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鍾乳洞 五.

「こっちには、追って来てないわ」

 関森由紀が、安堵と警戒が入り混じった声で囁いた。闇の中、彼女の感覚が追手の気配が薄れたことを教えていた。


「そうか。だが、これからどうするかだな」

 青島孝が腕を組み、考え込むように呟いた。彼らの顔には、長時間にわたる緊張と疲労が色濃く浮かんでいる。


「私の家に来ないか? いろいろ話したいことがある」

 関森康夫が提案した。彼の声には、先ほどの苦痛が嘘のように、しっかりとした響きが戻っていた。


「だったら、鍾乳洞の入口まで戻らないといけないわね。まだ、さっきの連中がいるかもしれないし……」

 由紀が不安げに言った。


「私について来なさい。別の出口がある」

 康夫はそう言うと、迷いなく歩き出した。その言葉には、この鍾乳洞の全てを知り尽くしている者の自信が満ちていた。関森由紀と青島孝は、彼の言葉を信じ、その後を追った。


「本当に他に出口があるの?」

 由紀が半信半疑で尋ねた。


「ここの鍾乳洞は、私にとって庭のようなものだからね」

 康夫は、暗闇の中を躊躇なく進みながら答えた。その声には、微かな誇りが感じられた。


 右へ、左へ、いくつもの支洞が複雑に分岐し、まるで迷路のようだ。康夫は迷うことなくそれらを選び取り、なだらかな上り勾配を進んでいく。しばらくすると、突然、目の前にひらけた空間が広がった。既に日は暮れ、あたりは闇に包まれていたため、まるで異世界に放り出されたかのような感覚だった。もし昼間であれば、遠くに見える薄明かりに導かれ、徐々に外界へと向かう実感を抱いたことであろう。


 目の前に広がるのは、鬱蒼とした林だった。三人はその中を足早に進む。しばらくすると、一軒の家屋の裏手に出た。驚くことに、そこは紛れもなく、以前康夫が俊也を案内した自身の自宅の裏手にある家だった。ちょうど、その家の勝手口の近くを通りかかった、その時であった。


 ガチャリ、と音を立てて勝手口が開き、六十歳くらいの女性が顔を出した。


「酒井さん、こんばんは」

 康夫が、いつものように穏やかに挨拶をした。


 女性は、突然の康夫の出現に「ビクッ」と肩を揺らし、驚きの表情で彼を見た。家の方から漏れる明かりが頼りだったが、康夫たちがいる側は暗く、彼らの顔を見分けるのに少し時間がかかったようだ。

「あら、びっくりした。関森さん、びっくりさせないでよ。今時分、何事かしら?」


「驚かせてしまって、すみません。実は……」

 康夫は言い淀んだ後、咄嗟に笑顔を作った。

「いや、鍾乳洞の案内をしていてね、つい観光客が行かないルートを姪とその友人に案内してしまってね。こんな時間になってしまったよ」

 本当のことを話せば、酒井さんを巻き込むだけでなく、後々面倒なことになるだろうと判断したのだ。


「そうだったの。あら、そちらの二人はお宅の姪御さんと、そのお友達だったのね。気を付けて帰りなさいよ。ところで、あなたの家、さっきから不審そうな男が、周りをうろついていたよ」

 酒井さんの言葉に、康夫の表情が一瞬硬直した。


「不審そうな男が……?」

 康夫は、由紀と青島に視線を送り、無言で警戒を促した。


「ええ。夕方見たんだけど、近くに一台、ずっと車が停まっているのがどうも怪しくてね。最近は物騒な事件が多いから、関森さんも気をつけた方がいいよ」

 酒井さんは心配そうに顔を曇らせた。


 康夫は頷き、心からの礼を言って酒井さんと別れた。


 康夫の家は、ここから左手に進んだ方が近い。しかし、彼は敢えて反対側の右手へと歩みを進めた。酒井さんの警告が頭をよぎったのだ。不審な人物がまだ周囲にいるかもしれない。多少遠回りになっても、安全を優先するべきだ。


 それまで空を覆っていた分厚い雲が、徐々に晴れ始め、月が顔を出した。半月ではあったが、その光は想像以上に明るく、彼らの行く道を照らしてくれた。おかげで懐中電灯を消しても、問題なく進めるようになった。


「由紀ちゃん、不審な者の気配を感じるかい?」

 康夫が小声で問いかけた。


「ううん、何も感じないわ。今から集中する」

 由紀はそう答えると、意識を研ぎ澄ませた。


 しばらく、三人の間には無言の緊張が続いた。辺りに響くのは、風が木々を揺らす音だけだ。


「……誰かいるわ。一人よ。このまま進むと、その先にいる」

 由紀の声が、静寂を破った。その声には、微かな疲労の色が混じっていた。


「何を感じた?」

 青島孝が、由紀の隣で尋ねた。彼の視線もまた、闇の奥を見据えている。


「『いつになったら、関森は帰ってくるんだ……リーダーからの連絡もないな……』って、考えているわ」

 由紀は、読み取った思考をそのまま口にした。


「一体、何者なんだ……『リーダー』というのは、鍾乳洞の中にいた奴らのことか?」

 青島は、由紀の言葉から推測を巡らせた。


「青島君、私もそう思うよ。由紀ちゃんもそうだろう。ところで、携帯をどちらか持ってないかね?」

 康夫が、焦りを隠しながら尋ねた。


 由紀と青島は、二人とも持っていると答えた。


「貸して欲しいんだが」

 康夫の表情には、明確な意図が浮かんでいる。


 由紀は背中のザックから自身の携帯電話を取り出し、康夫に手渡しながら尋ねた。


「どうするの?」


「警察に電話する」

 康夫は迷うことなく言い切った。


「警察に!?」

 由紀と青島は、驚きの声を上げた。


「息子が警察官だったので、知り合いがいる。不審者をどうにかしてもらう」

 康夫の目に強い決意が宿った。



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