなら、若手女優の綺麗処の美女絵はいかがかな?」

「済みません、冷やかしなので……」

「いいよ、いいよ。そんなの、構やしない。店が空っぽよりは誰かが見ててくれる方が、よっぽど他のお客が入りやすいからね。気にしないでゆっくり見ていっておくれよ」

「有難うございます。ちなみに、一番よく売れているのは、誰の絵ですか?」

「そうだねえ、男が買うのは若い娘の美女絵で様々だけど、女の方はやっぱりあれだね」


女主人は菫が見回っている一角を指差して言った。


「スタイリス殿下の御姿絵が圧倒的だね」

「王族の御姿絵もあるんですね」

「ああ、うちの国では王族方は人気があるからね。国王陛下、王妃殿下の御姿絵は、昔から変わらず売れ筋さ。特に年配のお客にはね。だけど、ここの所はずっと、スタイリス殿下が人気一番だね。まあ、あの美丈夫ぶりだから、当たり前と言えば当たり前さね。同業者の中には、看板仕立てにして表に張り出す奴もいるぐらいだよ」

「それはそうでしょうね」


スタイリス殿下の顔や姿が図抜けているのは、確かにその通りだとユーキも思う。

一番人気なのも頷ける。

翻って、僕はまあ、王族としては十人並みか、それより控え目だ。

でも自分の顔に不平を言っても仕方がないし、と苦笑する。


「御姿絵の種類も、王族の方々の中では一番多いよ。見てみてよ」


言葉に釣られて菫の方に近付いて行くと、彼女は何種類ものスタイリス殿下の姿絵を選んでいる。

こちらに気付くと、手に持った姿絵を見せてくれた。


「姐様たちに頼まれているんです。皆、スタイリス殿下に御執心で。御様子の良い絵を選ばないと、叱られてしまいます」


スタイリス殿下の人気のほどを教えてくれる言葉に、『君はどうなの?』と問いたかったが、ぐっと飲み込んで我慢した。

菫の持っている姿絵は各種類につき数枚ずつ、全部で結構な枚数になる。

菫はそれを女主人に渡した。


「これをお願いいたします。お支払いは後ほど若い衆がいたします」

「あいよ、若い衆さんのお名前は?」

「花園楼の『柏』です」

「ああ、柏さんかい。いつもお世話になってます。こんなにたくさん、ありがとね。じゃあ、もう一枚おまけだ」


菫は嬉しそうに確認する。


「良いのですか?」

「ああ、いいよ。好きなのを選んでよ」

「それでは、ユークリウス殿下の御姿絵はありますか?」


それを聞いてユーキはむせそうになったが、何とか堪えた。

クルティスも耐えている様だが、あれは笑いを我慢しているんだろう。

女主人は棚から一枚を取り出して菫に渡した。


「ユークリウス殿下? ちょっと待っとくれよ。……この一種類だけだねえ。殿下はまだ人前に出られた機会が少ないからねえ。去年の国王陛下の御誕生日の参賀の時のこの絵しかないんだよ」

「そうですか」


菫は絵を矯めつ眇めつしている。何だかとてもつらい。

そっと覗いてみると、実物よりもかなり美男子に描いてくれている。

絵師に感謝すべきかも知れないが、ますますつらい。

ただ、あまり似ていないので、本人が横にいる事には気付かれないで済みそうだ。

やっぱり感謝しておこう。


「こちらを頂きます」


菫が絵を返すと、女主人は姿絵をまとめて丸めて紙筒に入れて手渡した。


「はいよ。嬢ちゃん、堅物のユークリウス殿下が好みとは、珍しいねえ」

「いえ、今日来られなかった朋輩の好みです。土産にしようと思いまして」


ユーキは静かに肩を落とした。


「へえ、嬢ちゃん、友達思いなんだ」

「いえ。朋輩に言わせると、ユークリウス殿下の方が、スタイリス殿下より遥かに良い男だそうです。しょっちゅうそう言っております。私も御姿絵を見て、その通りだと思えて来ました。王族様方が御真面目なのは有難いことですし、お堅いながらもお人柄はお優しいとのお噂ですし」


ユーキは立ち直った。

気のせいか、菫がこちらをちらっと見たようにも思える。

だが、もういたたまれないのでクルティスと一緒に店内の反対側まで離れることにした。


その時だった。機会と見たのか、通りの反対側から五人の若い男たちが菫に近づいて来た。


次話に続きます。

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