第10話 王女の講義
前話の続きです。
承前
「ユークリウス様、心に想い定めた女性がいらっしゃいますでしょう」
「えっ」
メリエンネのいきなりの問いに、ユーキは言葉に詰まった。
しまったと思ったが、耳まで赤くなるのを止められない。
「ほら、当たり」
「いえ、あの、はい。でもなぜそのように?」
「先ほどから、御自身と女性との話になりそうになると、頑なな態度を取られています。でもただの朴念仁かと思えば、私の心を思いやろう、思いやろうとして下さっています。人の心の機微が理解できぬわけでも無さそうです。そうすると、と言う事で、後は女の勘の当て推量ですわね。でも、半分以上の可能性はあると思いましたわ。図星でしたわね」
「考えが浅く、顔にもすぐ出てしまい、お恥ずかしいです」
「恥ずかしがられることはありません。でも貴族方には知られないようにした方が良いですわね」
「御忠告有難うございます。注意します。このことは何卒御内分に」
「もちろんです。ドロテア、良いわね?」
「はい、姫様」
「クーツ、お前もだ」
「はい、殿下(クルティスめ、黙っておったな。後で確かめんと……)」
メリエンネはドロテアからユーキに向き直ると、微笑みながら問い詰めようとした。
「で、どんな方ですの? よろしければ」
「それが、七年ほど前に一度逢ったきりで、名前も知らないのです。ですから、子供心の儚きものになるのでしょう」
「それは……よほど魅力的な方だったのですね」
「ええ。あの瞳の色を忘れられずにいます」
「何色の?」
「紫青玉の紫色です……これ以上は御勘弁をお願いいたします」
「うふふ。ユークリウス様にとってはとても大切な出会いだったのでしょうね。わかりました。これ以上はお伺いせずに置きます。ドロテア、お茶のお代わりを」
「はい、姫様」
ドロテアが二人のカップに茶を注いでいる間に、ユーキは深呼吸を繰り返す。
メリエンネが相変わらず微笑みながらこちらを眺めていると思うと、なかなか落ち着けない。
「ありがとうございます。……話を戻させていただきたいのですが、閣議の様子をお伝えすることはできると思います」
「そのお話でしたわね。例えば、最近、陛下からどのような御下問を受けられました?」
「一昨日の閣議では、領間の交易をどのように促進するか、について尋ねられました」
「どのようにお答えに?」
「主街道の管理を領から国に移し、整備を進めれば良いのではと」
「まあ。それは……」
「はい。導師から、領ごとに整備しているため、道幅も路面の維持状況も管理体制も異なる、それどころか嵐の後の倒木も放置したままで、撤去は通行する者任せにする所もあると教わりまして。それだったら、国で一括して管理した方が良かろうと思ったのですが。陛下には『ものの見方が浅すぎる』の一言で済まされてしまい、さすがに凹みました。何が悪かったのか、自分ではわからなくて。はぁ」
「ふふ」
ユーキがわざらしく両手を拡げて大きくため息をついてみせると、メリエンネは小首をかしげて笑った。
そしてカップを手に取り、紅茶の色をみつめて少し考えてから真顔で答えた。
「でも、陛下は『浅すぎる』とおっしゃったのですね? 『誤っている』ではなく。それでしたら、悲観されることはないと思います。……ユークリウス様は、もし国が一括して管理したならば、主街道の全てが同じように整備されるとお考えになりますか?」
「はい。それはそうかと」
「通行量の多い所も、少ない所も?」
「……」
「平地も、山地も? 荷馬車が多い所も、歩行の旅人が多い所も?」
「それは、違うやり方になるでしょうね」
「そこに用いられる国の資金が領ごとに異なれば、領主たちから不平不満が出ませんこと?」
「出ますね。なるほど、その地その地によって、必要な整備は異なるのだから、その地域を治める領に任せた方が、実情に合わせられるのか」
「それと、今、各領で街道を整備する資金は、どうやって捻出されていますか?」
「えっと、主に、街道を使用する者たちから得る通行料や、関税の一部を充てている領もある、でした」
「街道が国の管轄に移れば、その資金源はどうなりますか?」
「当然国に移すべきですが……領主は猛反対するでしょうね。他の財源としても用いられていますから。確かに私の見方は浅すぎました」
ユーキが頷くとメリエンネは笑顔に戻って議論を続けた。
「今のはまだまだごく一部、他にも考えるべき要素はありますわ。例えば軍事であるとか、そもそも国に権限を移して、それが公平に発揮されるかどうかとかも」
「責任者とその派閥の領主の優遇ですね。そうですね、国に移したから正しく治められるとは全く限らない。勉強になります。軍事については良く分からないのですが、お教えいただけませんか?」
「街道が整備されれば、大軍の移動が容易になります」
「良いことでは?」
「味方も、敵も」
「あ、そうか。一度奇襲を受けて侵攻を許すと、王都やその他重要拠点に速やかに到達されてしまう」
「そうなりますわね。経済振興に良いからと何も考えずに整備を進めると、敵に利することになりかねません。今は平和でも、それは一時のものと考え、常に有事に備えなければなりません。街道整備もその一部として捉えないと。敵は常にこちらの油断を待っています」
ユーキはさらに大きく頷いた。
「『トロールは村人が眠るのを待っている』ですね。メリエンネ様、凄いですね。閣議の傍聴をされていないのに、私の答えの問題点をこんなに沢山、いとも容易に指摘されるとは。どのようにしてこのような知識を得られたのですか? やはり導師から?」
「もっぱら書物ですわね。この部屋で暇を持て余していた間、読書しかすることがありませんでしたので。読んでは考える、読んでは考える、の繰り返しです」
「なるほど。読んでは考える。やはりそうやって、書物の内容を御自分のものとされるのですね」
「『やはり』ということは、ユークリウス様も?」
「はい。読んだこと、導師に教わったこと、見聞きしたこと。自分で考え直すようにしています。やはりそれが大事ですよね」
「そうですわよね。でも、私は所詮は知識倒れ。実践が伴いません。ですからせめて閣議の傍聴に出席して、私も陛下の御下問を受けてみたいのですが、この体が言うことをききませんの」
メリエンネは悲しそうに、自分の両肩を抱く。
それを見て、ユーキは居ても立っても居られなくなった。
「それでしたら、また私が参ります。そして閣議で聞いたこと、わからなかったことをお話しさせてください。……その、噂にならぬ程度に。手紙でお知らせすることもできますね」
「嬉しいですが、ユークリウス様の御負担になるのでは?」
「いえ、私にも学びになりますので。あ、ですが、逆にメリエンネ様のお体の御負担になりますか」
「私でしたら、構いませんわ。日がな一日暇を持て余してうつらうつらしているよりはよほど有意義ですし、それに昼間起きている時間が長くなれば、ドロテアも喜んでくれますし」
「御無理のないようにお願いいたします」
「ええ、もちろん。ユークリウス様も御無理はなさらないで下さい」
「はい」
「ありがとうございます。何だか、励みと楽しみが出来て、少し気分が軽くなったように思います」
「そう言っていただけると、嬉しいです」
「何だか、同志ができたようで私も嬉しいですわ」
「同志、ですか」
「ええ。国の将来を考える、若い王族の同志。救国の志士のような」
「志士とは、物語の登場人物になった気分ですね」
「ええ、そういう物語も暇に飽かせて読んだもので」
「そのお話もお聞かせください」
「ええ、よろしくてよ。私が一番好きなのは……」
結局、メリエンネ王女に足りなかったのは、刺激だったのだろう。
その日二人はかなり長い時間、話し込んだり一緒に書物を調べたりした。
その疲れからか、その夜は王女はぐっすり眠り、翌朝は早くに目覚めることが出来た。
そしてユーキからの手紙や訪問に応えるうちに、昼間に眠ることはなくなり、歩くところまでは行かなかったが、少しずつ、ほんの少しずつ、体調も良くなっていった。
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「シェルケン閣下、姫様がユークリウス殿下と頻りに書簡を交わされています。ほぼ毎週です」
「何? 持ち出して来て見せてみよ」
「ドロテアの目が厳しいのですが」
「一通で良い。上手く目を盗め」
「承知しました」
「閣下、お持ちしました。最新のものは姫様がお手元から離されず、少し前のものを文箱から持ち出して参りました」
「見せてみよ。もし恋慕の情を匂わせるような文でもあれば、脅すなり、すかすなりして、殿下を取り込むのに使えるかも知れんからな。……ハインツ、見てみよ。どう思う?」
「……閣議での議論がなかなかに纏まっております。疑問やアイデアも未熟ながら着眼点は良く、15歳の若者としては及第点を軽々と超えておりましょう」
「そうではない。殿下に付け入る隙はないか、弱みはないかと聞いているのだ」
「弱みですか。ごくありきたりの時候の挨拶と、閣議を簡潔にまとめた文、そして体調が改善するようにという普通の励ましの結句。隙とか弱みとか以前に、男が妙齢の未婚女性に送る手紙として、いくら何でもあんまりではないか、と思われます。お前は役人か、と問い詰めたいです。そうですね、男女の機微について一から教授することで恩を売って取り込むというのはどうでしょう」
「もういい、下らん。露見しない様にそっと戻しておけ。このような内容であれば、今後報告は不要だ。好きにやらせておけ、あの糞真面目の堅物殿下め」
メリエンネの話は一段落し、次話はユーキの初恋の話になります。




