第25話 手切れ
王国歴222年9月末
暑かった今年の夏もようやく終わりを告げ、人々が待ち望んだ乾いた風が西から訪れて国に吹き渡る。
ところがクリーゲブルグ辺境伯の領都の館には、東に接するピオニル子爵領から妙な来訪者が来ていた。
辺境伯は、目の前のニードと名乗る痩せた男を奇妙な気持ちで見ている。
人をイライラさせる、嫌な喋り方をする男だ。
だが、その男に告げられた内容は、辺境伯の肩の荷を下ろしてほっとさせるとも言えるものだった。
「誠に申し訳ございません。子爵様は王家とのやり取り、領政の計画立案、領内各地への指示等で多忙を極め、閣下への挨拶に伺うことが出来ないことを残念に思っております」
何を言うか、ピオニル子爵はお前が当てがった女の虜になって、王都を出たがらないのだろうが。
辺境伯は揶揄したくなる内心を押し隠してニードに対応する。
「そうか。確かに家督を継いだ直後には、やるべきことは多かろう」
「はい。閣下のお言葉、子爵様は有難く思うことでありましょう。それから、子爵様が忙しいもう一つの理由として、領政のこれまでのやり方を、見直したいと考えておられます」
「今までのやり方?」
「はい、家臣の入れ替え、税制の変更、開拓や農作の方針等です」
「ほう、それでこれまでの代官ではなくそなたが挨拶に来られた、ということか」
「はい、前の代官は子爵様の方針を十分に理解することができない者だとのことで、私が任じられた次第です」
それを聞いて、辺境伯は片眉を大きく上げて見せた。
「前の代官は儂が推薦した男だったのだが、子爵はそれを承知してのことか?」
「それは失礼いたしました。私は存じませんでした。戻りましたら、子爵様に尋ねたほうがよろしいでしょうか?」
「……いや、それには及ばん」
「その件についてかどうかは存じませんが、子爵様からは、これまでの長きにわたる閣下の御援助、御配慮に篤くお礼を申し上げるようにとのことでした。誠に有難うございました」
「それだけか?」
「はい。誠に有難うございました」
辺境伯にはこの男が言わんとする事はわかった。
いや、来る前からわかってはいたが。
亡くなった先代子爵の懐かしい穏やかな顔が脳裏をかすめた。
しかし止むを得まい。
「そうか。聞くところによると、そなたはシェルケン侯爵閣下の御紹介で子爵に仕えたとのことだが、それは真か?」
「はい、幼いころに侯爵様に拾い上げていただいた者です。縁あって侯爵様が子爵様に御紹介下さいました」
「それは、良い縁を得られた。お祝い申し上げる。先程の件は、承ったとお伝えいただきたい。まだお若い身、領政は手に余ることも多かろう。多忙が長く続くであろうから、今後とも挨拶に来られるには及ばぬと、お伝えいただきたい。どうぞ存念なく政にお励みいただくようにと」
「ありがとうございます。承りました。つきましては、子爵様からのお願いがございます」
「申されよ」
「御存じのように子爵領はそれほど豊かとはいえません。それに加えて代替わりの際の経費等で、お恥ずかしいことながら、領の財政は苦しくなっております」
「さもあろう」
「はい、これまで閣下から毎年小麦粉の御支援をいただいておりましたが、その量を増やしてはいただけませんでしょうか」
「それは本気で申されておるのか?」
「はい」
「子爵御自身の意志か?」
「いかにも」
「申し訳ないが、それはできぬ。シェルケン閣下にお願いされてはいかがか」
「承りました。残念ですが、やむを得ません」
辺境伯は心中で苦笑いした。
そこまで言わずとも既に十分無礼だろうに、この男、思ったより気は利かぬ。
大した者ではないな。
「ああ、本年分は、契約通り昨年と同量をお送りする。餞別ではないが、お受け取りいただきたい。当家は、子爵家と長年にわたって友誼を通じてきた。それを思うと至極残念ではあるが、詮無い事だな」
「御厚志、感謝いたします。また、長年の御厚誼、重ねて感謝いたします」
「他には何か?」
「いえ、ございません」
「そうか、では、子爵様にお元気で、とお伝えいただきたい」
「承知いたしました。閣下におかれましても、御健勝をお祈りいたします。それでは、これにて失礼いたします」
「うむ」
辺境伯の従者が扉を開きニードが出て行こうとした時に、辺境伯が声をかけた。
「ああ、一つ忘れていた」
ニードが警戒しながら振り返る。
「折があれば、シェルケン侯爵閣下にお伝えいただきたい」
「何と?」
「厄介事をお引き取り下さり、感謝に堪えません、とな」
「……」
ニードは一瞬、辺境伯をにらみつけたが、フンッと鼻先で笑うと部屋から出て行った。
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「閣下、一体どういうおつもりですか?」
王都のピオニル子爵邸の執務室では、壮年の侍女頭が顔を赤くして子爵に尋ねている。
辞めさせられた領の代官と同様、先代から長く仕えている女だ。
「前からの代官を辞めさせ、あのニードという胡散臭い男を代官にしたばかりか、先代が永年にわたって関係を築かれた辺境伯様と手切れをなさるとは。これからどうされようというのですか?」
「口に気を付けろ。ニードはシェルケン侯爵の勧めで取り立てた男だ。悪口が聞こえると、侯爵の心証が悪くなる。辺境伯は、所詮辺境の人間だ。フルローズ国とのいざこざに手を取られて、中央での政には手が回らない。侯爵は今は宰相の次官だが、それに甘んじるお積もりはなさそうだ。俺にとってはいい足掛かりだ。見ておれよ、俺は子爵などという小さな器ではないのだ」
「お言葉ですが、王都の上位貴族の方々の政略に関わるには、まだまだ御経験が必要かと。まずは、領地の経営をニード任せにせず、御自ら取り組まれてはいかがでしょうか」
「俺を馬鹿にするのか? 俺は、田舎領の領主をしているべき男ではないと自負している」
「それはそうでしょうが、まずは足許を固めるのが肝要ではありませんか?」
「くどい」
その言葉に侍女頭は俯いたが、気を取り直すと顔を上げて訴えを続けた。
「わかりました。もう一点、ニードの連れて来た他の者たちも、碌な者ではありません。特にあの女は毒です。どうか、お傍から離されますよう。できれば早く辞めさせるべきかと」
「煩い」
「いいえ、申し上げます。見た目が少し良いだけで、振る舞いも知識も、到底、貴族家で務まるような者ではありません。酒場女でももっとましな者が沢山おりましょう。ましてや閣下に衣服や装飾品をねだるなど、もっての他です。せめて、領で働かせるべきです」
「黙れ」
「黙りません。もう既に邸内の勤め人たちの間では噂と怨嗟の声が渦巻いております。このままではすぐに、王都にも広まりましょう。あのような者をお傍においては、正室を娶られる際の妨げにもなります」
「黙れと言った。長く勤めているからと言って、思い上がるな。お前を辞めさせるなど、容易いことだ」
子爵は横を向きながら嘯いた。
侍女頭はその様子を見て、しばし悲しそうな顔で子爵の横顔を見ていたが、全てを諦めたように言った。
「……わかりました。そうですね。容易い手間です。ですが、その手間も必要ありません」
「何だと?」
「本日限り、お暇を頂戴したく思います」
「よかろう。好きにするがいい」
「長らくお世話になり、ありがとうございました。これからは陰ながら、末長い御健康と御栄達をお祈りいたします」
「白々しい。さっさと出て行け」
「承知しました。閣下、さようなら」
「ふん」
侍女頭が最後に頭を下げて執務室を出て、廊下を自室に向かおうとすると、向こうから件の女がやって来た。
大きさを誇示するように胸を張り、大手を振って大股で、肩で風を切らんばかりにしている。
侍女のものとは程遠い歩き方だ。
侍女頭が冷たい視線を送ると、小馬鹿にしたように口角を吊り上げて見返してくる。
侍女頭は最後に何か言ってやろうかと思ったが、既に自分は辞めた身で無関係だ。
黙って通り過ぎようとすると、すれ違いざまに小声で「ばばあ」と言うのが聞こえた。
ムッとしたが、いざこざを起こしてもつまらないのでこらえることにした。
後ろで子爵の執務室の扉が開く音がして、甲高いひね媚びた声が聞こえる。
「閣下ぁ。新しく開いた料理店を見つけましたのぉ。美味しいって評判ですのよぉ。お供しますので御出でになりませんことぉ?」
侍女頭は立ち止まって振り向いた。
扉も閉めずにあの騒ぎ、この有様ではこの家が滅びるのもそれほど遠いことではないのだろう。
お世話になった先代には申し訳ないが、自分にはもうどうすることもできない。
諦めてふたたび自室に向かった。
これからどうしよう。
倹ましく暮らしていけるだけの蓄えは十分にある。
領に戻り、許されれば先代の奥方様に挨拶に行こう。
その後は、領都で料理屋を開こうか。若い女たちに行儀作法を教えるのもいいだろう。
実家の男爵家に戻ることも不可能ではない。
できることはいくらでもある。もう、子爵のことは忘れよう。
ピオニル子爵の話はここで一段落です。第26話からはユーキの話に移ります。




