第22話 新子爵
前ピオニル子爵の死を受けて、新領主に息子が就きます。
王国歴222年9月
今年の夏は例年より暑かった。
暦は九月に入ったが、その暑さはまだ続いていた
風はまだ南から吹いており、気温も湿度も、この時季としては異様に高い。
爵位承継の挨拶を終えて謁見室を逃れ出たペルシュウィン・ピオニル新子爵の額には玉のような汗が一面に噴き出していた。
だがその汗は、暑さのためではなかった。
「閣下、大丈夫ですか?」
従者が心配そうに話しかけて来る。よそ目にも顔色が悪いのだろう。
「大丈夫だ。夜のお披露目の宴まで一旦邸に戻る。馬車の準備をしろ」
「畏まりました」
早足に離れていく従者を見送り、汗をハンカチで拭う。
ハンカチはたちまちのうちにびしょ濡れになる。
先程までいた謁見室では、緊張のあまり、汗を拭くこともできなかった。
子爵は濡れたハンカチを握りしめ、今しがたの、国王の面前でのことを思い返した。
玉座の前の階の下段で片膝を突き、型通りの爵位継承の挨拶を済ませた子爵は、これで終わりとばかりに立ち上がろうとした。
だが、国王は祝いの言葉で話を終わらせず、重々しい声で続けた。
「卿に会うのは、初めてか。社交界にもほとんど姿を見せなかったようだが」
「はい、私は皆様とお近づきになりたかったのですが、父の許しがなかなか得られませんでした」
「先代の子爵は貴族同士の社交より、領政を重んじておられましたからな」
宰相が口添えするが、国王はペルシュウィンから目を外そうとしない。
「うむ、卿の父は領政が趣味のような、真面目な男であった。領は小さいが、良く治めておった。父が何をしていたかを思い出し、見習うが良かろう。卿は父から何を学んだ?」
「父は領内の見回りで不在の事が多く、何か具体的に学んだということはございません。以前は、剣術を身に付けよと言われ、少しばかり打ち込んでおりました」
「ほう、剣か。体を鍛え、事有るに備えるのは殊勝な心掛けだ。ちょっと手を見せてみよ」
「手でございますか?」
ペルシュウィンは両方の掌を上に向け、国王の方に向けて突き出す。
国王はそれを暫し眺めていたが、嘆息した。
「綺麗な手だな」
「恐れ入ります」
「胼胝も見当たらん。およそ剣を振っているような手には見えぬが」
「……ここ数年は、政を学ぶのに忙しく」
「そうか。政は何を学んだ?」
「……」
言葉が詰まる子爵に、国王は厳しい声で問い質した。
「子爵よ、お主は貴族としてどうありたいか?」
「領主たる威厳をもって領民に当たり、粛々と権能を揮って彼らを導き、貴族の体面を保ち、以って陛下の御威光を領内に遍く広めたいと存じます」
「それは、領民に威張り散らすと言う事か?」
「いえ、貴族として、過度な質素に走らず領民とは異なる暮らしを見せれば、おのずと威厳は保たれるかと」
「領民からの税で、華美に暮らすと言う事か」
子爵は何も答えられず、膝をついて俯いていることしかできない。
その肩は小刻みに震えている。
見かねた宰相が取りなす。
「陛下、その辺になされては。子爵はまだお若い。これまでの学びもさることながら、これからの学びの方が肝要かと考えます」
「確かに学ばねばならぬことが多そうだな」
「……努力いたします」
「下がって良い。大儀であった」
子爵はすごすごと引き下がるしかなかった。
謁見室を出た途端に、一時に汗が噴き出した。
きちんと答えたはずが、まともに相手にしてもらえなかった。
周囲の貴族どもの、冷ややかな、あるいは物見高い目も思い出すたびに腹が立つ。
爵位の高低はあれ、同じ貴族ではないか。
あのように見下されるいわれはない。
国王も、『威張り散らす』だと? 俺は領民どもの上に立つ身だ。
奴らには俺に従う義務がある。俺には奴らを意のままにする権利がある。
国王自身も貴族や国民相手に思う存分に権力を振り回しているだろうに。
子爵が廊下で立ち尽くし、屈辱に震えてハンカチを握りしめていると、いきなり横から腕を引かれた。
「閣下?」
どうやら、少し前から声を掛けられていたらしい。子爵は我に返った。
「何だ?」
「恐れ入りますが、シェルケン侯爵閣下がお話をしたく、御足労をお願いしたいとのことです」
「シェルケン侯爵?」
「あちらのお部屋でお待ちです」
宰相の次官である侯爵に面識はないし、呼びつけられるような心当たりもない。
しかし、上位の貴族に呼ばれて無下に断ることはできない。
領を治めるうえでの注意か何かをされるのであろうか。
面倒だが仕方がない。周りを見たが、従者はまだ戻ってくる様子はない。
辺境伯の他の寄子の姿も見当たらない。
どうするか、との考えを読むかのように使いの者は促してくる。
「お一人で、とのことです。失礼ながら、お待たせにならない方がよろしいかと存じます」
仕方がない、別にこの場で命を取ろうというのでもあるまい、と子爵は覚悟を決めた。
「わかった。案内せよ」
「承知いたしました。こちらへ」
案内されたのは細長い小部屋で、ソファがいくつか置かれている。
奥の窓際の長いソファには太った男が、その横の一人用には女が腰かけていた。
それ以外にやせた男が二人立っている。こいつらは従者だろうか。
子爵が部屋の中に入ると、太った男が立ち上がり、口角を吊り上げながら近づいてきた。
金糸銀糸で煌びやかに飾った、贅を尽くした衣服を着ている。
自分の質素な服との余りの差に、情けなく思えてくる。
「おお、ピオニル子爵、良く来てくださった。自己紹介させていただいてよろしいかな? 私はトーシェ・シェルケンと申す者。宰相府の次官と、東宮局の長官を併せて陛下よりお任せいただいております。お会いできて嬉しく思いますぞ」
「ベルシュウィン・ピオニルです。私の方こそ、高名なシェルケン閣下のお目に掛かれたこと、光栄でございます」
「この度は領地と爵位を無事に継承されたこと、執着至極に存じます。お父上、姉上におかれては大変に残念なことでしたが、どうぞお気をお落としになられぬよう」
「ありがとうございます。若輩者ゆえ、なにとぞよろしくお引き回しの程、お願いいたします。父につきましてはもう齢でもあり、また姉も以前から体を悪くしておりましたので、覚悟はできておりました」
「そうですか」
「閣下? 立話は子爵に失礼では?」
座っていた女が言う。派手な紅色のドレスをまとった女だ。
「これは失礼」
侯爵に誘われるままに、子爵は窓際のソファに、侯爵と並んで座った。
「お噂をお聞きしたところ、子爵のお父上も姉上も以前は御健康だったところ、徐々にお悪くなったそうですな。貴族にはありがちな病状ですな」
侯爵は目を細めてこちらの様子を窺っている。
こいつ、何を勘ぐってやがる。俺は父や姉に毒など盛っていない。
俺にもわからぬ事情をお前が知るわけなかろうに。
「そうなのですか? 何分若輩者ゆえ、貴族が患う病には詳しくありませんので」
「原因の良くわからぬ病で死ぬ貴族は多いものです。お若いのですから、これから見聞きすることも多かろうと思います。なーに、これから学ばれれば良いのですよ」
「そう致したいと思います。閣下に置かれましても、よろしく御指導のほど、お願いいたします」
わかったようなことを言いやがって。
そう思いつつもペルシュウィンがへりくだって見せると満足したのか、シェルケン侯爵は厭な顔で笑う。
「ふっふっふ。お任せ下さい。なに、少し経験を積めば先程の陛下とのような問答にも、たやすく答えることができるようになられましょう」
今度は人の恥をえぐろうというのか。何と言う奴だ。
だが、これが貴族と言うものかも知れない。
侮られてなるものか、とペルシュウィンは思う。
「先程は、お見苦しい所をお見せいたしました」
「なんの、あのようなもの、ただの通過儀礼ですよ。陛下は、初めて会う貴族に難題を吹っ掛けるのを、趣味にしておられるようなものですから。貴族のみならず、一昨年にお目見えされたユークリウス殿下も難儀しておられました」
「そうなのですか?」
「ええ。王族でさえそうなのですから、気にされることはありません」
そうなのか。貴族たちの前で恥をかかされる王族。情けない奴だ。
それに比べれば、俺は大丈夫だ。
俺は、自分にできる答えをちゃんとした。
国王が揚げ足を取ってきただけだ。俺は大丈夫だ。
「ですが、子爵が難儀されているのに、クリーゲブルグ辺境伯様の寄子が誰も助けようとしなかったのは、いただけませんわね。閣下、よろしければ御紹介いただけませんか?」
今まで黙っていた女がいきなり口をはさんできた。
流行りの華やかなドレスを身に纏い、綺麗に化粧しているが、肉付きが過剰に良いためか平坦な顔つきだ。
良く見ると目鼻立ちが侯爵と似ている。恐らく縁戚なのだろう。
見た所はかなりの年配で、侯爵よりも上に見える。
50代の後半ぐらいか。老いは化粧では隠しきれていない。
「あら、まあ。あまり見詰められますと、顔に穴が開きましてよ?」
「これは失礼いたしました」
ペルシュウィンは立ち上がって恭しく頭を下げた。
「紹介が遅れましたな。伯爵、子爵は先程の謁見で御存じですな? 子爵、こちらはペトラ・グラウスマン伯爵です」
「子爵、以後よろしゅう」
グラウスマン伯爵家は四代前の国王陛下の治世にできた家で、北西部の豊かな土地に領地を持ち、金回りが良い。
侯爵はこの家からの入り婿である。
この女伯爵の事は聞いたことがあった。
「よろしくお願いいたします。侯爵閣下は伯爵様のお家の御出身とお聞きしましたが」
「良くご存じですな。結構、結構。各家の関係性は貴族にとっては重要事項ですからな。いかにも、伯爵は私の実の姉に当たります。きょうだい仲の悪い貴族も多いですが、私が侯爵家に入る前も後も、仲良くしております」
「そうですわ。貴族同士、良好な関係を保つのは大切なこと。そもそも、辺境伯様と子爵のお父上とは、永年のお付き合いと伺っておりましたが、子爵のお目見えに出席されぬとは、どういうことでしょうか」
「辺境伯様は、フルローズ国との国境でおきた事故の処理で手が離せないと伺っております」
「まあ」
女伯爵は手にした赤い扇を半ば広げて口を覆った。
「領内の、取るに足りないいざこざなど、配下に任せておけば良いものを。そのような口実で大切な友人の御子息のお目見えを欠席するなど、ありえませんわ」
そう言うと女伯爵は元から吊り目勝ちの目をさらに吊り上げながら続けた。
「他の寄子たちも、お若い子爵の難儀を見て見ぬふりをするなど、あまりと言えばあんまりです」
「その通りですな」
「おいたわしい……子爵、どうぞお座りあって」
いかにも『同情しておりますよ』という表情を女伯爵が造る。
造り過ぎてとわざとらしいが、ペルシュウィンは気付かず、元のソファーに腰掛けた。
「辺境伯様は私の姉に目を掛けておられましたから。私はあまりお気に召さぬようでした。父もそうでしたが」
「まあ、何てこと。このような凛々しい若君なのに……良うございます。次からは私がお助けいたします」
「ありがとうございます。しかし、辺境伯様にも御存念があられますでしょうから」
「寄子に恥をかかせる存念などありえませんわ」
「そうですなあ。子爵、領政については、辺境伯から何か助言をいただいておられますかな?」
侯爵の表情が変わる。にやりとするのを堪えているのか、口角が上がり下がりする。
「いえ……実のところ、父の死後に辺境伯様にお目にかかったのは、父の葬儀の時だけなのです。その時も少しの時間しか話ができず、ただ、父と同様に質素を旨とせよ、とだけ」
「(父と姉の生前は別だがな)」とペルシュウィンは心中で付け加えた。
侯爵と伯爵は顔を見合わせ、困ったように笑った。
「それはいけませんな。旧態に留まるは、時代の寄せ波に流し去られるも同然。また、質素といわれるが、貴族には体面というものがある。過度の倹約は他の貴族や領民の侮りを受けますぞ」
「閣下のおっしゃられる通りですわ。領民から税を集めてそれを使うことによって、国や領地の貨幣の流れを盛んにするのは領主の務めですわよ。そちらの代官は、お父上にきちんと進言されたのでしょうか」
「……いえ。代官は長年、父の指示に従うばかりでした」
「うーん。それはいけませんな。主の指示に盲従するのは、忠僕とは言えません」
「そういうものでしょうか」
「そうですわ。貴族たる領主は、王都での務めや貴族同士の社交も多い。領政に年中没頭するわけには参りません。そこを積極的に補佐してこそ、忠実な家臣でしょうに」
伯爵が顔をしかめて子爵の代官を卑下して見せると、侯爵が案じ顔で続けた。
「その代官は、子爵の指示にはちゃんと従っておりますか?」
「ええ、まあ」
「まあ? もし、何か困ったことがあるのでしたら、ぜひお聞かせください。参考になることをお教えできるかもしれません」
「……お恥ずかしい話ではあるのですが。領内の税率の見直しを命じましたところ、現状が最適であると、断られました。また、本日のお目見えに際して、身に着けるもの、まあ、剣だとかですが、いくつか新調を申しつけましたが、家伝統のものを用いるべきと言われました」
「なんと、主の指示を無碍にするとは!」
「家臣とは思えませんね。子爵の新しい出発の舞台に、古臭い格好をせよとは、主を馬鹿にしているのでしょうか」
二人は勢い込んで子爵家の代官を非難する。
さっき言ったこととは明らかに矛盾しているが、親ほどの年齢の二人の勢いに圧倒され、ペルシュウィンは気が付かない。
「子爵、お気の毒に思いますぞ」
「わたくしもです。閣下、これは、ぜひともお助けするべきと思いますわ」
「さようですな」
「どうぞ、お気遣いなく」
「いえ、いけません。決めました。子爵、辺境伯とは手切れになされよ」
「えっ?」
長くなるため、次話に分けました。




