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風の国のお伽話  作者: 花時雨


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第8話 王城の塔に吹く風

王国歴220年3月(メリエンネ21歳)


ヴィンティア王国の王城は風の城との異名を持つ。

王城のこの部屋は塔の基部にあり、城の名にふさわしく風受けが良い。

しかし、部屋の窓を風が吹き抜ける様子を部屋の主は知らない。

春の柔らかな微風も、夏の燃える熱風も、秋の爽やかな涼風も、冬の厳しい寒風も。

主がいる時にはその窓が開け放たれることがないのだから。



「姫様、シェルケン閣下が面会をお求めです」

「また? 飽きないわね。私の所へ来ても何の意味もないのに。いいわ、お通しして。ドロテア、椅子に移るの、手伝って」

「はい、姫様」


王太子の一人娘であるメリエンネ・ヴィンティアは侍女のドロテアの助けを借りて着替え、ベッドから車椅子に乗り移り、隣接した執務室に移動した。

部屋の真ん中に置かれた大きなテーブルにメリエンネが正対するように椅子を動かすと、ドロテアは他の侍女に、今のうちに寝室の窓を開けて空気を入れ替えるように指示した。



メリエンネ王女が自然の風を浴びることはほぼない。体に(さわ)るからと、侍医に止められている。

車椅子に座る時間すら、最近はめっきり減っている。

病状が(あつ)い、という訳ではない。

侍医の見立てでは、病気ではなくただ虚弱である。体調を改善すれば健康になるだろう、と気楽に言う。


しかし、本人には簡単なことではない。

『栄養を摂るように』と言われても、動かさない体に食欲は湧かない。無理に食事を摂ると胃腸を壊す。

『運動をするように』と言われても、長い時間を寝床で過ごしている体は歩くことすら満足にできない。

それどころか、車椅子の車輪も自分では長く動かす力もない。というか、気力が湧かない、続かないのだ。


良く食べられず運動できずとなると、夜の眠りも浅く途切れ途切れになる。

すると朝も起きられなくなる。

どんどんどんどん悪い方に歯車が回るばかりだ。


自分では止められないこの歯車を、本来なら止めてくれるはずの両親は、メリエンネにはもう以前からいなかった。

母親はメリエンネが十歳になる前に亡くなり、父親は亡くなったも同然とみなされている。

いや、父親は王太子なのだから、死んでいるわけはないのだが。



よくある話で申し訳ないが、王太子は子供の頃から偉大なる父王と比較される運命にあった。

仁政を()くこと久しき賢王と並べて比較される者が、また同じく偉大なる器の持ち主であれば良かったのだろう。

だが、残念ながら、王太子はごく普通の器量しか持ち合わせていなかった。

自らへの期待が大きかった王太子が責めたのは、自分を導いた学術導師や武術師範ではなく、自分自身であった。

王も王妃も、王太子が凡庸であることを特段咎めも責めもしなかった。

だがそのことすら、偉大な父に続きたいという希望を胸に秘めた王太子には、自分は両親に期待されていないという思い込みとなり、自らの最も弱い部分を突き刺す刃としてしまった。


他を責めることのできる無責任さがあれば、心の均衡を何とか保てたかもしれない。

だが、王太子はそのようなことが出来る男ではなかった。

止むを得ず選んだのは王太子の座を返上し臣籍降下をと求める王への申し出であったが、それも本人の病状も、取り次ぐはずの男によって握り潰された。

代わりに伝えられたのは、面会はできないが時間が経てば回復すると言う、捏造された侍医の報告だった。


横で支えるべき王太子妃が病で亡くなったことが最後のきっかけとなり、王太子の心は壊れた。

王が全ての事態を知ったのはその後、全てが手遅れになってからだった。


王と王妃は、王族たちには自立して成長することを望みできるだけ干渉せずにいたが、この時ばかりは怒り狂い、王太子の身の回りを取り仕切っていた男、すなわち王太子妃の父である伯爵を、その継嗣も含めて家もろとも廃した。

伯爵家から遣わされていた者たちは、まだ未成人で見習い身分であったドロテアを除いて、全員が取り除かれた。



その後の王太子とメリエンネの世話は、それまでは形式的にしか存在しなかった東宮局によって行われている。


王は、王太子がその務めを果たせないことが明らかになった今でも、廃嫡を躊躇っている。

その運命があまりに哀れであり王といえどその情が邪魔するため、また代わるべき候補、メリエンネと王太子の弟のフェブラー王子がともに病弱であったためである。

いずれを選んだとしても、王太子と同じ運命になる危険性が十分にある。

また、他の王族のうち、王弟と王妹はいずれも王位を継ぐ意思はもはや無いことを王に内々に告げていた。

それなら、王太子は形式的な存在としてでもそのままにしてその権威を保たせ、次世代の他の王子たちの成長を待って判断した方が良い。王はそう判断していた。


王太子の弟のフェブラー王子も凡庸な男であったが、兄と違い王太子としての重責がなかった分、まだましだった。ただ、兄より体が弱かった。

そしてこちらは、兄より二年ほど遅れて妃を娶るときに、問題を起こした。

近衛内局、すなわち内相の下にあり近衛軍の事務管理を担当する局の長官である伯爵の令嬢を妃に、という縁談がもたらされた後に、ある男爵令嬢と恋仲にあると言い出したのだ。

その男爵は伯爵と同じ派閥に所属しており、娘には諦めさせると言ったのだが、フェブラー王子は、そうなったら伯爵令嬢も娶らない、と言い出した。

王と王妃は早く打ち明けてくれていればと再び嘆息したが、結局、伯爵令嬢を正妃、男爵令嬢は側室とすることで一度は収まった。


フェブラー王子は、当初は正妃に気を遣い、挙式から間もなく長男のスタイリス王子が産まれた。

だが、その後は側室のところに通いきりとなり、次男のクレベール王子が産まれた。

当然、正妃は面白くない。

何かにつけて側室に嫌がらせを行い、夫を責める。

結局、両方の板挟みとなってフェブラー王子は体調を崩し、寝付くことで事態を放り出してしまった。


そうなると弱い立場なのは側室とその息子のクレベール王子となる。

クレベール王子は聡い子で、始めてスタイリス王子と会わされた時に、自分がこの異母兄より目立つことがあれば、自分と母が亡き者にされると悟った。

クレベール王子にとっては、母は唯一の家族であり、何よりも大切なものだった。

クレベール王子は、兄を立て扶けることが母を助けることだと信じ、スタイリス王子の片腕として振る舞い続けた。


幸い、それは難しいことではなかった。

スタイリス王子は子供の頃から美少年として有名で、王家の誉れとされており、また自分に出来そうにないことは全てクレベール王子にやらせて動じない、そういう子供だったのだ。

スタイリス王子に何を言われても怒らず、(へりくだ)り、あたかも従者のごとく仕えてみせればスタイリス王子は常に上機嫌であった。


スタイリス王子はそのまま育ち、王家にも稀な美丈夫として社交界の華となった。

一方で、政には興味を示さない。

それはそうだろう、政務を学ぶ努力をする必要性は別にない。

王太子やその娘、そして自分の父の状況を見るに、黙っていてもやがて玉座は自分の所に転がり込んでくる。

時間は自分の味方だ。むしろ変に政に手を出しても、失敗した時の損失が大きすぎて、得られるものと見合わない。


スタイリス王子も全くの馬鹿ではない。

弟のクレベール王子の方が頭脳には優ることに気が付いていた。

だとすれば、それを自分のために使えば良い。

母親を人質に取っているのも同然なのだ。こいつは俺には逆らえない。

優秀であろうがなかろうが恐れる必要はない。

何かあればこいつを使い、果実だけを自分が得れば良い、だとすれば優秀であるほど使い勝手が良いではないか。

貴族たちもこの状況は理解しているだろう。

ましてやこの美貌、令嬢たちも自分の(とりこ)、慌てて妃を娶る必要もない。

この世は生まれながらに我が為にある。


そうスタイリス王子が思い、異母弟を見る目が道具を見るそれに変わったのも無理からぬことだろう。

ただ、国王と王妃はそう思っていない事には気付いていなかった。



話が大きく逸れた。


メリエンネ王女がしばらく待っていると、ノックと名乗る声が聞こえた。

王女がドロテアに頷き、開かれた扉から東宮局長官のシェルケン侯爵が入って来た。


「シェルケン侯爵、今日もお元気そうで何よりです」


王女から掛けられた声の調子が冷たくても、侯爵は動じなかった。


「姫様にも御機嫌麗しゅう。恐悦至極に存じます」

「父上の所にも参られたのでしょう? 御様子はいかがでしたか?」

「お変わりなく、おられました」

「そうですか。何か相談でもされたのですか?」

「いえ。御機嫌伺いだけです」

「私にも?」

「ええ、まあ」

「御無理なさらなくても結構ですわ。侯爵は宰相府の次官と東宮局の長官を兼ねていらっしゃる。何かと、お忙しいのでは?」

「ええ、まあ。ですが、姫様の御用をおろそかにはできません」

「ただ寝ているだけの身に、特に用は無いのですが。無理にお出でになる必要はありません。それとも今日は何か面白い話でも?」


侯爵は眉を(ひそ)めた。

普段であれば、こちらの話を微笑みながら頷くだけの小娘なのだが、何か気に障る事でもあったか。

あるいは、父のように異常をきたし始めているのか。それは困る。

王太子は、既に大したことには使えない。

この娘には、使える駒であってもらわないと困るのだ。

期待している事態が起きた時に、父王の摂政という、名ばかりの権威を背負う者として。


「面白い話ですか。姫様が御興味を持たれそうなことというのも想像がつきかねますが」

「そうねえ。例えば、最近の閣議では、陛下はどのような御下問をスタイリス殿下やクレベール殿下になされておりますの?」


侯爵は(しば)し口を閉ざす。

陛下は閣議の際、傍聴しに来た王子や貴族たちに質問して意見を出させ、それを批評することで教育を行っている。

だがメリエンネ王女は閣議の傍聴が出来ない体で、国王の下問を受けることがない。

それゆえのただの興味か、いや、恐らく儂が(しばら)く閣議に出ていないことを知っていて皮肉を言っているのだろう。

どちらにせよ、この質問には答えることができない。嘘を言う訳にもいくまい。


「まあ、最近は、スタイリス殿下にもクレベール殿下にも、あまり大した御下問はありませんな。姫様に殊更に報告するほどのものではありません」

「そう」


メリエンネ王女の顔が曇り、侯爵は慌てた。

皮肉ではなく、単に自分が出席できない閣議の様子を知りたかっただけなのか。

このままではますます邪険にされてしまいかねない。何か役に立つところを見せないと。


「ああ、殿下と言えば、閣議ではありませんが、ユークリウス殿下の陛下へのお目見えの話は御存じですかな?」

「いいえ。そう、ユークリウス殿下も15歳になられたのね。まだ赤ん坊の時に、お目にかかっただけだけど。早いものね。噂では、随分と真面目な坊やらしいわね」

「ええ、その通りですな。お目見えの時に陛下に向かって、『妃より民を愛します』と宣言されました」

「まあ。若者らしいわね」

「それで陛下に『それでは困る、妃と愛し合って王族を増やしてくれ』とからかわれて、真っ赤になっておられましたな」

「陛下ったら、相変わらず意地悪ね。貴族たちの前で虐めるなんて、ユークリウス殿下、お可哀いそうに」

「ですが、殿下は真っ赤になっても胸を張っておられましたぞ。その後には『国民のために尽くしたい』と宣言され、スタイリス殿下に『威厳が足りないのではないか』と言われてもひるまず『国王陛下を見習って励むことで威厳を身に付けたい』と答えられ、ブルフ伯爵に同じ事を言われた時には、断固として撥ねつけられました。いや、15歳にしては堂々たる態度、私も感服しました」

「そうなの。それは御立派ね。本当に、生真面目なのね」

「そうですな。ただ、真面目なだけでは、海千山千の貴族どもに揉まれて押し潰されてしまわれるのではないかと心配ですな」

「侯爵のような?」

「何をおっしゃいますか。私はお若い王族方のお味方ですぞ」

「そう。失礼しましたわね」

「姫様にとってもお味方です。何かお望みがございましたら、何なりとお申し付けください」

「そう……それでしたら、ユークリウス殿下とお会いしてみたいわ。無理かしら」


侯爵は耳を疑った。この姫様が、自分から人に会いたいと言い出したのは、いつ以来の事か。

美丈夫で有名なスタイリス殿下にすら、会いたいなどと言ったことはないのだ。

もちろん、儂が権力を握るのに邪魔になりそうなスタイリス殿下に会わせるつもりなど毛頭ないが。

だが良い機会かもしれん。ユークリウス殿下か。

あれなら、『国民に尽くす』とか言うぐらいで、権力欲は弱そうだ。

スタイリス王子やクレベール王子のような邪魔にはならないだろう。

それに扱いも容易そうで、操ることもできそうだ。

取り込むこともかねてから考えていたが、真面目過ぎて、隙があるのかないのか良く分からない。

この姫を介すれば、うまく取り込むのもあながち不可能ではあるまい。よかろう。

侯爵は大きく頷いた。


「畏まりました。お若い王族同士が親交を深められるのは、大いに喜ばしいこと。ユークリウス殿下に姫様のお見舞いに来ていただけるよう、私が取り計らいましょう」

「本当? 嬉しいわ。侯爵、よろしくお願いいたします」

「その代わり、姫様も体調を整えられますよう、御努力ください。殿下に来ていただいたは良いものの、姫様の体調優れずすぐにお帰り頂くことになっては、私の面目は丸潰れになりますから」

「まあ。それもそうね。わかりました。頑張ります」

王族の説明が長くて済みません。

次話、ユーキとメリエンネ王女の初対面の話です。

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