第23話 派閥変え
承前
「辺境伯とは手切れになされよ」
「えっ?」
シェルケン侯爵が言い出した言葉にペルシュウィン・ピオニル子爵は驚いた。
他所の派閥に揉め事を起こそうとでもいうのか。
「そう、それが良うございますわ。大丈夫。これからは、閣下をお頼りになられれば、よろしいのよ」
「うむ、お困りごとや、懸念のあることなど、何でも言って来られればよろしかろう」
そういう話か。どういうつもりかわからないが、貴族の派閥変えは一大事だぞ。
だが、あの堅物の辺境伯から離れられるのは、悪い話ではないかもしれない。
「しかし、辺境伯とは長年の関係もありますれば、簡単に手切れできるとは思えません」
「なーに、その辺はお任せあれ。あやつに、文句は言わせません」
「そうですわ。子爵、御自分を疎んじる者と繋がりを保ってどうされますの」
「それはそうですが」
「ええ、そうです。それとも、別の家から声が掛かってでもいるのでょうか? あるいは、折角の閣下のお誘いが気に入らぬとでも?」
急にグラウスマン女伯爵の声が厳しくなったが、取りなそうとするかのように侯爵が遮った。
「まあまあ、姉上。子爵はお若く、真面目な方。義理堅いのは良いことです。その分、私を頼っていただけた際には、こちらも信頼がおけるというもの。子爵、もう一つ提案があります。先程も言ったように貴方はまだお若い。政にも、私事でも、やってみたいことはいろいろとありましょう?」
重大事からいったん離れられたようで、ペルシュウィンはちょっと息をつくと同時に、以前に考えた様々なことを一時に思い出した。
確かに、父に言っても聞き入れられなかった、やりたかった事はいろいろある。
例えば、ローゼン大森林は子爵領に突き出している。
これを切り開けば良好な農地が大量にできるはずだが、父に言っても『それはできん』の一言で終わった。
今時、森の魔の伝説を信じているのか、と呆れたものだ。
産物にしてもそうだ。領では様々な作物の植え付けを奨励している。
少量多品目になり、効率が悪い。
最も需要が多い小麦に領全体の作物を絞れば、作業効率は大幅に上がるだろうに。
これも『それはできん』で終わりだ。
その後で代官には『小麦は農地を消耗させやすく、何かと問題も多いのです』と言われた。
何を言っているのかわからない。
小麦を高く売り、その金で肥料を大量に買い付ければそれで済むではないか。
そのようにして税収を上げ、美味い物を飲み食いし、贅を尽くしたものを買い、領主の権威を高めるのだ。
領民は領主を敬い、尽くすための存在だ。親しまれるなどバカげたことだ。
そこまで考えて、ペルシュウィンは顔を上げて二人を見た。
どうせこいつらは俺を取り込んで、自分たちのための駒として使おうというのだろう。
良かろう、だが利用するのはこちらの方だ。
俺は若い。こんな年寄りどもは暫くすればこの世からいなくなるのだ。
従うふりをして、使うだけ使ってやればよい。
それにあの疎ましい女、辺境伯の娘と、これでもう会わずに済む。
「ええ、いろいろとございます。それを実現するために、お力を貸していただけるのでしょうか?」
にやりと侯爵が笑ってうなずく。
「ニード、来い」
男の一人、褐色の髪をした鋭い顔立ちの男が近づいてくる。
「この者は、私の家令の下で修業をしていた者。これを子爵の右腕としてお使いください。お考えを実現するために働くでしょう」
「今の代官は……」
「主の意を解さぬものなど、不要ですわ」
「ニード、子爵の御意向を汲み、良く働くように」
「御意」
「いかがですかな?」
「ありがとうございます」
「辺境伯の件も、ニードに任されて構いません。私の方からも挨拶をしておきます。よろしいですな?」
ペルシュウィンは一瞬躊躇ったが、断るにはもう遅いことを理解した。
「何から何まで御配慮感謝いたします。今後ともよろしくお願いいたします」
侯爵が満足そうにうむうむと頷く。
「わたくしからも『ようこそ』と申し上げますわ。これからは、近しくお付き合いいただけること、嬉しく思いますわ」
「グラウスマン伯爵様、こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」
「あらあら、そんな他人行儀な。これからはペトラ、とお呼びくださいませね」
「ありがとうございます、ペトラ様。私もベルシュウィンとお呼びいただけたらと思います」
「ベルシュウィン様、そう、ベルシュ様と呼ばせていただきましょう。ねえ、閣下。子爵はまだお一人ですわよね。私どもの存じ寄りの美しい令嬢とお引き合わせせねばなりませんね」
「ああ、そうですな、姉さん。ベルシュ殿、楽しみにしておいてください。いやあ、今日は良き日ですなあ。ハッハッハ」
「ホッホッホ」
侯爵と伯爵は高らかに笑う。子爵が追従笑いをするうちに、扉が控えめにノックされ、従僕が顔を出した。
「失礼いたします、閣下。子爵様のお付きの方が捜しておられますが」
「ああ、そうか。子爵、長くお引止めして申し訳ない。今日の所はこれにて失礼いたします。何かあれば、ニードを通してお伝えください。ああ、今夜のお披露目の宴では、先程の件はまだ御内分に」
「承知いたしました。では、これにて失礼いたします」
子爵がニードを従えて去った後、閣下は側に残った男を呼んだ。
「ハインツ」
「はい」
「ニードに言っておけ。子爵殿の命には適当に従うように。それから、『身の回りの世話に』といって、適当な女をあてがっておくように。なーに、あんな田舎者の若僧だ、王都の垢ぬけた女にすぐに骨抜きにされて、こちらの思うように動くようになるだろう」
「承知しました。子爵様に、資金の援助は必要ありませんでしょうか?」
「あそこの先代は、良く治めていたというのがもっぱらの噂だ。何か言ってくるまでは必要なかろう。それより、王都の美味いものや贅沢品を扱う店を教えてやった方が、喜ぶだろう。そのように手配しろ」
「はい」
「貴方らしいやり方ね、トーシェ」
「あんな坊主、儂がやらんでもすぐに誰かに食い物にされるわな。辺境伯めに見放されたのが運の尽きよ。いずれ我らの親族の娘の誰かを送り込んで、領は丸ごとこちらに戴くとしよう」
「そうしましょう。相手はこちらで見繕うわ」
「ああ、頼みます、姉上」
侯爵は顔から笑いを消し、『ハインツ』と呼ばれた男に向いた。
「ハインツ、それまではあまり派手に動かぬようにニードに伝えよ。好きにしてよいが、羽目は外し過ぎるな」
「閣下、失礼ながら、ニードで大丈夫でしょうか。奴は目を離すと、いくら釘を刺しても好き勝手を始める癖があります」
「だが、他にはおらんだろう。ある程度、自分で判断できる者でないと務まらん。何かあるたびに、子爵領から儂やお前のところまで伺いを立てさせるわけにはいかん。ハインツ、お前をやるわけにもいかんしな」
「……御意」
「まあ、大抵のことは大目に見てやれ」
ペトラがニヤニヤしながら口を出した。
「トーシェ、私の方から人を出しましょうか?」
「何かあれば儂でなく姉上の所へ注進に走る者を、ですかな? 姉上、そうはいきませんぞ」
「あらあら、私も信じてもらえないのかしら」
「そういうわけではありませんがね。あいつの領は辺境伯領の手前にある要地ですからな。いざとなれば、街道を止めてしまうこともできる。辺境伯め、後でほぞを噛むだろう」
「また一歩、前に進んだわね、トーシェ」
満足そうに笑う二人の横で、ハインツは白けた思いでいる。
ハインツの一家は代々侯爵家に家令として仕えているが、この貴族家には一向に傑物が出ない。
代々宰相の次官と東宮局の長官を務めているが、いずれも地位はあっても権力の無い、典型的な名誉職だ。
それでも歴代の侯爵は地道に領政を行い蓄えを増やしてきたのだが、先代の娘が何を血迷ったか若い頃は美男子であったトーシェに惚れてしまい、周囲の反対を押し切って婿入りさせて爵位に就けてしまった。
シェルケン侯爵と姉の伯爵はあちこちの若い貴族に粉を掛けて手勢を増やそうとしているが、いずれも小者にすぎない。
何かの時に足手纏いにはなっても、権力闘争の力にはならない。
かといって今更切り捨てでもしたら他の貴族の信用を失うことになる。
資金補助も馬鹿にならず、歴代の蓄えに手を付けざるを得なくなっている。
権勢を望むなら、手を回すべきはそれなりの影響力を持つ上位貴族だが、この二人がそれに気付いたとしても、実行する力はなかろう。
つまらぬ権力遊びをしているだけだ。
いずれ火遊びをして全てを失うことにならなければ良いが。
ハインツは侯爵家の未来を案じ、心中穏やかではいられなかった。
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