第11話 王都の街路に吹く風
ここから三話は過去に遡ります。ユーキの想い人の話です。
王国歴213年4月(菫3歳、ユーキ8歳)
時は前話から約七年遡る。
王都の街路を寒々とした風が吹き渡っていた。
春ももう深いというのに、冬に戻ったような厳しい風が吹いている。
王都は家々が密集して立ち並んでおり、それなりの高さのある建物も多い。
そのため郊外に比べると寒風は和らぐのだが、道行く人はみな外套の襟を立て、帽子を手で押さえて前屈みに歩いている。
その街路を『柏』という名の男が『菫』という幼女の手を引いて歩いていた。
まだ三歳の菫の歩みは遅い。
だが、ショルツ侯爵家の葬儀にはまだ時間がある。このまま歩いて行っても間に合うだろう。
どのみち馬車で教会に乗りつけることができるような身分ではない。乗合馬車も使いたくない。人の目に立つようなことは何一つできない。
それにこの国の数少ない侯爵家の継嗣の葬儀だ、どうせ教会の付近は混雑しているだろう。
ゆっくりと歩いて行って、一般参列の後ろの方に隠れておればそれで良い。
この娘が花を手向ければ、それだけで故人は喜ぶだろう。
だが、喪主や夫人に知れたら一騒動になるかも知れない。
この娘のことはわからないだろうが、自分の顔は侯爵家では知れ渡っている。
やはり止めて帰ろうか。この娘を連れてきたこと自体、俺の自己満足に過ぎないのではないか。
柏は、小柄だが逞しい体には似合わない、せつなそうな溜息をついた。
献花の長い列の後ろに並ぶと、菫がぐずり始めた。無理もない、まだ三歳だ。
一週間前には、母親の葬儀だったのだ。
唯一の肉親をなくして、その日も翌日も泣き明かした。やっと落ち着いたところだったのだ。
やっぱり無理だったかもしれない。
それでも、本人のためにも、故人のためにも、どうしても連れて来るべきだと思ったのだ。
「つまんない」
「菫、大人しくするんだ」
「やだ。つまんない。さむい。かかさんいない。……かしわ、キライ」
「菫……」
柏が菫の前にしゃがもうとした拍子に行列が少し動き、後ろから押された菫が転んで花束を落とした。その途端に菫は泣き出した。
幸い怪我はしていないが、柏はおろおろするばかりだ。
その時、前にいた二人の子供が振り返った。
「どうしたの?」
一人の男の子、少し年長そうな子が、菫の落とした花束に気が付いて拾った。
「はい、どうぞ」
菫はそれを受け取ったが、涙も、弱々しい泣き声も止まらない。
深い紫色の大きな瞳が涙で揺れている。
それを見て、もう一人の男の子が
「おい、こっち見ろ」と言い、顔を両手で隠した。
「ふぇ……」菫が泣きながら顔を向けると、
「ばぁっ」と手を拡げて変顔をしてみせた。
「ふぇ?」菫が泣き声を止めて不思議そうに見ると、
「ばぁっ」「ばぁっ」と様々な変顔を繰り返す。
それを見て菫はケラケラと笑い出した。助かった。
「ありがとよ、坊ちゃんたち。助かったよ。坊ちゃんたちも献花かい?」
年長の子はもじもじしながら菫の事を見ていたが、はきはきと答えた。
「うん、僕が小さい時に良くしてくれたお兄さんなんだ。お母様たちは来れないけれど、そっとお花を捧げて来なさいって」
「そうかい」
顔を上げると、その前にいた男がこちらを品定めしている。
護衛付きか、なるほど、どこかの貴族の御曹司の微行か。
柏が小さく頭を下げると、護衛らしき男は頷いて前を向いた。
どうやら怪しくないと思ってもらえたらしい。
献花の列は進む。
前方にマルテルが警備に立っている。
拙いな、よりにもよってマルテルか。
風体は町民に変わっていても、あいつには簡単に見破られちまうだろう。
揉め事を起こすわけにはいかない。この娘にこれ以上、嫌な思いをさせたくない。
「坊ちゃん達、頼みがある。この子を一緒に連れて行ってやってくんねえか。俺はここで待っているから、花を捧げ終わったら連れて来てやってくれ。お願いだ」
「うん、いいよ。クルティス、僕の花を一緒に持ってくれる?」
「はい。シュトルム様」
「じゃあ、僕と手を繋いで一緒に行こうか」
シュトルムと呼ばれた年長の子は、手袋を取ってポケットに突っ込み、右手を服でごしごしと拭いて菫に差し出した。
「あい」
菫は出されたその手に、小さな左手を嬉しそうにちょんと乗せた。
シュトルムがその手を大切そうにそっと握ると、菫がにっこり笑う。
「おにいしゃんのて、あたかかい」
「うん、君の手も温めてあげるよ。お花は落とさない様に僕が持つね」
「あい。あいがと」
「綺麗で可愛い花だね。何ていう花?」
「すみれと……あおい」
「こっちの小さい花がすみれ?」
「あい」
「瞳と同じ色……君みたいに可愛いね」
「あい?」
「ううん、何でもない。じゃあ行こうか。転ばないよう、ゆっくりね」
「あい」
柏はシュトルムの護衛の男に頭を下げると、列から離れ、物陰から子供たちを見送った。
シュトルムにエスコートの手を引かれクルティスを従えて、菫は静々と歩いて教会の中に入っていく。
折しも差し込んだ陽光に、少し青味がかった銀色の髪が光る。
服装は庶民のものでも、歩く姿はまるでお姫様のようじゃないか。
もしもあの二人が引き裂かれていなければあの子の両側に、と思わずにはいられなかった。
フェルディナント様、菫は必ず大切に育てます。
教会の棺の中で眠っているであろう旧主に、柏、以前はアイセルという名前であった男は改めて誓った。
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「結局来なかったわね……」
マルテルは独り言ちた。
旧主の葬儀なのだから、あの男が来るかもしれないと、かすかに期待していた。
時々は外に出て参列者を見回していたが、見つけることはできなかった。
会えれば謝りたいことも言いたいこともあったのだが、やむを得ない。
一つ溜息をついて教会の中に戻ると、祭壇の献花の前の様子がおかしい。
近付くと、侯爵夫人が警備に食って掛かりそれを侯爵と次男がなだめているようだ。
「あれは一体どういうことなの! いつ、誰が?」
「それが、列の最後の方にいた子供たちが捧げたようなのですが」
「子供たちが?」
「はい。良家の子女のようで、挙措のあまりの愛らしさに、止められなかったと警備の者は言っております」
「どこの家の子供?! 誰がやらせたの! 調べなさい!」
「まあ、やめなさい。もう済んでしまったことだ。誰がやったのでも良いではないか。あいつに捧げられた花なのだ」
「でも、どこかの家の嫌がらせとしか思えません!」
「母上、せめてこれぐらい、兄さんに持たせてやりましょうよ」
「私は……私は……私があの女の事をあの子に伝えなければ……」
「もう言うな! あいつのことは明日からは全て忘れる。あいつも、あの女も、あいつに関わるもの全て我が家とは関係ない、それで良いだろう。良いな!」
「はい……」
マルテルが近寄ると、侯爵が命じた。
「あれを、棺の中に入れてやってくれ」
指さす方を見ると、祭壇の花だ。
白い花が山のように積まれたその隅に、紫色の小さな花束が置かれている。
近付くと、立葵と菫の花と見て取れた。
ああ、やっぱり来ていたんだ。そう思ったとたん、故人やあの男との思い出が胸を突く。
花束を手に取ったら目頭が熱くなった。ハンカチを取り出して押さえる。
棺を開け、故人の胸の上に花束を置き再び棺を閉めようとした時、その病にやつれた顔が、以前の端正さで微笑んだように見えた。
マルテルは堪らず急ぎ足でその場を離れ、廊下の片隅で号泣した。
「フェルディナント様……お許し下さい……アイセル……ごめんなさい……」
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「あの子、大丈夫かなあ」
「はあ」
シュトルムという微行用の変名で呼ばれていたユーキは、クルティスに向かってか、あるいは独り言か、小声で呟いていた。
クルティスは面倒臭そうに返事をしている。
「すごく可愛い子だったね。あの菫の花と同じ位、いやそれよりもっともっと可愛かったなあ。あの瞳……」
「そうですか」
「また、逢えないかなあ」
「逢いたいのですか?」
「……うん」
「名前を聞けばよかったのでは。住んでいるところとか」
「……そうか。そんなこと、考えもしなかった。しまったなあ。もう逢えないかなあ」
「縁があればまた逢えますよ、ユーキ様。逢えなければ、縁が無かったのです」
「クルティス、爺臭いよ。そんなの、何の慰めにもならない」
「はい。別に慰めていません」
「僕の事、憶えていてくれるかなあ」
「無理でしょう。まだ三、四歳みたいだったし」
「お前、時々冷たいね」
「申し訳ありません。女子の事ではお護りできません。妹の相手だけでこりごりです」
「……そうだね……」
葬列の間は近くに来ていたクーツも他の護衛も、今は少し離れている。
今の会話は、多分聞かれずに済んだだろう。
次話、ユーキが帰邸後の話に続きます。




