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風の国のお伽話  作者: 花時雨


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第102話 王城侍女取締

前話同日夕刻


ユーキが国王に菫との婚約を直訴したその日の午後、ピオニル領の領主への任命は何事もなく無事に済んだ。


同日の夕刻、花園楼の門の中に前日に続いて再び王家の紋章が描かれた馬車が入って行った。

今日は小型の馬車の中から出て来たのは、白髪が混じる栗色の髪を結い上げた女性である。

上等ながらシンプルな紺色の衣服に身を包んだその女性は、従おうとする供の者を手を上げて制止すると、一人で玄関の扉を開けて中に入って行った。


「いらっしゃいやし。どちら様で?」


玄関番の松爺が声をかける。


「テレーゼ・コルネリア、王妃殿下の使いの者です。菫さんと言うお方にお目にかかりたく伺いました」

「きょ、今日は王妃様の? ど、どうぞ、お上がりください。こちらのお部屋で、少々お待ちを」




「薄婆、た、大変です。王妃様のお使いとおっしゃる方が、いらっしゃってます。菫に会わせろと」


松爺の言葉を聞いて、薄の顔が一瞬蒼くなった後に今度は赤くなり、両の目尻が吊り上がった。


「菫……ほら、言わんこっちゃない。あれだけ御大層な事を言ってても、結局、身分が違うから諦めろって話になるのよ。そんなこと、殿下が自分で言いに来いってのよ。使いに言わせて済ませようなんて、菫を馬鹿にして。冗談じゃないわ、見てなさい、今、追い返してやるわ」




薄は待合で茶をすすっていたテレーゼの前に現れると、突っ立って顔をじろりと見てから慇懃丁重に頭を下げた。


「当楼の差配をしております、薄と申します。本日、お使い様のご来臨の栄に(あずか)るとは夢にも思わず、恐縮至極、当楼の誉れと心得てございます」

「随分と丁寧な御挨拶、痛み入ります。で、菫さんはどこに?」

「それが生憎ながら、本日は宴のお世話のために同席しております。手を放せませぬゆえ、後日改めて」

「いえ。どなたの宴席ですか?」

「それはお客様のことゆえ、申し上げかねます」

「本日に、との御妃様の厳命です」

「そうおっしゃられましても、こちらにはこちらの都合がございます。何卒後日お改めいただけますれば」


頭を低く下げながらも木で鼻を括るような薄の返事に、テレーゼはむっとする。

だが薄には、それを気にした様子は微塵もない。


「ほんの一時、呼ぶこともできぬと?」

「故なく中座させては、宴のお客様に失礼となりますので」

「故なく? 御妃様の厳命でも?」

「御命の内容をお聞かせくださいませ」

「何を言うのです。御妃様の御命を、本人に伝えぬうちに余所へ洩らせるわけにはまいりません」

「それでは、遺憾ながらお断りいたします」

「なぜです。御妃様に対し、無礼ではありませんか?」


それを聞いて薄は頭を上げ、正面からテレーゼを見て声を強めた。


「では申し上げますが、菫は、菫とその母の葵はかつて貴族様に裏切られ、不幸な目にあわされております。菫に二度煮え湯を飲ませるわけには参りません。御妃様と言えど、御命の中身も聞かず、信じ参らせることはできません」

「煮え湯などとは、重ね重ね無礼な……菫さんにとって、悪いことではありません。私が保証いたします」

「失礼ながら、貴女様も貴族様でしょうに」


そこまで言われてテレーゼはさすがに顔色を変えたが、薄に引く気配は全くない。


「そう、菫さんが来られないのであれば、私が参ります。席に案内してください」


テレーゼは気色ばんで立ち上がり、廊下に出た。

薄は慌ててその腕に取り縋る。


「それは! できません!」

「できなければ結構。一部屋ずつ隅々まで重々念入りに、客の座席の裏側まで探させていただきましょう」

「そんなことはさせません!」

「無礼な、お放しなさい」


妨げる手を振り解こうとするテレーゼと、放すまいと力を込める薄の腕が縺れる。

そこへ揉み合う二人の騒ぎを察した柏が現れてテレーゼの前に立ちふさがった。


「いくら御妃様のお使いとはいえ、無法はお止めなすって」

「菫さんに会わせていただければ、誰もこのようなことは致しません……貴方、お会いしたことがあるのでは?」

「いえ」

「もしかしてショルツ侯爵の……」


その時、二階の方から男の怒声が伝わった。


「菖蒲!! 菫!! こっちへ来い!! 来いと言うのがわからんのか!」

「ごめんなすって」


柏は怒声の方へさっと走った。


「あの声はデイン子爵ではありませんこと?」

「? ……どうやら御案内した方が良さそうですわね」


テレーゼが問うと薄はため息交じりに答え、先に立って男の声のした部屋に急いだ。


----------------------------------



「姐様、御膳と竹葉をお持ち致しました」

「お客様に」

「あい」


菫と菖蒲が膳と酒器を客の前に据え、銚子を椿の前に置いて下がる。

椿の両脇に控えた二人を見て、客の目が光る。


「ここの禿は粒揃いと噂には聞いたが、これほどとは」

「何か?」

「いや、何でもない」

「では、おひとつ」


椿が銚子を取って前に出て酒を注ごうとしたが、客は受けようとせず、菖蒲に向かって杯を突き出した。


「いや、いい。そこのお前。酌をしてくれ」

「お客様、禿は酌は致しません。私が致しますれば」

「堅いことを言いおって。まあよかろう」


客は椿に注がれた酒を一気に干して、袖で口を拭った。


「椿、その禿の名前は何という」


客が空になった杯を椿に突き出しながら尋ねた。

椿は注ぎながら答える。


「……左が菖蒲、右が菫にございます」


その杯も一気に干す様子を見て椿は後に下がり、菫たちに席を外すように命じた。


「菖蒲、菫、お客様は竹葉がお進みの御様子。代わりのお銚子を」

「いや、良い。ここに居れ。いや、儂の両脇に参れ」

「お客様、それは成りませぬ」

「うるさい。菖蒲、菫、参るのだ」

「成りませぬ」

「ええい、年増は黙っておれ! 菖蒲!! 菫!! こっちへ来い!! 来いと言うのがわからんのか!」


早や酒が回ったのか、はたまた思うに任せぬいら立ちか、赤ら顔になった客は怒声を上げるとゆらりと立ち上がって来い来いと手招きをする。しかし菖蒲も菫も動かない。

二度、三度と招いても一向に来ないと見るや、「ええい」と杯を手にして振り上げた。

背後で襖と障子が大きく開かれる気配には気が付かない。

菖蒲は怖がって椿の後ろに隠れたが、菫は「姐様!」と椿の前に出て、投げられた杯と酒の飛沫(しぶき)をその顔で受け止めた。


「来いと言うに!」


客が怒鳴るが菫は怯まず、正座して手を突いて答える。


「できませぬ。楼の掟でございます」

「ぬ……!」


客がじれて椿たちの方に歩み寄ろうとしたところに、部屋の中の様子を見定めた柏が素早く近寄る。

膝屈みになって客の前に回り、その肩と腰を押し止めた。

するとどういう加減か、客はピタリと前に進めなくなった。


「こやつ、何をする? は、放せ。儂に触れるな」

「これはとんだ失礼をいたしやした。さ、どうぞお席にお戻りなすって」


ぐっと押すと客は腰砕けになり、尻から床に落ちて後ろ手をついた。


「無礼者!」


部屋の隅に控えていた客の従者が叫び声をあげて柏との間に割り込もうとするが、やはり柏に腰と肩を押さえられて動けない。

従者を客と同じように押し戻し、柏は静かに言った。


「廓には廓の作法がございやす。貴族も庶民も妓女の前では一人の男。野暮な真似はお止しなすったが良うござんしょう」


客は無様に腰を落としたままで柏を睨みつけ、頭から湯気を出しながら何かを言い返そうと口を開く。

そこに、薄を伴って部屋に入っていたテレーゼが、突っ立ったまま客を後ろから見下ろして氷雨のごとく冷たい声を降らせた。


「デイン子爵」


なぜ我が名を? 自分の名は楼には偽って告げた筈。

客はぎょっとして恐る恐る振り返り、そこに立つ女の顔を見た途端に血の気を失った。

蒼い顔になりながらもかろうじて小声を吐く。


「ぬ? お、お前はコルネリア王城侍女取締。な、なぜここに?」

「なぜ? 貴方のお噂を聞いたからに決まっておりましょうが」

「噂?」

「はい。まだ幼気な娘を求めて夜な夜なこの辺りを捜し回っていると、もっぱらの噂です。まさかとは思いましたが、禿は未成人のはず。それに手を掛けて侍らそうとは、やはり火の無い所に煙は立たぬものですね」

「え? そんな馬鹿な。この街へは今日が初めて……」

「この街へは?」

「い、いや、ほんの戯言だ。本気で儂がそんなこと、するはずがなかろうが」

「戯言? 今、詰め寄っておられましたね? その二人は明らかに未成人。こっちへ来いとは? 戯言で済むとでもお思いですか?」

「いや、それはその」


デイン子爵が言葉に詰まっていると、菫がすすとテレーゼの前に進み平伏した。


「取締様、私どもの事をお気にかけて下さり、ありがとうございます。ですが今のは、お客様が私どもと鬼事をして下さったまでのこと。何卒、お許しください」

「鬼事、ですか?」

「はい、鬼事です。それが大事になりますれば、私共のせいで楼に迷惑が掛かります」


それまで菖蒲は椿の陰から、思いきり歪めた顔だけを出してデインに向かって舌を大きく出していたが、菫のテレーゼに向けた言葉を聞くと菫の横にすすすと出て、一緒に手を突き声を合わせた。


「「何卒、何卒」」

「わかりました。そなたたちがそういうのであれば、そうなのでしょう。デイン子爵、命拾いをしましたね。本日のことを陛下や妃殿下に報告する必要はないかと思います」

「う、うん? そうか。そうだな、ただの鬼事だしな。はは、さ、続きをするか」

「いいえ、さにあらず。本日は今までここにいらっしゃいませんでしたし、今からもいらっしゃいませんわよね? そうであればこそ、報告する事は何もないかと」

「うっ。そ、そうだな」


テレーゼはデインの返事を待たず、さらに言葉を突き刺していく。


「明日以降ももうこちらにお見えになることは二度とない。ああ、御持病の腰痛は打ち身で悪化されたらしいと、それはお伝え致しましょう」

「いや、それは」

「ではさっさとお引き取りを」

「いや、しかし」

「お引き取りを」


端から冷たかったテレーゼの声はさらにどんどん冷えていき、今では氷柱が降るようだ。

デインは暫し口を閉じたり開いたりを繰り返していたが、テレーゼが目を細めて睨みつけるに至って観念した。


「わかった、帰る。もう来ん!」


デインはどたどたと部屋を出て行き、従者も慌てて後を追う。

柏はそれに向けて声を張った。


「松爺! 椿の間、お下がり!」


そしてもう一声続けた。


「塩、撒いとけ!」



楼が静かになると、薄がテレーゼの前に出て菫に並び、手を突いた。


「取締様、お蔭様を持ちましてこの場が収まりました。お礼を申し上げます。有難うございました。あの、この件、陛下には……」

「もちろん報告いたします。あのような者、放置するわけには参りません」

「それを伺い、安堵いたしました」

「この一件のみでは処分には至らぬでしょうが、他にも不埒な事をしておらぬか、調べることになるでしょう」

「さきほど、『噂』とおっしゃっていたのは……」

「竜のあくびです」

「あくび?」

「ほれ、『竜が口を開けば、あくびも炎に見える』とか言うでしょう? 弱みのある者は簡単な脅しでも飛び退ります。それに私は王城では、不埒な貴族には容赦のない、遣り手婆と呼ばれているようですし。誰かさんと同じように」

「クッフフフフ……」「ホッホホホホ……」


テレーゼと薄の声を合わせた笑いが部屋に高らかに響いた。



「さて、本題に戻りましょうか」

「はい、先程は大変失礼を致しました。これにおりますのが、菫にございます。挨拶をさせてもよろしいでしょうか?」

「しかるべく」

「菫、取締様に挨拶なさい」

「あい」


薄に命じられ、菫が姿勢を正して再び手を突き頭を下げる。

その上品な所作にテレーゼが感心するうちに挨拶の言葉を述べた。


「取締様、先ほどはお助け下さり、ありがとうございました。私、今は亡き妓女、葵の一子、菫と申し、齢13となります。椿姐様の下で禿として修行中の身、未熟ではございますが、精一杯に励ませていただいております。何卒、お見知りおきの程、謹んでお願い申し上げます」

「菫さん、その齢にして良い御挨拶、痛み入ります。私は王城侍女取締をしていますテレーゼ・コルネリアです。皆さんもコルネリアと呼んでいただいて構いません。お父様は?」

「名も顔も存じません。私が幼い頃に儚くなったと伺っております」

「そうでしたか。ごめんなさい。お顔を上げて……ああ、お顔をお拭きなさい」

「あい」


菫は懐から手巾を取り出してデイン子爵に掛けられた酒を拭くが、その手はふるふると震えている。

テレーゼは感情を込めない声で尋ねる。


「先程は怖かったでしょう?」

「あい」

「それでも姐様を庇われたのはなぜ?」

「姐様は楼の珠玉であられますれば。私は未だ磨かれざる石塊。石もて玉を庇うは当たり前と心得ます。それに、芸事に励む上では些少の事に怯えていては務まりません。この有様、ただ恥じ入るばかりです」

「……何か武術を嗜まれておりますか?」

「いいえ。芸事のみでございます」


菫の答えを聞いてテレーゼは感心した。

これはなかなかに勇敢な娘だ。

武術の心得があればともかく、身を護る術も持たずに姐を庇って酔客の暴力の前に身を投げ出したのか。

日頃から姐に可愛がられてその恩義を身に沁みて感じているのだろう。


「芸事の修行には何を励みになされておられますか?」

「あい、芸事は亡き母の業であり、名も知らぬ父も、母の芸を大層好んでいたと聞きました。両親の恩に報いるべく。それに……」

「それに?」

「今、励まして下さるお方もおられますれば」

「シュトルム様ですね?」

「……あい」


テレーゼはそこまで聞いて、薄と椿に向き直った。


「薄さん、それから、菫さんの姐様」

「あい」「あい」

「お二人はシュトルム様の実の事、昨日の事は?」

「この場におりますものは皆、全て承知しております」

「そうですか。ユークリウス殿下は、本日早々に国王陛下、妃殿下に菫さんとの婚約をお許しいただきたいと直談判されました。殿下は陛下を説き伏せられ、妃殿下も反対なさいませんでした。それで妃殿下から私に、菫さんの心根を確かめて参るよう、御命が下されたのです。殿下のお心は真っ直ぐ偽りない、後は菫さんのお心一つと」

「そうでございましたか。私はまた、殿下の事を忘れるように菫にお命じに来られたのかと、一人合点を致しておりました。もしそうならば、殿下が御自身で断りに来られるべきと……重ね重ね失礼いたしました」

「いえ、菫さんを大切にされての事と思います。お気になさらず。では、大切な事ゆえ、申し訳ありませんが菫さんと二人にしていただけませんか?」

「畏まりました。菫、失礼のないように。大切な事です。悔いの無いようになさい」

「あい」

「では、失礼いたします。椿、柏、菖蒲、行きますよ」

「あい」


椿は優しく、柏は力を込め、菖蒲は胸の前で両手を握りしめて、それぞれ菫に頷きかけると薄に従って部屋を後にした。


……そしてもちろん全員が控えの間で様子を窺っている。

今日も、指を舐めて障子に穴を開けて。

松爺はまた明日も嘆きながら張替えねばならないだろう。



お読みいただき有難うございます。

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