第12話 初恋
前話同日夜
ユーキが紫色の瞳の女の子と逢った日、朝から吹いていた寒風は夜になっても止まない。
冷えた体を癒すべく、ユーキと両親の夕食の食卓には、熱い料理が並べられた。
料理長の心づくしの料理で体が温まった後、ユーキは両親のマレーネ殿下とユリアン卿におずおずと、だが勇気を振り絞って話しかけた。
「母上、父上、お二人に内緒でお話ししたいことがあるのですが」
「内緒? ユーキ、私たち二人だけに相談したい、ということかしら?」
「……はい」
ユーキはもじもじしながら頷いた。
両親は顔を見合わせた。
何でもはきはきと喋るように育ったこの子にしては珍しいことだ。
今日、ショルツ侯爵の継嗣の葬儀に参列した時に何かあったのだろうか。
だが、傅役のクーツの報告では、特に気になるようなことは言っていなかったのだが。
「わかりました。では、私たちの部屋でお話ししましょう」
両親はユーキを自分たちの私室に連れて行き、三人で椅子に座った。
「さあ、これでいいかしら。お話しして頂戴、ユーキ」
「はい、実は、今日、参列した御葬儀での事なのですが……」
ユーキは相変わらず、もじもじしている。
喋りにくそうにしているので、ユリアンが尋ねた。
「献花の時に何か失敗でもしたのかい?」
「いいえ、違います」
「じゃあ、何かな?」
「実は、献花の列に並んでいる時に、とても綺麗な目をした女の子がいたのです」
「女の子?」
「はい。小さな女の子です。三歳か四歳ぐらいの子だと思います」
「その子がどうかしたのかい?」
「とても綺麗な紫色の目をしていたのです。それに髪の毛も銀色に輝いていて美しくて」
「ほう」
「その子の連れの男の人に、その子を僕たちと一緒に献花させてやって欲しいと頼まれて、引き受けたのですが、それがとっても嬉しかったのです」
「そうなのか」
「はい。その子の手を取って、一緒に歩いて、一緒に花を捧げて、それがとても楽しかったのです」
「それで?」
ユリアンに先を促され、ユーキは俯いてしばし黙り込んだが、両親が何も言わず急かさずに待っていると、やがて悲し気な顔を上げて続けた。
「……それきりなんです」
「それきり?」
「はい。それきりで。お別れした後に、また会いたいと思ったのですけど、もうどうしようもなくて。その後、クルティスには、名前や住んでいる場所を聞けば良かったのにと言われたんですけど、その時はそんなこと思い浮かばなくて」
「そうか」
「はい。母上、父上、私はどうすれば良かったのでしょうか。どうすれば良いのでしょうか。そのこと、その子のことを考えると、胸が熱く、苦しくなるように思えるんです」
マレーネとユリアンはまた顔を見合わせた。
どういうことかはすぐにわかった。だが、どうするべきか。
ユリアンがユーキに尋ねた。
「ユーキ、お前はその子の事が、好きなのだな? 友達とかではなく、女の子として好きになったのだな?」
「……はい。そうなんだと思います。こんな気持ちになったのは始めてなので、良く分からないのですが」
「そうか」
多分、これがこの子の初恋なのだ。
どうするべきだろうか。
自分たちの力を使って調べれば、相手の子を探し出すことはできるかもしれない。
そしてその子を引き取ってうまく育ててからユーキに娶せて、無理にでも初恋を実らせることも全く無理だというわけではないだろう。
だが、それがこの子たちのためになるだろうか。そうは思えない。
ユリアンはマレーネを見て首を小さく横に振った。
マレーネが頷きを返すのを確かめて、ユリアンはできるだけ優しい声でユーキを諭した。
「ユーキ、今から私が言う事は、お前にとってはつらいかも知れない。だが、良く聞くんだ。いいか?」
「……はい」
「過ぎ去ってしまった時は、もう戻ってこない。妖魔は時間の流れを操ると言われているが、彼らでも過去を変えることはできない」
「はい」
「だから、どうすれば良かったかを考えても仕方がない」
「……はい」
「次の機会には、どうすれば良いかを考える方が良い」
「どうすれば良かったか、ではなくて、どうすれば良いか」
「そうだ。次に、もっとつらい話だ。いいか?」
「はい」
「この王都に住んでいる人は多い。何万人といる。それは知っているな?」
「はい。いろんな人が、沢山住んでいます」
「その中で、何の手がかりもなく、髪と瞳の色だけでその子を捜すことは難しい。この国には、様々な髪や瞳の色を持つ人々が大勢おり、紫の眼も銀の髪もそれほど珍しくはないのだから」
「はい。わかります」
ユーキの顔は徐々に悲しそうに、苦しそうになっていく。
「それに、お前は王族だ。学ばねばならない事が沢山ある。その中で、その子を捜すことに使える時間はどれぐらいある?」
「……ほとんどありません」
「どこの誰かわからない子を、クーツたちに捜させるわけにも行かない。彼らも他の仕事がたくさんあるのだ」
「はい。クーツは私のために、色々な事をしてくれています」
「そうだ。だから、お前がその子にもう一度逢える可能性はとても小さい。わかるか?」
「……はい。わかります。父上、私はあの子の事を諦めて、忘れるべきなのでしょうか」
「いや、そういう訳ではない」
ユーキは不思議そうな顔をする。
「でも父上、私はあの子には二度と逢えないのですよね?」
「それはわからん。今言ったように、可能性はとても小さい。だが、どんなに小さい可能性でも、無いとは言えないだろう? もしお前たちに縁があり、神が思召せば、あるいは偶然が味方してくれれば、巡り逢うことがあるかもしれん」
「縁があれば……クルティスも同じことを言っていました」
「そうか。それを信じるかどうかはお前次第だ」
「私次第……」
黙って話を聞いていたマレーネが手を伸ばして、ユーキの手を握った。
「そうよ、ユーキ。あなた次第なの。あなたの心はあなただけのものなの。誰も自由にできない、誰にも自由にさせてはいけない、あなただけが決める事のできるものなの」
「私だけのもの」
「そう。その子のことを憶えていても構わない。時間と共に少しずつ忘れて行っても構わない。その子をずっと想い続けていても構わない。他の子を好きになっても構わない。あなた次第なの」
「ずっと憶えていても構わないのですね」
ユーキの悲しそうな顔が、やっと少しだけ明るくなった。
「そうよ。初めて好きになった子というのは、特別な、とても大切なものなの。無理に忘れたりしては、後悔するわ。例え他に好きな子ができても、あなたが憶えていたいのであれば、いつまでも憶えていていいのよ」
「はい。いいえ、私は、あの子以外の子を好きになるなんて、考えられません」
「そう。今そう思っているのなら、それでいいのよ」
「はい」
「ただね、その気持ちは、あなたが本当に信頼している者以外には、教えちゃだめよ」
「クルティスは知っております」
「クルティスは大丈夫よ。この家の者は大丈夫。でもね、それ以外の者たちに知られると、あなたに取り入ろうとしたり、逆にあなたを傷つけようとしたりして、その子のことを使おうとするかもしれない。そうすると、その子に迷惑が掛かるでしょう?」
「はい、わかります。母上」
「だから、この人は本当に大丈夫、とあなたが信じられる人以外には、その子のことは内緒にして、あなたのここに」
マレーネは優しくユーキの胸に触りながら言った。
「そっと大切にしまっておきなさい」
「わかりました、母上」
「そうよ。それに、もう逢えないと限ったものじゃないのですからね」
「はい」
今度はユリアンが手を伸ばし、力強くユーキの頭を撫でた。
「そうだ。そのもしも逢えた時に、胸を張ってその子に向き合えるように、自分を磨いておいてはどうだ?」
「自分を磨く、ですか」
「ああ、そうだ。お前がそれほどに想う、素敵な子なのだろう?」
「はい、とても!」
「では、その子の隣に立つに相応しいのはどういう男かを考えて、そうなるように努力するのだ」
「あの子に相応しい男。どういう男でしょうか……」
「それは、マレーネも私もその子のことを知らないからな。何とも言えん。お前が自分で考えるしかない」
「そうよ、ユーキ。自分で考えて、自分で努力する。それが自分を磨くと言うことよ」
「自分で考える……」
「そう、自分で」
ユーキは視線を落として小声で何事か呟いていたが、やがて目を輝かせて顔を上げた。
「母上、父上、では、私はこれまで通り、いえ、これまで以上に王族としての学びを精一杯続けたいと思います」
「そうか。どうしてそう考えたのか、教えてくれるかな?」
「はい。王族の務めは、国民を幸せにすることだと思います。国王陛下もそうおっしゃっていました」
「そうだな」
「あの子に、もう一度逢えるかどうかはわからない。でも、僕はあの子に幸せになって欲しい、幸せでいて欲しいと思います」
「……」
「もしもう逢えなければ、僕が自分であの子を幸せにすることはできません。でも、国民すべてが幸せになれば、あの子も幸せになれますよね」
「……そうだ。その通りだ」
「だから、僕は王族として精一杯励みたい。そしてみんなを幸せにできるような王族になれれば、もし、あの子にまた逢えても逢えなくても、胸を張っていられると思うのです。どうでしょうか? 僕は間違っているでしょうか、母上、父上?」
マレーネもユリアンも胸が熱くなった。
この小さな自分達の息子が、そしてその小さな恋が、親として誇らしい。
「いや、間違っていない」
「そうね、ユーキ。それでいいと思うわ。頑張ってね」
「はい、ありがとうございます、母上、父上」
「ユーキ、もう一つ教えておいてやろう」
「何でしょう、父上」
「恋を成就させるうえで、一番大切なことだ」
「ぜひ教えてください」
「それは、勇気だ」
「勇気ですか」
「ああ、自分のことをどう思っているかわからない相手に、自分の心を告げるには、途轍もない勇気がいる。もし嫌われていたら、断られたらどうしよう。恥ずかしい、恥をかきたくないと、誰しも思ってしまう」
「……はい。実は今日、少しそういう気持ちになりました」
「そうか。だがな、何も言わなければ、自分の気持ちは本当には伝わらない。勇気を出して言葉にしなければ、恋は始まらないのだ」
「言葉にしなければ、恋は始まらない」
「ああ、恋は戦とは違うのだ。恋においては、蛮勇は憶病に優る、だ」
「憶えておきます。次は、きっと」
「ああ、頑張れよ」
「頑張ってね、ユーキ」
「ユーキ、お祖母様にも言わない方が良いと思うわ」
「あ、はい。それはわかります。面倒臭いことになるからですね」
「……そうね」
次話は短い話です。




