発端 二.
夏休みは中盤に差し掛かり、アルバイトで稼いだ資金も半分を切っていた。塚田俊也は、そろそろ旅の終わりが近いことを感じ始めていた。石を求めて巡った全国の旅路は、あっという間に過ぎ去ってしまった。名残惜しさを抱えつつも、最後に残しておいた特別な「石」を目指し、彼は列車に揺られた。
目的地近くの駅で降り、改札口を出ると、そこに**守部健**の姿があった。顔色は依然として優れないが、俊也を出迎える彼の表情には、どこか期待のようなものが浮かんでいる。
駅前のバス停から、うまい具合に組まれたダイヤのおかげで、さほど待つことなくバスがやってきた。二人はそれに乗り込む。
バスに揺られること約二十分、鍾乳洞前のバス停に到着し、二人は下車した。
「智石は鍾乳洞の中にあります。ですが、その前に、少し我が家に寄ってもらえませんか。鍾乳洞へ持っていくものがありますので」
守部健はそう言い、慣れた足取りで先を歩き始めた。
俊也は、以前からの疑問を解消するべく、彼の背中に向かって尋ねた。
「ずっと気になっていたんですが、守部さん、どこかお体の具合が悪いんですか?」
守部健は立ち止まり、振り返った。彼の顔には、微かな苦渋の色が浮かんだが、すぐにそれを隠すように微笑んだ。
「ええ、狭心症を患っているんですよ。でも、心配しないでください。時々軽い発作が起きる程度で、薬を飲めばすぐに落ち着きますから」
「心臓が……」
俊也は言葉を失った。あのやつれた顔色と、どこか動きのぎこちなさの原因が、そこで初めて腑に落ちた。
ゆっくりと歩いて十分ほどで、守部健の家に到着した。敷地の周囲はブロック塀で囲われ、門をくぐるとすぐに玄関が見える平屋の家だ。庭は、手入れが行き届いているとはお世辞にも言えない荒れ様で、雑草が伸び放題になっている。心臓を患っている彼が、庭仕事にまで手が回らないのだろう、と俊也は察した。
「ここで少し待っていてください」
守部健はそう言い残し、家の中に入っていった。
待っている間、俊也は周囲を見回した。
敷地は百坪ほどとかなり広く、平屋でありながら奥まで敷地いっぱいに建てられているため、中はさぞ広いに違いない。裏手には一軒だけ家があるが、それ以外に周囲に家はなく、その先の広大な山へと続いている。外界から隔絶されたような、ひっそりとした場所だ。
程なくして、守部健が玄関から姿を現した。彼の両手には、一足の長靴と、二本の懐中電灯が握られている。
「これを履いてみてください。サイズが合うかどうか」
彼は長靴を俊也の足元に差し出した。
「長靴、ですか?」
俊也は訝しげに尋ねた。
「ええ。智石のある場所は、鍾乳洞の観光用に整備されていない区域でしてね。普通の靴では泥だらけになってしまいますから」
「なるほど、分かりました。履いてみます」
俊也は納得し、自分のスニーカーを脱いで長靴に履き替えた。サイズはぴったりだった。
「ちょうどいいですね」
俊也が言うと、守部健はわずかに目を細めた。 「私の息子が置いていったものですが、一度も使うことなく……。使っていただいて構いません」
「息子さんのものなんですか? 使ってもいいんですか?」
俊也は少し驚いたが、守部健は気にする様子もなく、さらに一本の懐中電灯を差し出した。
「構いませんよ。さあ、行きましょう」
俊也は脱いだスニーカーを玄関に置いたまま、鍾乳洞へ向かうことにした。帰りにまた履き替えればいいだろう。
鍾乳洞の入口手前には、土産物や軽食の露店が連なっていた。守部健は地元の人間なのか、顔見知りが多く、あちこちで店主たちから声をかけられる。最後の露店を通り過ぎようとした時、その店の中から、威勢のいい声が響いた。
「関森さん、休みはどうでした?」
「良い休みでしたよ」
守部健は、にこやかにそう答えた。
「関森……?」
俊也は思わず、不審そうに呟いた。その名に、彼の頭の中で何かが引っかかった。
守部健は歩みを止め、ゆっくりと振り返った。彼の顔に、申し訳なさそうな、しかしどこか諦めたような表情が浮かぶ。
「実は、守部健というのは偽名でして。本当の名前は、関森康夫と言います」
「なぜ、偽名を……?」
俊也の疑問が、静かな鍾乳洞への道に響く。
「智石は、この日本に、いや、もしかしたら世界に一つしか存在しません。もしあなたが、誰かに智石のことを話して、大勢の人間が私を尋ねてくるようなことになれば、困るからです」
康夫の言葉には、どこか深刻な響きがあった。
「そうだったんですか……。そんなに珍しい石なら、むしろ公表しても良いのでは?」
俊也は素直な疑問を口にした。彼の好奇心が、そう問わせたのだ。
「珍しいだけなら、それでも構いませんが……。さあ、とりあえず行きましょう。詳しい話は、智石をご覧になった後で」
関森康夫はそう言って、再び鍾乳洞に向かって歩き始めた。彼の言葉には、まだ語られていない、重い秘密が隠されていることを示唆しているようだった。